沈黙の音楽。
沈黙は聴くことである。
ジョン・ケージにとって沈黙とは、今自分がいる環境のすべての音である。それぞれの音に関係はない。作曲家はそれを(どんな音がするか)意図しない。もしかしたら鳥の声が聞こえるかもしれない。車の走り去る音、人の声など、環境のなかに偶然現れるあらゆる音が存在する。
〈4分33秒〉は「演奏」されるときのみ生きてくる作品。それはまさに芸術音楽のあるべき姿ではないか!?
この、楽器が弾けなくても、一人でも「演奏」できる作品のいい点は、みんなのための音楽であるということ。
クルターク・ジェルジュの音楽の中で感じる沈黙とは、音と音との(聴こえない)繋がりを聴くことである。途中から弾くのは意味がない(どの芸術音楽でも当然なはずなんだけど!)。
また作曲家によっては、その時間を意図的に作るときもあれば、その場に任せるときもある。
はたまた、尾高惇忠氏の〈瞑想〉は、瞑想をするときの沈黙の状態の心の動きを音に表した作品である。
空間や余白でそこに無いものを想像する絵のような音楽もある。
〜2016年3月19日ギャラリーコンサート@ときの忘れもの
2016年03月20日
沈黙
posted by makkida at 11:49| あんなこと こんなこと
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