2022年03月31日

バルトークによるウクライナの民謡収集

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20世紀の初め、ハンガリーの民俗音楽を収集し科学的に研究したコダーイ・ゾルターンとバルトーク・ベーラは、1905年にグルーバー・エンマ夫人(のちのコダーイ夫人)のサロンで知り合います。彼らはハンガリー各地に民謡収集旅行に出かけ、農民が歌う村の古い歌を採譜、録音しました。
バルトークが収集した民謡には、ハンガリーだけでなく、スロヴァキア、ルーマニア、ウクライナ(ルテニア)のものがあります。当時のオーストリア=ハンガリー帝国のハンガリー王国の領土は現在よりも広かったので、国内のスロヴァキア系、ルーマニア系、ウクライナ系の人々の住む地域で調査し、それらの言語で歌われている民謡を集めたというわけです。
バルトークが訪れた北東ハンガリー(当時)のウゴチャ県、べレグ県、マーラマロシュ県は、カルパティア・ルテニアと呼ばれた現ウクライナのザカルパッチャ州(ウクライナ名:ザカルパーツィカ・オーブラスチ)の一部。カルパティア山脈の南西部、トランスカルパティア低地と呼ばれる地域です。1911年に彼は初めてウゴチャ県の首都ナジセーレーシュ(ウクライナ名:ヴィノフラージウ)に収集旅行しました。
彼の『2つのヴァイオリンのための44のデュオ』はハンガリー、スロヴァキア、ルーマニア、ブルガリア、ルテニア、アラブの音楽(民謡)を使った曲集です。一曲は1分から数分までの短いものばかりだが、濃いエッセンスが詰まった、魅力的で楽しい音楽です。その中の第10、16、23、24曲がルテニアの民謡です。第35曲は「ルテニアのコロメイカ」という舞曲のスタイルですが、これはバルトークのオリジナル作品。コロメイカは二拍子の速い踊りで、今でも祭りや結婚パーティで踊られています。
第10曲はマーラマロシュ県ドルハ(現ウクライナのDovhe)、
第16曲は同じくマーラマロシュ県のサールドボシュ(現ウクライナのSteblivka)、
第23曲と24曲はウゴチャ県ヴェレシュマルト(現ルーマニア・トランシルヴァニアのシビウ県ロシアRoşia)、
4曲とも1911年に収集されたもの。

ヨーロッパ(に限りませんが)では権力者が少しでも領土を広げようと、戦争ばかりしてきました。大陸にある国は、国境が時代によって変わります。国境近くの地域はその時々で使う言語を強制的に変えられたところもあります。
土地に住み続けていた人々は、風土にあった生活をし、それぞれの言葉を話し、彼らの言語による歌を歌い、楽器を作って演奏し、それに合わせてダンスを踊ってきました。国境線は後から引いたものです。人が動き、交流し、民族が混ざり、互いに影響し合うことで新たな文化も生まれます。世界中を移動できる現代に、様々な言葉を話す様々な出身の人々がお互いの命と仕事を尊重して、創造的な人間として生きる可能性があるはず。地球が存続するための希望になるのでは?世界中の音楽を楽しむことができるのと同じように、一つの国の中に様々な民族がいることは宝なのだから。
長い年月をかけて伝え続け、コツコツと作り上げてきた生活、文化、芸術、風習、建造物。
戦争は誰かの大切な命や物を破壊します。魂を破壊します。
人権や環境問題を語っていても、核や爆弾による破壊で全てが無になります。
NO WAR. NO MORE WAR.
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posted by makkida at 18:46| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする
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