2022年09月07日

空、空想

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大きな台風の影響で風が強かった一日。
今年の夏は湿度が高かったので、家の中や、押し入れや棚に仕舞い込んだものがカビています。太陽の力と強風のおかげで、外は久しぶりに60パーセントまで乾燥(ここは周りが木に囲まれた場所。街ではないので)。あちこちから引っ張り出して、干したり、洗ったり。
頭の中では、次の本番のプログラムや計画すらない将来のプログラムのことを考えたり。
バロックとモダンを使ったソロリサイタルは、会場を探していないので今後の計画はないですが、ウクライナの作曲家シルヴェストロフを取り上げたい。
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立派なコンサートホールより、ヨーロッパの古い石造りの教会で毎月弾けたら、どんなに素晴らしいだろう!
バロックとモダンの楽器を使ったプログラム。バロックのアンサンブル。
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フォルテピアノとのベートーヴェンの室内楽。ガット弦のアンサンブルとバロックからハイドン、ベートーヴェンまでのコンチェルト。
歴史的ピアノとブラームス、そしてショパンのソナタ・・・。
空想ばかり。
空の空。
シューマンも弾きたいなあ。いつでもフォルテピアノとアンサンブルできる環境に身を置きたい。
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2022年03月31日

バルトークによるウクライナの民謡収集

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20世紀の初め、ハンガリーの民俗音楽を収集し科学的に研究したコダーイ・ゾルターンとバルトーク・ベーラは、1905年にグルーバー・エンマ夫人(のちのコダーイ夫人)のサロンで知り合います。彼らはハンガリー各地に民謡収集旅行に出かけ、農民が歌う村の古い歌を採譜、録音しました。
バルトークが収集した民謡には、ハンガリーだけでなく、スロヴァキア、ルーマニア、ウクライナ(ルテニア)のものがあります。当時のオーストリア=ハンガリー帝国のハンガリー王国の領土は現在よりも広かったので、国内のスロヴァキア系、ルーマニア系、ウクライナ系の人々の住む地域で調査し、それらの言語で歌われている民謡を集めたというわけです。
バルトークが訪れた北東ハンガリー(当時)のウゴチャ県、べレグ県、マーラマロシュ県は、カルパティア・ルテニアと呼ばれた現ウクライナのザカルパッチャ州(ウクライナ名:ザカルパーツィカ・オーブラスチ)の一部。カルパティア山脈の南西部、トランスカルパティア低地と呼ばれる地域です。1911年に彼は初めてウゴチャ県の首都ナジセーレーシュ(ウクライナ名:ヴィノフラージウ)に収集旅行しました。
彼の『2つのヴァイオリンのための44のデュオ』はハンガリー、スロヴァキア、ルーマニア、ブルガリア、ルテニア、アラブの音楽(民謡)を使った曲集です。一曲は1分から数分までの短いものばかりだが、濃いエッセンスが詰まった、魅力的で楽しい音楽です。その中の第10、16、23、24曲がルテニアの民謡です。第35曲は「ルテニアのコロメイカ」という舞曲のスタイルですが、これはバルトークのオリジナル作品。コロメイカは二拍子の速い踊りで、今でも祭りや結婚パーティで踊られています。
第10曲はマーラマロシュ県ドルハ(現ウクライナのDovhe)、
第16曲は同じくマーラマロシュ県のサールドボシュ(現ウクライナのSteblivka)、
第23曲と24曲はウゴチャ県ヴェレシュマルト(現ルーマニア・トランシルヴァニアのシビウ県ロシアRoşia)、
4曲とも1911年に収集されたもの。

ヨーロッパ(に限りませんが)では権力者が少しでも領土を広げようと、戦争ばかりしてきました。大陸にある国は、国境が時代によって変わります。国境近くの地域はその時々で使う言語を強制的に変えられたところもあります。
土地に住み続けていた人々は、風土にあった生活をし、それぞれの言葉を話し、彼らの言語による歌を歌い、楽器を作って演奏し、それに合わせてダンスを踊ってきました。国境線は後から引いたものです。人が動き、交流し、民族が混ざり、互いに影響し合うことで新たな文化も生まれます。世界中を移動できる現代に、様々な言葉を話す様々な出身の人々がお互いの命と仕事を尊重して、創造的な人間として生きる可能性があるはず。地球が存続するための希望になるのでは?世界中の音楽を楽しむことができるのと同じように、一つの国の中に様々な民族がいることは宝なのだから。
長い年月をかけて伝え続け、コツコツと作り上げてきた生活、文化、芸術、風習、建造物。
戦争は誰かの大切な命や物を破壊します。魂を破壊します。
人権や環境問題を語っていても、核や爆弾による破壊で全てが無になります。
NO WAR. NO MORE WAR.
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2021年11月06日

毎朝、新しく

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最近よく虹がかかる黒姫。今日のは気づかないくらい微かだけれど、右端に。
強風が続き、木の葉がだいぶ落ち、冬も間近。落ち着いて野尻にいられたらいいのに・・・天から見ると、人間はあっちこっち慌ただしく乗り物で動いて、疲れて、おかしいね。でも、誰かが動かないと回っていかない。ちょっと頑張って動くことで、人がやらないことをやってみることで、新しい発見や気づきや、体の奥底から生まれる幸せな気持ちが生まれる。
動きながら考える。落ち着いて考える。歩きながら考える。
どれも無駄ではない。
落ち着かなければ音は聴こえてこない。練習のためには、呼吸が浅くなっていてはダメ。
動いたり、落ち着いたり、のバランス。

朝起きて外に出て毎日違う空気を吸って、今日も新しく一日が始まる。身体の中から小さな喜びがわき起こる。身体の状態も毎朝違う。呼吸や身体を整えたり。楽器にはすぐに向かえないが、身体を準備しながらイメージする。チェロを弾き始めてから今まで、何も考えずに弾ける時期なんてなかったから、こういうことは当たり前。
久しぶりに野尻に帰って来た友人と話したり、初めて会った人と話したり、自然の中ではそのままでいられる。話題は荒れた森のことになる。
痛んだ木を鋸で倒した。チェーンソー持っていれば便利だろうけど、講習受けないといけないし、自分で大したことはできない。
石油の値段が高いし、地球のこと考えると燃料として灯油を使い続けるのは悩ましい。薪ストーブなら燃料はそこいらにあるけれど。
地球の資源は全ての人間(使わせてもらっている)、全ての生き物のものであり、特定の誰かや国の既得権益や政治や経済の都合で決められては困るのだが!KIMG2795.JPG
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2021年10月26日

よしあし、答えのない

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コケの小宇宙。生き物それぞれの大きさの世界があり、全体で大きな宇宙になる。

体や心が元気で自由に動き回れるときにはポジティブになれるし、日常の様々な仕事もいろいろな出来事にも自分の可能な限りなんでもできる気になる。
自分が自由に動けなくなって、やっと、世の中の仕組みが動ける人前提で成り立っていることに気づく。日頃、頭で理解しているつもりが、やはり身体が経験することで行動しづらいことが現実味を帯びる。
人の仕事ぶりを自分の視点から見て(それが多くの人にとって優しくなるよう気を遣った、いい社会のためだと客観的に考えたとしても)、センスの良し悪しを口にすることは良くないことだなあ、と思う。
「センスいい」という言い方。ついしてしまうが、気になる。センス、と気軽に使うけれど、何のことだろう。他の言葉で置き換えられるなら、別の言い方をしたほうがいい。これも「センス」か。とすると、センスは知性、脳を使うことが必要。別の視点から見ることも必要。
いつも見ている「山」を別の角度から見ることはなかなかない。違う方向から見ると別の山みたいで驚く。それほど、あるものについて私は知らない。理解していない。
趣味や感覚。「いい趣味」は王や権力者の「趣味」だった時代。フランス革命以降、人類が手にした「自由」「平等」は、人それぞれが能力や身分や人種と関係なく活動できる、ということだろう。
その人の生き方がその人の仕事なり作品として表に出るのだから、うまくできなくてもしょうがない。そもそも、プロだから「センス良く」全てお任せできるのではなく、趣味や感覚はそれぞれが違うはず。

いや、多くの場合、理想はあったとしても、身体が追いつかないことだらけだ。
自分にアイデアがあり、こうしたい、こうできるはず、と考えるから、人に頼まず「私がやる」と引き受ける。自分が関わること全てそうなる。結果、出来上がるのがギリギリになって周りの人が心配する。間に合うから仕事にはなっているが、いつも「大変そう」。忙しそうで大変ね、と言われるのは、いろんな意味があるのだろうね。「辛そう」「大変そう」に思われずに、「感じ良く」(これもまた何だ?)仕事ができれば、周りの人に嫌な気持ちを与えないのに・・・。
人にわかってもらえないから辛いのかな?
天は全てを見ている。

気づかない人は多いけれど、言わなくても気づく人もいる。何に気づくかも人それぞれだ。
気づいてもらうのを待っているのではなく、助けを求めたいときには口に出して伝えないといけない。
でも、あまり日々の生活が大変だと、助けを求める暇もない、お金もない。どうにもならない悪循環で毎日が回る。
どんなやり方がいいか答えはない。小石を拾うように、気づいた人が気づいたときに小さな助けをできたらいい。

しばらく私の自主企画によるコンサートはできない状況になりました。コンサートを開催するには、練習や勉強時間を確保する以外に、演奏家が動かなければならない仕事がたくさんあります。以前から可能な事務仕事や広告宣伝は自分で行ってきましたが、コロナ禍始まって以降、経費削減のために自分で負担する作業が増えました。事務仕事全般お客様対応などのマネジメント的な仕事は気を遣います。マネジメント業務をしてくださる方や場所提供をしてくださる方との共同作業でないと、主催公演は難しい状況です(普段からそうですが)。家族の身体の具合を見ながら、どのように長野と東京を往復して生活するか模索しながら活動を続けます。このタイミングで、あちこちから少しずつ仕事のお話をいただけるのが、本当に有り難いです。
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2021年10月07日

不思議

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97歳まで一人暮らしをしていた祖母。心臓が弱くなり入院、息を引き取り納骨まで2週間。あっという間に9月が過ぎ去ってしまった。
この間、不思議な力に動かされているようだった。
私がちょうど東京にいる間に祖母の具合が悪くなり、救急車で運ばれるのを付き合うことができた。翌日には回復の見込みがないことを知らされ、苦しさを取り除くための処置が施されて、家族の見舞いが許された。その日のうちに、外出がしづらくなっている母を車で連れて行き、頭がはっきりしている祖母といつものような会話ができた。目を開き、会話ができたのはこの日だけだったらしい。でも、近い家族はみんな、病院にいる祖母を見舞うことができた。
週末に松本で予定されていた私の地域の小さなコンサートも、波田教会での義母のリードオルガンの練習も無事終え、東京に帰った数時間後に祖母は息を引き取った。
大事な家族みんなを待っていてくれた。

見送りは家族のみ、自宅で行った。
祖母はクリスチャンではなかったが、遺言ノートに残された指示では、讃美歌「いつくしみ深き」「はるかにあおぎ見る」を私にチェロで弾いてほしい、というのが希望だった。祖母が10代前半に経験したクリスチャンの家族の葬儀で、初めて歌った讃美歌が「いつくしみ深き」だった。一回きり歌った古い歌詞を晩年も鮮明に覚えていた。もう一曲はどうやって思い出したのか、もう聞くこともできない。
仏壇と線香のある形だけ仏式のお別れの中で、家族みんなで讃美歌を歌った。
キリスト教には縁がないと思っていた叔母たちが、高校生以来だと懐かしがった。聞くと、ミッション系の学校で聖歌隊に入っていたという。私の両親も、幼い頃に教会学校に通っていた記憶がよみがえった(私は初めて知る事実)。最近、私の母は具合が良くなく、椅子から立ち上がるにも助けがいるのだが、歌った後に一人ですっと立ち上がったのには驚いた。歌うことは身体にいい。
讃美歌が隠されていた昔の思い出を呼び起こす不思議。

納骨の日は台風一過の晴天。これも不思議。

晩年の祖母は膝の痛みがひどく一人で外に出られない日々だったが、家の中はいつでも綺麗に整頓され、デイサービスにも出かけず、週1回の訪問医とヘルパーの助けで、彼女らしい生き方を全うした。自分の葬儀の仕方やお墓のこと、死後の事務処理までも詳細を子ども達に言い残していた。社会的には地位もないただの主婦だった祖母が、最期まで愛情を持って大切にした丁寧な生活。
第2次大戦末期、鹿児島空襲で焼け出され、戦後の貧困を経験し、戦争はこりごりだと言い続けていた祖母の願う平和を、この地味なお別れで深く感じた。

一息ついて戻った野尻は、すっかり秋の空気、黒姫も妙高も色が変わりつつある。
これから母の病と付き合う道はどんなだろうか・・・これも一人の人生。KIMG2716.JPG
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2021年09月06日

10月2日おはなしコンサート延期のお知らせ

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10月2日に開催予定の「おはなしコンサート”イタリア!イタリア!その2」について。
8月から続く長野県内での感染拡大の中、開催できるかどうかずっと考え迷ってきましたが、よく検討した結果、残念ですが今回の公演は3月以降に延期することにいたしました。

広い空間を持たない練習室で今の状況で開催するにあたって、
ホール側から指示されている感染対策に余裕を持って対処するために十分な数のスタッフを集められないこと。
何かあった時にお客様にご迷惑をおかけし、スタッフにも多大な負担を与えることなる、
という観点から判断しました。
現時点で無理に決行せず、関わってくださる皆さんがゆったりした気持ちで楽しんでいただけるように、状況が落ち着くまで静かに待ちたいと思います。

すぐにお申し込みのご連絡をくださったお客様、どうもありがとうございました。本当に心強く、励まされました。

延期公演が決まりましたら、またご案内いたします。
今後も皆様の貴重なご意見ご感想を伺うのを楽しみに、企画をしていきたいと思います。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

富田牧子
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2021年08月12日

日常の中で気づくこと、言葉

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梅雨の時期が戻ってきたように雨の日が続く。
演奏活動が自由にできないので、サボっているような焦りを感じる。
自分を励ますために、毎日やった細々とした仕事を日記に書き出す。家事でもなんでも。
それから・・・
毎日少しずつ英文資料を訳しながら読む。
early music sources .comの動画を少しずつ見る。これを主宰して動画の中で話をしている音楽家/学者(ルネサンス、バロック音楽専門)Elam Rotem氏は明晰で、とても感じがいいので、見ていて楽しい気分になる。そしてとても丁寧に作られているので、ストレスがない。彼のチェンバロ伴奏が、これまた素晴らしい!Luzzasco Luzzaschiの声楽曲Aura soaveを女性歌手と演奏している動画が出ているので、ぜひご覧あれ。言葉と音楽を理解した上で、心を込めて歌手に寄り添い、同じ音楽を感じ、共鳴し、一緒に歌っている。自然体で、音楽をする喜び、愛が伝わってくる。理想的なアンサンブル!

最近読み始めた本、L-P.サルトルの「ユダヤ人」。いつか読もうと本棚に入れてあったもの。
理論と文章の構築と言葉の選び方によって、頭の中にある疑問や感じていること、断片的な言葉が繋がり出す。この中のフランスを日本に置き換えるとさらに納得する。ユダヤ人だけでなく、他の人種や性的マイノリティに対する差別。自分の中にある差別に気づかされる。
「反ユダヤ主義は、自己の自由な、そして総括的な選択の結果であり、単に、ユダヤ人に対してだけでなく、人類全体に対して、歴史と社会に対して、その人のとる一つの綜合的な態度である。」L-P.サルトル「ユダヤ人」(安堂信也訳・岩波新書)より
自由に自ら選んでいる・・・!
哲学者が一般に使われる言葉を使って展開してくれると、頭に入ってくる。
メディアやSNSで次々に発信されるニュースや社会問題によって、心がざわめき、頭の中が不満と文句だらけになり、鬱々するので、こういう時に哲学者の文章に触れて頭(気持ち)を落ち着かせる必要がある。
「思慮のある人は、苦しみながら探求する。自分の推論が、多分正しいというだけで、いつ、他の考え方が、それに疑惑をもたらすかも知れないということをよく承知している。自分がどこへ辿りつけるかは、決してはっきりと知ることがない。彼は「開いた」考え方を持っているのである。よそ目には、ためらってばかりいる人に見えるかも知れないのである。」L-P.サルトル「ユダヤ人」(安堂信也訳・岩波新書)より
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2021年08月05日

「束」に対する個人

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8月は特に、過去の戦争を思い出す月です。今こうしている間にも、地球上に紛争状態にある国はあり、思い、考える機会はいつでもあります。この猛暑に追体験するのは、肌身で感覚を得やすいのではないかと思います。
コロナ禍が「戦争状態だ」と言う人もいます。または、戦時中の状況と似ている、そんな「気分」で当時よく使われた言葉を使うことを恐れます。根本的に違うのに、一部似ているからと、その言葉として発した時に、自らや周りの人をその状態にしてしまう怖さ。今持っている自らの自由を手放してしまうことに繋がるのでは・・・。
私は家ですぐ手にできるところに「日本国憲法」の小さな本を置いています。
序文、2章、3章に目を通すと、全て(世界中)の人が個人として尊重される存在だ、という重い意味にハッと目が覚めます。第二次大戦中に大事にされなかったことが書かれている。個人の権利は自分勝手ではないことは、憲法をよく読めば解ります。むしろ、個人と公共、社会、国の関係は他人任せではなく考え続けることなのだろうと思います。
国家が戦争をする時、国民を「束」として扱います。
オリンピックは国と国の戦いに簡単に置き換えられやすいように感じます。中継の時に使う言葉に違和感を抱くのです。アスリート個人の背景や努力や楽しみや喜び、彼らの人生を尊重せず、勝ち負けが国の評価になってしまう。
言葉は一人歩きするわけでなく、発した人の中から出てくるもので、その人(組織)の考え方でもあります。理想を持つことや、理念の共有は大事なのでしょう。

以前も書いたかもしれませんが、私は小学生のある夏に「はだしのゲン」の実写版映画を観て、ものすごくショックを受け、爆弾が落ちるとこんな悲惨な状態になってしまうのかと想像して恐ろしくてたまらず、一夏ご飯が喉を通りませんでした。
武器を使った戦争は最大の暴力で、地球破壊だ・・・。
戦争中(前から)にユダヤ人が、朝鮮半島や中国その他東南アジアの人々が受けた現実は、戦争でない状況でも根っこが残っています。差別は戦争の種です。
自分は権力側の人間だから安全、という発想は簡単に陥りやすい。恐ろしいことです。自らが個人として偏見や差別に加担せずに行動する、ということを実行するのは本当に厳しく難しいけれど、「束」になって安心しない、「不断の努力」なのでしょう。
posted by makkida at 12:43| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

足搔く

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音楽に関わっていない時間が多くて恐ろしくなってくる・・・。
頭の中ではずっと音楽のことを考えているから、余計に。

窓掃除をしながら思う。集合住宅は何かと便利。窓掃除も。ここでは、まず脚立を地面に安定させてから、脚立に昇って、バケツの水を抱えて掃除。
都会では2、3日留守にしても大したことないけど、ここでは、虫の多い季節は掃除機を頻繁に動かさないといけない。
湿度が高い土地なので家がカビやすく、いつでも扇風機回して風通し、除湿機運転させ、晴れている日には色々なものを日に干して、外の草刈りも定期的に。なんてことを毎日やっていると、それだけで1日が過ぎる。
練習が後回しになって・・・ああ、何やっているんだ!
音楽の仕事がしたい!一番身体が動く、演奏できるエネルギーのある時期に、弾く仕事がないまま何年も過ぎてゆくなんて・・・。
自分で企画制作する本番を続けていても収益が上がらないのは、コロナ禍に始まったことではない。なんとかしなくちゃ、と思い続けて10年。半径10メートルだか100メートルだか、狭い関係で活動するのは、音楽的内容は良くても、自転車操業で埒が明かない。銀行口座の残高を見て落ち込む・・・。

高温多湿の夏。湿度が高い場所がダメな私。早く秋になってほしい!
この夏中に家を修繕して、多湿の夏でも留守にできるように(またはここを人に貸せるように)して、乾燥した場所で仕事ができるようになりたい!

楽器を弾き、楽譜を広げると、勉強したいことがザクザク出てくる・・・。
パンデミック明けに行動範囲を広げられるように、準備の時!と言い聞かせている・・・。
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2021年03月30日

わたしがいる

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J.S.バッハのカンタータにおける言葉と音楽の結びつき。毎日、聖書を読む。その人の信仰がそうさせる。毎週一曲カンタータを作曲することは大変な仕事。歌詞の選択、音や和声付け、その音楽の内容の豊かさ、知的にも信仰的にも満足させる・・・そのような作品を続けて生むことができるなんて!
言葉と音楽の繋がりは、作曲家の思考であり、それは深い信仰から来るもの。霊感を受けること、感じること、常に勉強を続けることから生まれる。
その仕事はその人そのもの。それが真の芸術家。
そのような深い信仰から生まれる仕事に対しては、間違いや足りないものはない。
「わたしがいる」ことは、その人の意思表示。
水野源三さんの詩を読んで胸打たれる。選び抜かれた言葉は、その人そのもの。
限られた「言葉」「音」を選び取ることが技術だと思う。
この人は芸術家だ。
イエスを十字架にかけた群衆の中に自分がいる・・・
体を動かせない、声を出して話すこともできない人が、表す意思。わたしがいる、ということそのものが。
受難週に。
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2021年01月30日

音楽と自分が向き合う

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音楽(作品)と直接向き合うことは、自分の精神を自由にする。
先生のレッスンを受けるとは、ほかの人の思考回路で体験してみるということ。考えることを飛び越えて「答え」を得ることではない。
人は全てを一人で研究し、学び、体験することはできないから、過去の人や周りの人、先生から学ぶことは必要だ。人から学ぶことで視野を狭めるのではなく、世界が広がり、解放できたら!
私が演奏する、とは、自分で考えること。向き合っている音楽から、伝統と様式、音楽語法の知識をインプットするだけに留まらず、弓の動かし方や音程の取り方など、演奏につなげていく。今まで身体で覚えてきたことの応用。
その根本にあるのは、音楽から何を「感じる」か。
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2021年01月18日

あらためて、伝えるということ

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同じ土地(地域)で生まれ育った(あるいは長年住んだ)人たちの間では、きっと言わなくても意思疎通できる部分があるのだろうと思います。少ない反応で、例えば、言葉を発しなくても、笑顔はなくても、近寄ってくるならば、受け入れていることを意味している、とか。
演奏している時の反応だけでなく、普段の付き合いから、たびたび感じるのです。
反応の仕方、というのは人それぞれで、おとなしく控えめな人もいるし、感情を豊かに表す人もいるし、言葉を上手に組み立てて論理的に表す人もいる。それはそれで、反応なわけです。
何を考えているか、好きなのか好きじゃないのか、分からない。これは、もう、私が、火星を通り越して太陽系の端の何処かの惑星の宇宙人だからなのかもしれない・・・(笑)

新しい土地でゼロから始める、ということでもない。自分がどこにいても、歩みの延長だから、ゼロにはならない。
内容を理解してもらうには、肩書きではなく、口コミ、人との繋がりが大切です。続けていくことで、演奏者も聴き手も理解を深め、広がり、少しずつ関わる人が増えていく。
今まで企画し活動してきたこと−−−ガット弦を張って、バロックを始め、手探り状態で勉強しながら作ってきたコンサートを、お客様の多くは一緒に体験してきてくださった。留学先でバロックを始めて勉強してきたならともかく、モダンでずっと活動して、途中で急に日本の音楽界には「いない人」になり、自分にとっては道のない道を歩んできたつもりです。古い文献や楽譜から学び演奏に結びつける研究は、ヨーロッパだけでなく世界中で活発に日々更新されています。日本の隅っこで一人でやっていても、遅々として進まず。とにかく、手に入るものから学び、自分の感覚を鋭くして、いろいろな人の演奏や発言を参考にしつつ、それは一体どういうことなのか考えながら、身体で納得したことだけを演奏しています。より深い理解−−過去の音楽家の精神に出会い、魂が頷く音を出したい、そういう音楽を求めています。

辿れば辿るほど「分からない」ことがずるずると出てきます。
ソルミゼーションとは何か、誰の説明を聞いても、「こういうものだ」という説明しかないので、なかなか理解できない(これは実際に歌って使わないと意味がないですからね。)音階とは何か?音階は7音から成っているのは、一週間が7日からできているのと同じくらい、しっくりくるようで、不思議でもあります。8つ目に同じ音(曜日)が回ってくる・・・。
人間が作った決まりだけれど、宇宙の動きとピッタリ合っている・・・。

決まりごとは言語の文法のようなもので、各時代の音楽語法だと思います。遠く離れた時と場所を理解するのは並大抵のことではありません。演奏習慣は机上の勉強ではなく、身体で覚えるものです。音には性格や特徴、役割があり、公式のようなものを勉強しながら、それぞれの音楽を実践として、生きた音楽として演奏するのはスリリングです!ちょっとバランス崩しても始まったら終わりまで止まることができない。
演奏活動は一生終わりのない勉強です。

楽器や演奏法を自分の音楽の方向性の中で結びつけて話すこと。少しずつわかってきたことをお客様に説明しながら、演奏を聴いてもらう必要性を感じます。具体的な話を人に伝えることで、自分の演奏も明確になってくるだろうと思います。アイデアも技術も。
「おはなしコンサート」の再開のために、まだ続きそうなパンデミックを堪え忍びつつ、勉強と準備をするつもりです。
独奏楽器としてのチェロの作品と演奏の変遷として、イタリアのバロックを取り上げる「イタリア!イタリア!」シリーズ。バロック以降、ベートーヴェンに繋がる18世紀後半のチェリストたち。ゆくゆくは、ベートーヴェンからシューベルト、シューマン、ブラームスなどのドイツロマン派、ヒストリカルピアノとの共演も夢見つつ、19世紀後半ロマン派のピアノとのデュオまで、やりたいことは山積み!鍵盤奏者が羨ましい、だって、一人でこの範囲の音楽を演奏できてしまうのだもの・・・。
息の合うデュオを一緒に実現できそうだったピアニストは、残念ながらドイツへ移住・・・多くの変化が起こりますが、辛抱です。
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2020年12月18日

見えない決まりごと

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今朝の黒姫。
雪が降り続き、やっと晴れました。膝下まで雪が積もっています。雪に覆われると別世界になり、静けさがやってきます。
生活するには危険なこともあります。道路が凍るとか、積雪で動けないとか、雪降ろしとか、煙突が雪でふさがれるとか、屋根の雪が落ちてくるとか・・・。
楽器を担いで出かけられるのだろうか・・・。

ずーっと頭に流れている旋律、
よそ者としてやってきて よそ者として去ってゆく

東京の感染者数がぐんぐん上がってきて、気のせいか、ここのところ、車につけている東京のナンバープレートをジロジロ見られることが多くなったようです。
東京に行くとウィルスがうようよして、行けば必ず感染して帰ってくるんでしょうか。どのように行動しているか、ナンバープレート見ただけで判断できるんでしょうか。家族の看病、仕事、どうしても感染拡大地域に行かなければならない人はいます。
長野の繁華街や街にも行かず、車で東京を仕事で往復し、どこへ移動するときも車ですが、見ただけでは判断できないですからね。
リスクが高い場所のナンバープレートがいるだけで村八分状態・・・。遠方で学校に行っている子どもや住んでいる親戚に、故郷に帰ってくるな、と言う。言わねば自分たちの居場所がなくなる。
何処のナンバープレートか、地名によるイメージを多くの人は共通して持っています。同郷人だと「安心」したり、レッテルを貼ったり、話のネタにもなるわけです。
福島の原発事故の後、福島から避難している人々もこの冷たい視線、差別や嫌がらせにあいました。
今回のパンデミックは、地球に住む人間が困難を共有しているのではないのでしょうか?

人は何処かで住む場所を見つけて生きていかなければならない。
ずっと長いあいだ忘れていたことを思い出します。
ヨーロッパのある街で、パン屋で順番を待っていたら、私の番になったときに店員がアジア人の私を飛ばして次の人の注文を聞きました。次の番だった女性が「次はこの女性よ」と私を見て店員に促してくれました。こういう経験は多くの人があるでしょう。

住民票を移しても、その土地で長いこと暮らしている人とは違う待遇になってしまう。コミュニティが作れなければ、もちろんそういうことはあります。
最低限の生活するのに必要なことを求めるのは、「わがまま」ではないでしょう。

クリスマスを迎えようとしているときに、世界中で居場所をなくしている人たち、難民、一人ぼっちで家にいる高齢者や持病のある人などに思いを馳せます。


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2020年12月05日

冬の訪れ

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野尻に帰ってくると、空気が澄んでいて呼吸が自然にできるのを感じます。雪が少し積もった夜。冬が近づいて、冷たい空気が頭をスッキリさせます。
今度のギターとのコンサートでシューベルトを弾くこともあって、「冬の旅」の一曲目がずっと頭で鳴っています。
若者の孤独がひしひしと伝わる歌詞。恋人との別れや人間の死を考えることはあっても、自らの人生をやめようとはしていない。ただひたすら孤独を抱えて生きてゆく旅。
アルペッジョーネ ソナタを弾いたり楽譜を読んだりするときに、音楽に引き込まれると、今現在の「自分」から離れる、それは回想というだけでなく、時間の流れと距離感を感じます。映像のイメージのようですが、純粋に音楽の世界なのです。その場に留まらない、でも急がない。いつも懐かしさがある。恥じらいを持つ憧れ。脚色したり、わざと作ったりしなくても、音を追って行くと自然に内側から湧いてくるイメージです。これは、技術を克服しよう、とか、魅せようとする演奏では決して表現できない。

アンドレアス・ショルのように弾きたいなあ・・・(歌だけど)!

野尻にいると、自分の行動(弾くということも)が曖昧でなくなってくる気がします。全てに意味があるとは言わないが、なんとなく、ではない。身体で感じる、確認する、ということかな。
硬くなく、反応があり、手応えがあり、質感があり、空気が動く。
演奏がそうなっていくといいな!
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カスパー・ダヴィト・フリードリヒの世界みたい!
自然の神秘が芸術を生むのだもの。
こういう環境で音楽も自然に生まれてくる。
そろそろシューマンも弾きたいなあ・・・!
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2020年10月18日

思いがけない繋がり

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長野に来て、音楽ホールを訪問し担当者にご挨拶したり、音出しをさせていただいたり、少しずつ動き始めました。コンサート企画も、仕事につながることも、まだ先の話ですが。
今日は、お世話になっている方々からのお誘いで、須坂教会の礼拝に参加。
そこで思いがけない出会いが・・・!
知人から紹介された、すざかバッハの会の会長さん。この教会の会員で、この日の奏楽をなさっていました。
すざかバッハの会は、磯山雅先生の講義と合わせて、演奏家を呼んで聴くコンサート、このセットで、15年継続しておられたそう。バッハの後、モーツァルトを取り上げている間に、その頃私がメンバーをしていた弦楽四重奏団を呼んでいただいたのでした。モーツァルトの名曲を、ホルンの水野信行さんやクラリネットの四戸世紀さんとの、忘れもしない幸せな共演・・・。
今、すざかバッハの会のHPのコンサート実績を拝見したら、2007年のちょうど10月。
13年前・・・。
覚えていてくださるんですね・・・(涙)。
会長さんにこんな形でお会いするとは!
しかも、教会、というのが・・・。

まだ、私がメジャーな仕事をしていた頃(笑)。
今現在の方が、ずっと音楽や楽器の理解も深まり、あの頃よりずっと弾けるようになっていると思いますが、収入は一桁違う(あるか無いか、と言ってもいいくらい(笑))現実・・・。社会的な地位と実力、本人が納得して仕事をしているかどうかは別物ですね。中味や本質は、有名かどうかとは別。
ただ、あの頃の自分を否定するのではなく、全ての経験は、恥も失敗も含めて私の成長の糧になっており、肯定するには時間が必要だとしみじみ思います。

なんだか、長野での活動ができるような気がして来ました。

posted by makkida at 18:39| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2020年10月07日

正直なハナシ・・・なかなか言えないこと

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昨秋の台風被害を乗り越えて、今年の長野のりんごは元気になっています。いろんな種類が次々と、色とりどり、目にも楽しい、美味しいりんごです。

自主企画では、どこからかの支援や助成金がない限り、自分の資金の中からやりくりします。
主催がどこか大きな会社や公共団体だと、ギャランティは依頼されるときに決まっています。交通費宿泊費がコミの場合と、プラスされる場合、これくらいは誰でも考えつきますよね。演奏者自身が持ち運びできないほどの大きな楽器、ピアノやチェンバロ、オルガンなどの鍵盤楽器、グランドハープなどは、運搬費を出してもらえます。鍵盤楽器はコンサートために(当日だけで無く、事前のリハーサルから)借りなければならないので、楽器代が必要です。当日の調律代も出してもらえます。
弦楽器奏者としては、少し複雑な気分です。
私たち弦楽器奏者は、自分の楽器を持つことができる。ということは、メンテナンスは自分でしなければならない。当然のことです。車も家も家電もそうですよね。
常日頃、楽器には手をかけている、それ日加えて、本番に間に合うように調整したり、弦を張り替えたり、毛替えをしています。そのコンサートのため「だけ」、とは言えませんが、でも、年に数少ないソロ本番しかない演奏家は、その本番のために準備しています。
でも、調整代+弦代+毛替え代まで、コンサートの経費に入れてもらうよう言うのは、なかなか・・・。
一回の本番のギャラで、2〜3万円の調整代が、弓2本分の毛替え代2万円弱が、弦代(一本につき5000円弱〜1万以上)が消えます。交通費しか出せない、とか、1万円でお願い、という依頼の場合・・・毎日1万円の本番があればいいですが!

始めたら回し続けるしかない。
嫌だな・・・原発みたいじゃないか・・・。

いい仕事をしよう!
posted by makkida at 15:52| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2020年08月18日

豪雨災害の支援

今年はコロナの影響もあり、ここ何年か続けて開催している「〈災害救援NGOヒューマンシールド神戸〉活動支援のためのチャリティコンサート」を計画しておりません。
この猛暑の中、ヒューマンシールド代表の吉村誠司さんは、7月頭の熊本豪雨災害の現場で活動をされています。日々、フェイスブックで活動報告をしてくださっています。潰れた建物やひっくり返った車、流木の撤去、家の中に入り込んだ土砂を重機で取り除く作業、お位牌を丁寧に探す作業・・・。
ヒューマンシールド神戸 吉村誠司の地球日記HP

感染症予防のために県外からのボランティアも少ないようで、被災された方々や作業している方々の身体疲労が心配です。
そして吉村さんは復旧作業の合間に、熊本地震、九州北部豪雨、西日本豪雨、昨年秋の台風で氾濫した千曲川の被災地、東北の東日本大震災被災地にも回っておられるようです。ちょっとそこまで買い物、くらいの感覚で車で長距離移動。

被災地や被害に遭われた方々の支援をする人を支援することも大事なことだと考えています。自分が現地に行けない分、少ない寄付金だけれども、信頼する人の活動のために目に見える形で使われるのであれば嬉しいです。
コロナ禍の時期、生活するだけでも大変な方もいます。あちこちへ支援されている方もいらっしゃるでしょう。
もし、被災地支援のためにお気持ちをお寄せいただけたら幸いです。
支援金の送付先は以下の通りです。どうぞよろしくお願い申し上げます。

●郵便振替口座 00980 - 7 - 264796
「ヒューマンシールド神戸」
●他銀行から
銀行名 ゆうちょ銀行
金融機関コード 9900
店番 099
預金種目 当座
店名 〇九九 店(ゼロキユウキユウ店)
口座番号 0264796
「ヒユ−マンシ−ルドコウベ」

posted by makkida at 10:31| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2020年08月17日

持っているものを形にしていく

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引っ越し荷造り作業しながら、持ち物を処分や整理。勉強のために、と持っていた録音は処分する前に、特に古い録音(前世紀の演奏家)などは久しぶりに聴いています。
Brahmsのピアノカルテットの2番を、様々な演奏家による録音を持っているのに今頃気づきました。
演奏スタイルは、時代の流行りがある、というような言い方がされますが、そんなこともなくて、人の数だけ多様であるような気がします。深い共感を覚える演奏には、長いスパンでの演奏家の思考や人間性、聴き手との関係性、それからその場のコミュニケーション、一回限りの生命、というような力があると思います。
人間が集まれば、集まった人たちの間でカラー、価値観、好みがなんとなく方向付けられるでしょう。ひとりひとりが感じたり考えることは、日々新しい。同じ作品を演奏しても、毎回新しい。
腹の底から、丹田から、熱いエネルギーが湧いてきます。
ああ、なんて生きた音楽は素晴らしいのだろう!

もちろん、生演奏のエネルギーに勝るものはない。
音にはマイクで拾えない倍音や音成分があり、録音した時点で、すでに音質は落ちています。精一杯の高音質で録音しても、現代の多くの人はスマホやパソコンの小さなスピーカーからユーチューブなど更に音質を落とした動画で聴いている・・・。簡単に無料で得られるものだけでは、大事なエッセンスはますます聴こえなくなってしまいます。

聴き手が音から得られる発想、イメージ、インスピレーション、想像は、言葉を超えます。単語や要約した文章を音楽を結びつけると、一見わかりやすいでしょうが、意味が狭められ、先入観を植え付けられ、個々人の自由な発想を失う危険があります。
それぞれの人が自由に感じ、考え、行動するには、舗装された道や敷かれたレールを進むようにはなかなか行かないものですね。道なき道や、荒れ野、いばらに覆われているかもしれないけれど、理想の山はその向こうにあるはず・・・。

インターネットもなく、飛行機で数時間で国を超えていける時代ではなかった頃、文化人が物事や言葉の理解するときの奥深さを思います。15日の東京新聞朝刊「筆洗」で、森鴎外がドイツで理解したsittliche Entrüstungの意味。正義が行われないことを憤ること。「『慥かに嘲りを帯びている』と森鴎外が書いている。」日本語では単に「習慣」と置き換えられない「道徳」は、日本とドイツそれぞれの社会での重要性がだいぶ違うだろうと想像しますが、鷗外は両方の言葉の意味を超えた文化(考え方)の違いを理解したのだろうと思います。『日本人は誰も彼も道徳上の裁判官になる資格を有しているのであろう。』という皮肉。聖書に、人は「人を裁くな」とあることも知っての上なのだろうと。

いつか弾くだろう、そのうち勉強したい、と溜めている楽譜、本、録音、埋もれている資料・・・。誰のでもない、自分の仕事となるもの。
これから原石を磨いて、何かしら形にしていきたい。
posted by makkida at 19:35| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2020年08月16日

猛暑に想うこと

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真夜中に外気温34℃、という日には参りましたが、昨夜は家の中で35℃。突然の雷雨(豪雨)は怖いですが、この高温続きは雨が降らないと下がりませんね。
夏になると、新聞には戦争の記事や特集が増えます。特に今年は敗戦75年で、東京新聞では読み応えある記事がかなり多いように感じます。
戦争の最後の夏は特に暑かったと聞きます。食料も物資も乏しく、自粛と監視の息苦しさ。暴力。身体や服を洗って清潔にできず、シラミがわく。敵味方に分かれる。戦地で殺しあう。空襲や爆撃に逃げまどい、傷つき、大事な人を失い、住む家もない。捕虜となって奴隷のように扱われる。弱い人が強い人に支配される。感受性を無くす。国のために命を捨てる・・・。
「人間らしさ」を失っていくのが、戦争。一人一人が体験したそれぞれの戦争を知り、想像すると、戦争をしてもいいことは何もない、絶対にしてはいけない、と思わずにいられません。
記念日に思い出すのではなく、折にふれ、過去の事実から逃げずに、ひとりひとりが考えること、言論や行動の自由を守り続ける(どんな体制でも最低限その自由がある)ことが、平和を作ることになるのだと思います。
そして、コロナ禍の行動や活動の自由がないとき、不安が引き起こす監視社会、「自粛」の意味、実体を考えさせられます。

さて話は変わって。
この猛暑の中、引っ越し作業中です。
コロナの影響で、フリーランスの人々にとっては見通しの立たないこの頃。多くの人が家賃の支払いの困難に直面しているでしょう。
私たちは、とりあえず北信に移ることにしました。
公演はまだ予定がありませんが、レッスンやワークショップは東京で今までと変わらずに行います。
ということで、レッスン場所がまた一つ増えました。落ち着いたらご案内いたします。

春からあちこちの片付け作業をしていて、チェロの練習に集中して時間を取ることができないでいます。それでも、作業の合間に楽器を弾くと、ガット弦のしなやかさを弓の毛で感じ、楽器から出てくる音の振動、倍音の響きに、体が癒されるのを感じます。ただ音を出すだけで、こんなに喜びがあるのかと・・・。
プレーンガット弦による音楽は、多くの人の心身を柔らかくほぐし、元気にすると確信します。
私は今、演奏会はできなくても、レッスンをすることで、音楽による新しい息吹をもらっています。上手い下手のレベルはどうであれ、音楽を通したコミュニケーションは必要なものだと改めて思います。
人間らしく生きるために、音楽はなくてはならないものです。

コロナ感染にともなう様々な困りごとだけでなく、熱中症にもくれぐれもお気をつけて、心を平安にお過ごしください。
posted by makkida at 23:09| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2020年07月27日

続・楽器に聞く

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ストラディヴァリウスなどの銘器は、代々誰が使って、どの店で修理して、どのような経路で現在に至るか記録が残っています。どこの国のどの会場でどんなコンサートで弾き、お客さんの反応がどうだったとか、いつ盗難にあったとか、事故などのエピソードがいいことも悪いこともたくさんついてきます。
この本「ストラディヴァリウス ある名器の生涯」(トマス・マロッコ著 金澤正剛、山田久美子共訳)は、昔パガニーニやイザイが使ったヴァイオリンの歴史ですが、読んでいくと、おしまいの方の22章で懐かしい名前が出て来ました。
チェリストのアメデオ・バルドヴィーノ氏。本の中では「バルドヴィーニ」となっていますが、Baldovinoです。トリオ・ディ・トリエステのメンバーとして活躍していた1960年代の話で、アルゼンチンで乗っていた船が沈没し、メンバー全員助かったが、ザネットヴィッチのガダニーニのヴァイオリンも、バルドヴィーノのストラディヴァリウスのチェロも水に浸かり、岸に流れ着いたところを見つけられた。飛行機で二日かけてチェロを運び込んだロンドンのヒル商会に、主人公のヴァイオリンがちょうど預けられていた、という。
楽器職人の修理の技術は素晴らしいですね。海水に浸かって砂だらけになっても、バラバラになっても(被害を受けた姿を見たときショックを受けるだろうに!!!)、とにかく根気よく丁寧に時間をかけて、元の形に直してしまう。
職人がいなければ、私たちの仕事は成り立ちません。
表に見える、大きな華やかな仕事の根底を支えてくれています。音楽的な感覚を持ち、繊細な感覚と技術を磨き続け、自ら楽器を弾くことができて、いい演奏技術も知っており、また、演奏家とともに学ぶという姿勢もある、という楽器製作に関わる人が絶えることのないよう祈るばかりです。

さて、話を戻して。
バルドヴィーノ氏は私が大学生の時に芸大でマスタークラスをされました。ピアニストの奥様モーリン・ジョーンズさんーーオーストラリア出身の天才少女だった彼女はヨーロッパで活躍、存在感のあるマダムでしたーーと一緒に。その時はご自分の楽器は持って来られませんでしたが。
その後、イタリアはフィレンツェ郊外にある丘の上のご自宅を訪問し、当時教えていらしたフィエーゾレの小さな音楽学校も訪ねて、個人レッスンを受けました。その頃すでに80代前半のマエストロ。数年前にバッハの無伴奏チェロ組曲全曲録音のCDを出し(なんと、80歳目前にして初のバッハ全曲録音!)、「今はヴァイオリンのためのシャコンヌを勉強(練習)している」と仰っていたのを覚えています。
ヨーロッパの知的な音楽家の中では、ソリストとして有名なことよりも、室内楽奏者として信頼されている方が音楽家として重要、とする見方があります。バルドヴィーノ氏はソリストとしても若い頃から活躍し(ジョコンダ・デ・ヴィートとのブラームスのドッペルコンチェルトの録音も有名)、ヨーロッパでは有名な音楽家でした。
小柄だけれど、力強く芯のある、そしてバネのように若いエネルギーを身体の中に持っている方でした。知性に基づく厳格さがあり、意志が強く、一方で話好きでチャーミングなお人柄でした。
フィレンツェ郊外の静かな、緑が広がる中に石造りの大きな家が点々とある風景、丘の上の邸宅前で、後ろ手に組んで散歩するマエストロの姿を思い出します。
posted by makkida at 12:37| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする
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