リズムについて。
リズム感がいいとか悪いとか、ではなく、リズムの取り方が違う、ということもあります。
以前ハンガリーの演奏家とリズムの感じ方がなんだか違うな、と感じたことを思いだしました。それは、すごくシンプルなリズムの話で、例えば8分音符や2分音符などの音の長さもそうです。私の感じ方では正確なはずだけれど、と何回繰り返してみても、彼らにしてみたらこちらのリズム感が悪いわけです。言葉のアクセントや抑揚が旋律の歌い方だけでなく、単語のようなリズムの形に反映します。少なくともハンガリーの音楽を演奏するときには、それに合ったリズムの取り方をしなければその音楽にはなりません。少なくとも、その音楽に核心に近づけない。だから、「違う」と言われるのです。
ラテン音楽のリズム感がよくっても、別の音楽のリズムはうまくできない。世界中にいろんな民族がいて、たくさんの民俗音楽(歌や踊りの曲)が存在していれば、それぞれのリズムの特徴が当然あるわけです。
もし世界の様々な音楽を演奏するなら、自分にぴったりくるか、気持ちいいか、好き嫌いは関係ないのです。自分の中にないものや初めて出会うものは、違和感があったり居心地わるかったりするものです。
たとえ「この音楽はとても自然だ」と思っても、演奏する人がその語法を理解できていなくては「自然だ」と感じる音楽に聴こえない。つまり、違いを具体的にして、自分の喋り方の1つとして身体に入っていなければならない、ということです。
他の人は「違うよ」ということしか言ってくれない・・・いや、言って貰えれば幸せですね。
クラシック音楽の歴史の中でも、どの時代のどこの音楽か、誰の音楽か、によってもそれぞれのリズム感があるはずです。それはどんな弓の使い方をするかなど奏法にも関わって、総合的複合的な問題となります。
ドイツ人だからドイツ音楽らしい、とか、日本人だから日本の音楽がわかる、とか、ハンガリー人だからハンガリー音楽が上手い、というような偏狭的な立場とは異なります。
自分の中のイメージや違和感をできるだけ具体的にして、それに合う技術を身につけることの繰り返しです。