2020年03月27日

カラダと宇宙

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らせん。睡蓮はまだ水の中で眠っている。

こどもはマーマレードジャムの中に没頭する。くまのパディントンのように、ハチミツやマーマレードをパンやパンケーキにつけて手で食べ始めると、そこらじゅうベタベタになるんだ。

私は幼少期、土の上を裸足で遊んだり泥んこになったり、木登りしたり、雑木林を駆け回ったり、秘密基地を作ったり、色々掘ったりしていた。自然の中にいることが自然。木々の間を歩いていると、自然の中に自分がいて、私の中に自然がある。空気の中に私があり、私の中に空気がある。そうして境目がなくなっていく。
カラダの中が大きな空洞になっていき、突然、私の中に宇宙があると感じた。

くまの子ウーフのめんどりが身体じゅう卵でいっぱいなように。
その人の真実の言葉を持っている人は、身体中言葉でいっぱいで、その人の真実の音楽を持っている人は、身体中音楽でいっぱいなんだ。
それは、その人の世界、宇宙。
星と星がぶつからないで、距離を保ちながら宇宙全体が動いているように。人と人も、人の世界それぞれは、ほかの惑星ほど離れている。

頭の言葉で説明できないこと。

だから、たくさんの人の感想文を集めたものなんて、一気に読めるものではない。星と星ほど違うんだから。星に引越しするくらい大変な移動。
だけれども、星々は宇宙の中にある。

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雨降る前は匂いがする。
雨や雪がどんどん降っているときは小鳥たちは静かにしている。小降りになってちょっと光が射すと、ツピー、と鳴く。わかるんだね。

頭の言葉で、自然の中にいることの気持ちよさが説明できないように。
人の気持ちは理解できるものではない、と10代のときに思った。
自分が感じていることを、体の中をいっぱいの感動で満たしている音楽のことを、一生懸命言葉で表そうとしても、音葉を尽くせば尽くすほど、ウソになる、と10代のときに思った。

人はちっとも成長しない。大事なことは子どものときに分かっている。その「わかる」とは、頭の言葉じゃなく、体で感じていること。
音楽はそういうもの。
未熟である自分の音楽が立派なわけがない。
でも、イメージが音になるのが面白くて、ずっと音楽をやっている。

音とは何か、どのように楽器が響くのか、説明は可能だ。だけれども、その人の、その時の音がどうして出るのか、説明はできない。
ヒルデガルトの言葉は今はいらない。伝わるものは説明ではないから。人が見たヴィジョンの理解は、頭や知識ではないから。
音や光や匂いのような形のないものの中に自分がいる。


posted by makkida at 19:12| 楽器演奏と身体 | 更新情報をチェックする
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