2017年09月16日

身体と魂。ミレーの晩鐘

「人は魂なしに生きることはできない。」ビンゲンの聖ヒルデガルトの言葉。(以下同様、『聖ヒルデガルトの病因と治療』(著ヒルデガルト・フォン・ビンゲン、編訳臼田夜半)より)
芸術は宗教や哲学と切り離すことができないように、人間の肉体と魂は一つである。
「身体が魂と分離している場所は一つもない。魂はその熱を持って身体全体を覆っている」
どんな優れた演説も説教も、熱がなければ。感動をもって言葉を発しなければ、言葉は立ち上がってこない。
一糸乱れない演奏、どんなに技巧が完璧であっても、熱いものが人間の内になければ、音は命を持たない。
「人の魂は自分や自分の身体に逆らうものを感じ取ると、心臓や肝臓、そして血管を収縮させる。」
もし今の状況が社会的に軌道に乗って、その業界においても誰もが認める地位にいたとしても、私の身体が逆らっているならば、熱は消えていく。
「この人間という(神が作った)作品は、魂抜きにはありえないものであり、もし魂がなければ、身体はその肉と血を持って動くこともないであろう。」
芸術からその国の歴史や宗教、その国の人々の生活、言語を抜いてしまったら、生きたものにはならない。立ち上がってこない。
そして、どんな理解も脳だけの仕事ではない。理解すべきは見えている言葉だけであろうか?
言葉を発する前に、なにか音、波動を感じる。言葉に熱があり、感動を持って発しているときに、聴き手の心に直接訴える。
同じように、音を奏でるとは音符が見えることだろうか?
それぞれの時代の奏法、正しい方法など、頭で理解しなければならないことは多く、勉強に終わりはない。が、最も芸術において大事なものは魂ではないだろうか。

素直に感動し、内から湧き上がる熱いもの感じ、ありのままに身体と心が動く。そして人やその仕事に共鳴する。
ミレーの「晩鐘」のような姿。
posted by makkida at 23:41| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする
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