2020年03月09日

希望の音楽の日のために

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コンサートの中止や自粛が続くなか、迷いや対応に疲れ、ただ音楽を楽しみたい、という若者の集いに合流し、演奏を聴いてもらいました。ネット上で飛び交うニュースや周りの人々の様々な反応に、感受性豊かな人たちは知らないうちに傷ついてしまいます。自然の中でゆっくりのんびり過ごし、好きなときに楽器を弾いたり、みんなと合奏するのは束の間の休息です。
天井に音が昇っていく気持ちのいい響きの小さな空間(個人宅にしては大きいけれど)で、久々に、気の合う音楽家とアンサンブルし、若い人たちの素直で柔らかな心と音楽で交流できることが、私にとっては癒しになりました。
彼らの前で弾くと、引っかかりのあるフィルターや壁を感じることがなく、すーっと心に入って行き、受け止めてくれ、温かな息吹を感じます。きっと何か芽生える瞬間なのだろうな。とても弾きやすいし、喜びを感じます。

自由な行動ができないときに、音楽家にとって、まず大事なのは、今、社会で音楽が求められているかどうか(自分が音楽することで役に立てるか)意義を考えるよりも、自分自身が心から音楽を欲しているかどうかだと思います。何かのための音楽でなく、音楽のための音楽。
小さな集まりでいい。同じような気持ちを抱いている人々と音楽によるコミュニケーションをすることは大切です。
感染症対策のために無観客で、というのは、音楽では、少なくとも私にとっては意味がないと思います。聴いてもらえることはなんて有難いことか!
一人でも聴いてくれたら嬉しい。
4月のリサイタルは、これ以上自体が酷くなって公機関からの禁止や会場側の判断がない限り、心から求める人々とともに音楽をしたいと思っています。

政府には、イベント自粛の要請よりも、学校が突然休みになって生活が対応しきれなくて困っている家庭への細かいところへの配慮をして欲しいです!学校給食がなくなったことで食費が増えるのに、仕事が少なくなり収入が減る。こうなると感染症より貧困の方が問題です。給食を作っている業者の方は食べ物が余ってしまうし。物はあるのに、必要なところへ届かない。うまく判断して対処しないと、回っているシステムも止まってしまいます。
関係と循環は大事です。

新聞では9年前の福島の原発事故の後に、隣近所や親戚にも言えない、でも自分たちの食べるものや生活の中で、放射能の汚染状況の本当のことを知りたい人々が口伝えで活動し、そのような小さな集まりがあることを伝えています。経済中心の強権の説明不足に違和感を持ったり、本当のことに目を背けて従うことができない人々が、緩く繋がっていければいい。雰囲気で行動するよりも、人それぞれが感じること考えることを言葉で伝えることが苦痛を伴わないような関係が作れたらいい。
どんな分野でも同じなのでしょう。
コンサートをする、ということ自体、人とのつながりで成り立っているのですから。
posted by makkida at 14:29| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする
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