2017年05月23日

土と生きる人のなかで

すっきりと晴れた二日間のうちに房総ツアー終わりました。Cafe & gallery わをんさんと天空の古民家さん、準備やお手伝いしてくださった方、お集まりいただいた全ての方々に感謝いたします。

ぐんぐんと伸びる木、あちこちから顔を出している竹の子。少しでも放っておいたら道も家も草木に覆われてしまいそうな、そんな大地の生命力に包まれて、あまりにも充実した二日間、頭がついていかないのか、ぼーっとしていた。いつものように頭が動かない、ということは、いつもは演奏するときに頭を使いすぎているのだな、と思う。移動や一日目のコンサートや睡眠不足による疲れもあったと思うが、山のなかの古民家で過ごした一日半、コンサートが始まる頃にはまだテンションがちっとも上がらなかった。いや、むしろ、こんな環境で田畑を耕したり、有機農法をしている人たちの前で、「大地をテーマ」なんて恐れ多くて言えるものか、「O Terra(大地よ)」なんてしょせん都会人の発想なんじゃないか、と落ち込みかけていた。
子どものときは野を駆けまわり泥んこになり、木に登り、すり傷が絶えず、今でも緑のなかで歩き回らないと気分が悪くなり、都内の人混みにいるだけで落ち着かない私は、ちっとも都会の人ではないと思っていた。
真っ暗な夜空に満天の星。強い陽射しでむんむんとした草の香り。枝いっぱいにつけた夏みかんの花、その香り。あちこちで交わす小鳥たちの声。大きく、やさしく、一息に、大地に吹きよせる風。
背伸びして偉そうなテーマを説明したところで、自然のなかでは丸裸。付けてみたって、貼ってみたって、すべてお見通しだ。
人間の強さは自然のなかで揉まれ、支えられ、形成されていく。どの人間がエライ、ということはない。
バルトークたちは自国ハンガリーの民俗音楽を研究したけれども、異質のものの隔離は民俗音楽の発展にならない、多くの民族や言語や芸術が混ざり影響し合うことが、芸術音楽の発達に繋がる、という考えを持っていた。
権力者にとって都合悪いものを排除する独裁政治は芸術にとって害になる。生きて音楽をする上で大切にしたいことや人間の心と身体の自由が脅かされることに抗議する方法は、デモに参加することも大事な行動だが、感じること、考えること、自分に正直でいることだ。なんだかんだ言ってみたところで、私は音楽することしかできないんだと思う。
私が音を出す、それがすべて。
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