2018年05月14日

舌が動き始め、私は動かされる

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1音目から、音を出す前の空気の動きから、音楽に引きこまれた・・・!ヴィットリオ・ギエルミ氏のヴィオラ・ダ・ガンバソロを聴きました。
楽器の中の調和(共鳴)と空間に放たれた音の調和の美しさ。
調弦の美しいこと!指で爪弾くと古代のハープのよう、空気中にふわっと広がって上っていきます。
民俗音楽のような生々しいガットの感触から、洗練された表現まで、多彩な喋り方、音色、光と陰・・・。J.S.バッハのチェロ組曲ではチェロを忘れてしまうほどの説得力がありました。
休憩なしで、音楽の世界に入り込んだ、充実のプログラム。始終ワクワク、ドキドキの至福の時間でした!

コンサートの翌日、小さなマスタークラスがありました。

どのように弓を持つか、どうしてコンサートであのように弓を持ったのか、というよくある奏法に関する問い。
その答えは、単に、外から見える技術的なものではなく、音楽家として内面から求める姿勢、向き合い方を語ることによって解き明かされたのでした。

まず、ヴィオラ・ダ・ガンバという楽器は、ヘッド(彫刻のある頭)が天、テールピースのある下部は地を表す。上下に張られた弦は天と地を繋ぐもの。楽器のそれぞれの部分には意味があるとのこと。やはりカトリック教徒の多いイタリア人ならでは。
バロック時代の音楽は言葉を喋る、語る音楽でした。そう、「言葉がはじめにあった」。
まず天と地をつなぐ(そして個々の人間が直接繋がる)縦の方向の弦があり、次に横の方向、すなわち弓がある。そして3番目に演奏家である私がいる。演奏者が一番にあるのではないのです。
まるで鐘が響くように、弦が風に触れて音を鳴らす古代の楽器のように。楽器が鳴りたいように、喋りたいように、そのもの本来の音を引き出すために、奏者は導かれて演奏するのです。

フランス革命によって社会の構造が大きく変化した流れの中で、音楽のあり方も変わり、市民の生活の中に入ってより身近になり、今現在に至っています。一般大衆に向けて、音楽の構造も楽器編成も音量も大きくなるのと同時に、繊細なヴィオール属は表舞台から姿を消して行きます。芸術に神の存在が直接関わっていましたが、表向きの音楽は次第に信仰と離れて行きます。でも、本来、自然の営みの中で大いなる力に身を委ね、感謝や心地よさを感じながら日々暮らしていた人間の中身はそれほど変わらないように思います。
音楽によって天と地をつなぐ、そのために動かされ働く演奏家。そのように奏でられる音楽によって、人の心は喜びに満ち、癒されるのです。
彼の演奏は音楽の本質を表していました。

バロックダンスの起源は民俗音楽のダンスにあります。舞曲のリズムは頭ではなく、身体で感じるものです。彼が言う「スイング」は生きたリズムの感覚です。
演奏で感じたことが、言葉によって明らかにされました。何よりも、音は多くを語るのです!
posted by makkida at 11:52| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする
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