2017年04月23日

『歌う若者たち』

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1937年に作曲されたゾルターン・コダーイの合唱曲『孔雀は飛んだ』は、「人の心を動揺させる」という理由で、当時の警察に度々演奏を禁止されたという。現代の人には、そんな刺激的な音楽だとはとても思えないだろう。時代はファシズムの波がヨーロッパ中を覆い始めていた頃、ハンガリーでもホルティ政権が非人道的な政策を強行していた。
古くはオスマントルコの支配下にあったマジャール(ハンガリー)人「鎖なき囚人」の自由を願って歌った民謡。それを19世紀の詩人アディ・エンドレが「孔雀が飛んでいる。多くの貧しき者、とらわれの身にある者たちを抑圧から自由にするために。われらは愚かでひとり残らず滅びるのか、それとも新たな人間に生まれ変わるのか」というような内容に長く作り変えた。

コダーイは1900年にブダペストに出て、大学の哲学科に籍を置き文学や語学も学ぶ傍ら、音楽アカデミーで音楽を勉強した。アカデミーの学生だったバルトークとは卒業後に知り合い、彼らはともに旧ハプスブルク帝国のハンガリー領のあちこちで民謡調査旅行をし、研究しながら彼らの音楽を創り上げていった。初めてジョイントコンサートをしたとき、彼らの「革新的な音楽」は当時の音楽界の保守的な人たちや音楽通からは冷たく迎えられ、大部分の批評家は非難された。もちろん、評価してくれた一部の批評家はいた。
ハプスブルクが崩壊し、第1次大戦が勃発、領土は変わり、社会情勢もめまぐるしく変わる。戦争のために国家財政は破綻、人々は疲弊し、挫折感を味わう。ヨーロッパの多くの人々の間に革命的機運が高まり、ハンガリーでも労働者階級が実権を握った。そんななかコダーイやバルトークは、幅広い教養によって形成された批評眼によって、狭い民族主義に陥ることなく民謡・民俗音楽研究を続けた。
第二次大戦が始まって自由な雰囲気がなくなるにつれ、ますます彼らに対する攻撃や圧力がかかる。政府の軍国主義的な政策に邪魔する恐れのある動きに敏感な当局によって、監視され警告を受けた。
彼らには『孔雀』の歌詞の意味が刺激的だったのだ。もちろん、コダーイは政権への抗議の意を込めて作曲した。
1943年44年にかけてペトゥーフィ・シャーンドルの詩を使って合唱曲「囚われの国の息子」「神の奇跡(まだ国があるのは神の奇跡だ)」などを立て続けに書く。ペトゥーフィは、ヨーロッパ中が革命で大荒れになっていた頃の、1848年のハンガリーの革命で指導的人物のひとりだった詩人。

作曲だけでなく、子どもたちの音楽教育にも情熱を傾けていたコダーイ。歌うことが音楽の基礎に、それだけでなく人間にとって大事だと考え、合唱を広める活動もした。その運動の中で1941年に雑誌『歌う若者たち』を創刊、「あらゆる差別を拒否する。音楽は万人のためのものでなければならない」と書いた。
無関心と誤った理解による古い訓練を続けることで、心と表現の自由に重しが置かれている。いつの時代でも、それを取り除こうと働きかけ、対話を重ねる人びとがいますように!

詩『孔雀は飛んだ』の朗読
posted by makkida at 12:08| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする
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