2018年03月19日

こたえ

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国会議員が責任追及されてかわすやり取りや、それを私たちが追求し批判し抗議するとき。
聖書に書かれている言葉を読むとき。
楽譜を音にしていくとき。
一体何が起こっているのか、それが何を意味するのか考えるときに、問題の本質がずれて行ったり無くなったりすることがあります。
まず自分が自ら立っていること(経済的に自立とか、足で立つ、ではなくて)から始めなくては、気づくことも考えることも見ること出来ないのでは。それが無ければ「素」や「無」であることも難しいと思います。

宗教や政治がタブー。
何も信じられない、という私の方からの一方的な遮断。
では、どうして世界には様々な宗教があり、人々が大事にして生きているのでしょう。どんな国でも政治がなければ動いていかないし、国と国が戦争しないように共存することもできません。政治は誰のためにある?「国民」という言葉の違和感、それはなんだろう。戦争が無くならないのは宗教が悪いのではありません。音楽も「利用され」ます。誰に?
「〇〇される」受け身で終わるのでは無く、利用する、煽動する思考と行為に注意しなければ。

人は歳とれば解ると言い、どこ(大学や国)で学び、何年携わっているか重ねた年月が信用され、その「理解」の中身も知識や情報の多さに一目置くようです。何を「信じる」のでしょうね?
経験しなければ身体でわからないこともたくさんあります。「わかる」とは?
物事や人と出会う。そしてその関係において、問題点が見え、自分の無知に気づく。喜び、痛みや苦しみ、違和感を覚え、私自身とその物事や人とは無関係ではなくなる。それは「反応する」ということ。
「正解」と「答え」は同じでしょうか。
私は音楽をしたいのであって、楽器を弾くために音楽を学ぶのではない。音楽をするときに私にピッタリ来る(表現できる)道具を使うのです。つまり、楽器を弾く行為が音楽することになりたいのです。楽器は反応するものです。音で敏感に応えるのです。
何を教えるのでしょうね。何が正しくて何が間違っているか、ですか?
教師も生徒も身体があり頭があり心がある。ひとりひとりの人格を大切にする、当たり前のことが本当に難しいです。
仕事は生き方ではない、大学は学問する場所ではない、いくらでも否定はできるけれど、人それぞれ捉え方でもあります。何を大事にするか自分で探して、大事なことを大事にしていく。
楽譜の音符を正確に並べて音にし暗譜することは音楽ではなく、楽譜から読み解くのは音楽であり、楽譜や楽器を手にしたときに本質に立ち返り考え、自ら答えを導いていくことです。何がいい音なのか?

横田幸子牧師が今までお話しされてきた説教をまとめたご著書『神と向き合って生きる』を読みながら、私の抱いている言葉にならない違和感や空白を少しずつ埋めています。
どこに答えがあるかいつ出会えるか分からないから、私が私であることを、たまに嫌になりながらも、続けていこうと思うのです。

posted by makkida at 11:06| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする
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