2017年06月06日

G.クルタークの器楽作品

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クルターク夫妻の素敵な写真。
子どもの時にピアノで遊んだ、高音と低音を交互に鳴らしたり、ペダルを踏みっぱなしにして音階を弾いたり、そんなのを思い出す。遊びのようだけれども、ジェルジュ氏とマールタ夫人の出すピアノの音は温かく、澄んでいて、迷いがなくシンプルだ。ツィンバロンのイメージなんだろうなあ、とか、小さい生き物が飛び跳ねてユーモラスだったり、いたずらしたのが失敗して丸見えになっちゃったり、尻もちついたり、さーっと動く風だったり、いろいろなイメージが目に浮かぶ。まさに「遊び」Játékok(Games)。
抽象画のような音世界以外にも、1950年ごろの民謡風な連弾曲もある。
こんなに自在に楽器で遊べると楽しいだろうなぁ・・・

クルターク・ジェルジュの弦楽器のために書かれた作品の特徴について、まず、一つの音から始まって次へまた次へと辿る音のつながり。コンサートでは数十秒で終わる曲を題材にちょっとお話してみようと思います。
つぎに、言葉。発音がそのまま音になる。日記や手紙の断片を音楽にしたカフカ断章が明解かもしれない。器楽の音は言葉で、歌の言葉は音である。音による詩とも言えるだろうか。


音が多くなく曲が短いところがウェーベルンに似ている、とよく引き合いに出されるが、あちらは20世紀前後のウィーンの世紀末の匂いが充満していて、空間の密度などまったく違うし別世界のように感じる。感覚的だけれども。

クルタークの友人たちの思い出に書いたものは、それぞれ大切な友人や過去の芸術家に対する個人的なメッセージだ。彼の考える友人像だったり、残した詩や言葉だったり、その作曲家のスタイルを使って音にしたものだ。彼が惹かれた人や物を知ることは、思考の道筋に少しでも近づく手がかりになるのではないかと思う。
例えば、よく取り上げられるハンガリーの詩人ピリンスキー・ヤーノシュ(1921-1981)。クルタークの5歳年上で、第二次大戦中に強制収容所で経験し、戦後の共産主義の独裁政権下ハンガリーの難しい時代に生きた、カトリック教徒としての土台がある人だ。これは詩人自身の朗読による彼の傑作"Apokrif(Apocryphaアポクリフ(聖書外典))"


なぜ作曲家が「ゲーム」「メッセージ」「しるし」や「誰それへのオマージュ」を書いたのか、少しの文章の情報はあったとしても、本人しか解らない背景や思考やイメージ、その人との思い出があるのだと思う。調べれば調べるだけ見えてくるものがあり、すこしずつ近づくことができる。けれども、これはこうだ、とはっきり解らない。

音はダイレクトにイメージを伝えることができる。回り回って、一番のヒントは楽譜にある。
行きつく先は、言葉を超越してダイレクトに来る質感、温度感・・・つまり音そのもの、でありたい。

もう一つ。作曲家による演奏で。なんて美しいグリッサンド!まるでハープで弾いているようにも聴こえ、ときにダイナミック。白、ピンク、赤紫の光で照らされた、とても柔らかな雲の上を漂っているような。

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