2020年01月31日

思考のクセ

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日々刻々と変化する、山や空が見えるところで生活できるのはいいだろうなあ。
いろいろな深さでコミュニケーションはある。
「話さなくても分かる」
そういう人と話すと言葉が相手の体の中に届く。
分かり合える人とはいつもよくいろんなことを話し合っている。

「話せば分かる」「説明しなきゃ分からない」
10年後に理解したとか、賛成ではなくても理解したよ、とか、いつも一言足りないから説明してよ、とか。よくある。

「説明しても分からない」
何度言っても分からない、分かってもらえない、理解し合えない間柄ももちろんある。 

家族だから分かる、なんてことはない。家族だってまったく理解し合えない、きっと一生無理な関係もある。
愛がなく親が子を支配下に置いている場合もあるし、愛情の名の下で両方が自立できない場合もあるし、いろいろな形がある。

他人の思考のクセにやられないように、自分の考えを鍛えればいいんじゃないか、と思っていたけれど、そう言うことではないらしい。ぶつかると傷つく。
無になって聞けばいいのかな。

《空(くう)の空》。シューマンの楽譜に記されてあった言葉がきっかけで、人間関係に疲れていた時期に旧約聖書のコヘレトの言葉が目に止まった。
《他人の言うことをいちいち気にするな。 あなた自身も何度となく他人を呪ったことを あなたの心はよく知っているはずだ》
昔の人も同じことを思ったのだ。人は変わらない。

芸大出てるのに仕事がないの、大変なのね、とか、芸大出ててもまだ練習しなきゃいけないの、とかたまに言われる。とんちんかんなことを、と思うが、何度説明してもよく分からないらしい。まあ、分からなくてもいい。
会社のような組織での仕事しか想像できないと、どうやらフリーランスの立場の理解は難しいのだろう。組織にいたくない(いられない)人は、自分が、これ、と思ったことをやり続けるしかない。

人の数だけ音楽の楽しみ方がある。
その時代様式に合った弾き方、と言っても、正解は一つではなく、しかも演奏する人によって出てくる音も表現も変わるのだ。
大学の先生だってある分野は理解していない場合もあるし、得意不得意がある。頭で理解していても表現できない人もある。演奏は技術でなんとかなる、と理解している人もいる。表面に見えているところから一枚めくっただけで、深入りはしたくない、と避けてしまう人もいる。理解が伴わない表現は音楽じゃない、と思う人もいる。
ツイッターのような呟きで、正しく理解していないことを理解している人が批判するのを見るのはそんなに気持ちいことではないな、と思う。批判すべき政治ならともかく!

「あの人は子どもがいないから分からない。」憲法を変えて戦争をしたい某政治家を批判するとき、そう言う人がいる。いや、それは、私だって子どもはいないけど戦争の恐ろしさは想像できるよ、と言うとその場では理解するようだけれど。
政治家といえば、いつも暴言を吐いたあとに野党やメディアに「失言だ」と叩かれて「誤解されたとしたら申し訳ない」と言い逃れる人がいるけれど、あれは本音であって、訂正しても直らない、自分の考えが正しいと思い込んだまま、その癖が染み付いているのではないかと思う。
決まって言われる言葉。やっぱり日本はすごい、どこ(国)人らしい、だから宗教ってヤツは、音楽の/スポーツの力・・・
思考の癖。
誰しもあるだろうが、固まってしまうと直せない。

《言葉が多ければ空しさも増す》

自分の考えをすぐ口に出せる人もいれば、100のうち1しか出さない人もいる。表現する手段は人それぞれだ。はっきり見えなくても、形にならなくても、出てくる。
口にも文字にも出すことができない環境にいる人は、身体のどこかに出てくるんじゃないか・・・
posted by makkida at 19:42| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする
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