2021年03月30日

わたしがいる

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J.S.バッハのカンタータにおける言葉と音楽の結びつき。毎日、聖書を読む。その人の信仰がそうさせる。毎週一曲カンタータを作曲することは大変な仕事。歌詞の選択、音や和声付け、その音楽の内容の豊かさ、知的にも信仰的にも満足させる・・・そのような作品を続けて生むことができるなんて!
言葉と音楽の繋がりは、作曲家の思考であり、それは深い信仰から来るもの。霊感を受けること、感じること、常に勉強を続けることから生まれる。
その仕事はその人そのもの。それが真の芸術家。
そのような深い信仰から生まれる仕事に対しては、間違いや足りないものはない。
「わたしがいる」ことは、その人の意思表示。
水野源三さんの詩を読んで胸打たれる。選び抜かれた言葉は、その人そのもの。
限られた「言葉」「音」を選び取ることが技術だと思う。
この人は芸術家だ。
イエスを十字架にかけた群衆の中に自分がいる・・・
体を動かせない、声を出して話すこともできない人が、表す意思。わたしがいる、ということそのものが。
受難週に。
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2021年01月30日

音楽と自分が向き合う

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音楽(作品)と直接向き合うことは、自分の精神を自由にする。
先生のレッスンを受けるとは、ほかの人の思考回路で体験してみるということ。考えることを飛び越えて「答え」を得ることではない。
人は全てを一人で研究し、学び、体験することはできないから、過去の人や周りの人、先生から学ぶことは必要だ。人から学ぶことで視野を狭めるのではなく、世界が広がり、解放できたら!
私が演奏する、とは、自分で考えること。向き合っている音楽から、伝統と様式、音楽語法の知識をインプットするだけに留まらず、弓の動かし方や音程の取り方など、演奏につなげていく。今まで身体で覚えてきたことの応用。
その根本にあるのは、音楽から何を「感じる」か。
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2021年01月18日

あらためて、伝えるということ

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同じ土地(地域)で生まれ育った(あるいは長年住んだ)人たちの間では、きっと言わなくても意思疎通できる部分があるのだろうと思います。少ない反応で、例えば、言葉を発しなくても、笑顔はなくても、近寄ってくるならば、受け入れていることを意味している、とか。
演奏している時の反応だけでなく、普段の付き合いから、たびたび感じるのです。
反応の仕方、というのは人それぞれで、おとなしく控えめな人もいるし、感情を豊かに表す人もいるし、言葉を上手に組み立てて論理的に表す人もいる。それはそれで、反応なわけです。
何を考えているか、好きなのか好きじゃないのか、分からない。これは、もう、私が、火星を通り越して太陽系の端の何処かの惑星の宇宙人だからなのかもしれない・・・(笑)

新しい土地でゼロから始める、ということでもない。自分がどこにいても、歩みの延長だから、ゼロにはならない。
内容を理解してもらうには、肩書きではなく、口コミ、人との繋がりが大切です。続けていくことで、演奏者も聴き手も理解を深め、広がり、少しずつ関わる人が増えていく。
今まで企画し活動してきたこと−−−ガット弦を張って、バロックを始め、手探り状態で勉強しながら作ってきたコンサートを、お客様の多くは一緒に体験してきてくださった。留学先でバロックを始めて勉強してきたならともかく、モダンでずっと活動して、途中で急に日本の音楽界には「いない人」になり、自分にとっては道のない道を歩んできたつもりです。古い文献や楽譜から学び演奏に結びつける研究は、ヨーロッパだけでなく世界中で活発に日々更新されています。日本の隅っこで一人でやっていても、遅々として進まず。とにかく、手に入るものから学び、自分の感覚を鋭くして、いろいろな人の演奏や発言を参考にしつつ、それは一体どういうことなのか考えながら、身体で納得したことだけを演奏しています。より深い理解−−過去の音楽家の精神に出会い、魂が頷く音を出したい、そういう音楽を求めています。

辿れば辿るほど「分からない」ことがずるずると出てきます。
ソルミゼーションとは何か、誰の説明を聞いても、「こういうものだ」という説明しかないので、なかなか理解できない(これは実際に歌って使わないと意味がないですからね。)音階とは何か?音階は7音から成っているのは、一週間が7日からできているのと同じくらい、しっくりくるようで、不思議でもあります。8つ目に同じ音(曜日)が回ってくる・・・。
人間が作った決まりだけれど、宇宙の動きとピッタリ合っている・・・。

決まりごとは言語の文法のようなもので、各時代の音楽語法だと思います。遠く離れた時と場所を理解するのは並大抵のことではありません。演奏習慣は机上の勉強ではなく、身体で覚えるものです。音には性格や特徴、役割があり、公式のようなものを勉強しながら、それぞれの音楽を実践として、生きた音楽として演奏するのはスリリングです!ちょっとバランス崩しても始まったら終わりまで止まることができない。
演奏活動は一生終わりのない勉強です。

楽器や演奏法を自分の音楽の方向性の中で結びつけて話すこと。少しずつわかってきたことをお客様に説明しながら、演奏を聴いてもらう必要性を感じます。具体的な話を人に伝えることで、自分の演奏も明確になってくるだろうと思います。アイデアも技術も。
「おはなしコンサート」の再開のために、まだ続きそうなパンデミックを堪え忍びつつ、勉強と準備をするつもりです。
独奏楽器としてのチェロの作品と演奏の変遷として、イタリアのバロックを取り上げる「イタリア!イタリア!」シリーズ。バロック以降、ベートーヴェンに繋がる18世紀後半のチェリストたち。ゆくゆくは、ベートーヴェンからシューベルト、シューマン、ブラームスなどのドイツロマン派、ヒストリカルピアノとの共演も夢見つつ、19世紀後半ロマン派のピアノとのデュオまで、やりたいことは山積み!鍵盤奏者が羨ましい、だって、一人でこの範囲の音楽を演奏できてしまうのだもの・・・。
息の合うデュオを一緒に実現できそうだったピアニストは、残念ながらドイツへ移住・・・多くの変化が起こりますが、辛抱です。
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2020年12月18日

見えない決まりごと

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今朝の黒姫。
雪が降り続き、やっと晴れました。膝下まで雪が積もっています。雪に覆われると別世界になり、静けさがやってきます。
生活するには危険なこともあります。道路が凍るとか、積雪で動けないとか、雪降ろしとか、煙突が雪でふさがれるとか、屋根の雪が落ちてくるとか・・・。
楽器を担いで出かけられるのだろうか・・・。

ずーっと頭に流れている旋律、
よそ者としてやってきて よそ者として去ってゆく

東京の感染者数がぐんぐん上がってきて、気のせいか、ここのところ、車につけている東京のナンバープレートをジロジロ見られることが多くなったようです。
東京に行くとウィルスがうようよして、行けば必ず感染して帰ってくるんでしょうか。どのように行動しているか、ナンバープレート見ただけで判断できるんでしょうか。家族の看病、仕事、どうしても感染拡大地域に行かなければならない人はいます。
長野の繁華街や街にも行かず、車で東京を仕事で往復し、どこへ移動するときも車ですが、見ただけでは判断できないですからね。
リスクが高い場所のナンバープレートがいるだけで村八分状態・・・。遠方で学校に行っている子どもや住んでいる親戚に、故郷に帰ってくるな、と言う。言わねば自分たちの居場所がなくなる。
何処のナンバープレートか、地名によるイメージを多くの人は共通して持っています。同郷人だと「安心」したり、レッテルを貼ったり、話のネタにもなるわけです。
福島の原発事故の後、福島から避難している人々もこの冷たい視線、差別や嫌がらせにあいました。
今回のパンデミックは、地球に住む人間が困難を共有しているのではないのでしょうか?

人は何処かで住む場所を見つけて生きていかなければならない。
ずっと長いあいだ忘れていたことを思い出します。
ヨーロッパのある街で、パン屋で順番を待っていたら、私の番になったときに店員がアジア人の私を飛ばして次の人の注文を聞きました。次の番だった女性が「次はこの女性よ」と私を見て店員に促してくれました。こういう経験は多くの人があるでしょう。

住民票を移しても、その土地で長いこと暮らしている人とは違う待遇になってしまう。コミュニティが作れなければ、もちろんそういうことはあります。
最低限の生活するのに必要なことを求めるのは、「わがまま」ではないでしょう。

クリスマスを迎えようとしているときに、世界中で居場所をなくしている人たち、難民、一人ぼっちで家にいる高齢者や持病のある人などに思いを馳せます。


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2020年12月05日

冬の訪れ

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野尻に帰ってくると、空気が澄んでいて呼吸が自然にできるのを感じます。雪が少し積もった夜。冬が近づいて、冷たい空気が頭をスッキリさせます。
今度のギターとのコンサートでシューベルトを弾くこともあって、「冬の旅」の一曲目がずっと頭で鳴っています。
若者の孤独がひしひしと伝わる歌詞。恋人との別れや人間の死を考えることはあっても、自らの人生をやめようとはしていない。ただひたすら孤独を抱えて生きてゆく旅。
アルペッジョーネ ソナタを弾いたり楽譜を読んだりするときに、音楽に引き込まれると、今現在の「自分」から離れる、それは回想というだけでなく、時間の流れと距離感を感じます。映像のイメージのようですが、純粋に音楽の世界なのです。その場に留まらない、でも急がない。いつも懐かしさがある。恥じらいを持つ憧れ。脚色したり、わざと作ったりしなくても、音を追って行くと自然に内側から湧いてくるイメージです。これは、技術を克服しよう、とか、魅せようとする演奏では決して表現できない。

アンドレアス・ショルのように弾きたいなあ・・・(歌だけど)!

野尻にいると、自分の行動(弾くということも)が曖昧でなくなってくる気がします。全てに意味があるとは言わないが、なんとなく、ではない。身体で感じる、確認する、ということかな。
硬くなく、反応があり、手応えがあり、質感があり、空気が動く。
演奏がそうなっていくといいな!
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カスパー・ダヴィト・フリードリヒの世界みたい!
自然の神秘が芸術を生むのだもの。
こういう環境で音楽も自然に生まれてくる。
そろそろシューマンも弾きたいなあ・・・!
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2020年10月18日

思いがけない繋がり

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長野に来て、音楽ホールを訪問し担当者にご挨拶したり、音出しをさせていただいたり、少しずつ動き始めました。コンサート企画も、仕事につながることも、まだ先の話ですが。
今日は、お世話になっている方々からのお誘いで、須坂教会の礼拝に参加。
そこで思いがけない出会いが・・・!
知人から紹介された、すざかバッハの会の会長さん。この教会の会員で、この日の奏楽をなさっていました。
すざかバッハの会は、磯山雅先生の講義と合わせて、演奏家を呼んで聴くコンサート、このセットで、15年継続しておられたそう。バッハの後、モーツァルトを取り上げている間に、その頃私がメンバーをしていた弦楽四重奏団を呼んでいただいたのでした。モーツァルトの名曲を、ホルンの水野信行さんやクラリネットの四戸世紀さんとの、忘れもしない幸せな共演・・・。
今、すざかバッハの会のHPのコンサート実績を拝見したら、2007年のちょうど10月。
13年前・・・。
覚えていてくださるんですね・・・(涙)。
会長さんにこんな形でお会いするとは!
しかも、教会、というのが・・・。

まだ、私がメジャーな仕事をしていた頃(笑)。
今現在の方が、ずっと音楽や楽器の理解も深まり、あの頃よりずっと弾けるようになっていると思いますが、収入は一桁違う(あるか無いか、と言ってもいいくらい(笑))現実・・・。社会的な地位と実力、本人が納得して仕事をしているかどうかは別物ですね。中味や本質は、有名かどうかとは別。
ただ、あの頃の自分を否定するのではなく、全ての経験は、恥も失敗も含めて私の成長の糧になっており、肯定するには時間が必要だとしみじみ思います。

なんだか、長野での活動ができるような気がして来ました。

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2020年10月07日

正直なハナシ・・・なかなか言えないこと

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昨秋の台風被害を乗り越えて、今年の長野のりんごは元気になっています。いろんな種類が次々と、色とりどり、目にも楽しい、美味しいりんごです。

自主企画では、どこからかの支援や助成金がない限り、自分の資金の中からやりくりします。
主催がどこか大きな会社や公共団体だと、ギャランティは依頼されるときに決まっています。交通費宿泊費がコミの場合と、プラスされる場合、これくらいは誰でも考えつきますよね。演奏者自身が持ち運びできないほどの大きな楽器、ピアノやチェンバロ、オルガンなどの鍵盤楽器、グランドハープなどは、運搬費を出してもらえます。鍵盤楽器はコンサートために(当日だけで無く、事前のリハーサルから)借りなければならないので、楽器代が必要です。当日の調律代も出してもらえます。
弦楽器奏者としては、少し複雑な気分です。
私たち弦楽器奏者は、自分の楽器を持つことができる。ということは、メンテナンスは自分でしなければならない。当然のことです。車も家も家電もそうですよね。
常日頃、楽器には手をかけている、それ日加えて、本番に間に合うように調整したり、弦を張り替えたり、毛替えをしています。そのコンサートのため「だけ」、とは言えませんが、でも、年に数少ないソロ本番しかない演奏家は、その本番のために準備しています。
でも、調整代+弦代+毛替え代まで、コンサートの経費に入れてもらうよう言うのは、なかなか・・・。
一回の本番のギャラで、2〜3万円の調整代が、弓2本分の毛替え代2万円弱が、弦代(一本につき5000円弱〜1万以上)が消えます。交通費しか出せない、とか、1万円でお願い、という依頼の場合・・・毎日1万円の本番があればいいですが!

始めたら回し続けるしかない。
嫌だな・・・原発みたいじゃないか・・・。

いい仕事をしよう!
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2020年08月18日

豪雨災害の支援

今年はコロナの影響もあり、ここ何年か続けて開催している「〈災害救援NGOヒューマンシールド神戸〉活動支援のためのチャリティコンサート」を計画しておりません。
この猛暑の中、ヒューマンシールド代表の吉村誠司さんは、7月頭の熊本豪雨災害の現場で活動をされています。日々、フェイスブックで活動報告をしてくださっています。潰れた建物やひっくり返った車、流木の撤去、家の中に入り込んだ土砂を重機で取り除く作業、お位牌を丁寧に探す作業・・・。
ヒューマンシールド神戸 吉村誠司の地球日記HP

感染症予防のために県外からのボランティアも少ないようで、被災された方々や作業している方々の身体疲労が心配です。
そして吉村さんは復旧作業の合間に、熊本地震、九州北部豪雨、西日本豪雨、昨年秋の台風で氾濫した千曲川の被災地、東北の東日本大震災被災地にも回っておられるようです。ちょっとそこまで買い物、くらいの感覚で車で長距離移動。

被災地や被害に遭われた方々の支援をする人を支援することも大事なことだと考えています。自分が現地に行けない分、少ない寄付金だけれども、信頼する人の活動のために目に見える形で使われるのであれば嬉しいです。
コロナ禍の時期、生活するだけでも大変な方もいます。あちこちへ支援されている方もいらっしゃるでしょう。
もし、被災地支援のためにお気持ちをお寄せいただけたら幸いです。
支援金の送付先は以下の通りです。どうぞよろしくお願い申し上げます。

●郵便振替口座 00980 - 7 - 264796
「ヒューマンシールド神戸」
●他銀行から
銀行名 ゆうちょ銀行
金融機関コード 9900
店番 099
預金種目 当座
店名 〇九九 店(ゼロキユウキユウ店)
口座番号 0264796
「ヒユ−マンシ−ルドコウベ」

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2020年08月17日

持っているものを形にしていく

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引っ越し荷造り作業しながら、持ち物を処分や整理。勉強のために、と持っていた録音は処分する前に、特に古い録音(前世紀の演奏家)などは久しぶりに聴いています。
Brahmsのピアノカルテットの2番を、様々な演奏家による録音を持っているのに今頃気づきました。
演奏スタイルは、時代の流行りがある、というような言い方がされますが、そんなこともなくて、人の数だけ多様であるような気がします。深い共感を覚える演奏には、長いスパンでの演奏家の思考や人間性、聴き手との関係性、それからその場のコミュニケーション、一回限りの生命、というような力があると思います。
人間が集まれば、集まった人たちの間でカラー、価値観、好みがなんとなく方向付けられるでしょう。ひとりひとりが感じたり考えることは、日々新しい。同じ作品を演奏しても、毎回新しい。
腹の底から、丹田から、熱いエネルギーが湧いてきます。
ああ、なんて生きた音楽は素晴らしいのだろう!

もちろん、生演奏のエネルギーに勝るものはない。
音にはマイクで拾えない倍音や音成分があり、録音した時点で、すでに音質は落ちています。精一杯の高音質で録音しても、現代の多くの人はスマホやパソコンの小さなスピーカーからユーチューブなど更に音質を落とした動画で聴いている・・・。簡単に無料で得られるものだけでは、大事なエッセンスはますます聴こえなくなってしまいます。

聴き手が音から得られる発想、イメージ、インスピレーション、想像は、言葉を超えます。単語や要約した文章を音楽を結びつけると、一見わかりやすいでしょうが、意味が狭められ、先入観を植え付けられ、個々人の自由な発想を失う危険があります。
それぞれの人が自由に感じ、考え、行動するには、舗装された道や敷かれたレールを進むようにはなかなか行かないものですね。道なき道や、荒れ野、いばらに覆われているかもしれないけれど、理想の山はその向こうにあるはず・・・。

インターネットもなく、飛行機で数時間で国を超えていける時代ではなかった頃、文化人が物事や言葉の理解するときの奥深さを思います。15日の東京新聞朝刊「筆洗」で、森鴎外がドイツで理解したsittliche Entrüstungの意味。正義が行われないことを憤ること。「『慥かに嘲りを帯びている』と森鴎外が書いている。」日本語では単に「習慣」と置き換えられない「道徳」は、日本とドイツそれぞれの社会での重要性がだいぶ違うだろうと想像しますが、鷗外は両方の言葉の意味を超えた文化(考え方)の違いを理解したのだろうと思います。『日本人は誰も彼も道徳上の裁判官になる資格を有しているのであろう。』という皮肉。聖書に、人は「人を裁くな」とあることも知っての上なのだろうと。

いつか弾くだろう、そのうち勉強したい、と溜めている楽譜、本、録音、埋もれている資料・・・。誰のでもない、自分の仕事となるもの。
これから原石を磨いて、何かしら形にしていきたい。
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2020年08月16日

猛暑に想うこと

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真夜中に外気温34℃、という日には参りましたが、昨夜は家の中で35℃。突然の雷雨(豪雨)は怖いですが、この高温続きは雨が降らないと下がりませんね。
夏になると、新聞には戦争の記事や特集が増えます。特に今年は敗戦75年で、東京新聞では読み応えある記事がかなり多いように感じます。
戦争の最後の夏は特に暑かったと聞きます。食料も物資も乏しく、自粛と監視の息苦しさ。暴力。身体や服を洗って清潔にできず、シラミがわく。敵味方に分かれる。戦地で殺しあう。空襲や爆撃に逃げまどい、傷つき、大事な人を失い、住む家もない。捕虜となって奴隷のように扱われる。弱い人が強い人に支配される。感受性を無くす。国のために命を捨てる・・・。
「人間らしさ」を失っていくのが、戦争。一人一人が体験したそれぞれの戦争を知り、想像すると、戦争をしてもいいことは何もない、絶対にしてはいけない、と思わずにいられません。
記念日に思い出すのではなく、折にふれ、過去の事実から逃げずに、ひとりひとりが考えること、言論や行動の自由を守り続ける(どんな体制でも最低限その自由がある)ことが、平和を作ることになるのだと思います。
そして、コロナ禍の行動や活動の自由がないとき、不安が引き起こす監視社会、「自粛」の意味、実体を考えさせられます。

さて話は変わって。
この猛暑の中、引っ越し作業中です。
コロナの影響で、フリーランスの人々にとっては見通しの立たないこの頃。多くの人が家賃の支払いの困難に直面しているでしょう。
私たちは、とりあえず北信に移ることにしました。
公演はまだ予定がありませんが、レッスンやワークショップは東京で今までと変わらずに行います。
ということで、レッスン場所がまた一つ増えました。落ち着いたらご案内いたします。

春からあちこちの片付け作業をしていて、チェロの練習に集中して時間を取ることができないでいます。それでも、作業の合間に楽器を弾くと、ガット弦のしなやかさを弓の毛で感じ、楽器から出てくる音の振動、倍音の響きに、体が癒されるのを感じます。ただ音を出すだけで、こんなに喜びがあるのかと・・・。
プレーンガット弦による音楽は、多くの人の心身を柔らかくほぐし、元気にすると確信します。
私は今、演奏会はできなくても、レッスンをすることで、音楽による新しい息吹をもらっています。上手い下手のレベルはどうであれ、音楽を通したコミュニケーションは必要なものだと改めて思います。
人間らしく生きるために、音楽はなくてはならないものです。

コロナ感染にともなう様々な困りごとだけでなく、熱中症にもくれぐれもお気をつけて、心を平安にお過ごしください。
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2020年07月27日

続・楽器に聞く

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ストラディヴァリウスなどの銘器は、代々誰が使って、どの店で修理して、どのような経路で現在に至るか記録が残っています。どこの国のどの会場でどんなコンサートで弾き、お客さんの反応がどうだったとか、いつ盗難にあったとか、事故などのエピソードがいいことも悪いこともたくさんついてきます。
この本「ストラディヴァリウス ある名器の生涯」(トマス・マロッコ著 金澤正剛、山田久美子共訳)は、昔パガニーニやイザイが使ったヴァイオリンの歴史ですが、読んでいくと、おしまいの方の22章で懐かしい名前が出て来ました。
チェリストのアメデオ・バルドヴィーノ氏。本の中では「バルドヴィーニ」となっていますが、Baldovinoです。トリオ・ディ・トリエステのメンバーとして活躍していた1960年代の話で、アルゼンチンで乗っていた船が沈没し、メンバー全員助かったが、ザネットヴィッチのガダニーニのヴァイオリンも、バルドヴィーノのストラディヴァリウスのチェロも水に浸かり、岸に流れ着いたところを見つけられた。飛行機で二日かけてチェロを運び込んだロンドンのヒル商会に、主人公のヴァイオリンがちょうど預けられていた、という。
楽器職人の修理の技術は素晴らしいですね。海水に浸かって砂だらけになっても、バラバラになっても(被害を受けた姿を見たときショックを受けるだろうに!!!)、とにかく根気よく丁寧に時間をかけて、元の形に直してしまう。
職人がいなければ、私たちの仕事は成り立ちません。
表に見える、大きな華やかな仕事の根底を支えてくれています。音楽的な感覚を持ち、繊細な感覚と技術を磨き続け、自ら楽器を弾くことができて、いい演奏技術も知っており、また、演奏家とともに学ぶという姿勢もある、という楽器製作に関わる人が絶えることのないよう祈るばかりです。

さて、話を戻して。
バルドヴィーノ氏は私が大学生の時に芸大でマスタークラスをされました。ピアニストの奥様モーリン・ジョーンズさんーーオーストラリア出身の天才少女だった彼女はヨーロッパで活躍、存在感のあるマダムでしたーーと一緒に。その時はご自分の楽器は持って来られませんでしたが。
その後、イタリアはフィレンツェ郊外にある丘の上のご自宅を訪問し、当時教えていらしたフィエーゾレの小さな音楽学校も訪ねて、個人レッスンを受けました。その頃すでに80代前半のマエストロ。数年前にバッハの無伴奏チェロ組曲全曲録音のCDを出し(なんと、80歳目前にして初のバッハ全曲録音!)、「今はヴァイオリンのためのシャコンヌを勉強(練習)している」と仰っていたのを覚えています。
ヨーロッパの知的な音楽家の中では、ソリストとして有名なことよりも、室内楽奏者として信頼されている方が音楽家として重要、とする見方があります。バルドヴィーノ氏はソリストとしても若い頃から活躍し(ジョコンダ・デ・ヴィートとのブラームスのドッペルコンチェルトの録音も有名)、ヨーロッパでは有名な音楽家でした。
小柄だけれど、力強く芯のある、そしてバネのように若いエネルギーを身体の中に持っている方でした。知性に基づく厳格さがあり、意志が強く、一方で話好きでチャーミングなお人柄でした。
フィレンツェ郊外の静かな、緑が広がる中に石造りの大きな家が点々とある風景、丘の上の邸宅前で、後ろ手に組んで散歩するマエストロの姿を思い出します。
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2020年06月12日

続々 音楽すること、考えること、存続すること

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梅雨に入ったばかりというのに、もうこんな空が恋しい。早く梅雨と猛暑がすぎて欲しい!何十年生きていてもこの時期に感じることは変わりません・・・。
感染症で様々な活動ができなくなる一方で、日々変わりなく、野菜が育ち、鳥が卵を産み、牛が乳を出し、仕事をやりきることができるのは素晴らしいと思います。コンサートやイベントは、当然、公演当日を迎えることを信じて準備します。準備で終わることなく、本番が出来るのが当たり前、ということがどんなに「有り難い」ことか。

だんだんと社会活動が可能になり、演奏家たちも行動し始めています。コンサート開催については現実的に考えて、私には難しいですね。お客様が少人数では収支が合わない、逆に赤字になってしまうと、他にまったく収入のないときに、今まで通りの実現は不可能です。
フリーランスの演奏家が、自分でコンサートを企画し制作するには、お客様が来てくださるかどうか、これが最も大事な点です。
お客さんが電車(混むかもしれない)に乗ってお出かけになりたいかどうか。
私も、3月から数回しか電車に乗っていませんし、その際も、昼間の人の少ない時間帯に、1、2人しかいない車両を選んでいました。これから多くの人が行動すると、当然、電車も混雑します。仕事ならしょうがない。コンサートに行きたい気持ちになるかどうか。
みなさんのお考えを伺いたいです。
お客さんとの触れ合いも避けて身体的な距離をとって、感染症対策をして、助成金を申請し、演奏会を再開する。経済的には再開しないとどうしようもない・・・。
スタッフの心的負担は大きいでしょう。
計画したところで、ロックダウン状態になったら、また延期やキャンセル。

とはいうものの、今もこの先も引きこもって勉強したり、頭で夢を描いている間に、本当にやりたいことは、手応えの大きい、手強いプログラムです。
大きいホールで開催するのも一案。
それとも、演奏会より、録音か。



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2020年05月27日

骨組み

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最近はあまり聞かなくなった気がしますが(そんなこともないですか?)、30年前には、対談やインタビュー記事などでもよく目にしました。それは、『日本人として(日本人であるあなたが)、どうして西洋音楽をやるのか』ということ。
実際、私が高校生のときに、ある先生が「答えられるようにしておきなさい。なんでもいい、簡単な答えでいいんだ。」と仰ったのを覚えています。すぐ答えているクラスメートもいましたが、私はその場では全く答えが思いつかなかったし、そんな単純じゃない、と思いました。
私にとっては、日本の歌謡曲や演歌の方がずっと身体に馴染まなかったし、そのリズムの感じ方や音の質、何か前提としているものに違和感がありました。
クラシック音楽が、ヨーロッパの歴史の中にあることや、言語が違う人たちのものであること、文化も宗教も、気候も、住んでいる建物や食べ物も含めて生活様式も、知識の上では「違う」ことは分かっていました。が、自分の中にしっくり来る感覚には、それほど違いがあるとは感じてませんでした。まだ外国に行ったこともなかったので、その感覚も不確かではありましたが。
ちなみに、その後、ヨーロッパで、その問いをされたことは一度もありませんでした。

本質的なことを感じていたのだと思います。
仏教とキリスト教の違いかもしれません。どの宗教でも、行き着く先は同じところなのだけれど、方法や捉え方が違います。
キリスト教の聖書では、人間の歴史(間違いを犯してきた歴史)がたくさん述べられ、初めから人と人の関係性があり、自分個人の問題が同時に人類の問題となり、問題の本質を考えることが求められます。それは、西洋音楽にとって大きく関わってきます。

日本人だから日本の文化や文学の中身が理解できる、その心が身体にあるとは限らないと思います。

日本の芸能では、師匠から芸を厳しく叩き込まれ、真似ることを繰り返し、身体が覚えて自分のものになります(まるで乗り移るかのようなことがある)。どうしてこの動きをするのか、という意味を知るより前に身につける。面白いことに、覚えこんだ芸はその人しかできない表現になります。
一方、西洋音楽では、先生のいう通りに繰り返し、どんなに勉強して、知識を得て、技術を身につけても、本質を見いだせなければ自分の表現(自己表現という意味ではなく)にはなりません。
バッハやモーツァルトやショパンは、演奏者の個人的なものを表現する音楽ではないのです。個人の孤独をひしひしと感じる、心の告白のような音楽もありますが、それは演奏者の問題ではないのです。
現代の音楽は個人的なものもあるかもしれませんが。

骨組みのようなものだと思います。
考え方の骨組み。
「北欧風」インテリアなど、何々「風」の物を真似しても、家そのもの(建築)の構造が違うのだから、同じにはなりません。表に見えている部分を受け入れても、そのものにはなりません。
建築物は想像しやすい例えかもしれません。音楽の形式の構造、楽器の構造、音、音階、言語の構造。そこから派生して、骨格が明確です。
構造だけでなく、響きも立体的です。
それに必要な技術はシステマチックに構築できたとしても、人間の身体は頭で考えたように動かないから、いや、逆に、意思を超えて自然に繋がりを持って動けるから、人間が謙虚でいることは大切だと思います。

辿っていけばどれもルーツは自然崇拝になるのではないか。それも音楽のルーツなので、その感覚は大事だと思うのです。
「ああ、今日の月は綺麗だなあ」と見ている月は、何千年、何万年も、人間が存在していた昔々から見ていたわけで。周りの風景は全く違っても、月そのものは同じ。当然のことでしょうが、とても不思議な感覚。そして、とてつもない安心感。

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2020年05月19日

大型荷物

東海道新幹線で大型荷物を持ち込むとき予約が必要になる、という情報はコロナ騒動で延期かと思いきや、ちゃんと20日から実施するようです。いつも大型楽器を持ち歩いてる身としては、気になるニュース。
そこで、今、乗客が激減の新幹線の駅、がら空きのJR東海の窓口で尋ねてみた。
「こういう荷物を持ち歩いてるんですけど」
と背負っているチェロを見せると、
「お客さまの荷物は大丈夫です。今までの扱いと変わりません。折り畳み式ベビーカーも問題ありません。後ろのスペースに置きたい場合のみ予約が必要です」
要するに、大型スーツケース等を置くために車両の最後部のスペースを使いたい場合のみ予約が必要、ということ。網棚に乗せる場合は今まで通りで大丈夫。

当然の疑問が残ります。
海外旅行、または長期の国内旅行するのに大型スーツケースを持って移動することは容易に想像できます。そもそも、ヨーロッパの鉄道のように、どうして新幹線の車内に荷物置き場がないのでしょう?
人間を多く運ぶことしか思考にないのでしょう。人が自由に旅行するために必要な荷物を一緒に運ぶことに寛容で、他の人に邪魔にならないように置き場を確保する車両の設計はできないのでしょうか。

京都駅は観光客が全然いなくて、嘘のような光景。
自由に旅ができる日がいつ来るのだろう。一方で、大勢の人が来ないことできれいな海が戻ったり。
日々余裕が出来たことで、多くの人が政治に反応したり。
色々考えることありますね…

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2020年05月07日

闇の中で

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オズワルド・チェンバーズの言葉をもう一度。
「静寂を保ちなさい。闇の中で口を開くのは間違っている。闇は耳を傾けるための時間なのだ」

長い人間の歴史(生命の歴史の中では短いが)では、疫病が何十年も続いたり、大災害で多くの人が亡くなる時が何度もありました。
今、人間史上恐ろしく忙しくなった生活、経済優先で回るグローバル社会のなかで、今回のように世界中で病気が流行ると、今まで奇跡的に(!)回っていた歯車が狂ってしまいました。
が、回っていた社会の歯車は、犠牲者を産んでいたのではなかったでしょうか。
高度経済成長の陰で、公害による空気や水や土を汚染されて、病気に苦しんでいた人々がたくさんいました。小さな頃から家に隠されて、外に一歩も出られずに生きてきた人がいます。その小さな、魂の声を聞いて伝えてきた人々もいました。第二次大戦後に経済が急成長する中で、日本では国内で戦争と関係なかったはずもなく、やはり、朝鮮半島やベトナムの戦争が大きな関わりがあったのでした。沖縄では今も隣り合わせです。
80年代のバブル景気で、「みんな」お祭り騒ぎだった、ような見え方。景気が良くなったら浮かれて、悪くなったら元気がなくなる。人それぞれは一度きりしかこの世で生きられないのに、大きな権力を持った人(その時々の表面的な、損得の価値観)にふりまわされるなんて!
人権は一人一人に保証されているはずなのに、元気な人たちは自らの人権をよく考えることもなく、強い人たちが生き残れる社会を作ってきました。
地球上の生命が、何か起こるたびに警告を発しているのかもしれません。

「支配者らは無慈悲で、盗人の仲間となり、皆、賄賂を喜び、贈り物を強要する。
孤児の権利は守られず、やもめの訴えは取り上げられない。」 イザヤ書1章

コロナ騒ぎで恐ろしいのは、政権の暴走に対しそれを批判をできず、人々がお互いに非難し合い、攻撃し合い傷つけ合っていることだと思います。オトナが矛先を間違って、暴力を弱い人たちへ向けてしまうと、小さな人たちも自分の心を押し殺して、時に、溜まったエネルギーが堪えられずに爆発する・・・。
目にしたくないことはたくさんあります。でも、事実に目を塞ぎ、耳を塞いでしまったら、苦しんでいる人たちの声を聞くこともできないし、もし進むべき方向を間違えたら気づかずにそのまま突き進んでしまい、近い将来、すべての人に行動や選択の自由がなくなるかもしれません。いや、その前に、助かる命が見過ごされるかもしれない。
想像力の欠如で捨ててきた基本的なこと(医療の備え、人材の確保)。国を守ると言うならば、人々の生活を守ること(口先だけでなく行いで!)。生きている人を大事にすることにそろそろ気づきましょうよ。

変わっていく世界を見続けなければ。

音楽は、芸術は、人類が生き延びていれば永遠に存在します。
大丈夫。(なんて、わたしが力強く言っても何にも確かではないでしょうが・・・)

飛び交っているたくさんの音の中から大切なものを見つけたい。騒ぎの中の小さな音に耳を傾けたい。
音が聞こえてくるだけが音楽ではないと思うのです。
音楽家にとっては、音が命だからこそ、静寂を大切にしないといけない。
静寂の中で、一人一人の心の中で鳴る音楽もあります。
医療従事者にとっては、嵐の只中です。静寂なんかない。本当に自分自身の身体を大事にしてください。

自然界を動かす大きな存在(人間ではない)が、今、何を人間に伝えようとしているのか。
今、やるべきことはあるから、静かに備えています。
空気の振動が心に触れる、いい音を伝えたい、と思うので、今、あえてネットでは流しません。内面にはいつも音楽があります。
でも、もしかしたら、このまま引きこもりになるかも・・・


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2020年05月05日

これからの人たちのために

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VivaldiとGeminianiのソナタを日替わりで、たまにFaureのソナタや小品を弾いてます、今日この頃。もちろんバッハも。暑い日には窓を開けているご近所さんもいるので、なるべく聴いて快い音楽を、ということで。
古いカセットテープを掘り出して、今日聴いたのは、ボロディンの2番とチャイコフスキーの1番の弦楽四重奏曲。何十年ぶりに聴いた(?)、テープが古くなってもうダメかなぁ。ロマンチックなザ・名曲、たまにはいい。

民謡や民話は口頭で伝承されます。
人々の生活の中で生き生きと、今日の物語や歌が少しずつ膨らんで、変化して伝わっていくもの。生きているものです。
文字や音符で書き残すのが難しくもあります。ある時点で形にしてしまうと、それが正しい、と後世の人が思ってしまうかもしれない。
都会の文化に押しのけられて、語り(歌い)伝える人が途絶えたら、忘れられてしまいます。残さないと、無かったことになってしまいます。
形に残っていれば、時を超えて、遠くの国の人にも伝えることができます。
完璧な形はありえないけれど、民謡や民話の採集は必要です。

とてつもなく悲しい、痛い、辛いことは、その人の記憶からぬけてしまうことがあります。忘れなければ生きていられないこともあるから。
当事者にとって、悲惨な出来事は思い出したくないものです。
過去にあった人間の犯した間違いや、災害や、残酷な出来事を、書き残して伝えることで、未来の人が助かるかもしれない。同じ間違いを起こさないかもしれない。少なくとも被害を少なくすることができるかもしれない。資料は残さなければ、事実が無かったことになりかねません。
日々、どこかで、誰かが、未来の会うことのない人のために、残す仕事をしているのでしょう。

今、あらゆる店、小さな企業、学校休校で給食に関わる食品店や農家が生き残れるかどうかの瀬戸際にあります。大企業の仕事のためにたくさんの小さな会社や個人が関わっています。経済の歯車は大きい部分が生き残ればいいのではなく、末端に至る一人一人まで生活が保障されないといけない。みんなが失業せずに、生き残っていてくれないと、芸術文化の担い手もいなくなってしまいます。コロナの影響がなくても、近年、音楽会を聴きに行く余裕がない若い人や家庭が増えているのです。
時の政権の軸にいる人たちが自分の身内や関係者に優遇して税金を使っていないか、命や教育を大切にしているか、大事が起こった時に適切な対応ができるかどうか、どちらの方向に向かおうとしているのか、個人が賢く見ていないと、大変なことになるかもしれません。

未来の人たちに今まで存続してきたものを残すために。

Happy Children's Day👦👧👶✨
posted by makkida at 15:11| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2020年05月03日

瞑想 

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憲法記念日。憲法と関係ない生活は一日もないでしょう。
「諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」
「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
(日本国憲法 前文より)
まだ地球上で実現できていないことを、全人類が努力し続けよう、という謙虚な態度、心からの願いだと思います。

いつまで続くかわからない どうしていいか もうわからない この先 やっていけるかどうか・・・思いつめて自ら命を断つ人がいます。
病の中にある人がいる。
医療現場で寝る間もないほど忙しく疲れ果てている人がいる。
生活の保障がある人もいる。
仕事はないけど、やりたいことができるから、普段と変わらなくいられる人もいる。
ストレスを溜めている人もいる。
鬱になっている人もいる。
住む家がない人がいる。
誰の声を聞くこともできず、顔を見ることもできず、窓のない場所にただ一人でいる人がいる。
清潔にする水がない人がいる。
貯金も底をつき、食べるものがない人がいる。
もうダメだ・・・と寝床につく人がいる。

この世界はどうなっているのだろう。
ただ生きて今日ここにいるだけでも有難い。

ただ、自分の呼吸を感じる。
息を吸って、息を吐いて。それだけ。他のことは放っておく。
歩くときも、右足、左足・・・すれ違う人のことは気に留めない。悪い方向へ考えが行きそうになるのを、そのままに放っておく。
ぼーっと遠くの木や空を眺め、心を波立たせないように。
今は静かに。
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2020年05月02日

夏の始まり カレンダ マイア

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5月1日はMay Day、労働者の日です。ヨーロッパでは五月祭が行われます。
古くは、暑い季節の初めの日でもありました。
まさに、昨日は初夏の陽気で、関東地方では26度まで上がりました。コロナが流行っていなければ、山にも川にも海にも出かけたい!

自然信仰をしていたケルトでは、一年が太陽の動きによる夏至、冬至、春分、秋分に分けられ、それぞれの間に月の動きによって分けられていたようです。夏至と冬至があるように、「暖かい(暑い)季節」と「寒い季節」、「明るい半年」と「暗い半年」、成長と衰退などの考え方で一年また一年と巡っていったのでしょう。
季節の変わり目に祝いごとがあり、夏が始まる5月1日には、農作物が成長し豊かに実ること、そして、家畜が元気に繁殖することを祈る「豊穣」の祭りをしました。
古代ローマの豊穣の女神マイアを祭り、捧げ物をする儀式でした。女神マイアの月の初めの日がこの日。
その祭が各地で様々な形になって残って今に至っています。
街の広場にメイポールを立てて、その周りで踊る、メイポールの踊り。バルトークの作品にもありますね。
厳しい寒さの冬が終わって、春がやってくる。北国では突然、空気が緩み、光が溢れ、大地がたくさんの色彩に覆われるのです。5月は特別な時期。

中世の時代、12世紀後半にイタリアの宮廷で活躍したトルバドゥール、吟遊詩人であり十字軍に参加した騎士でもあったラインバウト・デ・ヴァケイラスRaimbaut de Vaqueirasが残した、この日のための、プロヴァンス語の歌Kalenda Maya。エスタンピーのダンスのリズムに乗せた歌です。
〈羊とヤギ〉で演奏していますが、覚えていらっしゃいますか?
来年は5月の連休辺りにマイアの祭のコンサートができたら、と願っています!

近所で虹色の服や靴を身につけている人を見かけました。
今週はセクシュアルマイノリティの存在を広く人々に知ってもらい、多様性を祝うレインボープライド週間🌈✨
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posted by makkida at 10:30| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2020年04月30日

バロックとの出会い 思い返せば・・・

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久しぶりに聴いたら、やっぱり、いいなあ!こんな時期だから、心が軽くなります。

ハンガリーに留学していた頃にヴァイオリン科の学生に勧められたのが、G.カルミニョーラ氏のヴァイオリンでした。Vivaldiのコンチェルト。
すぐにCDショップに行って探すと、意外にも(東京のように何でも手に入るわけではないから)見つかりました。
"Antonio Vivaldi Late Violin Concertos"
Giuliano Carmignola, Baroque Violin
Venice Baroque Orchestra
Andrea Marcon, Harpsichord
家に帰ってCDラジカセで聴いて、本当にビックリ!こんな軽やかでキラキラしていて、爽やかで明るいヴァイオリン!曇り空を突き抜けるような高音、小鳥が歌っているような、この抜け感!なんてリラックスした、美しい音。生命ある音楽のための自由自在な技術、テンポ感。透明なアンサンブルの響き。和声の移り変わりが泣きそうになるほど・・・。
ヴェネチアの運河の波の動きが、ざわめきが聞こえてくるスイング感、リズム感。
こんなに自由な音楽があるんだ!
目から鱗が落ちるとはこういうことかと。
ブダペストのちょっと重い空気と、期待していた出会いに恵まれず、鬱屈していた私には、扉が開いて明るい光が差してきたようでした。そして、ただただ明るいラテンの国への憧れ、自由な音楽の交流、アンサンブルへの想いが募るばかりでした。

その年の夏にイタリアのシエナで参加した講習会のヴァイオリンクラスの講師は彼でした。
レッスンも聴きに行ったけれど内容はあまり覚えていない・・・。
でも、演奏会は覚えています。光景が蘇ってきました。ドキドキ期待に胸を膨らませて演奏を始まるのを待ち、感激でした。
日本に戻り、リサイタルを東京で開催するためにお願いしたマネージメント会社が、まさか、カルミニョーラを招聘しているなんて!
センスのいいバロックの演奏家を紹介してくれる会社だから、当然でしょうけど(笑)!

彼のヴィヴァルディは衝撃でしたが、すぐに自分がバロックをやってみようという気にはならず(すごく憧れはあったけれど、手がかりが掴めず)、初めて聴いてからやっと10年経ってガット弦とバロック弓を使うようになったという、腰の重さ・・・。
最近はレイチェル・ポッジャーのバッハばかり聴いていたけれど(バロックの演奏では、何故か聴くのはチェロではなくヴァイオリンが多い)、久しぶりに聴いたら、音と一緒に色々なことを懐かしく思い出してきました。
posted by makkida at 22:29| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2020年04月28日

バルトークは天才だ!

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自作自演の古い録音が残っているのは興味深いのを超えて、演奏家としては、もう、たいへん有難い資料、宝です。言葉で説明し尽くせない、目に見えない力が伝わります。
Bartók Béla、ピアノの名手でもあった彼の演奏。
誰から借りたのか、いつダビングしたかも覚えていない、カセットテープを持っています。
その場で生まれている音楽の、なんとみずみずしいこと!
彼本人と接点のあったハンガリーの他の一流ピアニストの演奏を聴くと、それぞれ歌があり優れた技術があって、それは素晴らしい洗練された演奏です。が、どんなに完成形の演奏でも、バルトーク自身の内側から沸き起こる生命力を聴いた後では、音はあんなに素早く(または、ゆったりと)動いているのに、音楽の流れが止まっているかのよう。
この先何が起こるか知っていて、終わりまで知っている、そのような出来上がった作品を、音を出す瞬間に力強く意志を持ったエネルギーを伴って生まれる、そのエネルギーが音楽を突き動かし彼の身体と一体となっている(それでいて頭脳は冷静である!)・・・こんな自作演奏ができる音楽家、バルトークは天才!

「民謡というものは、現実には、だれかがそれを歌ったり演奏している瞬間にだけ存在しているものであり、歌い手の意思と歌唱法によってのみ生命を持ちうるものなのである。」 (コンスタンティン・ブルイロユー『民俗音楽の方法に関する草案』より)

民俗音楽研究家としてのバルトークは、民族音楽の収集の仕事は、広範囲に渡る多くの学問的な知識の豊かさが必要だと言っています。言語学、音声学、舞踏、生活、社会学、歴史学・・・。録音機を抱えてあちらこちらの地域に出かけて、その土地の歌える年配者や若い人(歌い手によっては、流行に影響された歌い方をする場合もある)を探し、信頼関係を築く。録音だけでなく、撮影も。
民俗音楽研究者の仕事がどんなに多いかを書き残しています。

芸術、文化の存続のために、どれだけの労力や時間、誠実さ、そして資金が必要か。
人が今ここに存在するのは、人類の歴史の上の一瞬なのであり、一人一人の日常の集まりであり、天の川のように多くの人によって形作られ、永遠に流れていくのでしょう。芸術や文化は生活の一部で、生きる糧です。どうして人は生きるのか、という問いに直結するものです。
人はそれぞれ小宇宙です。
『ミクロコスモス』は、彼の息子がピアノを教えて欲しいとせがんだときに、音楽教育の材料としてバルトークが書いたものです。様々な語法(演奏技術)で、単旋律のシンプルなものから、多声のもの、ブルガリアのリズムを使った(楽譜にすると複雑な拍を持つ)もの、多様な性格の一つ一つの作品が生き生きとした命を持つ小宇宙です。

「全世界で戦争のための準備にあてられている資金のうち、その一年間分だけでも、もし民俗音楽の研究にふりあてるならば、その資金によって、全世界の民俗音楽の大部分が収集しつくされるにちがいない」1936年に発表された文章から(『バルトーク音楽論集』)。

第二次大戦中のハンガリーでは、バルトークだけでなくコダーイ、ドホナーニなどの音楽家が独裁政権に抗議し抵抗の意思表示をしました。その後のソ連の強い影響下での恐怖や苦労を、まだ覚えている人たちもたくさんいます。民主的な国家になって自由が得られた反面、格差社会問題あり、人々の不安を煽るような強権な政治への揺り戻し。
世界あちこちで同じようなことが起こっています。これからもきっと繰り返されるでしょう。非常時、政権に強い権力を持たせることの危険さを知り、民主的な国家では権力を国民が見張っていないといけない。いつでも言い続けなければならない・・・。
posted by makkida at 23:55| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする
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