2018年02月27日

録音することについて

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このシリーズのチョコレートが好き!
前回(2月26日)の記事の続きにもなりますが。

いままでCDを作ることには否定的だったけれど、羊とヤギの1枚目を思い切って制作して「たいしたことじゃない」と思えてきました。
もちろん、音楽は生でないと伝わらないものはたくさんあります。見えないものが大事なように、生で聴くと録音では聴こえない音も聴こえ(身体で感じられ)て、実はそれがとても大事な要素でもあるから。それは信じて疑わない。
昔の録音はコンピュータで修正したり、直したりできなかった(録音するテープは貴重だった)のだから、昔の巨匠たちは本当に素晴らしかったと思います。

音楽は時間の芸術なのだから消えていくのが当然、という最もらしい言い訳。
録音なんて、演奏会(ライヴ)で熱く完璧に弾けるトップクラスの人が残せばいいんだ、という乱暴な言い訳。
私は物を残したくない、これ以上物を増やしたくない、という感情的な言い訳。

演奏を残すことは自分の仕事に責任を持つことでもあります。人から批評や批判されることが怖いから、自信が持てなかった。つまり勇気がないということです。他の人はどうなのか知りません。私はそうだということです。

いっとき楽しんでいただいて(何かのお役に立てたらもちろん嬉しいです)、思い出とか、後世まで残らなくていい。
いらない、と思ったらNGO団体に寄付して、世界の飢餓に苦しむ人々のお役に立ててください。

どうしてもなくてはいけないものではない。でも、私しかできないことがある。そういう仕事です。
無駄と思われることに夢中になれるのは貴重かもしれない。
平和な世の中が続くために必要かも!
生き方と同じように好みはそれぞれなのだから、批判も批評も色々あるはず。
権威ある人が認めたお墨付きで「いい音楽」があるのではなく、人それぞれが自分で好きな音楽を見つけていけばいいと思うから、世の中に選択肢はたくさんあったほうがいいですね。

神のメッセージが直接聞こえ、見えたヒルデガルトでさえ(?)、教会内で最高の名声を得ていた聖ベルナルドゥスや、教皇など、知識ある人に認めてもらおうと働きかけました。夢や幻想ではないか疑われるかもしれないし、もしかすると異端とみなされるかもしれなかったのですから。権威から承認を得るのは命拾いにもなるわけです。したたか!
神様のために生きるために、ただ禁欲的に自分を抑えるのではなく、品行方正にするのでもなく、人に尽くすだけでもなく。様々な学問や芸術における彼女に与えられた才能をフルに生かし、積極的に周りの人に伝え、修道院で文化活動をしていました。老いて体が動かなくなっても(現在みたいに快適な旅ではなかったのに)、使命を果たすために、聖職者の腐敗と戦うために旅行をしました。身体はずっと弱かった人ですが、力強く、信念のある(もちろん、信仰深い)女性です。
側にいたらなかなか大変、振り回されそう・・・。綺麗ごとじゃないです。欲のために生きなくても、綺麗さっぱりではいられない。
彼女はこの世でも(!)生きるために動いた人間です。

posted by makkida at 22:39| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする
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