2019年09月29日

ガット弦で弾くとは、アンサンブル、ともに作る音楽とは!

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弦楽器を弾くことの素晴らしさのひとつは、弦に当たる弓の感触があり、それによって様々な音色が作れたり、歌うように、あるいは弾むように、多彩な表現が自由にできるということだ。演奏者の大事にしていることがそのまま弾き方に表れる。
倍音を多く持つガット弦を使うということは、色の種類が格段に増え、人間の息や声にグッと近づく、ということだ。天然素材だからこそ、弓が弦に触れる時の様々な感触をよりよく感じられる。愛情なしで弾けるだろうか?
重力のある地球上で行うことは、抵抗、摩擦なしでは考えられない。弓で弦を擦るとき、摩擦をうまく利用している。上からの圧力が強すぎれば音が潰れる。弱すぎれば音がかすれる、音にならない。摩擦を限りなく少なくして素早く走らせたり。抵抗を感じつつ、細く優しい音から、豊かな膨らみを作り、繊細に消えて行ったり。息の速さと弓をぴったりあわせ、指の動きとも合わせる。抵抗の中のリズム。
どれだけの音があるだろう!
ある作品を弾くときに、メカニックができてから音楽のことを考えるのではない。決して!
どんな音で弾くか、どんな音楽かイメージができてから、その音を作るために技術があるのだ。テクニックはとても大事だ。
音楽と技術、どちらかが一人歩きはしない。演奏者の身体(頭、心も含めたカラダ)と結びついている。
表現は、身体の内側から湧き上がってくるものだ。
どんなに超絶技巧でも、あなた/私の身体の内側から出てくるものでなければ、それはその音楽(作品)とは無関係である。

そして、アンサンブルでは、リハーサルでも、当然本番中でも、お互いの体内から湧き出る表現(どんな音を出しているか)を無視して一緒に弾くことはできないはず。そのことが、音を合わせること、一緒に弾くことの最大の面白さなのだ。
それぞれが音楽と向き合い、主体的に考え、内側から音を出す、その一人一人が意見を出し合いながら、今、出ている音に反応し、音を聴きあいながら一緒に音楽をすることで、音楽(内面)の世界がぐっと広がる。これが室内楽の醍醐味!
有名でお客さんをいっぱい(お金)を集められるリーダーの音楽的アイデアにただ従うのは、音楽の本質から離れてしまう危険がある。一人一人の声が聞こえず、共演者の意思やアイデアと無関係になり、本質から離れてしまうなら、どこかの国の政治家と同じではないか!
音楽をやっていれば世界が平和であるのではない。

指ができるだけ速く動くことに夢中になると、呼吸が浅くなり、呼吸を忘れてしまい、フレーズの終わりを飲み込んでしまうことがある。最後まで音を丁寧に弾かずにどんどん次へ進んでしまう。メロディを持つ人に合わせようと、他の人たちも慌ててついて行き、息苦しい音楽になる。フレーズの最後まで音を聴くのは、それぞれの言葉を最後まで聴くようなもの。これが音の処理であり、フレーズの閉じ方、ハーモニー(和声)の感じ方、弾き方となる。
また、頭うちのリズムの捉え方、弾き方をしていると、ただ速さだけが目立ってしまう。どんな速いパッセージにもスイングがあり、その揺れの流れの中にリズムがある。
フレージングも、弓の動きも、音のシェイプも、音楽は弧を描くのだ。
弧を描いて飛んで行った音を相手が受け止め、聴き手が受け止め、空間にはたくさんの虹や円ができる!ボールが弾むような自然の摂理のリズム感。バッハはなんて心地よいスイングなんだろう!

速い曲でも一度はみんなでゆっくり弾いて、和声や誰が何をやっているか、動きの変化を味わってみるのは新鮮な発見がある。耳で確認したあとに速く弾くと、色々なものが鮮明になり、違って聴こえるだろう。
どんなに技術がある人でも、立ち止まって、ゆっくり弾くことは必要だと思う。

楽譜の表面的な読み方「目に見えること」だけでアンサンブルをしていても、本質には出会えない。音楽の世界は逃げて行ってしまう。
身体を通していつでも新鮮に音楽と向き合っていれば、作曲家の精神に出会うことができるはず。
その音楽の言葉を喋ることや、言葉の持つ意味や、自然な音楽の流れや、心地よいと感じるリズム感。そして、それぞれの音が身体の中から発せられ、お互いに音を重ねて共鳴すること。基本的なことを大事にしていれば、音楽の方から語りかけてくるものがある。
そのようにして奏でられた音楽が一人一人の心に届き、それぞれの内面が自由になり、本当に平和が訪れるようにと願う。
posted by makkida at 20:30| 楽器演奏と身体 | 更新情報をチェックする
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