2019年04月11日

新たな出発に:リサイタル終了

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新たな気持ちを持って迎えたガット弦での無伴奏リサイタル、無事終了いたしました。
お越しいただいたたくさんのお客さま、近くから遠くからの応援、マネジメントの皆さま、いつも協力してくれ励ましてくれる家族や友人、皆様のおかげです。お客さまは温かでゆったりした呼吸を一緒にしてくださって、言葉にできない感覚と時間の流れを体験しました。
どうもありがとうございました!

演奏する行為に一生懸命になりすぎない、つまり、うまく弾こうと無理をしないこと。
本番へ向けて準備して行く過程で、ガット弦で弾くのに、「正確に」「正しく」音を出そうと無理をしていたことに気づきました。全ての曲を、目をつぶって、右手も左手も指先の感覚に集中し、弓と弦の当たりに集中し、心の目で見て、耳で弾く、という練習をすることで、ガット弦の繊細さ、そしてやはり、ガットは生き物だと再認識しました。そして何より、楽器の演奏は「奏法」「方法」ではなく、身体で覚えた不思議な感覚を信じることが大切だと・・・。
ガット弦で弾く意味が身体的に音楽と繋がることができ、今回のプログラムに、またコダーイを入れて良かったと思いました。バッハもコダーイもずっと弾き続けています。もっと作品を理解したいとか、弾けない技術を克服しようとか、目に見えてわかりやすい課題はいつでもあるわけですが、結局は自分と楽器と音楽との対話になる訳です。いつ弾いても新しいものが見えてきて、少しずつ音楽や人を理解して行く。気持ちのいい修行をずっと続けるために、バッハとコダーイは私にとって大切な、いや、心身に合う音楽なのです。
他の作曲家については、それぞれのチェリストが自作を弾くとき、会場によってもその日の体調によっても毎回違う状況でどう弾いていたか想像することは楽しいことです。湿度や自分の汗でうまくガット弦をスライドできない、とか、凍るように寒かったり乾燥していれば、全然違う演奏になっただろうということ。楽譜や様式がある以外には、本当に自由であるだろうということ。
「正解がない」とは面白いことです。
「損得」とか、「合理的」とか、現代社会で必要とされる、生命にとっての「不自由さ」から程遠い。「生命力を有する」有機的なガット弦はこんなことを教えてくれます。

私の音やプログラムに身を委ねて聴いて頂けるような、自然と大いなる音楽の力に包まれるような演奏を目指して、磨いていきたいです。

リサイタルを終えて、そんなに大変だった気はしないのですが、身体は嘘をつかないようです。
優しい色の花、木々の芽吹き、風、光、青い空、夕焼け、形が変わる雲、ぽっかり浮かぶ雲・・・それらが私に新たな内的な力を徐々に与えてくれます。そして、内なる音楽が身体を満たして、次の仕事へと向かうことができるだろうと信じています。

感謝とともに。

当日お配りしたプログラムを下記に載せます。

〈ガット弦で弾く無伴奏チェロ作品〜オーガニック(有機的)な音楽〉  富田牧子

 様々な金属のスチール弦からナイロン弦、金属巻きガットを経て、裸ガット弦を使うようになり、今まで身につけた技術や耳の感覚の認識を改めています。天然素材の羊の腸はしなやかで、そして呼吸する生き物のように、無理やり強引に鳴らされるのを嫌います。
 弦楽器はひとつとして同じものはなく、300、400年前の楽器は時代に合わせて調整されながら人から人へ大事に使われてきました。金属(木製やカーボン製もありますが)のエンドピンが現代の形で一般に使われるようになったのは20世紀に入ってから、スチール弦はさらに半世紀後と言ってもいいでしょう。
 音楽家が宮廷に仕えていた時代から、特にフランス革命が大きな転換期となり、一般市民が広い会場で音楽を楽しむようになりました。
 作品が書かれた当時の音楽の特質を表現するために、どのような形の弓、どのような調整やスタイルの楽器であったかを知り、まず使ってみることから始まります。弓は年代によって形の傾向があり、音楽の様式と同じで様々な形が混在しながら移り変わっていきます。
 時代だけでなく、国(土地)、各作曲家でそれぞれの(音楽)語法があります。一つ一つの違いを表現するために技術があり、その探求には終わりがありません。現代の価値観で過去の音楽を遡って見るのではなく、過去から時間の流れを追って行く作業。ガット弦を使って演奏するとき、本質を見つめ、生命の繋がりと出会っていくのだと思います。

 18世紀後半から19世紀前半、独奏楽器としてのチェロ演奏技術は飛躍的に発展します。多くの演奏家が同時に作曲家であったように、ダッラーバコ、グラツィアーニ、フランショーム、セルヴェ、ポッパーはその時代を代表するチェロ奏者でした。自分が弾くため、あるいは生徒のための教育的目的に作曲したものが多く残っています。
 ダッラーバコは、イタリア出身の音楽家の父がブリュッセルにいた時に生まれ、若い頃はドイツで活躍し、40歳をすぎてからイタリア・ヴェローナに移住し、1770年代にカプリスを作曲しました。
 弦楽器ではヴァイオリンやヴィオラを弾いたJ.S.バッハは、無伴奏チェロの可能性と魅力を引き出した、それぞれ前奏曲と5つの舞曲から成る6つの組曲を書きました。生涯ドイツから出なかったバッハですが、新しい様式を次々に取り入れました。その知的で多様なアイデアと、深い信仰に基づく高い芸術性を持つ音楽は、今に至る音楽家に影響と喜びを与え続けています。
 イタリア出身のグラツィアーニは若い頃から外国へ出て、プロシアのフリードリヒ・ウィルヘルム2世のチェロの教師になり亡くなるまでベルリンにいました。1773年にその後を継いだのがフランス出身のジャン・ピエール・デュポールです。弟のジャン・ルイも兄と共にベルリンの宮廷で働いたチェロ奏者で、現在も使われている練習曲を残しました。モーツァルトやベートーヴェンがそれぞれベルリンを訪問した折、モーツァルトはジャン・ピエールの作品からの主題を使った変奏曲を書き、ベートーヴェンは初期のチェロソナタを彼と共演しました。
 フランスのチェリスト、次はフランショーム。ポーランドからパリへ逃れてきたショパンと生涯親友でした。ショパンの晩年の名作チェロソナタは彼に献呈され、フランショームも友のピアノ曲をチェロとピアノで弾けるよう編曲しました。
 同世代のセルヴェはベルギー出身、ブリュッセルで学んだ後パリへ行き、ロシアや東欧、北欧でも演奏しました。彼が使ったストラディヴァリウスのチェロは1600年代によく使われた大きなサイズの楽器でした。楽器を支えるため(あるいはお腹が大きかったため)、セルヴェはエンドピンを使って演奏しました。エンドピンを使うことで左手の自由が生まれ高いポジションでも楽に弾けるようになります。
 オーストリア=ハンガリー帝国のプラハに生まれたポッパーは、ウィーンを中心に各地で活動しました。技巧を駆使した大小様々の曲を書き演奏しましたが、エンドピンを使うことはありませんでした。1886年からブダペストの音楽院(リスト音楽院)に新設されたチェロ科で教えました。
 その音楽院で1900年代初めに作曲科教授だったのがバルトーク、そしてコダーイでした。コダーイはケチュケメートで生まれ、現在スロヴァキア領の町で音楽に囲まれながら育ちました。ブダペストの大学では哲学科に籍を置き、語学や文学の授業を取り、同時に音楽院にも入って作曲を学びました。当時ハンガリーの音楽教育はドイツの影響を濃く受けており、ハンガリー的なものを重要視していませんでした。コダーイとバルトークは民謡調査旅行をし、研究を始めます。古い農民の歌とヨーロッパの優れた芸術音楽を同時に吸収して、狭い民族主義に陥ることはありませんでした。コダーイは哲学博士号の取得後、勉強のためにパリに行きドビュッシーの音楽を知ります。室内楽作品は主に若い頃のもので、独創的で音楽的創意に溢れた無伴奏チェロソナタは1915年に書かれました。この曲では、17、18世紀に行われていた調弦(スコルダトゥーラ)が用いられており、低い2弦を半音ずつ下げて演奏します。
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