2018年07月15日

進化か、多様性か

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『台湾萬歳』という映画を観ました。台湾には認定されているだけで16部族の先住民族がいるそうで、それだけの言語もあり、1つの島なのにこの多民族は魅力!全体の98パーセントは16世紀以降に大陸から移住してきた漢民族で、元々いる民族は2パーセントだけれども、この映画で監督が撮った台湾の南東の地域では、その比率が高いそうです。
力を持った国家が力で他の地域や国を侵略して行く、という歴史がずっと現代まで続いています。その「力」というのは、科学技術や経済によって大量に作り出せる武力。暴力。
この映画の原住民(と台湾では呼ぶそうです)が、山や海、それぞれの住むところで、それぞれのやり方で、獲物を取り、野菜を作る。小さなコミュニティで、家族親戚の誰かが得たものをそのうちの誰かが料理する。当たり前の生きる姿なのですが、これは全く当たり前ではないですよね。都会に住む人間は自分で獲物を取らないし、今日食べる肉や魚や野菜がどこで生きていたものか知りません。
生きるための「力」を感じるのはどちらでしょうか。

それから。
色々な民族にはそれぞれの死生観があり、信仰があります。
例えば映画の中では、山の中に入って狩をする前に、まずご先祖様に、今晩の狩の無事を祈ります。動物を仕留めたら、大地を掃除して、獲物をさばくための岩を水で洗い、ご先祖さまに感謝を捧げます。
収穫の祭は、その民族が大事にしている存在に感謝を捧げるものです。人が死んだ後、どのように葬られるかもそれぞれ違います。
大事にする存在を「神」と呼ぶ人もいるし、ご先祖だったり、色々な形があるわけです。宗教はそもそも、それぞれの生活の中で、大事な存在を篤く信じるところから来ているのでしょう。信仰や宗教をタブーとせず、考えることは大切だと思います。

映画の中で歌っていたブヌン族の学校の先生。ギターの調弦は合ってなかったけど、そんなこと気にしない、伸びやかでゆったりしていて、いい声。自分だけの歌、自分の表情。
民族の言葉を禁じられた政策のせいで、自分の民族の言葉が話せない、というのは世界中の少数民族にある話です。禁じられた歌、踊り、楽器・・・。ひたすら隠れながら大事なものを守った、長い間の沈黙の後、ようやく存在を認められるようになった民族(だからと言って差別がなくなるわけではない)。アイヌの人たちにも、言葉や歌や踊りを忘れられないように学んで残して行こう、という人たちがいます。

私の使う楽器のことを、ふと思いました。
楽器の発展についても、人々の生活や技術の発展とともに「進化し続けて来た」と考える人もいるでしょう。ガット弦がスチール弦に進化した、というように。楽器も効率よく合理的に扱える方が便利、と。そうであるならば、そういう考えで演奏される音楽は・・・どうなんでしょう。
弦楽器は考えてみれば不思議ですね。何百年も前に作られた楽器を(調整を変えられているけれども)、そのまま使い続けているのです。せっかく生き続けているのだから、古い楽器たちの声を聴いてみたいではないですか。演奏者が持っている「力」を柔軟に使って、楽器に潜在する音を引き出して、眠っているものを覚ましてあげる(楽器が嫌がっていたら無理しなくていい)。出てくる音がいいエネルギーとなって人を力づける。いい循環です。
それから、作曲当時の演奏法を大事にするのは、「退化」ではありませんよね。
バッハを演奏するとき、彼の生きていた時代と、今の21世紀の社会は全く違います。けれど、私が演奏する音楽はバッハのものだ、ということ。時代も国も言語も違う人が、他人の作品を演奏するということ。演奏家はずーっと向き合っています。課題ではありません。それが仕事なんです。
エドワード・サイードがバレンボイムとの対談の中で「君のしている仕事は・・・自我を表現するより、むしろ他者の自我を表現する」と言っています。

何千年も昔の人々が、いまの私たちより「劣っていた」なんてことはなく、現代の人間が古代の人たちより「賢い」「進んだ」わけでもない。
今は、ネットのおかげですぐに調べることは可能です。
ある1つの国で、いろんなルーツを持ち、時代によって変遷し、流動的に動き、影響しあってきた人々を知ることができます。そして残念ながら、大国が虐げている民族のことも。
洗練されて完成されたものが、元を辿ればどこから来たものか知ることができます。

で、知ってどうするのか。
それぞれの居心地の良さを得られればいいなあ・・・。
posted by makkida at 16:32| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする
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