2019年07月24日

アンサンブル(室内楽):合わせる前に

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楽譜を読むことから始まる。
室内楽は二人で弾く二重奏(デュオ)から、三、四、五・・・、人が集まって、それぞれに受け持ちパート(声部)があり、どの部も全体を形にするために不可欠。
個人のパートを練習するときは、必ず総譜(スコア。全パートが書かれている譜)を見る。
音符や音の長さ、記号、指示、など書かれていることは、音楽になるためのヒント。個人のパートを横に見て行き、楽器を綺麗な音で弾いても、それなりに美しい形になるかも知れないが、大事なのは全ての音が合わさった時、つまり合奏(アンサンブル)をしたときにで出てくる音がどんな響きであるか、だ。
それぞれのパートは様々な役割やキャラクターを持つ。それは一つに決められない。一つ一つが人格を持っているような、意思を持ったパートであるかのようだ。
まず、ベートーヴェンならドイツ語が聴こえる音楽だ。つまり拍感、テンポ感、リズム、抑揚など、核心の部分がドイツ語の影響を受けているということ。
ざっと楽譜を読んで曲の構成を見ることで、骨組みの全体像が見えてくる。
そして、様々な音質、音色。
囁く声、大きな声、寄り添う声。上の方にいる音、地下から起こる音、水面下にいる音、声部を繋ぐ音。主導権握る声部、様々な形で助ける声部。前に出る音、背景の音、ちょっかい出す音、遠くに聞こえる音。音のラインの描き方。ロングトーンやスラーのカーブを呼吸と合わせる(つまり弓の動き)。
そう、それぞれが生きている。
それを音にするのが技術だ。
そんな具体的なことや、作品そのものの誕生について、その時代について、作曲家について、一つの作品から知りたいことがどんどん広がって行く。
わからないことが次々に見えてくる。知ることで明確なイメージが見えてくる。言葉に意味があるように、音に意味が生まれる。
自分のパートを横に見ているときには、気持ちよく弾けているかも知れないが、意味のある音や具体的なイメージを持つ音楽にはなっていない。

室内楽の個人練習は、地味な作業だ。
頭の中では、自分の弾かない音(ほかの人の音)が鳴り、想像の世界が広がっている。繰り返し、繰り返し、たった1音を、ああでもない項でもない、と磨いて行く。
夢中になるし、楽しいけれど、集中が長続きしないほど頭の疲れる作業でもある。

無伴奏の曲は、身体と作品と楽器との間のいいバランスを取っていけばいい音になるので、瞑想のような気分になる。もちろん、技術的な難しさを克服するのは一苦労だが、それですら身体的な達成感がある。純粋に音楽と繋がることに集中すればいい。単純に「気持ちいい」と言える。

室内楽では。
いざ、人と合わせるときには、全体の音を聴く。考えの違いや相手の特徴、楽器の特性は毎回違う。自分がどのような音を出せばそれぞれが生き、作品が生きるのか、いい響きになるのか。自分のアイデアを音で相手に伝えなければならない。音のコミュニケーションだけれども、言葉も必要だ。ほかの人のアイデアを得て、新たな思考回路ができる。人と合わせる中で、具体的な自分の音ができていく。意味のある言葉(音)が弾けるようになる。
すぐに弾けなければ、音が演奏技術に繋がるよう、また個人練習。
本番という準備時間の期限があるから、あらゆる感覚と経験が物をいう。完璧なんて、あり得ない。
そして、見えることから自由になれれば、弾いている瞬間に世界が広がれば、幸福感でいっぱいになる!これぞ「音楽」!
室内楽というのは、時間のかかる、でも至福の仕事。
posted by makkida at 19:04| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする
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