2019年07月01日

好きなことは自分で決める

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好きなこと、大切なもの、いいと思うこと。それは自分で選ぶことができる。どんなに自分の周りにいる人が信頼できて、大好きな人たちでも、同じことを選ぶ必要はないんです。有名な人の言動を丸ごと鵜呑みにして、あとで「裏切られた」と思うのは無意味。

「名声はおまえをまきちらし、おまえという詩人を毒にも薬にもならぬものに変えてしまうのだ」(リルケ)
毒にしかならない場合もある・・・

失敗したり、今の状況より悪くなった時に、人のせいにしないために。
わかりやすい言葉の弾丸に騙されないように。
戦争しないと決めた国が戦争できるようになって、自分の国の軍隊が他の土地に行って人を殺してしまった時、自分のせいではない、と言えるのでしょうか。過去の多くの暴力の事実を知らないまま(謝罪や反省や償いの話の前に)、言葉の暴力、武器の暴力は許されないと思います。暴力は国と国の間の大きな問題の前に、簡単に身近で起こります。

「おまえのいだいている思想が気にくわぬとして、頭からおまえをやっつける人々もあるだろう。しかし、それら目にみえぬ敵はかえってただおまえの決意をしっかり心の中でささえてくれるだけなのだ」(リルケ)

大事な物事はシンプルな一言二言で説明できないはずです。それから、ある集団や職業、宗教、組織、国を一括りにまとめることもできない。その中の一人一人がみんな同じではないはずです。〇〇大学出身者はこういう人たち、この国の人たちはこういう性質、など、一言でまとめるとわかりやすいようだけど、とても乱暴です。人の一つの行動がその人すべてではないですね。細胞一つ、その人しか持っていないものです。
でも、世の中では、権力を持つ人の多くの失言(失言は意識のなかにあるものでしょう)は全力で庇うのに、社会的に弱い立場の人の小さな一回の間違いは一生をどん底に落とすこともある・・・。だから勝ち組や強い側にいなくちゃ!と不安になるのではなくて、民主的な社会ならば、権力側に身を置いて暴力に加担するのは嫌だ!という、個人の生きる自由は全力で守られるはずです。

自分だけの大切、「ここが素敵!」。他人と競争する必要もないし、引け目を感じて自分をダメと思う必要もない。
「ちょっと違うな」と感じることに敏感であるのは悪くない。ちょっとした違和感のおかげで自分の感じることを言葉にしたり、音や絵で表現したりできます。それは、「私」と「あなた」の違う点を探して「仲間」ではない、あなたは違う、あなたも違う、と遠ざけるということではないのです。
自分の持つ「いいな」「これ好き」「これは変だな」を会話にして、私とあなたの共通点を見つけ、時に共感する。10回、何十回に1回しかないかもしれない、輪と輪の一部の小さな重なり。
posted by makkida at 10:10| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする
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