2021年10月26日

よしあし、答えのない

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コケの小宇宙。生き物それぞれの大きさの世界があり、全体で大きな宇宙になる。

体や心が元気で自由に動き回れるときにはポジティブになれるし、日常の様々な仕事もいろいろな出来事にも自分の可能な限りなんでもできる気になる。
自分が自由に動けなくなって、やっと、世の中の仕組みが動ける人前提で成り立っていることに気づく。日頃、頭で理解しているつもりが、やはり身体が経験することで行動しづらいことが現実味を帯びる。
人の仕事ぶりを自分の視点から見て(それが多くの人にとって優しくなるよう気を遣った、いい社会のためだと客観的に考えたとしても)、センスの良し悪しを口にすることは良くないことだなあ、と思う。
「センスいい」という言い方。ついしてしまうが、気になる。センス、と気軽に使うけれど、何のことだろう。他の言葉で置き換えられるなら、別の言い方をしたほうがいい。これも「センス」か。とすると、センスは知性、脳を使うことが必要。別の視点から見ることも必要。
いつも見ている「山」を別の角度から見ることはなかなかない。違う方向から見ると別の山みたいで驚く。それほど、あるものについて私は知らない。理解していない。
趣味や感覚。「いい趣味」は王や権力者の「趣味」だった時代。フランス革命以降、人類が手にした「自由」「平等」は、人それぞれが能力や身分や人種と関係なく活動できる、ということだろう。
その人の生き方がその人の仕事なり作品として表に出るのだから、うまくできなくてもしょうがない。そもそも、プロだから「センス良く」全てお任せできるのではなく、趣味や感覚はそれぞれが違うはず。

いや、多くの場合、理想はあったとしても、身体が追いつかないことだらけだ。
自分にアイデアがあり、こうしたい、こうできるはず、と考えるから、人に頼まず「私がやる」と引き受ける。自分が関わること全てそうなる。結果、出来上がるのがギリギリになって周りの人が心配する。間に合うから仕事にはなっているが、いつも「大変そう」。忙しそうで大変ね、と言われるのは、いろんな意味があるのだろうね。「辛そう」「大変そう」に思われずに、「感じ良く」(これもまた何だ?)仕事ができれば、周りの人に嫌な気持ちを与えないのに・・・。
人にわかってもらえないから辛いのかな?
天は全てを見ている。

気づかない人は多いけれど、言わなくても気づく人もいる。何に気づくかも人それぞれだ。
気づいてもらうのを待っているのではなく、助けを求めたいときには口に出して伝えないといけない。
でも、あまり日々の生活が大変だと、助けを求める暇もない、お金もない。どうにもならない悪循環で毎日が回る。
どんなやり方がいいか答えはない。小石を拾うように、気づいた人が気づいたときに小さな助けをできたらいい。

しばらく私の自主企画によるコンサートはできない状況になりました。コンサートを開催するには、練習や勉強時間を確保する以外に、演奏家が動かなければならない仕事がたくさんあります。以前から可能な事務仕事や広告宣伝は自分で行ってきましたが、コロナ禍始まって以降、経費削減のために自分で負担する作業が増えました。事務仕事全般お客様対応などのマネジメント的な仕事は気を遣います。マネジメント業務をしてくださる方や場所提供をしてくださる方との共同作業でないと、主催公演は難しい状況です(普段からそうですが)。家族の身体の具合を見ながら、どのように長野と東京を往復して生活するか模索しながら活動を続けます。このタイミングで、あちこちから少しずつ仕事のお話をいただけるのが、本当に有り難いです。
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posted by makkida at 13:04| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする
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