2016年09月22日

森へ行くんだ!


このライヴ録音はゾクゾクする瞬間が満載だ!
シューマンの歌曲(リート)、ケルナーの詩による歌曲集と作品39のリーダークライス。

リートは、ソリストの声が美しければいいのではなく、もちろん最も大事なのは言葉であるが、重要なのはピアニストなのだ。専門のピアニストがいてもおかしくないくらい、詩や音楽の理解が必要なのだ。音楽と対等な詩を生き生きさせ、歌を消さず邪魔せず、引き立たせる抜群のバランスを取っていく。何しろ、音が多いのはピアノパートなのだから、音楽のイメージや響き全体を掴んでいなければならない。そして歌に心を寄せ、息のあったアンサンブルを作り上げる。アンサンブルの醍醐味!
日本では長く、「ソリストになれなかった人が弦楽四重奏や二重奏(弦楽器とピアノなど)をする」という、勘違いも甚だしい認識があったようだ。残念ながら今でも、音楽は旋律パートを持っている人がエライ、というような聴き方が多い。旋律は和声や、性格を持った伴奏形、対旋律などがあってこそ魅力あるものになる。一番に聞こえてくるのは氷山の一角でしかなく、その下に何十倍もの養分と可能性がある。それがあってこそ有機的なもの、音楽になるのだ。
そもそも、昔からヨーロッパでは家庭内や親しい友人が集まって室内楽を楽しむ人が多い。小さい頃から、楽器を始めたらすぐに他の人とアンサンブルをするという。室内楽の名手は尊敬される存在だ。名サポート役や真の音楽家の集まりが、天才たちの作品の本質に近づき、開花させて、人々を幸せにしてくれるのだ!
同じ作品でも、共演者が違えば、別の捉え方があり、響きも解釈も変わる。だから、共演者を選ぶのは難しい・・・。
音楽の素晴らしさのもとに、個々人の考えや思いや持ち味を尊重しあい、強調するが主体性を失わず、そうして生まれる調和は、1たす1は2なんかでなく、無限大になる筈なのだ!

修士論文に取り組んでいた頃、よく聴いていたのがケルナーの詩による作品35の歌曲だった。この録音ではなかったけど。
Wanderungを定番の「さすらい」と訳してしまうことによって、ああ、もう森を歩き回ってくる!!という気分からは感じが違ってくる。あの人とは縁が切れ、人間とは絆を感じられないけど、街から離れたここまで来たら、木や鳥もいるし、大地や天は僕にとても近くて、心のなかで一体なのだ!
これは単にロマンティークな詩の世界なだけでなく、「私は宇宙の中にあり、宇宙は私の中にある。宇宙と私は一体」というもっと根元的なところから来ているんじゃないか。
だから、この「さあ元気よく見知らぬ世界へ行こう!」の感覚は、私たちの身近な感覚なのではないだろうか。もっとも、ドイツ人が森を歩き回りたくなる気分、ということだけれども。
posted by makkida at 22:34| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする
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