2020年05月16日

技術を常に新たにする

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義母の実家、義伯母でチェンバロ奏者だった有賀のゆりさんの遺品の片付け…というより、改築前の一族の引っ越し。昨日引っ越し屋が大量の荷物を運び終わったところ。でもまだ家の中は空になっておらず・・・(笑)処分するものが山積み。今日は、バッハのフーガの技法をCDで聴きながら、リサイクルに出せそうな家具を磨いているところ。
さて、遺された物とは。
音楽学や中世から近現代に至る音楽史、作曲家に関する膨大な本、楽譜、レコード、自身の演奏の録音(オープンリールテープも)、アメリカ留学以前からの勉強したノートや資料、学生に教えるための資料や試験問題(!)、自身の論文や書き物、手紙、写真、共演した海外からの一流音楽家とのコンサートや地元の若い音楽家のコンサートのプログラム、使っていない原稿用紙やタイピング用紙、ハガキや便箋も・・・。

大人物は、後に残るものをどうするか心配せずにどんどん溜められるのだ!捨てることを考えて買い物をするのは小物だなぁ、なんて思ってしまう。私もまだ処分することよりも自分に取り込む欲を持たないと、と励まされる(笑)。
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それにしても、すごい勉強量。
敗戦後数年で留学したアメリカでは、専攻のピアノ以外に、音楽学や音楽史、和声など基礎を学んだあと、パーセルの研究で論文を書きマスターの学位を取得。丁寧に記されたノート(日本語、英語、ドイツ語)が残っている。合唱の楽譜も大量にあるのは、のちに日本で音大や教会でクワイヤ(合唱)指導をすることにも繋がっているのだろう。
それから、ピアノソナタをオーケストレーションしたり、べートーヴェンの作品18の弦楽四重奏曲の楽曲分析をした跡が。
十二音技法の音列をたくさん挙げたノートも見つかった。のゆりさんがシェーンベルクなどを演奏したかどうかは知らないが、当時、半世紀前の音楽はまだ新鮮だっただろう。
プロコフィエフ、バルトーク、ヒンデミットにも興味があったのではないかと思うが、やはりバロックや古典の音楽に回帰し再発見をする音楽家として納得。
広がりを持った勉強し、レポートをまとめ、演奏や文を発表し、教授活動をし、様々な人とアンサンブルすることは、人間と表現の幅を豊かにするのだと思う。
演奏家にとって最も大事なのは楽器、それから楽譜(作曲家の自筆譜)。
特に、楽譜を読んで頭で音を鳴らすこと。結構偉い先生でも、録音されたものばかり聴いて勉強する。が、生で聴くのとは別のものであり、特にアンサンブルやオーケストラはCDのように全ての楽器が明瞭には聴こえない。生演奏では立体的に、奥行き(表に出る音と陰の音など)がある響きになる。生きた音とは、演奏する人の呼吸、空気の流れ(早さ、遅さ)、聴こえない音も含めたエネルギーだ。
よく誤解されているのが、アンサンブルができるイコール「なんでもいつでも合わせられる」という考え方。発音、音の消え方切れ方、膨らみ方、つまり縦が合えば、いいアンサンブルになるとは私は思わない。音楽が続く間は、演奏家同士のエネルギーが一緒に流れていく、その見えない波動の合い方が、結果、ぴったり合うアンサンブルになるのだと思う。

話が逸れた。

自分が学生だったときに教わったやり方で何年も教え続けている先生もいる。そういう人が、今、有名な人の演奏を聴いて、この人のように弾けるようにしなさい、と生徒に言うのは怠惰だ。今の流行を表面的に捉えて次の世代に伝えたところで、芸術の本質が何百年も伝わっていくだろうか。

もし、演奏で商売をしたり芸能人になるより、芸術の道を孤独に歩みたい「変わった」人ならば。一つのことから次々に興味が広がり、理解が深まる勉強に夢中になり、演奏に繋がることに喜びを覚えるなら、コンクールを受ける必要はないと思う。余力があればコンクールを受ければいい(もしくは賞金をもらうため)。
自分を伸ばす方法はたくさんあるはずだ。大学の名前や権威ではなく、信頼おける人を見つけて、没頭できることに突き進んで行ったほうがいい。幅の広い、生きた勉強と研究がしたければ、日本の音大に行くよりも海外に出てしまうほうがいいと思う。もし自らがそれを望むなら。

先生は万能ではないのだから、わからないことや苦手な分野はある。ある作品の技術や知識を教えるのが無理な場合もある。その分野に詳しい他の先生を紹介したり、本や様々な機会を勧めるには、先生自身が常に勉強を続け、能力や技術を磨き続けていないとできない。そのように、心の開かれた、信頼できる先生と出会った人は幸せだ。

偉い先生についたら上手くなれるのではないし、成功のレールに乗れるのでもない。
音楽史上、時代の変遷、社会の変化とともに音楽の様式が変わり、演奏技術も発展してきた。あちこちで個々人が新たな技術を考え身につけて、生徒に伝え、他の演奏家に影響を与えてきた。
それでは、時代とともに人間は進化してきたのか?人は常に新しく生まれてくるし、いつの歴史も繰り返す通り、それぞれが自分自身の技術や能力を育てなければならない。育つ環境や土台の有る無しには、少なからず差があるけれど、前の世代に大天才が偉大な仕事をしても、「私」はその技術は持っていない。誰でも新しく技術を発見し伸ばしていくことができる。






posted by makkida at 11:02| 楽器演奏と身体 | 更新情報をチェックする
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