2014年01月06日

音による瞑想

ある美術作家は、作品に手をつけるとき、自分のなかに取り入れて考えたことやアイデアを一度忘れるようにしている、という。忘れる、という言葉の使い方が意味深い。全て消化し、頭で言葉に置き換えることから離れる、我を突き放す、己を外から見つめる…など。
新しい音楽作品でも同じで、たくさん取り込んだもののを鎮め、昇華した物が音になるのだと思う。上澄み、氷山の一角、ともちょっと違うか…。歴史の一部の自分、今の混沌とした世の中を生きている自分、己と世界との関係、社会の出来事を考え、心が揺れ動き、葛藤する。その内面のゴチャゴチャをそのまま表現するのではなく、外からその状態を見つめる。聴こえる音に動かされる、音の流れに身を委ねる…。

尾高惇忠氏の独奏チェロのための〈瞑想〉。オーケストラ作品を取り組んだあとで、オーケストラという大きな媒体の対極にある極めて限定された枠の中での多様な表現の可能性を追求した、と解説にある。チェロ一本で、限りなく表現は多彩である、とも言える。生き物共通の自然界の波長や呼吸を通して音が生まれれば、決して現代音楽は難しいものではなく、時空を越えて共感できる。作曲の動機が個人的でも、世界の大きな出来事によるものでも、音が出るためのエネルギー(生命力、祈り)が大事なのだ。
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