2018年02月26日

古代ギリシャから

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原爆の図丸木美術館で「おきなわ島のこえ」の原画を見て、その美しさに感銘を受けた。
丸木夫妻の絵は反核、反戦、命の大切さを訴え、社会問題に警鐘を鳴らし理不尽なことに抵抗する人々に勇気を与え続け、芸術そのものではなく思想的な面を語られる場合が多い(絵や美術館の存在がそのようだ)。夫妻の絵の強さは、技術の高さ、つまり絵そのものが訴える表現の豊かさが土台にあるからだと思う。技術は表現力と分けられない。丁寧な筆遣いや色彩の見事さは、その技術を持っていたら誰でもあのように描けるか、心打たれるかというと、そうではないだろう。
私はどう生きるか、という日々の思考が行動や表現の原動力でもある。
「丁寧な仕事」は一歩下がって冷静に自分と全体像を捉える姿勢が必要だと、つくづく感じる。熱い想いがたくさん溢れても、気持ちが先走るのではなく、熱い心を持ちつつ丁寧であること!ため息・・・

器楽音楽の始まりは棒などで叩く、手を打ち鳴らす、地面を踏み鳴らす、など打楽器だったかもしれない。
歌は人が言葉のようなものの抑揚だったかもしれない。鳥の歌声、動物の鳴き声、木々のざわめき、海の波音、せせらぎ音を模倣したかもしれない。木の実を転がして楽器にしたり。
人が集まってコミュニティを作ると祭が生まれる。狩りの道具や武器が楽器にもなる、まさにinstrument。何も境い目はない。
呼び合ったり、日々の仕事の合図、作業の合間。弔いのための儀式もできる。嬉しい時、悲しい時、音や踊りは自然と生まれる。盛り上がってトランス状態になる。。。
数の概念は音程も生み出した。リズムを数えるためじゃない。
思考は一歩下がって冷静になることを教える。想いはたくさんで心は熱くても、思考と優れた技術がベースになければ、広く長く残らない。
思考は生活と音楽や仕事など、または人と人、国と国に境界をつくるためにあるのではない。全ては繋がっている。私が行動を起こせば、何か動く。息を、魂を吹き込めば、動き出す!

人は生まれて赤ちゃんのときから古代から現在に至る人間の歴史を始める。進歩、発展とは呼ばないことにする。
作曲家もルーツを辿る。
紀元前何十年に遡ればいいのだろう。何千年も前の壁画に残された楽器の絵から復元できるだろうけど、そんなものよりずっと昔から存在していただろう。聖書の世界も新しく感じる。言葉は鍵となる、まさにキーワード。
言葉ですぐに分類したくなるけれどもね。

クルタークの(独奏)器楽曲は音が極端に少ない。題名の謎。ハンガリー語だけでなくギリシャ語の詩。音で聴く詩のようだ。はっきり説明つかないことだらけ。
彼は様々な言語が話せるそうで、古いギリシャ語もできる、と知った。
あの音程や響きは古代ギリシャの音楽だった!

百年、千年と今現在を並べて音を出せるのだから。目に見える美術も見えない精神の表出。芸術、精神や思想は、時空間を超える。
posted by makkida at 10:47| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする
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