「旅をしない人間は(少なくとも芸術や学問にたずさわる者は)みじめな人間です!・・・卓越した才能の人間はいつも同じ場所に留まっていては、だめになります。」W.A.モーツァルト(1778年)
旧国鉄の発券に使われていたマルスシステムの「パタパタ」、金属のページ面がめくれるようになっていて目的地にピンを差し込んで入力する機械は(私はあまり覚えていないが)、なんと2002年9月末まで使われていたらしい。今の汎用性キーボードでなく、ひとつひとつ専用のキーを使う機械。高いお金をかけて開発したので使い続けていたのだろう。
さて、私はちょうどその頃ヨーロッパから帰国したわけだが、ハンガリーでは当時、国鉄MÁVのチケットオフィスで買うと、なんと手書きの、薄い紙が束になった切符を渡されるのであった。一時間で用が済めば、まぁ、ついている日。気長に順番を待つ。銀行でも滞在許可のための警察などでもどこでもそうだったが、今日は時間がかかるぞ、と腹も立てず、まあそんなもんだと思っていた。
その当時、パソコンなんてものを持っていなかった私。街のインターネットカフェかコンピュータがたくさん並んでいる店(なんていうの?)には、たまに行っていたが、ナン十分でいくら支払うシステムでは落ち着いて調べ物できず、たまに来るかもしれないメールをチェックするくらいだった。今では、路線検索をコンピュータで瞬時にできるし、他の国の鉄道も調べられる。あの当時もできたんだろうけど!!!
私は紙が好きなので、留学前からヨーロッパへ行くたびにトーマスクックの時刻表を持って行き、国を超えて乗り継ぎを自分で調べて旅行していた。ハンガリーにいる頃も同様。時刻表のあっちのページ、こっちのページ行き来しながら印をつけ、乗り換えが間に合うように長距離列車を調べ、路線をメモし、MÁVのチケットオフィス(Andrássy útにあったと記憶違いをしていた)に出かけ、かろうじて買い物できる程度のハンガリー語でチケットを買っていた。国を超え、列車を乗り換えるたびに一枚ずつ紙が増えていく切符。全部、目の前の職員が地名を手で書いていく。取っておけばよかった。
国際列車はもちろん当時も高かったけれど、日本を往復する飛行機運賃(チェロの分も含めて)を考えれば・・・!それに長い夏休み、せっかく陸続きのヨーロッパであちこち行けるのだ。憧れのイタリアへ二週間滞在し、そのあと、きらめく地中海を通りながら南仏へ移動、なんて、距離を身体で感じられるのは鉄道の旅の素晴らしいところだろう。ブダペストからイタリアへ行く時にウィーンの乗り換えで、着いた駅とイタリア行きの駅(南駅だかどこだか忘れたが)違うのだが、列車が遅れて路面電車に乗って移動していては間に合わない、タクシーを捕まえて飛ばしてもらい、発車ギリギリに列車の一番後ろに飛び乗ったこともあった。
お供はチェロで、いつも気が張っていたけれど。今のような軽量ケースでなく、8キロある木の旧西ドイツ製の棺おけ型チェロケースに、大きなリュックサックを背負って(スーツケースなんて学生の持つものじゃない、とか勝手に思っていた)。
チェロ付き一人旅でなければ、コンパートメントで座席に横になって夜を過ごすことも。
そういえば、ブダペストからウィーン行きの列車の中で年越しをしたこともあった。女性の車掌さんが小さな花火を手に持って「ハッピーニューイヤー!」と言って歩き回っていた。
時間の余裕も、気持ちの余裕も、体力もあったのだなあ・・・
2016年08月31日
鉄道の旅
posted by makkida at 22:59| あんなこと こんなこと
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