2021年10月07日

不思議

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97歳まで一人暮らしをしていた祖母。心臓が弱くなり入院、息を引き取り納骨まで2週間。あっという間に9月が過ぎ去ってしまった。
この間、不思議な力に動かされているようだった。
私がちょうど東京にいる間に祖母の具合が悪くなり、救急車で運ばれるのを付き合うことができた。翌日には回復の見込みがないことを知らされ、苦しさを取り除くための処置が施されて、家族の見舞いが許された。その日のうちに、外出がしづらくなっている母を車で連れて行き、頭がはっきりしている祖母といつものような会話ができた。目を開き、会話ができたのはこの日だけだったらしい。でも、近い家族はみんな、病院にいる祖母を見舞うことができた。
週末に松本で予定されていた私の地域の小さなコンサートも、波田教会での義母のリードオルガンの練習も無事終え、東京に帰った数時間後に祖母は息を引き取った。
大事な家族みんなを待っていてくれた。

見送りは家族のみ、自宅で行った。
祖母はクリスチャンではなかったが、遺言ノートに残された指示では、讃美歌「いつくしみ深き」「はるかにあおぎ見る」を私にチェロで弾いてほしい、というのが希望だった。祖母が10代前半に経験したクリスチャンの家族の葬儀で、初めて歌った讃美歌が「いつくしみ深き」だった。一回きり歌った古い歌詞を晩年も鮮明に覚えていた。もう一曲はどうやって思い出したのか、もう聞くこともできない。
仏壇と線香のある形だけ仏式のお別れの中で、家族みんなで讃美歌を歌った。
キリスト教には縁がないと思っていた叔母たちが、高校生以来だと懐かしがった。聞くと、ミッション系の学校で聖歌隊に入っていたという。私の両親も、幼い頃に教会学校に通っていた記憶がよみがえった(私は初めて知る事実)。最近、私の母は具合が良くなく、椅子から立ち上がるにも助けがいるのだが、歌った後に一人ですっと立ち上がったのには驚いた。歌うことは身体にいい。
讃美歌が隠されていた昔の思い出を呼び起こす不思議。

納骨の日は台風一過の晴天。これも不思議。

晩年の祖母は膝の痛みがひどく一人で外に出られない日々だったが、家の中はいつでも綺麗に整頓され、デイサービスにも出かけず、週1回の訪問医とヘルパーの助けで、彼女らしい生き方を全うした。自分の葬儀の仕方やお墓のこと、死後の事務処理までも詳細を子ども達に言い残していた。社会的には地位もないただの主婦だった祖母が、最期まで愛情を持って大切にした丁寧な生活。
第2次大戦末期、鹿児島空襲で焼け出され、戦後の貧困を経験し、戦争はこりごりだと言い続けていた祖母の願う平和を、この地味なお別れで深く感じた。

一息ついて戻った野尻は、すっかり秋の空気、黒姫も妙高も色が変わりつつある。
これから母の病と付き合う道はどんなだろうか・・・これも一人の人生。KIMG2716.JPG
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posted by makkida at 10:51| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2021年10月26日

よしあし、答えのない

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コケの小宇宙。生き物それぞれの大きさの世界があり、全体で大きな宇宙になる。

体や心が元気で自由に動き回れるときにはポジティブになれるし、日常の様々な仕事もいろいろな出来事にも自分の可能な限りなんでもできる気になる。
自分が自由に動けなくなって、やっと、世の中の仕組みが動ける人前提で成り立っていることに気づく。日頃、頭で理解しているつもりが、やはり身体が経験することで行動しづらいことが現実味を帯びる。
人の仕事ぶりを自分の視点から見て(それが多くの人にとって優しくなるよう気を遣った、いい社会のためだと客観的に考えたとしても)、センスの良し悪しを口にすることは良くないことだなあ、と思う。
「センスいい」という言い方。ついしてしまうが、気になる。センス、と気軽に使うけれど、何のことだろう。他の言葉で置き換えられるなら、別の言い方をしたほうがいい。これも「センス」か。とすると、センスは知性、脳を使うことが必要。別の視点から見ることも必要。
いつも見ている「山」を別の角度から見ることはなかなかない。違う方向から見ると別の山みたいで驚く。それほど、あるものについて私は知らない。理解していない。
趣味や感覚。「いい趣味」は王や権力者の「趣味」だった時代。フランス革命以降、人類が手にした「自由」「平等」は、人それぞれが能力や身分や人種と関係なく活動できる、ということだろう。
その人の生き方がその人の仕事なり作品として表に出るのだから、うまくできなくてもしょうがない。そもそも、プロだから「センス良く」全てお任せできるのではなく、趣味や感覚はそれぞれが違うはず。

いや、多くの場合、理想はあったとしても、身体が追いつかないことだらけだ。
自分にアイデアがあり、こうしたい、こうできるはず、と考えるから、人に頼まず「私がやる」と引き受ける。自分が関わること全てそうなる。結果、出来上がるのがギリギリになって周りの人が心配する。間に合うから仕事にはなっているが、いつも「大変そう」。忙しそうで大変ね、と言われるのは、いろんな意味があるのだろうね。「辛そう」「大変そう」に思われずに、「感じ良く」(これもまた何だ?)仕事ができれば、周りの人に嫌な気持ちを与えないのに・・・。
人にわかってもらえないから辛いのかな?
天は全てを見ている。

気づかない人は多いけれど、言わなくても気づく人もいる。何に気づくかも人それぞれだ。
気づいてもらうのを待っているのではなく、助けを求めたいときには口に出して伝えないといけない。
でも、あまり日々の生活が大変だと、助けを求める暇もない、お金もない。どうにもならない悪循環で毎日が回る。
どんなやり方がいいか答えはない。小石を拾うように、気づいた人が気づいたときに小さな助けをできたらいい。

しばらく私の自主企画によるコンサートはできない状況になりました。コンサートを開催するには、練習や勉強時間を確保する以外に、演奏家が動かなければならない仕事がたくさんあります。以前から可能な事務仕事や広告宣伝は自分で行ってきましたが、コロナ禍始まって以降、経費削減のために自分で負担する作業が増えました。事務仕事全般お客様対応などのマネジメント的な仕事は気を遣います。マネジメント業務をしてくださる方や場所提供をしてくださる方との共同作業でないと、主催公演は難しい状況です(普段からそうですが)。家族の身体の具合を見ながら、どのように長野と東京を往復して生活するか模索しながら活動を続けます。このタイミングで、あちこちから少しずつ仕事のお話をいただけるのが、本当に有り難いです。
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posted by makkida at 13:04| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2021年10月27日

アンサンブルワークショップとデュオレッスンのお知らせ

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松本でアンサンブルのレッスンを毎月行っています。音大を卒業して地元に戻ってきた若いフルート奏者とヴァイオリン奏者が毎回参加。時々オルガン奏者が加わりポジティフオルガンも使います。
今まで続けてコレッリCorelliのトリオ・ソナタ作品4から何曲か取り上げました。
次回は、少し趣向を変えて、カッツーティCazzatiのチャコーナとマリーニMariniの「”逃れよ、悲しい心よ”によるソナタ」です。17世紀半ばの様式や、まだ旋法が残っている響きは、19世紀以降を主に学んだ現代の演奏家には馴染みがないけれど、新鮮だと思います。バロックの弾き方を学びつつ、定型のバスの上での変奏曲や、一つの曲の中でテンポ(拍の感じ方)や性格が変化するのを楽しめればと思います。

横浜で毎月予定しているデュオレッスン@BELUGA。夏からキャンセル続きでしたが、受講希望者があれば11月以降も開催します。
11月13日(土)13時/14 時/15時
12月11日(土)13時/14 時/15時

*時間は応相談
会場: BELUGA オルガン練習室 [JR 関内駅3分]横浜市中区常盤町3-34和風ビル2F
料金:10,000円/60分 (準備・片付け時間を含む)
※レッスン前後に手洗いまたは消毒、レッスン中はマスクの着用をお願いします。
申込み:
@お名前 Aメールアドレス B電話番号 C曲名(原語で) D楽器 E希望日時(可能な時間を多めに)
を明記のうえ、
11月は7日(日)、12月は5日(日)までにお申込み下さい。期日過ぎた場合も相談可。
BELUGA(ベルーガ)オルガン練習室横浜市中区常盤町3-34和風ビル2F
📩belugaorgan@icloud.com ☎︎0 4 5 ( 6 6 2 ) 5 5 3 6
💡詳細はこちら2021年10月〜12月belugaデュオレッスン.pdf をご覧ください。
過去のレッスンのレポートはこちらをご覧ください。
来年には、デュオレッスンでは何をやるの?というアンサンブル初心者のために、グループレッスンの開催も予定しています。乞うご期待!
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posted by makkida at 12:37| レッスン・ワークショップ | 更新情報をチェックする
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