2018年10月28日

私を離さない存在

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10月の半ばに浅草橋教会にて「ガルニエオルガン奉献30周年を記念して」、義母・木田みな子オルガンコンサートがありました。
猛暑の夏の中、毎年恒例のオルガン研修会の準備と開催を成し遂げ、なかなか疲れが取れないなかのこの日のための準備と練習。長年続けてきたとはいえ、80歳半ばの小柄な女性にとっては大変なことです。
本番直前まで「頭が回らない」「目がよく見えない。幾何学網様が見える」と体調不良や、「このオルガンの鍵盤の幅は広くて私の手には大変で」「礼拝堂の響きがないので大変」など嘆いていました。でも「祈っていて」という言葉に光を見出しました。

体調が良くないときや、条件が良くないときでも、演奏家はなんとしても演奏しなければなりません。
お客様には事情はわかりません。音楽は演奏家の諸事情に付き合ってくれません。

この日の演奏は素晴らしかった!周りの人の心配も吹っ飛ぶ演奏でした。そして、本人は演奏後、とても元気で幸せそうでした。
この会堂では弾いている場所が一番聴きにくかったようですが、一番後ろで聴いていた私には、ガルニエの楽器の良さがとてもよく伝わってきました。和音の重なりや各声部の明快さ、落ち着いたテンポの中、音がとても丁寧に紡ぎだされていきました。

全てが最高に整えられていないときにこそ、演奏家の音楽のアイデア、技術の確かさ、作品や作曲家の理解など・・・それが本当にその人のものであるかどうかが、明らかになります。その人の人間の底力が現れるのだと思いました。そしてそのようなときに、長年ぶれずに理想を抱き、まっすぐに求め歩き続けてきた一流の音楽家には、大いなる存在が助けてくれるのでしょう。最後にアンコールで弾かれたバッハの曲、本人が話したように、どんなに投げ出したくなる状況にあっても「神が私を離さない」。

芸術とは何か。
それに携わる人間の永遠の問いです。
プロフェッショナルな演奏家が「音楽で食べていける人」だとするなら、真摯に芸術と向き合うことだけではプロにはなれません。今現在の社会の中に居場所がなければ、ニーズがなければ、仕事にならずお金になりません。
どんな時にでも対応できるように楽器を巧みに弾くことができるようになればいい、とりあえず音がちゃんと出ればいい、あちこちから呼んでもらえる(仕事がある)、と口でいうのは簡単です。
クラシック音楽を演奏する難しさは、長い歴史の各作曲家のそれぞれの作品を理解し、それを音にする技術を身につけなければならないところにあります。それは一生勉強でもあるのですが・・・考えることはそれだけではありません。
なぜ音楽が生きていく上でなくてはならないのか。
今日のご飯がない時に、災害にあってこの先どうなるかという時にさえ!人は音楽があったら希望が見出せる、生きていく上で必要なものです。
この世での時間が少ししか残されていない時にも、音楽に励まされるかもしれない。
一人一人にとって大事なものがあるように、この人の音が聴きたい、この作品が聞きたい、と好きな音楽もそれぞれあります。色々考えてみると、この社会でうまく音楽の仕事ができる人が各個人にとって大事な音楽をするとも限らない。大量生産・消費の反対にある、ひとつひとつ違うもの。演奏する作品、場所、聴衆、楽器の状態、体調・・・その時々で考え判断することも必要です。
演奏家も主体性が大事なのです。

もうひとつ、とても大事なこと。
音楽する上で、いや、生きる上で何がベースになっているか、ということです。何のために音楽をするか、ということにも繋がります。
ヨーロッパのクラシック音楽をする時にはキリスト教、紀元前の音楽から考えるならその他たくさんの宗教、信仰が人々の生活の基盤にあることが切り離せません。宇宙では(人間がコントロールできない)大きな力が働いていて、地球の回転や、季節、気象の変化、リズムを生み、その存在を畏れ敬いながら毎日の生活がある。多分、多くの人は知っているのだけれど、実際に身近なこととして考える時に怖くなって見ないようにするのでしょう。
音もリズムも自然に委ねることができれば、音を出すことももっと楽になると思います。

好きなことをやっているのに苦しい。理想に近づこうとするとき誰でも苦しむでしょう。自分との闘い、なんてよく言いますが・・・。
でも、他人や外の力から強制された苦しみと同じではいけないと思います。教師の一方的な固まった考え方による有無を言わせぬ練習に耐える、このようなところに音楽の楽しみはないと思います。音は自発的に、体の内側から出てくるもの、ということを小さな頃から、楽器を学び始めた最初から大切にできればと願います。
コンサートの準備はただ楽しいだけじゃないことも。人と一緒に作るには、同じ方向を向いている時でもお互いの考え方がぶつかるとこともあります。自分の意見に従わせるのではなく、思うことを伝え、誤解を解く。もしアンサンブルの(共演者がいる)場合にも、妥協ではなく、何とか形にするために精一杯、頭と心と持っている技術を使う。どんな状況でも諦めず、とにかくできる限りのことをしようとする演奏家の誠実さが、周りの人を動かすこともあるでしょう。

大いなる存在を感じ、時に身を委ねる・・・信仰が基盤にある音楽家は、音楽をしている時にはこの世の人間社会の生き辛さから解放されるのでしょう。その音楽を聴いた人々には、生きている喜びや、心の奥底に潜んでいたたくさんの想いがどっと出てくる。その音楽に引き込まれ、演奏者と一緒に音楽に参加してている状態になる。ともに「祈る」音楽となる。演奏家はそのような聴衆に支えられ、応援され、励まされているのです。
そんな色々なことを思ったコンサートでした。
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posted by makkida at 13:18| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする
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