2020年03月14日

事実を知ることの大切さ

気温が20度以上にあがり4月のような陽気になったかと思いきや、雪が降ったり。
世界中で新型コロナウイルス関連ニュースが騒がれている中、子どもたちが外で駆け回って遊んでいるのをよく見かる今日この頃。子どもに限らず、自然の中で元気に動けるのは嬉しい。
それが、放射能被害とは大きく違うところです・・・

銀座の教文館で3月1日から15日まで開催されている信木美穂さんの「ひまわりの丘 福島の子どもたちとともに」原画展の中で、トークイベントが予定されていました。震災の日の11日、新型コロナウイルス感染拡大を避けるためにお客さまを集めてのイベントは中止されましたが、ライヴ配信するために、トークは予定通り行われました。福島原発事故によって避難生活を続けている高校生の鴨下くんと二児の母である森松さん、お二人のお話は、当事者だからこそ本質を直接伝えられる、目の覚める、胸に迫るものでした。
これについては、翌日の朝日新聞の朝刊に青木美希記者が書いた記事が掲載されました。
ライヴ配信と別に編集した動画はYouTubeでアップされています。世界中に配信することができたのはかえって幸運ともいえます。
@3.11の祈り レンゾ・デ・ルカ神父、信木美穂、富田牧子、木田いずみ
https://youtu.be/Wu-cgwRsj0I
Aクロストーク1 信木美穂×鴨下全生×レンゾ・デ・ルカ神父
https://youtu.be/B00RS4t1v9I
Bクロストーク2 信木美穂×鴨下全生×森松明希子
https://youtu.be/lVp2iRhZdAw

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今回中止になったチャリティコンサートで販売予定だったチャリティグッズが、教文館のイーショップで販売されています。収益は、福島の子どもたち、避難生活を続けている家族の支援をしている《きらきら星ネット》に寄付され、子どもたちの保養プログラムなど様々な活動に使われます。ぜひお買い求めいただき、ご支援をどうぞよろしくお願いいたします!
https://shop-kyobunkwan.com/kirakiraboshi-net/
ミホプロジェクトのページで詳細を紹介しています。こちらもどうぞご覧ください。

この日のゲスト、森松さんによるMBSラジオでのお話の動画が他にもありますのでご紹介します。ご自身の言葉で話されているのでとてもわかりやすいです。
「3月9日(月)『福島原発事故から9年〜避難者は、いま』東日本大震災避難者の会「Thanks&Dream」代表 森松明希子さん」
https://youtu.be/eV4mz8ThQBA
それから、森松さんが原発事故被害者の一人ひとりに安心して暮らす権利を、と呼びかけている署名もあります。「国連の専門家の訪問を受け入れて、原発事故被害者の調査を実現させてください」こちらです。
https://act.gp/2T80eXA

「生きる権利」は一人一人当然あるもので、決して利己的でもわがままでもないと思います。
避難した先で住む家が与えられることが生きる上でとても大切であること、海外では「国内避難をする権利」があること、全人類にとって「無用な放射能(被曝)を避ける権利」を認識すること。
地球はつながっているのだから(ましてや福島は国内)、地震大国に原発がある以上いつ自分の身に降りかかってもおかしくないのだから、当事者の話から学ぶものはたくさんあります。
鴨下くんが避難先で受けた苦しい体験、自分を隠さず真実を話して行く決意。それをローマ教皇に話を聞いてもらえて理解されたことによって、直接でないにしても確かに彼の支えになっているであろう、前へ進もうとする、生きるエネルギーに胸打たれます。

この日のトークの前に少し演奏しました。
鴨下くんのお母さんが、事故から9年経ってやっと音楽が聴けるようになった、と話してくれました。震災直後は葉っぱ一つ見ても涙が出た。「ひまわりの丘」の登場人物は一人の人物にたくさんの子どもたちの話が詰まっており、本で読むことはできても、音楽はダイレクトに心に入ってくるのでとても聴くことが出来なかった。でも、今日、お祈りとともに穏やかな気持ちで聴けて嬉しかった、と。
この想いを胸に刻んでおこうと思います。

青木美希さんの福島取材をまとめた本。涙、憤り、やるせない思い、疑問が止まりません。災害はいつわが身に降りかかってもおかしくありません。一人一人がそれぞれの問題を抱えていますが、理不尽な問題は社会に山積みです。事実を伝えてもらえることは周りの人も自分自身をも守ることになります。今起こっている事実から目を逸らさずに。ぜひ読んでください!
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posted by makkida at 23:19| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2020年03月10日

暗いところを明るくする✨

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今日は東京大空襲の日。あんなことは二度とあって欲しくない、と体験者は言います。想像するだけで恐ろしい、人間はこんな暴力をやめることなく続けている・・・。地球上から武器が無くなりますように。

今日の言葉。
ヒーラー(ヒーリングする人)に言われました。
「地球を明るくする方向で動いてください」

暗いところを光で照らす・・・
Enlightenment ですね!
人間の知性が問われていますね。
音楽が人に明るさをもたらし、ひとりひとりが小さな灯火となりますように。
posted by makkida at 18:11| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2020年03月09日

希望の音楽の日のために

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コンサートの中止や自粛が続くなか、迷いや対応に疲れ、ただ音楽を楽しみたい、という若者の集いに合流し、演奏を聴いてもらいました。ネット上で飛び交うニュースや周りの人々の様々な反応に、感受性豊かな人たちは知らないうちに傷ついてしまいます。自然の中でゆっくりのんびり過ごし、好きなときに楽器を弾いたり、みんなと合奏するのは束の間の休息です。
天井に音が昇っていく気持ちのいい響きの小さな空間(個人宅にしては大きいけれど)で、久々に、気の合う音楽家とアンサンブルし、若い人たちの素直で柔らかな心と音楽で交流できることが、私にとっては癒しになりました。
彼らの前で弾くと、引っかかりのあるフィルターや壁を感じることがなく、すーっと心に入って行き、受け止めてくれ、温かな息吹を感じます。きっと何か芽生える瞬間なのだろうな。とても弾きやすいし、喜びを感じます。

自由な行動ができないときに、音楽家にとって、まず大事なのは、今、社会で音楽が求められているかどうか(自分が音楽することで役に立てるか)意義を考えるよりも、自分自身が心から音楽を欲しているかどうかだと思います。何かのための音楽でなく、音楽のための音楽。
小さな集まりでいい。同じような気持ちを抱いている人々と音楽によるコミュニケーションをすることは大切です。
感染症対策のために無観客で、というのは、音楽では、少なくとも私にとっては意味がないと思います。聴いてもらえることはなんて有難いことか!
一人でも聴いてくれたら嬉しい。
4月のリサイタルは、これ以上自体が酷くなって公機関からの禁止や会場側の判断がない限り、心から求める人々とともに音楽をしたいと思っています。

政府には、イベント自粛の要請よりも、学校が突然休みになって生活が対応しきれなくて困っている家庭への細かいところへの配慮をして欲しいです!学校給食がなくなったことで食費が増えるのに、仕事が少なくなり収入が減る。こうなると感染症より貧困の方が問題です。給食を作っている業者の方は食べ物が余ってしまうし。物はあるのに、必要なところへ届かない。うまく判断して対処しないと、回っているシステムも止まってしまいます。
関係と循環は大事です。

新聞では9年前の福島の原発事故の後に、隣近所や親戚にも言えない、でも自分たちの食べるものや生活の中で、放射能の汚染状況の本当のことを知りたい人々が口伝えで活動し、そのような小さな集まりがあることを伝えています。経済中心の強権の説明不足に違和感を持ったり、本当のことに目を背けて従うことができない人々が、緩く繋がっていければいい。雰囲気で行動するよりも、人それぞれが感じること考えることを言葉で伝えることが苦痛を伴わないような関係が作れたらいい。
どんな分野でも同じなのでしょう。
コンサートをする、ということ自体、人とのつながりで成り立っているのですから。
posted by makkida at 14:29| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2020年03月06日

変わらないもの 変わるもの

20191115.JPG台風の後の飯能河原20200306a.JPG3月頭、工事中。土砂を取り除いて、元の流れに戻している。
KIMG1177.JPG濁っていた水も20200306.JPGこんなに透き通って
KIMG1171.JPG台風で流されて押しつぶれた小屋KIMG1424.JPGテントがあちこちに。雲ひとつない晴れた日。

護岸工事をしていなければ、きっと川は大水や台風のたびに形を変えて行くのだろうな。

Abbado指揮するベルリンフィルでブラームスのドイツレクイエムの動画をたまたま見つけた。ウィーンの楽友協会での演奏。あのキラキラと音が降り注ぐような装飾の建物で、真剣な演奏者一人一人の姿と聴衆の熱い感動が伝わってくる。
アバド&BPO。ちょうどオーケストラに比較的(私の中での比較的)こだわりを持っていた(笑)大学生の頃、この組み合わせは憧れでもあった。団員の体ががっしり大きくて、各プレイヤーのプライドがあって(個人の意見が強くありそうで)技術も最高峰のベルリンフィルに対する、アバドのソフトで丁寧な音楽つくりが魅力的だった。音楽の真髄や、真の芸術によって体感できるものに、この人は導かれて演奏しているように感じた。ふわっと、流れに身を委ね、動かされているような。
ブラームスの音楽というのは、たまに聴くと、ものすごく懐かしい憧れみたいな熱い想いがお腹の底から湧き上がってくるものだ。
音楽は生でなければ、と思いは変わらないけど、こういう映像が残っているのは、やはりいい。

流行りのスタイルや演奏の傾向は時代の移り変わりとともにあるのだろうけど、そのときの最高の演奏は二度と起こり得ない真実で、それとの出会いや印象というのは変わらない。
posted by makkida at 23:19| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2020年03月05日

深呼吸しよう!

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大事なものはひとりひとり違います。
新型コロナウイルス感染防止のために、コンサートやイベントは閉ざされた空間で人が多く集まるから、開催を避けるのは理解できます。でも、みんなが中止や自粛しているのだから当然だ、開催する主催者を叩く、という雰囲気が充満しているのが残念。同調圧力は人間同士の不信の表れです。
中止や自粛は人をネガティブにします。
多くの人にとって音楽とはそんなものなんだ、と気持ちが落ちてしまいます。
私にとって音楽は生きる根っこのようなもので、自然の中で深く気持ちいい呼吸をするのと同じ。生きる希望です。

今は、焦らず、できることを。
ゆっくり楽譜を読んで、楽器を弾く。文献を探し読む。公園や山を歩く。
家や持ち物の片付け、整理、掃除。
豆料理やお菓子作り、味噌の仕込み、セーター洗い・・・

コンサートはできなくても、弾き合い会くらいいいだろうと思います。お客さんを入れないで、元気な人だけ集まって短い時間、演奏をお互いに聴き合う、とか対応できないものだろうか。
少人数のコンサートなら、やりたかったらやったらいいのでは?空気の入れ替えしながら、マスクをつけてたっていいし。
小さな集まりからもう一度始めよう。

気づかないうちに首や肩、背中、肩甲骨周りが硬くなっています。寝る前に寝転がって手のひらを下(床)につけてゆっくり大きく回したり、脚を開いたり閉じたり、ゆっくり左右に動かしたりして、身体をリラックスさせよう!情報過多と不安定で浅くなっている呼吸が、だんだん深くなり、気持ちが落ち着いてきます。

イタリアの高校の校長先生が生徒たちへ素敵なメッセージをしていましたね。





posted by makkida at 19:33| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2020年03月02日

特別な状況での生演奏のあり方の案

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新型コロナウイルス感染拡大を受けてコンサートや様々なイベントが中止になっています。
モチベーション下がって気持ちも免疫力も落ちないようにしましょうね!
一人で頑張れる人はいいけど。学校も休みになって・・・子どもたちはどうなる?医療や福祉関係の仕事の人の負担だけ増えそう・・・
休みや中止となったときに、今までもずっとあった社会のシステムの問題点が露呈してきていると感じます。イベントに関しては、まず、各地で十分な検査が行われてデータが出され、それに基づいて自治体や個人が的確な判断ができるようになることを望みます。

9年前の3.11、東日本大震災のあとに次々にコンサートが中止になったのとき、気持ちが落ちたのとは理由が違う。人間の力ではどうすることもできない自然災害で多くの命が失われ、原発事故で犠牲になった方々や生活を奪われた方々を目の当たりにしたとき、「今、音楽は何もできない」と思いました。音楽の前にできること、助けることがたくさんありました。でも、きっと、音楽が心の支えになる、励ましになる、必要になる時期がやってくると信じていました。

今、色々わからない状況で、狭い場所に多くの人が集まるイベントの開催を見合わせるのは当然だと思いますが、我慢するのが当然、雰囲気を読め、国難、一致団結、と次々に自粛する流れに、違和感もあります。とうとう著名な演劇人が声を上げ始めました。
ここ数日、こんな時でも元気な人はコンサートを楽しめないかな、と考えています。

「感染症対策としての生演奏でのコンサートのあり方(仮)」という作品を作ってみたいと思います。これは見せ方としては美術展のようになるかな。
簡単に思いつくのは、録画されたものを会場で流す、というものでしょうけど、生身の人と人が出会う、時空間を共有する時間の芸術としての音楽、という形は手放しません。
ただし、外出も禁止するほどの流行になったときは開催は無理です。
個人が独自に判断できる状況下での場合は、免疫力が弱くない人、体力と気力のある人の参加になりますが、感染症が流行していないときに行う場合はどなたでも参加可能です!
アイデアは今後思いついた順に挙げていきます。

A:演奏者から2メートルおき(手を伸ばして届かない位置)に椅子を配置して聴衆が座る。一曲ごとに空気を入れ替える。
会場の広さによって客席数が限定される。

B:演奏者と聴き手、1対1のコンサート。
料金設定が高くなるのを避けるために、一回のコンサートは一曲または15分程度にする。朝10時に始めたとして、15分演奏した後45分休憩という形で、例えば、11時、13時、14時、15時、16時、18時、19時に1日8回演奏。

C:会場に演奏者がいて、ずっと演奏している。聴衆は2メートルおきに順に入り、演奏家の周りをゆっくり歩きながら聴く。一周したら外に出られるように、会場の扉は開けておく。

D:野外でのコンサート。
posted by makkida at 11:27| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2020年02月18日

話すように

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まだ空気は冷たいけど、「あ、春になった」と感じる朝があった。

言葉(歌詞)がある音楽に取り組んでいると、抑揚がわかってくる。
それは、楽譜に書かれている音の高さや音価だけでなく、言葉の持つ音程や強弱、リズム、質量、調子。

バルトークなど、ハンガリーの音楽では、器楽のための作品においても、Parlando rubatoはひとつの性格である。「喋るように、自由なテンポで」とはどういうことか?ハンガリー民謡の節回し、ハンガリー語の抑揚、リズムなどの具体的なイメージがなくては弾くことができない。

バロックは言葉を喋る音楽。
バロック弓を使って、文節のリズムや抑揚で明確に発音する、まるで話しているように。
意識して練習を続け、色々と試し、わかったと思っても本番で失敗し、それを繰り返し、繰り返し・・・。少しずつ、少しずつ、身体で納得していく。これで完成という形はない。とにかく自分でわかるようになるかどうか、だけ。

バッハのヨハネ受難曲を勉強しているうちに、無伴奏組曲の弾き方に突然、手応えが出てきた。
特に、ヨハネ福音書は冒頭にあるように、「はじめに言葉があった」というくらいだから、言葉の大切さが直接感じられるのかもしれない。

バッハを弾くことを仕事にできるのは幸せだ。
喋り方を、ずっと考え続け、ずっと弾き続けることに尽きる。
バッハでは、コンクールで賞を獲らなくても資格がなくても有名な先生に習わなくてもお墨付きがなくても、いい音楽をすることができる。他にもそういう音楽はあるだろうけど、これは確かなことだと思う。

posted by makkida at 23:18| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2020年02月14日

自然界のメッセージ

KIMG1272のS.jpeg線路は続くよ。松本の波田教会から上高地線の線路を渡って、
KIMG1273のS.jpeg水路を渡り、
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高台の住宅地を抜け、よく晴れたポカポカ陽気のなか、畑の中にある十三経塚まで散歩。

LGBTの牧師さんが、自身の苦悩を背負いつつ、LGBTの人たちがありのままでいられる社会になるよう願って小さな活動を続けている。聖書に書かれている言葉を表面的に受け取って、教義に反するとして、同性愛者や性別がわからない人、違和感を感じている人たちを認めない牧師も多い。損得や経済活動とは関係なく、困っている人を受け入れるのが宗教だとしたら、これは矛盾する。教皇が「すべての命を守る」と言うことは、とても大きな意味がある。既存の「あたりまえ」「エライ先生がこう言っている」考えに疑問を抱いたり、批判することは大切。もし誰も声をあげなければ、この社会で生きづらい人を「いないことにする」、とても恐ろしいことになってしまう。
毎日報道され発表されるコロナウイルスのニュースには、多くの人が恐れているのに。

自然の力は偉大で、山や海にいるとき、心が楽になり解き放たれる。身体は知っている。
でも知恵を与えられた人間の頭は理解しない。
バッハのヨハネ受難曲の中のコラール「あなたが捕らわれたからこそ、私たちに自由がやってきた」。信仰は人間の心が解放されて自由になるためのもの。
危険を冒してまで困難や病気や貧困の中にある人々の側にあり、希望となり、助ける人を、非難したり嘲笑したり・・・私たちは権力の前に諦めて、その人を支えることもせず・・・そして結果、殺されてしまう・・・そうなって初めて私たちは知る。

日々、人の助けなしでは生きられない障害のある人、病気の人、高齢者、小さな子ども。一人の人に対して数人がサポートしなければ生活ができない人があちこちにいる。助ける人を休ませてあげる場所も必要。そうやって考えていくと、誰かがいつも誰かを助けている。

大きなイベントや祭典をしたら、大きなお金が動いて、「みんな一つになり」成し遂げた感によって、それぞれの生活が良くなるんだろうか。
深刻な問題から目を一時的に外らすことで、権力者がますます力を持つようなことを続けるのではなくて、気づかなかったこと、忘れてしまったことにもう一度目を向けるような動きになればいいな。

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暖冬の北信。黒姫山が虹を発信!
野尻は最近やっと積もる雪が降ったそうだ。そのあと雨が降り、晴れて14度に上がり、水をたくさん含んだ重い雪。いつもなら家を発掘して歩く道を作るのに一時間くらいかかるのに。太陽が出ると小鳥たちも賑やかで、もう3月みたいだ。
こんなに雪が少ないと農作物に影響があるだろうし、今後地球はどうなるんだろう。

今朝、聖書をパッと開けた箇所が、ドンピシャ。申命記11章13〜。
「もしわたしが今日あなたたちに命じる戒めに、あなたたちがひたすら聞き従い、あなたたちの神、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くして仕えるならば、わたしは、その季節季節に、あなたたちの土地に、秋の雨と春の雨を降らせる。あなたには穀物、新しいぶどう酒、オリーブ油の収穫がある。わたしはまた、あなたの家畜のために野に草を生えさせる。」

人が人に仕え、利権や金儲け第一の権力に従い、自然界の声に耳を傾けず、地球の全ての命を等しく大切にしないと滅びてしまうでしょう。「強い」人がお金を積んで残ったとしても、心を無くしたら人間はどうなるのでしょう。

木造の家は暖房を付けて建物が暖まると、都会の家屋より身体の冷えを感じない。
外のキリッとした冷たい空気のなか歩いてきたあとの、朝の味噌汁は美味しい。
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2020年02月10日

夢のはなし

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近所のクリーニング屋が閉店してしまいました。店主のおばさんが亡くなって、突然の話。このおばさんは顔をみるとすぐ名前が出てきて、預けた服もパッと思い出す人でした。お店でくるくる動いているか、自転車でお客さんの家を回って届けているか、働き者という言葉がピッタリ。ここ数年でやっと定休日を設けたけど、ずっと休みなしでお店をやっていたようです。絹のドレスを預けたときは一眼見て、とってもいいものね、素敵ねえ、と。素材をわかってくれると預ける方も安心します。こんな人がいなくなってがっかり。

住んでいる土地の山で余っている木を切って、それを使って建てた建物。
そこには、山の木を使った木のテーブルや椅子がある。冬は暖炉か薪ストーヴで伐採した木で作った薪がパチパチ燃える。
あちこちの土地のそうやって建てられた木の家や建物で、人々が集まり、音楽を演奏し、お茶や食事しながら話をする。朝は鳥の声で一日を始め、夜はランプやろうそくの火が灯る。
いろいろ持った人々が、その場で生まれる小さな楽しみを、また自分の生きる場所に持ち帰る。

国ではなく地球人として、どんなに小さな集まりでもいい、年齢もさまざまで、見えないものや思いへの感じ方で繋がった人々が、話したいことを話し、アイデアを形にしていく創造的な生き方ができないかな。
野菜を作る人、家具を作る人、料理する人、運転する人、機械を動かす人、洗濯する人、掃除する人、動物を育てる人、ものを作る人、たくさん人を呼ぶ人、音楽する人、楽器を作る人、本を書く人、ニュースを集めてくる人、勉強を教える人、探す人、出来事を解説する人、体の不調を診る人、話を聞く人、動き回る人、じっと考える人、祈る人・・・。
いろんな矛盾や葛藤の中でも、ここに来れば楽になれる場所や集まりが、世界のあちこちにポコポコ生まれていったら、どうだろう。
好きなことや得意なことを分けることなく、一つに決めることなく、あらゆることはその人の仕事。

働きたくても働けない人や、人の助けがなくては生きられない人にとって、社会のシステムはなくてはならない。
お金が要らないと言っているのではない。
演奏家の私にとって、弦を購入したり、弓の毛替えや、楽器をメンテナンスするために楽器職人に支払うお金はどうしても必要。演奏したり教えたりすることで収入を得ている音楽家にとっては、チャリティやボランティアコンサートは自発的にしか行わない。無料で依頼されるのは違うと思う。世の中に存在する「無料」や「ワンコイン」コンサートは脅威ですらある。

それぞれの技術や仕事に敬意を払いたいと思う。

それから、それぞれの快適は人によって違う。
駅の発車メロディや音圧の強いアナウンス、あっちでもこっちでもピーピーの電子音。耳に突然突き刺す音が飛び交う都会の駅や街は、もううるさ過ぎるよ・・・
posted by makkida at 10:18| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2020年02月04日

やり直してみようか

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人との出会いや付き合いは、私を育ててくれます。若い人から学ぶことは、もう一度生き直したいと思うくらいの刺激だったりします。そのような出会いは、今まで気づかなかったこと、やって来なかったこと、諦めかけたことを露わにします。自分自身の弱さを曝け出すことに耐えられなくなり、必死で言い訳を考えたり、逆にその場から逃げたり、強気になってみせたり、醜いものです。英語で会話すると、その言い訳もできないので(笑)ダメな自分をそのままさらすだけで、人に害も与えないし、私が恥ずかしい思いをするだけなのでかえっていいのかもしれません(笑)。

最近、近くの大学に通うドイツ人留学生と知り合いました。私の演奏を聴いて色々感じ興味を持ってくれたそうで、彼がずっと続けている映像撮影とインタビューをさせて欲しい、と頼まれました。彼の家族はフランスに住み、スペインにも住んだことがあり、一番短いのがドイツで学生だった2年間だという。日本の大学では日本史や哲学、宗教など色々学んでいるが、もうすぐイタリアに行き音楽史や美術史を学ぶそう。家族とはドイツ語で話し、フランス語、スペイン語を話す。5ヶ月の日本留学の間、3ヶ月日本語を学び、聞く方はかなり理解している様子。語学の才能、センスってあるんですね。
行動的ですが、物静かで落ち着いていて、話すときに無言の時間があっても、その間にゆっくりと考えているのがわかります。演奏から何か感じることを話すときは、積極的に、感じたことを素直に言葉にします。
それを聞いて、この安心感はなんだろう、と考えてみました。
私が「自分は東京人じゃない」とジョークで言うと、その意味がすぐわかったようで、彼は、自分も東京人じゃない、東京は忙しいし音が大きいから自然が恋しくなるんだ、自然の中ではリラックスできるんだ、と言う。
興味を持ったことを次々に行動に移していくのと同時に、自分の感覚を大事にしていることに感心します。

弾いている(練習している)のを撮影し、しばらく会話したあとインタビュー。彼の問いが哲学的、根源的で、さすがだなと思いました。直前の会話から、音楽についてこのような質問を考えつくなんて。いつも考えていることとはいえ、カメラが回る中で人に答えることは簡単ではないですね。たじたじとなってしまいました(笑)

終わったあと《羊とヤギ》のCDを聴いてもらったら、とても気に入って、子どものような楽しい反応もしてくれました。こんなに知的で、これからアカデミックな勉強をしようとしている人が、興奮して喜んでくれるのは嬉しいことです。
そうそう、彼はうまく弾けないけどピアノが好きだそうで、その理由が、一つの楽器で問いかけたり答えたりできるし、幅広い音域でいろんな表現が可能なのがとても楽しいとのこと。なるほど、こういう感覚を持っているなら、羊とヤギの音の世界、O Terraの表現がわかるかもなぁ、と思いました。

自分の感覚を意識化し、素直に受け入れて伸ばしていくこと。周りの人もそれぞれの見方や感覚があることを理解し、自分を客観的に、対比して見ることができるようになり、言葉にできるようになるには、小さい頃からの環境や教育が大きいのでしょう。改めて突きつけられる問題ですが、生まれる場所は選べないし、人生はもう一度やり直せない、残念ながら。。。

コンピューター世代の人間は身体感覚がない、なんていうことは全くなく、年齢は関係なく同じ感覚を持つ人はいるもの。
原発事故後の汚染水を海洋放出し(廃棄物を考えると原発を使うこと自体が環境汚染であるのに、その議論はなく)、最先端技術や軍事技術、破壊してでも経済優先、人間中心、権力者に無言で従う人類には希望がない、地球も近い将来終わりだろう、と悲観する昨今。
気づくことは、新しく出直すきっかけであり、生きる希望だと、21歳の若者から勇気をもらいました。

音楽は永遠か、という問い。
人間が希望を持って生きるために永遠にあり続けるでしょう。
posted by makkida at 22:35| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2020年02月02日

讃美歌の伴奏

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教会の礼拝の中で讃美歌を歌えるのは快いものです。クリスマスの時期には歌うためにミサに参加するという人もいます。
パイプオルガンがない教会では、昔ながらの足踏みのリードオルガンを使うところも多く、親密な音色はいいものです。
奏楽者の中には音楽を学んでいる学生や音楽大学を卒業した人もいますが、讃美歌のような簡単な譜面はあまり練習しないのかもしれません。単純な歌、または四声体の和声の伴奏は、難しい技術を必要とするピアノ曲とは全く別の大切な問題点があります。音大の授業で、単純なコラールや、讃美歌の伴奏を勉強する機会があればいいのにと思います。

歌はブレス(息つぎ)が必要です。息を感じていない伴奏では、会衆はブレスができず、次のフレーズの言葉(声)が間に合いません(遅れます)。
それから、縦の和音は揃っているけれど、一拍一拍がぶつぶつ切れている演奏や、逆に、コンピュータの音のように、抑揚がなく、切れ目なく音が続いていく演奏があります。
リードオルガンは自分で息の量を直接調節することができるので、抑揚もつけやすく、歌の伴奏にはもってこいでしょう。
そして、音楽をメロディ主体に、つまりソプラノパートだけ歌っている伴奏に多く出会います。
伝統的な和声を使った西洋音楽では、バス(低音)が土台にあり、その上に和音が乗るように作られており、なおかつ、全てのパートは独立しています。バスもテナーもアルトもすべての声部は、それぞれ別の人が演奏しているかのように歌われ、フレーズが進んで行きます。
特に、讃美歌では、歌詞が重要です。歌詞(言葉)のために歌っているようなものです。歌詞のそれぞれの文章は、フレーズに合っています。文章の中には単語があり、そのちょっとした区切りも歌に表れます。外国語の歌詞を日本語に翻訳したときに、旋律の抑揚とぴったり合わない場合もありますから、歌いにくい節もあるわけです。そのような微妙な違いも聴きながら伴奏すると楽しいでしょう。
讃美歌に限らず、歌曲全般に同じことが言えるでしょうね。
シンプルなものほど難しい。
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2020年02月01日

私のなかの大きな存在

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音楽で一緒にアンサンブルをするときに、音がピッタリ合うのは、波がピッタリ合うということで、文字通り波動なのだと私は思っている。技術的に、音程や弓の早さ、バランスをなんとかすればいい音楽になるとは思わない。

著名人が今までに、成功と幸せ、についてたくさん言葉を残している。この世での成功がどのような形なのか人によって違うと思うけれど、幸せも成功も各人がそう思えばいいのだろう。
やりたいことを進めるときに、なるようになる、という気持ちでいるのは大切だ。
意志がはたらくだけでもエネルギーはそちらの方向へ動く。
現実のものにするために自分が動く。人に助けてもらったり、教えてもらったりすることも自分が動くことから発する。周りの人、遠くの人、関わる人が自分と一緒に動いてくれるのは、気持ちが伝わるから。そこでもエネルギーが動いている。

人と人との関係では、波動が合うか合わないかがとても大きいと思う。
たぶん、貸し借りが一番ではないし、金銭が一番の理由でもない。
その人のためにとても真剣に思って入れ込んでも、もしかすると相手は我慢して苦しんでいるかもしれない。それがあるとき突然プツンと切れて、「裏切る」行為になってしまう。「私があれだけやったのに」という気持ちがどこかにあると、それも伝わるんだろう。
その時点で、波動が合わない人と何かをうまくやろうとしても、力や説得ではどうしようもない。距離を置きながら、傷つき合わないようにすることも必要なんだろう。

私の中に私のことをよくわかっている何か大きな存在がいる、と感じる。
気持ちがなかなか動かず後からついてくる時もあるし、気持ちと身体と頭、全体が一致している時もある。
いいアイデアだと思っても、プライドや劣等感が邪魔をして、直接的にはギャラが充分じゃないなどの問題に引っかかってしまい、気持ちが素直になるまでに時間がかかる場合もある。逆に、経済的にも仕事としていい条件整っているけれど、人間関係に問題がある場合、心は一生懸命無理をして体がきつい時もある。
身体が喜んでいるかどうか、楽器が喜んでいるかどうか。
幸せを感じると人を惹きつける。周りの人もそれを感じるのだと思う。
大きな存在が「そうだ」と言い、身体を動かしてくれると、人や物、機会など、実に軽やかに自然と繋がり出すのだ。偶然なんかではない。なるべくしてなる。

ゆだねる、とも言う。楽器の演奏ではとても大事なこと。
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2020年01月31日

思考のクセ

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日々刻々と変化する、山や空が見えるところで生活できるのはいいだろうなあ。
いろいろな深さでコミュニケーションはある。
「話さなくても分かる」
そういう人と話すと言葉が相手の体の中に届く。
分かり合える人とはいつもよくいろんなことを話し合っている。

「話せば分かる」「説明しなきゃ分からない」
10年後に理解したとか、賛成ではなくても理解したよ、とか、いつも一言足りないから説明してよ、とか。よくある。

「説明しても分からない」
何度言っても分からない、分かってもらえない、理解し合えない間柄ももちろんある。 

家族だから分かる、なんてことはない。家族だってまったく理解し合えない、きっと一生無理な関係もある。
愛がなく親が子を支配下に置いている場合もあるし、愛情の名の下で両方が自立できない場合もあるし、いろいろな形がある。

他人の思考のクセにやられないように、自分の考えを鍛えればいいんじゃないか、と思っていたけれど、そう言うことではないらしい。ぶつかると傷つく。
無になって聞けばいいのかな。

《空(くう)の空》。シューマンの楽譜に記されてあった言葉がきっかけで、人間関係に疲れていた時期に旧約聖書のコヘレトの言葉が目に止まった。
《他人の言うことをいちいち気にするな。 あなた自身も何度となく他人を呪ったことを あなたの心はよく知っているはずだ》
昔の人も同じことを思ったのだ。人は変わらない。

芸大出てるのに仕事がないの、大変なのね、とか、芸大出ててもまだ練習しなきゃいけないの、とかたまに言われる。とんちんかんなことを、と思うが、何度説明してもよく分からないらしい。まあ、分からなくてもいい。
会社のような組織での仕事しか想像できないと、どうやらフリーランスの立場の理解は難しいのだろう。組織にいたくない(いられない)人は、自分が、これ、と思ったことをやり続けるしかない。

人の数だけ音楽の楽しみ方がある。
その時代様式に合った弾き方、と言っても、正解は一つではなく、しかも演奏する人によって出てくる音も表現も変わるのだ。
大学の先生だってある分野は理解していない場合もあるし、得意不得意がある。頭で理解していても表現できない人もある。演奏は技術でなんとかなる、と理解している人もいる。表面に見えているところから一枚めくっただけで、深入りはしたくない、と避けてしまう人もいる。理解が伴わない表現は音楽じゃない、と思う人もいる。
ツイッターのような呟きで、正しく理解していないことを理解している人が批判するのを見るのはそんなに気持ちいことではないな、と思う。批判すべき政治ならともかく!

「あの人は子どもがいないから分からない。」憲法を変えて戦争をしたい某政治家を批判するとき、そう言う人がいる。いや、それは、私だって子どもはいないけど戦争の恐ろしさは想像できるよ、と言うとその場では理解するようだけれど。
政治家といえば、いつも暴言を吐いたあとに野党やメディアに「失言だ」と叩かれて「誤解されたとしたら申し訳ない」と言い逃れる人がいるけれど、あれは本音であって、訂正しても直らない、自分の考えが正しいと思い込んだまま、その癖が染み付いているのではないかと思う。
決まって言われる言葉。やっぱり日本はすごい、どこ(国)人らしい、だから宗教ってヤツは、音楽の/スポーツの力・・・
思考の癖。
誰しもあるだろうが、固まってしまうと直せない。

《言葉が多ければ空しさも増す》

自分の考えをすぐ口に出せる人もいれば、100のうち1しか出さない人もいる。表現する手段は人それぞれだ。はっきり見えなくても、形にならなくても、出てくる。
口にも文字にも出すことができない環境にいる人は、身体のどこかに出てくるんじゃないか・・・
posted by makkida at 19:42| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2020年01月30日

歌曲をチェロで伴奏してみよう

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ピアノがない場所でチェロしか楽器がない、という特別な状況で、リート(歌曲)を歌いたい、という人へ、いかが?
以前、鍵盤楽器がないお家を訪問する際に、新婚カップルへの贈り物として義妹がリストの "Es muß ein Wunderbares sein"「それは素晴らしいこと」を歌いたい、というので、急遽数時間で編曲することに。弾いてみたところ、なかなかいい感じでした。

チェロとリートの相性はいいのです。シューベルトの『美しき水車小屋の娘』『冬の旅』、シューマンの『詩人の恋』、ブラームス、ほか愛すべき作品の歌パートは、チェロの音色にぴったりなのです。そこにドイツ語が聴こえるかどうか、は演奏次第ですが。

歌曲はメロディもいいけど伴奏が魅力的なものが多く、やはり言葉で歌って欲しい。ということで、思いついて編曲してみました。まずシューベルトの「音楽に寄せて」「鱒」。水車小屋も、シューマンもいけそう。
もちろん、原曲の音を全部チェロ一本で取れるわけはありません。原曲の雰囲気から離れないよう、チェロによる響きが素敵になるように、思い切って音を省きます。足りない音を補うために演奏する上で最も必要になってくるのは、原曲のイメージ、作品への理解です!
もともとチェロは低音楽器。バロック時代の音楽では通奏低音としてチェロだけで歌を伴奏することができるので、違和感はないでしょう。

一緒に歌ってくれる人がいるかしら。

チェロで伴奏することにご興味おありの方、ご連絡お待ちします。私の手書きでよければ、譜面もお買い求めいただけます(笑)
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1月に松本で。オオイヌノフグリが咲いて、梅の蕾が膨らんでいる。
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2020年01月06日

新年

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新しい年をどのように迎えられたでしょうか。
年明け早々キナ臭い動きが世界を揺るがしています。年を越したからと言って、昨日までの問題は変わらずにあり、忘れてはいけないものも持ち越しです。

仙台の長町にあるレストラン「びすた〜り」が12月末で閉店になってしまいました。羊とヤギでは2回、昨年はソロでコンサートを開催しました。ここで音を出すのが本当に気持ちよくて楽しみでした。ここで働くスタッフの皆さんの姿を見るのも好きでした。そして、びすた〜り、という名前がよかった。古民家を市民の有志の皆さんが一緒に改装して始めたという場所。
2017年のコンサート
2018年のコンサート
2019年のコンサート
福祉大学店カフェテリアオリーヴTFU Cafeteria Oliveで、引き続きみなさんが幸せに働けますように!

11月に作曲家林晶彦氏の記念コンサートに出演した時の写真をFacebookにアップしました。ブログに貼るにはサイズが大きすぎるのでFBを貼り付けます。

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Photo: Shinichi Kida

年末、久しぶりに渋谷に行ったら駅も地上も人でいっぱい。たまに都内に出ると、音の洪水にやられます。
多くのミュージシャンが感音性難聴になった経験があり、治らずに片耳が聴こえなくなったままで活動しています。大音量の中で演奏しても体に問題がない人はいいけど。音量だけじゃなく、ストレスフルな状況で仕事をしている音楽はお金にはなるかもしれないが、身体にいいのだろうか。。。

これからも命を大切にする音楽、身体が喜ぶ響きを作っていきたいと思います。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
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2019年12月19日

我がこと

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すぐに検索できて、遠い場所や人とも連絡が取れ、すぐに情報を得られる世の中。
目の前で困っていたり、傷ついたり、倒れたりしている人がいたら助けることはできる。地球の裏側で起きていることでも、何もできないことはなく、自分と関係がある。ところが、隣の国どころか、自分の国の中の離れた場所で起きている出来事や、長い間存在している問題でも、ずっと見ぬふりしている場合もあります。

どんどん前進して世の中で活躍しているアーティストたちは、いま起こっている社会の問題を自分の作品や表現の糧とし、自分の言葉として発しているのを見聞きすると、さすが頭の巡りや身体の反応が早いな!と感心します。しかも端的な言葉で提示するのがうまい。周りの人をどんどん巻き込んで、支援してもらい、メディアで発信する。
私は、身体の中に受け止めるまでの時間がかかり、それは一体どういうことなのか温度を感じる想像に至るまでに時間がかかり、それから私はどういうことをしたいのか考えるのに時間がかかる。考えの回路がまっすぐに繋がらず、あちこち寄り道や脱線、またはどこかに飛んでいったりしてしまいますが、私の頭と身体が一致するタイミングで色々なことが繋がる。でも、時間がかかります。

数年前に沖縄に行った時、この本の著者で牧師の金井さんの「不屈」の船に乗せていただきました。
数日間、駆け足で巡っただけでは手応えがなく、断片の思い出は色鮮やかで強烈なのに、どこから手をつけていいかわからず、行動を起こせない。命に関わる問題は、とにかくその場に通い、当事者の声を聞き、一緒に時間を過ごすことから始まるのだと思います。時間がかかることなのです。
でも、暴力は止まらず日々刻々と行われ、命を守るための抵抗には時間の猶予はありません。
「基地はいらない」ということの意味は、この地球から戦争がなくなることを願うものであり、地球を破壊する武力の放棄を願うものであり、あらゆる命を大切にしたい、非暴力で生きていきたい決意なのだと思います。
沖縄戦で何が起こったのか、本や映像、絵、話から想像します。
土地や家を基地にするために追い出された人々を想像します。
基地が我が身の近くにある状態を想像します。
刻々と珊瑚が死に、水が濁り、魚やジュゴンが離れていき、生き物の命が消えていくことを想像します。
そこにある物、そこで行われていることは、命を殺すためのもの。
その命は遠くの人間かもしれないが、友達かもしれない、家族や私かもしれない。全ては繋がって返ってくる。 見ぬふり知らぬふりは殺す側にいること!
今も近くにある差別。

まず知ることから始めよう。答えや、反対か賛成か、判断は急がなくていい。
知るのは怖いけど、知らないことは本当に怖い。
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2019年12月18日

「弾きやすい」音楽「わかりやすい」話

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ベートーヴェンの声楽や弦楽器のための曲は、歌いにくかったり弾きにくかったりするが、それは弾き手の技量よりも音楽の内容を優先したからだ。書き方が下手だからじゃない。
バッハだって「歌いにくい」。では、彼は「下手」な作曲家なのか?「弾きやすい」とは?
奏者や大衆に媚びる「人気」音楽家が、音楽の中身に興味を持ってもらえることをせずに、お金の話に持っていって大衆の興味をひく。
オーケストラの団員と指揮者との良好な関係が作れるかどうかは、組織の問題が背景にあったり、人間同士の問題だったり、複雑なものだ。味方にするためには、お菓子を差し入れするのが大きな効果がある、って。1対たくさん、プライドが高い演奏家たち相手だから大変だろうけれど。
集客のために「わかりやすい」作品を所望され、たくさんのコンサートをこなす中で、定期演奏会では現代の作曲家の新曲があっても通常の練習時間と同じ中で仕上げなくてはならない。理解できてないけど、とにかく弾けるようにして数をこなしていく。もちろん、自分のペースをうまく作って楽しく仕事をしている人もいる。でも、みんな完璧じゃない。同じ技術があるわけではない。練習が足りていないときだってある。そんな中でしがみついて、無理して身体を壊す人もいる。
組織の中の演奏家だって、心から、夢中になって音楽をしたいはず。
弾き飽きた名曲も、指揮者によって新たに生まれ変わり、ワクワクする演奏になる場合もある。
既存の音楽作品に、絵や踊りや舞台背景、プロジェクションマッピングなど別のものを加えて生まれ変わるのではなく。
音楽の中身を深く理解することで、それに気づいた人が、ほかの一人一人の音楽家の感覚を目覚めさせ、新らしく生まれ変わることが可能だろうと思うのです。その「気づき」によって、今までできなかった技術を含む音楽表現が、そして難しいアンサンブルも、いつかきっとできるようになる。ベートーヴェンの音楽を弾いていると、そういうことを感じるんだけどなあ・・・。

物事を単純化して、表面上の「わかりやすい」話をすることが、クラシック音楽の裾野を広げること?
そんな態度で演奏をしていたら、お客さんは曲の途中で帰るでしょう。初めてのお客さんは次は来ないでしょう。
「ぶっちゃけ」話で音楽を貶める、そんなこと、音楽大学の教授がすることだろうか。
物事の本質とまっすぐに誠実に向き合うことが大前提では?

温度を感じないよ・・・。
posted by makkida at 21:04| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2019年12月12日

クリスマスイヴ

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クリスマスイブの夜、教会の礼拝で演奏します。集まったみなさまと一緒に歌う讃美歌の伴奏と、チェロソロで2〜30分の演奏です。
この日のためのチェロ独奏曲は書かれていないけれど、せっかくだから自分で編曲したり、色々探して、本当に愛らしい美しい曲を集めてみました。
グレゴリオ聖歌の「今日イエスが生まれた」、ヒルデガルト ・フォン・ビンゲンの聖母マリアのための歌、J.S.バッハの無伴奏組曲から1番のプレリュードと6番のサラバンド、それから、カタロニアのキャロル「鳥の歌」、バスク伝承の子守唄、フィンランドのクリスマスの歌、アイルランド民謡、ハンガリー民謡。

処女マリアに命が宿った奇跡、その子どもは後々、困難にある人々や貧しい人々の側にあり、闇の中の光となって働くために、世の平和が作られるために、妬まれ、十字架にかけられ殺される運命にある・・・その幼い子どもが、この夜、馬小屋の飼い葉桶のなかで生まれ、あらゆる動物や羊飼いや偉い人たちが穏やかに見守る中、安らかに眠っている。
キリスト教が現れる前にも、冬至の時期は様々な民族にとって大事な時期でした。世界のあちこちでお祝いをしていることを想像しながら。
世界中の人がせめてこの夜は暖かい場所で平安に過ごせますように。

どなたさまも大歓迎です🎄✨
2019年12月24日(火)19:30 クリスマスイヴ礼拝
キリスト聖教団練馬教会 練馬グレースチャペル
(東京都練馬区栄町10-2)
クリスマスイヴ礼拝〜キャンドルサービスとチェロ演奏の夕べ〜
💡グレースチャペルのwebサイトはこちら
posted by makkida at 18:41| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2019年12月06日

「ありのまま」ということの難しさ

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やっと晴れると、おひさまがもったいない気がして、歩きに行きたいし、洗濯もしたい・・・。家族はこんなポカポカの中、寝ているのが幸せの様子。まあ、猫も陽だまりで寝ていますものね。人間だけが時間に追われて、環境破壊しながら生活しているのも、なんだかオカシイ。

早いもので12月。そしてアドヴェントに入りました。クリスマスには色々なキャロル(クリスマスソング)が聴こえて来ますが、キリスト教の讃美歌で歌われるものであり、古くは世界中の諸民族の生活の中で歌われてきた民謡から来るものもあります。
日本では「私は無宗教です」というと危なくないという空気を感じます。宗教を表面的な認識からの無関心、タブー視している傾向もある気がします。
どうして人を殺さないのか、という問いを考えたときに、それぞれの人が何かを信じていることに気づきます。
歴史、芸術、哲学、科学、政治、経済、すべてにおいて宗教と無関係であるものはありません。不思議なことに、クリスマスをイベントにするのは問題ないようです。多くの人に受け入れられる部分だけ、つまみ食いで取り入れている。
宗教に限らず、自分の身の回りにあるものと遠いものに対して、よく知らないと、ますます嫌悪することはあるかもしれません。
また、もっと深く掘り下げようとしたときに、多くの人が離れていきます。
難しい、という一言で。本当は知るのが怖い。自分の身に降りかかってくる面倒なこと、責任、危険を回避するために、知らないでおく。あるいは、知っているのに知らないふりをする。

ピアニストの崔善愛(チェソンエ)さんが書かれた本からは、同じ日本で音楽家として活動しているのに、生きてきた環境が違うことからくる多角的な視点、問題提起にハッとします。
朝鮮半島から日本にやってきた両親のもとで生まれ育ち、日本語が母国語、という「在日」と呼ばれる人々は、今でも「外国人」扱いです。
ソンエさんが指紋押捺を拒否し、裁判で敗訴し、再入国を不許可とされ、裁判を起こし、再入国不許可のまま出国すれば永住権がなくなる「もう帰ってこれないかもしれない」という状態で、アメリカ留学をしたのが26歳。留学のためにアメリカ領事館でビザ申請をした時、「あなたは日本で生まれ育ち、家族が日本にいる。そんなあなたが日本に帰れないわけがない」と領事に言われ、ビザを発給してもらったという。留学して2年後、裁判で証言するために日本に帰ってきたときに、「新規入国者」となってしまうのです。あらゆる手続きに時間がかかり、自分の国だという公的な権利が認められない。選挙権もない。
私は読みながら胸が締め付けられるようで、涙が止まりませんでした。
私も彼女と同じ年齢で留学し、手続きはスムーズで、日本に2年間帰ってこなかったのは私が帰ってきたくなかったからであり、ヨーロッパでは日本のパスポートに守られている、と感じた。この大きな違いに愕然としました。
ずっと長い間気になっていたこの方には、やっと最近お会いすることができました。正確には、高校生の時に、草津の音楽祭で参加したヤーノシュ・シュタルケル氏のマスタークラスでお目にかかっているのですが。あのとき婚約者だったチェリストのご主人と一緒に、シュタルケル氏に会いに来られていたのでした。

生まれてきた境遇やそのままの姿を、やっと自分自身が受け入れたとしても、周りや社会が受け入れなければ、ありのままで生きることはできない。隠し続けることが自分の心を苦しめる。そもそも、なぜ「隠す」ことになるんだろう!生まれる場所は本人は選べない、みんな頭でわかっているのに。「ありのまま」でいることの難しさは、自分だけの問題ではないことに気づかされます。
福島の原発事故からの避難者の存在も同じ。難民の存在も入国管理局の存在も知らないまま無関心でいれば、生きる権利がいつまでたっても無い人たちが、この先も無いままで一生を終えなければならない!

posted by makkida at 10:23| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2019年12月02日

2月24日「無伴奏コンサート」名古屋チラシ設置場所

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名古屋でチラシ置かせていただいている場所は以下の通りです。敬称略

スタジオハル http://studioharu.jp
愛知芸術文化センター https://www.aac.pref.aichi.jp
宗次ホール https://munetsuguhall.com 
名古屋市美術館 http://www.art-museum.city.nagoya.jp
カワイ名古屋 https://shop.kawai.jp/nagoya/
日響楽器池下店 https://www.nikkyo-gakki.co.jp/ikeshita/
クロサワバイオリン名古屋店 http://www.kurosawaviolin.com/nagoya/
名古屋市音楽プラザ https://nagoya-shimin.hall-info.jp/plaza/
日本特殊陶業市民会館
Kogomi コゴミ(自然食品、雑貨、オーガニックカフェ) http://www.kogomi.net
しらかわホール(ファイルに入っています)https://www.shirakawa-hall.com
ヤマハミュージック2階(場所空き次第)

💡チラシはこちら.pdfからご覧いただけます
💡コンサート情報詳細はこちら
posted by makkida at 11:09| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする
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