爽やかな5月があっという間に過ぎ、長野の北でも雨がちな季節に入りました。20度に達しない日々。東京や京都では30度を越す夏のような季節だったのに、移動して季節がひと月前に戻った様な感じです。妙高高原ではさらにひと月前の気候で、春がやってきたばかりのよう。自然はいつも新鮮な驚きや喜びを与えてくれ、その中にいると身体が馴染んで自然の一部になります。
目に見える変化だけでなく、気温や風、光のように目に見えない感覚が、実感となるのでしょう。太陽が雲から顔を出して光が差すとき、風の勢い、運ばれてくる匂い、暖かさ、湿り気、木々のざわめきなどの音を聴いたときの、心の動き。
考えてみたら不思議なことばかり。
4月に東京のウェスレー財団で開催したウクライナの難民支援のためのチャリティコンサートは、遠く離れた多くの方々に配信を聴いて頂くことができました。どうもありがとうございました。気軽なプログラムではなかったので、ライヴコンサートで同じ空間ならともかく、コンピュータの前で辛抱強く聴いてくださる方々には気力が必要だったと思います。ライヴでも配信でも、人の相互のエネルギーのやりとりは大変なことです。
地球上で細やかなつながりが網の目のように巡らされていることを想像すると、不思議な気持ちです。
目に見えないものが人間にとってどんなに大きな働きがあることか。
温かさ、愛情、喜び、悲しみ、痛み、癒し、音楽、平和、人と人の心のつながり・・・人間らしく生きていく上で大切なものは目に見えない。
地球上の隅々まで繊細で柔らかなつながりが巡っていれば、戦争は起きないのではないでしょうか。
どんな宗教でも、もともとは人間が争うことを避けるためにあるのではないかと思いますが、どうでしょうか。キリスト教が様々な派に分かれて行ったのは、結局は人間がこの世の権力(強い者が弱い者を支配する力)を持ちたいからであって、そのために争いが絶えない。それは宗教の本来の姿ではなく、人が人を裁いたり殺したりすることを求められてはいないはず。宗教が戦争を肯定するのは残念です。
武力で攻められたら抵抗しないのか、と答えに窮する究極の状態にならないよう、日常における覚悟。武力で戦いません、と決めた国には攻めない、となればいいのに・・・。いつになったら戦争がなくなるのか・・・。爆弾が落ち、銃撃から逃げ惑う日常なんて、世界の誰も望まないだろうに!核を使えば生き物も地球も終わりでしょうに。
長い前置きがメインになりそうです(笑)
チェンバロとチェロの作品に、あまり弾かれる機会のないChristoph Schaffrathのソナタがあります。これはチェンバロのバスパート(コンティヌオ)だけでなく右手のオブリガートが書かれてある、つまり2声部があるので、数字が苦手な方でもすぐにトライできます。
チェロとのデュオにぜひどうぞ!デュオレッスンにもお待ちしています。
楽譜は出版されているのでご参考までにこちらをご覧ください。
https://www.heinrichshofen.de/de/instrumental/streichinstrumente/violoncello/violoncello-i-mit-anderen-br-instrumenten/219/duetto-c-dur?c=344
https://www.stretta-music.de/schaffrath-duetto-c-dur-nr-418064.html