2020年08月17日

持っているものを形にしていく

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引っ越し荷造り作業しながら、持ち物を処分や整理。勉強のために、と持っていた録音は処分する前に、特に古い録音(前世紀の演奏家)などは久しぶりに聴いています。
Brahmsのピアノカルテットの2番を、様々な演奏家による録音を持っているのに今頃気づきました。
演奏スタイルは、時代の流行りがある、というような言い方がされますが、そんなこともなくて、人の数だけ多様であるような気がします。深い共感を覚える演奏には、長いスパンでの演奏家の思考や人間性、聴き手との関係性、それからその場のコミュニケーション、一回限りの生命、というような力があると思います。
人間が集まれば、集まった人たちの間でカラー、価値観、好みがなんとなく方向付けられるでしょう。ひとりひとりが感じたり考えることは、日々新しい。同じ作品を演奏しても、毎回新しい。
腹の底から、丹田から、熱いエネルギーが湧いてきます。
ああ、なんて生きた音楽は素晴らしいのだろう!

もちろん、生演奏のエネルギーに勝るものはない。
音にはマイクで拾えない倍音や音成分があり、録音した時点で、すでに音質は落ちています。精一杯の高音質で録音しても、現代の多くの人はスマホやパソコンの小さなスピーカーからユーチューブなど更に音質を落とした動画で聴いている・・・。簡単に無料で得られるものだけでは、大事なエッセンスはますます聴こえなくなってしまいます。

聴き手が音から得られる発想、イメージ、インスピレーション、想像は、言葉を超えます。単語や要約した文章を音楽を結びつけると、一見わかりやすいでしょうが、意味が狭められ、先入観を植え付けられ、個々人の自由な発想を失う危険があります。
それぞれの人が自由に感じ、考え、行動するには、舗装された道や敷かれたレールを進むようにはなかなか行かないものですね。道なき道や、荒れ野、いばらに覆われているかもしれないけれど、理想の山はその向こうにあるはず・・・。

インターネットもなく、飛行機で数時間で国を超えていける時代ではなかった頃、文化人が物事や言葉の理解するときの奥深さを思います。15日の東京新聞朝刊「筆洗」で、森鴎外がドイツで理解したsittliche Entrüstungの意味。正義が行われないことを憤ること。「『慥かに嘲りを帯びている』と森鴎外が書いている。」日本語では単に「習慣」と置き換えられない「道徳」は、日本とドイツそれぞれの社会での重要性がだいぶ違うだろうと想像しますが、鷗外は両方の言葉の意味を超えた文化(考え方)の違いを理解したのだろうと思います。『日本人は誰も彼も道徳上の裁判官になる資格を有しているのであろう。』という皮肉。聖書に、人は「人を裁くな」とあることも知っての上なのだろうと。

いつか弾くだろう、そのうち勉強したい、と溜めている楽譜、本、録音、埋もれている資料・・・。誰のでもない、自分の仕事となるもの。
これから原石を磨いて、何かしら形にしていきたい。
posted by makkida at 19:35| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする
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