2021年08月11日

言葉にすること

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民主主義では国は国民に理由(どうしてそれをするのか)を、国民は意見を国に提供することが大切、と、ある哲学者が言っていた。
会社や公的な組織にいる人は自分の意見を言いにくい。また、狭いコミュニティ、村社会では、心を読み合うことができるのか(本当にそうだろうか?)、言わなくても分かる(のだろうか?)集団にいると、自分の意見を相手に伝える習慣がないのかもしれない。
何か問題が起こったときに困っている人を気遣ったり、察するのは大切。だけれども、直に本人に理由や考えを聞かずに自分の解釈で判断して「何も言わない」、これは組織でうまくやっていくコツなのだろうか。
音楽家でも、今演奏している曲をどう思うのか、何を考えているのか、「好きか、嫌いか」も言わない人が多い。勉強不足な分野には反応してはいけない、と思っているのかもしれない。
地方の小さな町では(いや、一般に、かもしれない)、どう思っているのか口にしない(短い言葉で済ませる)傾向があるようだ。
感染症拡大の状況で、慎重な探り合いが日々行われている。
コンサート開催を決行するかどうかの判断が主催者である音楽家に任されているストレス・・・。オリンピックは行われたのに、個人は自粛や慎重な判断を求められるのだ。定収入があるか蓄えがあるかどうか、一人一人の状況は違うのに、国によっても補償が違うのに、表面に見える「コンサートやるかどうか」のみで判断される。どうやら、このスッキリしない探り合いがまだまだ続きそうだ。

コロナ禍で、ますます人の身体と心に大事なものは、直に伝わる音の共鳴、空気の振動だと思う。
オンかオフか、ゼロか1か、有るかか無いか、居るか居ないか、ではないコミュニケーションの大切さ。
言葉や音楽の持つ可能性。言葉や音にできなくても、身体から発する「何か」。

アンサンブルレッスンで若い人がちょっとした発見をしたり、色々試して弾いているうちに顔が明るくなったり、そのような反応があると、本当に嬉しい。
常日頃から探求し、演奏活動しながら学び続けている音楽家と音出しできると、頭と身体に血がめぐり元気になる。11月に予定している高橋弘治さんとのチェロのデュオ、とても楽しみ!無事に開催できますように!

ある一つのこと「全体」を知ることはいつまでたっても不可能だ。だから、いろんな人が同じ問題に取り組んで、様々な角度から見て、新しいことを発見できる。音楽はまさにそういうこと。コンクールで賞をとったり、メディアに出て知名度があることが大事ではない。
地味で継続的な音楽活動には、求める人が戻って来られる居場所を守り続ける意味がある。
ガット弦で音楽をする意味がある。
posted by makkida at 20:29| 楽器演奏と身体 | 更新情報をチェックする
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