2020年04月21日

音楽すること、考えること、存続すること

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どうなんでしょうね。これまでの100年、あまりに急ピッチで技術や生活様式や時間の流れが変化して、戦争では大量破壊兵器が使われ、地球を何回も破壊できる核があり、環境破壊が続いてきた。そして、地球上に多くの難民がいて。地震や台風、森林火災などの自然災害は避けられないし、この新型コロナはこの先どうなるのか、これだけでなく感染症は将来も現れるだろうし。
非日常と人は言う。
地震や台風や大雨被害で多くの人が犠牲になり、原発事故も含めて、避難生活を送っている人もまだたくさんいて、日常生活が「非日常」のような人たちがいる現実。それでも、これが日常でないのだろうか。
他人とぎゅうぎゅう接する満員電車、風邪をひいて高熱出しても仕事を休めない、自給自足できない・・・これが都会の生活だよ、しょうがない、と言って、このままで、人間は存続できるのだろうか。
この感染症で活動を休止している中、芸術は止まらない、とか、音楽は必要だ、だから音楽家が落ち込まないで、などという短期的な問題ではないと思う。

普段から、人混みが苦手、電車で他人と50センチ以内に近づくのが苦手、狭い空間で席がくっついて並んでいるところにぎゅう詰めで座るのが苦手、という私にとって、人との距離、という感覚が一般的になってありがたい。たくさん人が集まる場所にいかなくていいんだ!

私の育ってきた学校生活、受験、学生時代を思い返す。
中学生の時、チェロに転向して無我夢中に頑張っていたころ、受験でうまくいくことしか頭になかったのだろう。競争が好きでないから、無言で頑張って切り抜けるしかない。勝つか負けるか、その中にいたわけだ。ただ純粋に好きなチェロをやっているだけなのに、「好き」なことがどこか悪いような気持ちがあった。頑張ることはわがままで、好きと素直に言えない、友達に後ろめたさを持ちつつ、一方で音楽家を志すことを特別にも思っていた。
音楽は一生のもの、生きることそのものだと思っていたけれど、自分のいるところや見えているところは狭い世界だった。
「勉強ができるよりも、優しい心を持っているのは素晴らしいことよ」と言った大人はいた。クリスチャンの英語の先生だった。
大学生の時に同級生が目を輝かせながら言った。「高校生の時に出会った先生のおかげで、人間が好きになった。人に興味を持つようになった」
どんな先生だろうと思った。
全て音楽のため、楽器がうまくなることだけが中心で毎日を暮らしていた。
社会問題は常にあった。知っていたけれど批判しかしていない。生き苦しいけれど対処できない、ただ逃げてきただけ。音楽があったから生きてこられた。人と比較してばかりで苦しかったが、自分の中の音楽にすがっていた。音楽に関係すること以外のことは無駄、くらいに思っていた。

過去の悪い行いと考えを償うために、いい音楽を求め続けているのかもしれない。
音楽活動で生活できるほど稼げていない。この先も全くわからない。今は、ただ、楽器を弾くこと勉強出来ることが後ろめたくなく、やっと許されたようで、心の重しが取れて勉強に集中できるのが嬉しい。
文献を少しずつ読んで、パズルのピースがはまっていくような、毛細血管が繋がっていくような、モヤモヤが晴れていくのが気持ちいい。こういうことを続けて、いつ死んでもいいや、という感じ。
「音楽は素晴らしいんだよ」と、子どもたちや初めて音楽会に来る人たち、もちろん音楽が大好きな人たちに、キラキラ、じわじわ、想いが思い切り伝わったらいいな、と思う。
地球の終わりが近づいているかもしれない、ギリギリのところにいるのかもしれないけれど、どんな日常の世の中であっても、音楽すること、考えることは、人間らしく生きるために、やめることはできない。

posted by makkida at 22:05| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする
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