2016年06月30日

創造

川崎市岡本太郎美術館にて「岡本太郎が愛した沖縄」展。
音楽は目に見えないけれども、美術も、目に見えないものを見えるようにするものなのだと思った。
音楽が好きで、ピアノは自分で弾けるようになったそうだ。
習わなければできない、なんてことはない。自分の内に弾きたい音楽、弾けるイメージがあれば、独学でいい。
弾きたければ弾く、描きたければ描く。
外から、肉体は形として見えるけれど、思想や想像など頭のなかは見えないのであって。自分の内に見えているものが音になり、色になり、形になり、作品になる。
行動や使う言語は思考とつながる。目には見えない大いなる自然の力によって原動力をいただく。
人はただ「人」。職業は「人間」。
この人はエネルギーが迸り出ているようなイメージだが、作品の勢いは額縁の外や立体の外には飛び出ていない。彼の身体のなかから湧き出た「物」として存在する。発する言葉の水面下にはどれだけ多くの思想があったとしても、たった一部分だけ姿を現し、完結する。全身が脳みそのようなのに、見せるのは目だけ。もしかしたら見えているのは、自分の内から外へ出て行くものと、外の世界から自分にやって来るものがぶつかった場所なのかもしれない。
posted by makkida at 23:29| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする
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