最近、PCで作業を長時間した後、人先指が痛むようになりました。時間を忘れてPCで調べ物していたからか。
以前、マウスを使っていたときは、例えば、チラシ作成をすると手首の痛みがひどくなったので、トラックパッドになって楽だ〜、と初めは喜んでいたのですが・・・。検索すると同じ症状の人、多いようですね。腱鞘炎にならないようにしよう。
一昨年作った味噌が結構上手くできたので、今年も作ろうと思って、有機大豆を買っておいた。やっと、仕込み完了!麹と大豆を混ぜるのが気持ちいい。そのせいか、手がスベスベ。
煮た大豆をビニール袋に入れて空きビンを使って潰そうとしたが、袋が破けたので、結局マッシャーと擂り粉木で。おかげでずっと親指が痛い。
身体が痛くなると、使い方を意識するようになります。膝が痛む時、地面に着地する足裏の着き方を気にするとか。手や指が痛むときは、腕全体で、瓶の蓋を回すとか、いつもと少し角度を変えて食器洗いのスポンジを使うとか。弓の持ち方も同じです。
癖に気づくこともできます。身体の末端に過剰な力を入れすぎているかもしれない。
痛くない時にずっと意識して練習し、その動きが身につけばいいのだろう。日常生活での動きを意識していればいいのだろうけど・・・。
調子いいときは疲労する手前です。
楽譜を見て→音形をどう弾くか、体をどう使うか頭が動かしながら弾き、同時に耳で近くの音、相手とのバランス、空間の響きを聴いている。考えること、楽器を弾くことについてフル回転で意識をし、身体が覚えるまで脳みそがめいっぱい汗をかいて練習する(だから集中力は持たない。そんな練習、一日6時間もできるものではない)。
言い換えると、余計な力が入らないようになるまで身体に覚え込ませる、ということになるかな。
料理しながらラジオや音楽を聴くのが好き。社会、政治の時事問題を扱う番組がだんだん減ってきているのが残念。
最近、レコードはやっぱり音がいいなあ、と思います。Antonio Martín y Collの楽しいダンスの音楽をAntonio Bacieroが小さなパイプオルガンやチェンバロ、クラヴィコードで録音しているレコード。奇を衒わず、同じテーマが変化しながらずっと回って続くのを、丁寧なリズムのタッチで弾いているのが、とても落ち着きます。エンドレスに回っていてほしいけど、レコードはすぐ片面終わってしまう・・・。
コロナ休みと関係なく、私の一日の仕事(練習も勉強も含めて)は全く変わらない。ただ、やっぱり、開放感が得られない分、疲れやすい。海外でフリーの芸術家に素早い支援が行われ、芸術が普段からお飾りや贅沢品ではなく社会にとって必要であることを聞くと、日本では組織に属していない限り、または権威ある肩書きや有名でないと価値がないような、趣味としか思われていないような気持ち、ここには居たくない気持ちになる。
憂鬱が続く。家に埃かぶっている古い物を片付けてどんどん捨てたい、頭の中の悪い考えを廃棄したいモードに入っていた、と振り返ったら、新月に向かっていた時期でした。ただのいつもの脳のクセかもしれないけど・・。
ハイテンションの時は、掃除やりながら、何か洗い物して、行った先で次々に気になることを見つけ・・・同時進行で始めてしまい、何時までに終わらせたら練習にとりかかるぞ、と、初めは頭がフル回転してるのだけれども、途中で疲れてきて、もう無理、自分に怒ってしまう。
できないんだから、欲張らないことだな。
生き物がみんな笑っている!
The Biggest Little Farm🐖🐑🐄🐓🐕👫🌲🌱🌼🐞🐝🌿
https://kokocara.pal-system.co.jp/2020/03/23/the-biggest-little-farm/
色々この先の心配事を考えて煮詰まってきたら、楽器を弾くと頭がスッキリして心が軽くなります。人は苦手なことより、好きなことをする方が精神状態がよくなる・・・当たり前だけれども。
心の安定上、いいこと。
深い呼吸に尽きる。森林の中にいるような気分になって、足裏では大地を感じて。
弓のゆっくりの動きの練習。呼吸を止めないで。
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豆苗がぐんぐん伸びます。
近所を散歩していて思う、家を建てるときに敷地には木を一本でも植えるようにすればいいのに。都会は土地が高くて狭いから、敷地いっぱいに建てるからしょうがないけど。アスファルトやコンクリートで土が覆われて、息苦しい。それでも植物は隙間から生き延びようとしている。
窓やドアを開けると森があって、鳥の鳴き声が聞こえて、練習に疲れたら木々や葉っぱが風に揺れるのを聞きながら野山を歩く。北欧の景色。そんな場所に住みたい、こうやって空想に逃げる。
「看護婦さんが患者さんと接して心がつながったときは非常に美しい看護になる、それは芸術の生まれる瞬間というか、美が生まれる瞬間と同じだと思う−ーーそうおっしゃるのを聞いて、私は、物書きや芸術家など表現に関わっている人からは聞かれないような、とても新鮮な表現の本質、美の本質を聞いたような気がしました。」(『石牟礼道子対談集 魂の言葉を紡ぐ』より)