
人との出会いや付き合いは、私を育ててくれます。若い人から学ぶことは、もう一度生き直したいと思うくらいの刺激だったりします。そのような出会いは、今まで気づかなかったこと、やって来なかったこと、諦めかけたことを露わにします。自分自身の弱さを曝け出すことに耐えられなくなり、必死で言い訳を考えたり、逆にその場から逃げたり、強気になってみせたり、醜いものです。英語で会話すると、その言い訳もできないので(笑)ダメな自分をそのままさらすだけで、人に害も与えないし、私が恥ずかしい思いをするだけなのでかえっていいのかもしれません(笑)。
最近、近くの大学に通うドイツ人留学生と知り合いました。私の演奏を聴いて色々感じ興味を持ってくれたそうで、彼がずっと続けている映像撮影とインタビューをさせて欲しい、と頼まれました。彼の家族はフランスに住み、スペインにも住んだことがあり、一番短いのがドイツで学生だった2年間だという。日本の大学では日本史や哲学、宗教など色々学んでいるが、もうすぐイタリアに行き音楽史や美術史を学ぶそう。家族とはドイツ語で話し、フランス語、スペイン語を話す。5ヶ月の日本留学の間、3ヶ月日本語を学び、聞く方はかなり理解している様子。語学の才能、センスってあるんですね。
行動的ですが、物静かで落ち着いていて、話すときに無言の時間があっても、その間にゆっくりと考えているのがわかります。演奏から何か感じることを話すときは、積極的に、感じたことを素直に言葉にします。
それを聞いて、この安心感はなんだろう、と考えてみました。
私が「自分は東京人じゃない」とジョークで言うと、その意味がすぐわかったようで、彼は、自分も東京人じゃない、東京は忙しいし音が大きいから自然が恋しくなるんだ、自然の中ではリラックスできるんだ、と言う。
興味を持ったことを次々に行動に移していくのと同時に、自分の感覚を大事にしていることに感心します。
弾いている(練習している)のを撮影し、しばらく会話したあとインタビュー。彼の問いが哲学的、根源的で、さすがだなと思いました。直前の会話から、音楽についてこのような質問を考えつくなんて。いつも考えていることとはいえ、カメラが回る中で人に答えることは簡単ではないですね。たじたじとなってしまいました(笑)
終わったあと《羊とヤギ》のCDを聴いてもらったら、とても気に入って、子どものような楽しい反応もしてくれました。こんなに知的で、これからアカデミックな勉強をしようとしている人が、興奮して喜んでくれるのは嬉しいことです。
そうそう、彼はうまく弾けないけどピアノが好きだそうで、その理由が、一つの楽器で問いかけたり答えたりできるし、幅広い音域でいろんな表現が可能なのがとても楽しいとのこと。なるほど、こういう感覚を持っているなら、羊とヤギの音の世界、O Terraの表現がわかるかもなぁ、と思いました。
自分の感覚を意識化し、素直に受け入れて伸ばしていくこと。周りの人もそれぞれの見方や感覚があることを理解し、自分を客観的に、対比して見ることができるようになり、言葉にできるようになるには、小さい頃からの環境や教育が大きいのでしょう。改めて突きつけられる問題ですが、生まれる場所は選べないし、人生はもう一度やり直せない、残念ながら。。。
コンピューター世代の人間は身体感覚がない、なんていうことは全くなく、年齢は関係なく同じ感覚を持つ人はいるもの。
原発事故後の汚染水を海洋放出し(廃棄物を考えると原発を使うこと自体が環境汚染であるのに、その議論はなく)、最先端技術や軍事技術、破壊してでも経済優先、人間中心、権力者に無言で従う人類には希望がない、地球も近い将来終わりだろう、と悲観する昨今。
気づくことは、新しく出直すきっかけであり、生きる希望だと、21歳の若者から勇気をもらいました。
音楽は永遠か、という問い。
人間が希望を持って生きるために永遠にあり続けるでしょう。