2015年01月05日

新年はコントラバスと

新年初は1月11日、ちょっとずつバッハをコントラバスの安保龍也氏との共演です。
この日は東日本大震災の月命日。それからその一週間後は阪神淡路大震災から20年。犠牲者を想い、悼むときを持ちたく思い、プログラムは以下のようになりました。

J.S.バッハ:アダージョ イ短調(トッカータ、アダージョとフーガBWV564より)
J.S.バッハ:フーガの技法より反行・拡大のためのカノン
J.S.バッハ:無伴奏組曲第3番ハ長調BWV1009
ヴィヴァルディ:ソナタ変ロ長調RV46
ボッケリーニ:ソナタ変ロ長調G.565

前半は語る音楽。土台がしっかりした構築の、ゴシックとバロックの混じった簡素かつ装飾のある建造物のような音楽。後半はお喋りな音楽。様々な仮面をかぶった色んな性格の登場人物が演じているような音楽です。
このボッケリーニのソナタは、グリュツマッハーによって手を加えられて元の形が変えられてしまった有名な変ロ長調のコンチェルトの元々のソナタ版です。超絶ハイポジションの技巧的音楽も、コントラバスのバスと弾くと、 どこかネジが弛んで、なかなか味があって笑顔になれます。
国や性格は違えども、灯は蝋燭、乗り物は馬車、水を足で汲みにいき、全て人間の手作業であり、寿命も短かく、死が隣り合わせだった時代の、光と暗闇の音楽。そんな時代の方が、人間の歴史ではずっと長いのですがね。
ガット弦はそういう歴史と共にあります。
安保氏が古い名器につけておられる弦も、スチール巻きのガットです。

ガット弦で私のことばを語り、歌を歌い、色彩豊かな音楽をお伝えしたいと思います。

さらなる自由と多様性を目指して!雑草と呼ばれる野の草花の心境です。
平和で創造的な年となりますよう。
今年もよろしくお願い申し上げます。

2014年01月07日

ブリテンの音世界

20世紀は怒濤の世紀。人が心を奪い取られてしまったような手に負えない悲惨な大きな戦争があり、軍需産業は加速、大戦が終わっても先の戦争が産んだ対立と細分化した争いが現れ、経済産業の急成長によって時間の流れも速くなった。
この世紀ほど、目まぐるしく変わり、壊し、また戻り、時代性のないというか隣は何をする人ぞ的な時代はないのではないか。いい意味で、強烈な個性を持つ音楽家がいた。
一度聴いたら強く印象づけられる響きを持つ音楽。バルトークやショスタコーヴィチ、メシアンのように。楽譜を音にするだけでこの人とわかる色彩が表れる。オーケストラ作品は特にそれがわかる。もちろんその人たちの弦楽四重奏も、なんて充実した言語と色を持つのだろう!

ブリテンはオーケストラを思うように自在に操る才能に長けていると、特にオペラを聴くと思う。あらゆるカードを次々にめくっていくような、性格と色彩に富んでいる。器用なのか、天才的と思うことがしばしば。ピーター・グライムズでは、音が鳴っただけであっと言わせる、忘れられない響きがある。
でも、この人の弦楽四重奏を聴くと、ただ効果的な音作りをする人ではない、熱っぽく、非常に真面目な内面性を真正面から突き付けられる。
そして、チェロの無伴奏組曲然り。
三曲がそれぞれ全く違う性格を持つ。技巧を見せつけるような楽章はない。歌があり、対話があり、伝統的な様式も扱う。決して真新しい前衛的な実験には走らない。たぶん、この人は、自分の音楽の中の関係性だけでなく、過去の歴史と自分の生きている世界や、周りの芸術家や詩人との関係性を紡ぐことを大事にしていたのだと思う。
三番の組曲は晩年の作品。「遺書」だとウィスペルウェイは書いているが、なるほどと思う。戦争を経験し(戦争レクイエムを書き)、海を渡り(イギリスは島国だから当然だ)アメリカでも暮らし、旧ソ連の友人を訪問し、晩年の数年間には憧れのヴェネツィアを訪れて(オペラ「ヴェニスに死す」を書き)、死というテーマと終始向き合っていたブリテンの、根底にあるのはシンプルな民謡と聖歌。風通しのよさと、静かで晴れやかな心境さえも感じる。

●ブリテンと旧ソビエトの音楽家たちの親交
1960年9月ロンドンのロイヤルフェスティバルホールで、旧ソヴィエトのレニングラードフィルと名チェリストロストロポーヴィチはショスタコーヴィチのチェロコンチェルトを演奏しました。その演奏を聴いたブリテンは、楽屋を訪れてチェリストと作曲家に会いました。
ここからイギリスとソヴィエトの大作曲家の交際が始まり、お互いの音楽を尊敬し、訪問しあったり文通したり、楽譜を見せあったのでした。

ショスタコーヴィチはあの独裁者スターリン政権時代、亡命もせず、そのたくさんの圧力と恐怖のなか音楽活動を続けた、それをどう判断するか別にしても、生き抜いた力と才能に圧倒されます。
スターリンが54年に死亡して少しは解放に向けていくのではないかと思われた(であろう。私はまだ生まれていない…)が、他の東ヨーロッパの国々同様、ソ連の仲間にされていたハンガリーでは56年に解放を求める流れが出たところを、ソ連軍がやって来て攻撃し民主化運動は弾圧され、多くの人が亡くなりました。私が留学していたとき、10月23日には動乱時の主要な広場にたくさんの人々が集まって花や国旗を飾っていました。
東ベルリンから西に亡命する人が続出したために、ベルリンの壁が建設されらのが61年!ですから、60年はまだまだ冷戦真っ最中。

そんな時代でも、一部の選ばれた芸術家が行き来が出来たのは驚きです。監視の目は恐ろしかったでしょうね。素晴らしい才能は、ときの政治権力には屈しません。天才芸術家たちは限られた中で密度の濃い交流をし、心から尊敬し合い、影響し合いました。
ロストロポーヴィチはロンドン公演の翌日、ブリテンにチェロの独奏曲を書いてくれるよう説得します。そして交流が始まり、翌年チェロソナタが、そして三年後にチェロとオーケストラのための交響曲が生まれます。それから64年には無伴奏組曲第1番、67年に第2番、そして71年に第3番が書かれたのです。

2014年01月06日

音による瞑想

ある美術作家は、作品に手をつけるとき、自分のなかに取り入れて考えたことやアイデアを一度忘れるようにしている、という。忘れる、という言葉の使い方が意味深い。全て消化し、頭で言葉に置き換えることから離れる、我を突き放す、己を外から見つめる…など。
新しい音楽作品でも同じで、たくさん取り込んだもののを鎮め、昇華した物が音になるのだと思う。上澄み、氷山の一角、ともちょっと違うか…。歴史の一部の自分、今の混沌とした世の中を生きている自分、己と世界との関係、社会の出来事を考え、心が揺れ動き、葛藤する。その内面のゴチャゴチャをそのまま表現するのではなく、外からその状態を見つめる。聴こえる音に動かされる、音の流れに身を委ねる…。

尾高惇忠氏の独奏チェロのための〈瞑想〉。オーケストラ作品を取り組んだあとで、オーケストラという大きな媒体の対極にある極めて限定された枠の中での多様な表現の可能性を追求した、と解説にある。チェロ一本で、限りなく表現は多彩である、とも言える。生き物共通の自然界の波長や呼吸を通して音が生まれれば、決して現代音楽は難しいものではなく、時空を越えて共感できる。作曲の動機が個人的でも、世界の大きな出来事によるものでも、音が出るためのエネルギー(生命力、祈り)が大事なのだ。
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