2019年12月06日

「ありのまま」ということの難しさ

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やっと晴れると、おひさまがもったいない気がして、歩きに行きたいし、洗濯もしたい・・・。家族はこんなポカポカの中、寝ているのが幸せの様子。まあ、猫も陽だまりで寝ていますものね。人間だけが時間に追われて、環境破壊しながら生活しているのも、なんだかオカシイ。

早いもので12月。そしてアドヴェントに入りました。クリスマスには色々なキャロル(クリスマスソング)が聴こえて来ますが、キリスト教の讃美歌で歌われるものであり、古くは世界中の諸民族の生活の中で歌われてきた民謡から来るものもあります。
日本では「私は無宗教です」というと危なくないという空気を感じます。宗教を表面的な認識からの無関心、タブー視している傾向もある気がします。
どうして人を殺さないのか、という問いを考えたときに、それぞれの人が何かを信じていることに気づきます。
歴史、芸術、哲学、科学、政治、経済、すべてにおいて宗教と無関係であるものはありません。不思議なことに、クリスマスをイベントにするのは問題ないようです。多くの人に受け入れられる部分だけ、つまみ食いで取り入れている。
宗教に限らず、自分の身の回りにあるものと遠いものに対して、よく知らないと、ますます嫌悪することはあるかもしれません。
また、もっと深く掘り下げようとしたときに、多くの人が離れていきます。
難しい、という一言で。本当は知るのが怖い。自分の身に降りかかってくる面倒なこと、責任、危険を回避するために、知らないでおく。あるいは、知っているのに知らないふりをする。

ピアニストの崔善愛(チェソンエ)さんが書かれた本からは、同じ日本で音楽家として活動しているのに、生きてきた環境が違うことからくる多角的な視点、問題提起にハッとします。
朝鮮半島から日本にやってきた両親のもとで生まれ育ち、日本語が母国語、という「在日」と呼ばれる人々は、今でも「外国人」扱いです。
ソンエさんが指紋押捺を拒否し、裁判で敗訴し、再入国を不許可とされ、裁判を起こし、再入国不許可のまま出国すれば永住権がなくなる「もう帰ってこれないかもしれない」という状態で、アメリカ留学をしたのが26歳。留学のためにアメリカ領事館でビザ申請をした時、「あなたは日本で生まれ育ち、家族が日本にいる。そんなあなたが日本に帰れないわけがない」と領事に言われ、ビザを発給してもらったという。留学して2年後、裁判で証言するために日本に帰ってきたときに、「新規入国者」となってしまうのです。あらゆる手続きに時間がかかり、自分の国だという公的な権利が認められない。選挙権もない。
私は読みながら胸が締め付けられるようで、涙が止まりませんでした。
私も彼女と同じ年齢で留学し、手続きはスムーズで、日本に2年間帰ってこなかったのは私が帰ってきたくなかったからであり、ヨーロッパでは日本のパスポートに守られている、と感じた。この大きな違いに愕然としました。
ずっと長い間気になっていたこの方には、やっと最近お会いすることができました。正確には、高校生の時に、草津の音楽祭で参加したヤーノシュ・シュタルケル氏のマスタークラスでお目にかかっているのですが。あのとき婚約者だったチェリストのご主人と一緒に、シュタルケル氏に会いに来られていたのでした。

生まれてきた境遇やそのままの姿を、やっと自分自身が受け入れたとしても、周りや社会が受け入れなければ、ありのままで生きることはできない。隠し続けることが自分の心を苦しめる。そもそも、なぜ「隠す」ことになるんだろう!生まれる場所は本人は選べない、みんな頭でわかっているのに。「ありのまま」でいることの難しさは、自分だけの問題ではないことに気づかされます。
福島の原発事故からの避難者の存在も同じ。難民の存在も入国管理局の存在も知らないまま無関心でいれば、生きる権利がいつまでたっても無い人たちが、この先も無いままで一生を終えなければならない!

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2019年12月02日

2月24日「無伴奏コンサート」名古屋チラシ設置場所

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名古屋でチラシ置かせていただいている場所は以下の通りです。敬称略

スタジオハル http://studioharu.jp
愛知芸術文化センター https://www.aac.pref.aichi.jp
宗次ホール https://munetsuguhall.com 
名古屋市美術館 http://www.art-museum.city.nagoya.jp
カワイ名古屋 https://shop.kawai.jp/nagoya/
日響楽器池下店 https://www.nikkyo-gakki.co.jp/ikeshita/
クロサワバイオリン名古屋店 http://www.kurosawaviolin.com/nagoya/
名古屋市音楽プラザ https://nagoya-shimin.hall-info.jp/plaza/
日本特殊陶業市民会館
Kogomi コゴミ(自然食品、雑貨、オーガニックカフェ) http://www.kogomi.net
しらかわホール(ファイルに入っています)https://www.shirakawa-hall.com
ヤマハミュージック2階(場所空き次第)

💡チラシはこちら.pdfからご覧いただけます
💡コンサート情報詳細はこちら
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2019年11月23日

自分の心が受けとめる

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アーティストがラジオ番組で紹介されて、エピソードの後に曲が流れて、いいな、と思って調べると、ウェブサイトではとてもセンスいい動画や、CDジャケットのデザインの写真、興味深い内容にまとめたインタビュー記事がアップされている。これがメジャーの意味。このアーティストの人気が上がって売れることが経済活動になる。

心が動いて、いっとき自分の中で盛り上がるけど、ふと気づく。わたしはこの音楽を来月聴いていないな、と。熱が一気に冷める。
そこには、わたしの日々の行動、仕事、思考をしながら、身体で、自ら出会ったもののような深さと継続力はない。
自分で出会うものというのは、お金じゃなく、何か熱いエネルギーが働くんだ。
山あり谷あり、うまく行ったり落ち込んだり、ダメだという気持ちの蓄積・・・そういう中で、知らずに心がキャッチする。
魂かな。

演奏することに対して支払われるのは大事なこと。
何に対してかというと、演奏技術だけでなく、同じ時空間で音楽を新たに生き返らせる全てのこと〜考え、アイデア、精神、その場の雰囲気、集まった人々が気持ちよく過ごせて、スムーズにコンサートが進行すること・・・。それはすべて、音楽の心を大切にしたいという真っ直ぐな想いから来るはず。

うまいと思われたい、認められたい気持ちの裏には、一緒に演奏(仕事・共同作業)している人間関係の根っこの部分が違ったり、ねじれていたりする。なんとかやり過ごし、保っていても、心がつける嘘は、いつか必ず自分に跳ねっ返ることになる。
競争や比較とは関係ないところにある音楽。ましてや、負かしてやろう、なんていう暴力も関係ない音楽。
音楽の心を大切にする演奏で、集まった人が喜んで、雰囲気も含めて幸せな気持ちになる。それで充分だ。
そういう音楽が世界のどこかでいつも行われているだろう。そういう平和な音楽が世界のあちこちで続いていきますように。
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2019年10月28日

11月2日コンサート曲目

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音楽が疲れや痛みを和らげることができますよう、遠く離れた人たちのことに思いを馳せるよう、いつも祈っています。

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《羊とヤギ》コンサートの曲目は以下の通りです。

ヒルデガルト・フォン・ビンゲン:
「おお魂の牧者よ」「おお英知の力よ」「いまわれらに開かれたり」「アレルヤ!おお仲立ちの若枝よ」「おお紫衣をまとった王の若枝と冠よ」
バルトークの音楽より断片、「ルーマニア民俗舞曲」、
ブルガリアンリズムのメドレー、
パーカッションソロの即興、
中世の器楽音楽(ダンス)、
グリーンスリーヴス変奏曲
Music of Hildegard von Bingen, Bartok, Percussion solo improvisation, Recercada by Diego Ortiz, Medieval instrumental dances, Bulgarian dances
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無伴奏チェロコンサートの曲目

J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番ト長調、第2番ニ短調
Z.コダーイ:無伴奏チェロソナタ作品8より 第2楽章

💡コンサートの詳細はこちら
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2019年10月17日

台風

13日の仙台でのコンサートには、お越しになれない方もいらっしゃいましたが、びすた〜りさんの温かな柔らかな雰囲気の中、おかげさまで無事終了いたしました。12日真夜中にお店の代表の菊田さんが見に行かれた時には、前の道には大雨が10〜20センチほど溜まっていたようですが、翌朝には水は引きました。近くを流れる広瀬川は水位が上がり、道路には泥水が流れ込んだ跡が残っていました。お客様の中には家から別の場所へ避難された方、家が浸水した方、様々な被害を受けられたようです。皆さん、不安で寝られない夜をお過ごしになったと思います。
たいへんな中お越しいただき、どうもありがとうございました。びすた〜りのスタッフの皆さまも、寝不足にも関わらず、いつもと変わらない丁寧な接客で、居心地の良い空間を作ってくださり、心より感謝申し上げます。

今回の台風による千曲川氾濫で、リードオルガン修復家の和久井さんのお宅が被災されました。何よりご家族の皆さんがご無事でよかった。明治村の楽器は納品後で、他の楽器は別の場所の楽器庫に避難してあったそうです。今は家の泥だし作業。
あちこちの被害は本当にひどいことになっています。子どもを抱えて仕事をしながら水没した家財の片付けをする大変さ、年配の方、体が思うように動かない方も・・・これから生活が戻るまで心配です。
仙台の弟の家も浸水。温暖化による大災害を被るのは誰にでも起こるかもしれないと改めて思います。
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2019年09月14日

嵐のような内の世界

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時代と合っていない、ずっと同じことをやっている、しつこいと思われようと、その音楽や和音に惹かれる気持ちが有る限り続けないわけにはいかない。演奏が仕事になっていないから出来ること。
ベートーヴェンのピアノソナタの和声進行に、熱い思いを抑えられないのに、そのような演奏をしてもらえない。自分で弾きたい、と思うのに、共同作業をして貰える相手を探すのに何十年もかかっている。自分の内側に想いが溜まって、溜まって、マグマのように爆発しそうだ。小出しに噴火する活火山のようだ。周りに迷惑をかけている。
一人で空回りをしている。

一日楽器を弾かなくてもなんとかなる。1日が限度。その上、パソコン仕事に没頭し、SNSでいろんな人の活動を見、発言に驚き、感銘を受け、だんだん、自分は何もできていない思いで頭がいっぱいになる。お金を節約するために自分でチラシを作って具合悪くなっているなんて・・・。ネガティヴ思考になる。
自分の人付き合いの悪さのせい。続けることが大事と思ってきたけど、もう、これで終わりにしよう・・・。こんなに音楽ができないなら、もう、明日はこなくていい、と思う。

ああ、やっと、2時間、バッハに集中できた!
これでなんとか生きていける!

こんなことをずーっと続けている。
変化が必要だ。なんとかしなくちゃ。

歴史上の作曲家は日々新しい研究が進んでいる。それに追いつくことはできない。
ただ、楽譜は誰にでも開かれている。
その音を出すとき、私に開かれる音楽の世界。これは真実だと思う。
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2019年09月08日

詩、音楽は時を超えて

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Arvo PartのMy Heart's in the Highlandsが頭の中で鳴っている。
チェロのソロで弾ける曲があればいいのに・・・
Robert Burnsが1789年に書いた詩、「我が心はハイランドにあり、ここにあらず・・・」
故郷の原風景が無い者にも、強い憧れ、懐かしさ、深い愛情、心の中に寂しさと空虚、熱い涙がこみ上げ溢れる想いが湧いてくる。
ペルトの音楽は私を、3次元の世界から離れ、天に昇り、猛暑も困難も苦しみも忘れる時間の止まったかのような世界に連れて行く。
この自由さ!
チェロを練習したり、楽譜を見たり、調べたりしているうちに、3次元を超えてしまい内面の世界へ。
そこから抜け出して、ご飯を作ったり、人と会話したりすることが容易ではなく。現実に引き戻されてがっかりする。
だが、しかし。
人間が地球で体験すること、全てこの世のことのなかで、感銘を受け、美しいものが存在する。
時空を超える世界をこの3次元でおこなう(演奏する)ことで、多くの人々と共有することができる!
この自由!

👀Documentary of ARVO PÄRT • 24 Preludes for a Fugue
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2019年09月01日

私の中の存在

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私の外に音楽という存在があって、それを学んで演奏する。
そうではなくて。
私の中に音楽があり、その私が何を考え、選び、音を出し、どう演奏するか。
音が出ればいい、その違いが分からない、と言うかもしれない。

信仰と同じだと思う。
〇〇教ではこう考える、という捉え方。

音楽や神などの目に見えない大きな存在、というフィルターを通す。
その存在は私と離れたところにある、近くても遠い存在。

私の内部にあるならば、私の行動は直接その存在と繋がっている。
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2019年08月31日

仙台歩き回り

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30度まで上がった今日の仙台。市内を一日歩き回りコンサートのチラシをあちこち置かせて頂きました。
途中、姪の通う学校の文化祭も覗きに。
最後の目的地、旭ヶ丘駅から見る夕焼け空。湿度が高いなあ。。。
歩数計は27,000歩を越えて、足はジンジン。

今日は長町遊楽庵びすたーりの11周年記念。ランチセットには スープ、前菜、パスタかメインプレート、デザート、お茶かコーヒーまでついて、記念日特別価格! シジミ出汁にミョウガとシソ千切りが入ったスープ絶品!
急いでたのでパスタを選んだけど(ボロネーゼも肉と野菜の旨味があって美味しかった)、肉&魚&野菜プレートも素敵だったろうなあ!
この店は障害者の就労支援という大事なこともやっているけれど、レストランとして最も大切な点、味がしっかりしていること、素材を生かしシンプルな料理が美味しいことが素晴らしいと思います。そして何と言っても代表の菊田さんの柔らかな人柄、スタッフの皆さんが素直で気持ちがいいこと、一人一人のゆっくりのペースが大切にされていることが、この空間の癒しを作り出しているように感じます。
音楽、演奏と一緒ですね・・・。

チラシが多くの人の目に留まり、興味を持ってくださる人、共感してくださる人に出会えますように!一人でも多くの方にお越しいただけますように!

このコンサートの翌日は、石巻の仮設住宅に演奏に行く予定です。
私の活動をご支援いただければ大変嬉しく、有り難く存じます。仙台のコンサートにいらっしゃれない方も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

☆チラシ設置場所☆
長町遊楽庵びすたーり
TFU Cafeteria Olive(東北福祉大学学食)
仙台弦楽器
松尾弦楽器
ヤマハ楽譜売場
山野楽器弦楽器売場
カワイ弦楽器売場
ブックカフェ 火星の庭
ゆきむら
宮城県美術館
仙台市市民活動サポートセンター
日立システムズホール
宮城野区パトナホール
太白区文化センター(?)
シルバーセンター
仙台市戦災復興記念館
エレクトロンホール宮城
トークネットホール仙台
…ほか
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2019年07月24日

アンサンブル(室内楽):合わせる前に

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楽譜を読むことから始まる。
室内楽は二人で弾く二重奏(デュオ)から、三、四、五・・・、人が集まって、それぞれに受け持ちパート(声部)があり、どの部も全体を形にするために不可欠。
個人のパートを練習するときは、必ず総譜(スコア。全パートが書かれている譜)を見る。
音符や音の長さ、記号、指示、など書かれていることは、音楽になるためのヒント。個人のパートを横に見て行き、楽器を綺麗な音で弾いても、それなりに美しい形になるかも知れないが、大事なのは全ての音が合わさった時、つまり合奏(アンサンブル)をしたときにで出てくる音がどんな響きであるか、だ。
それぞれのパートは様々な役割やキャラクターを持つ。それは一つに決められない。一つ一つが人格を持っているような、意思を持ったパートであるかのようだ。
まず、ベートーヴェンならドイツ語が聴こえる音楽だ。つまり拍感、テンポ感、リズム、抑揚など、核心の部分がドイツ語の影響を受けているということ。
ざっと楽譜を読んで曲の構成を見ることで、骨組みの全体像が見えてくる。
そして、様々な音質、音色。
囁く声、大きな声、寄り添う声。上の方にいる音、地下から起こる音、水面下にいる音、声部を繋ぐ音。主導権握る声部、様々な形で助ける声部。前に出る音、背景の音、ちょっかい出す音、遠くに聞こえる音。音のラインの描き方。ロングトーンやスラーのカーブを呼吸と合わせる(つまり弓の動き)。
そう、それぞれが生きている。
それを音にするのが技術だ。
そんな具体的なことや、作品そのものの誕生について、その時代について、作曲家について、一つの作品から知りたいことがどんどん広がって行く。
わからないことが次々に見えてくる。知ることで明確なイメージが見えてくる。言葉に意味があるように、音に意味が生まれる。
自分のパートを横に見ているときには、気持ちよく弾けているかも知れないが、意味のある音や具体的なイメージを持つ音楽にはなっていない。

室内楽の個人練習は、地味な作業だ。
頭の中では、自分の弾かない音(ほかの人の音)が鳴り、想像の世界が広がっている。繰り返し、繰り返し、たった1音を、ああでもない項でもない、と磨いて行く。
夢中になるし、楽しいけれど、集中が長続きしないほど頭の疲れる作業でもある。

無伴奏の曲は、身体と作品と楽器との間のいいバランスを取っていけばいい音になるので、瞑想のような気分になる。もちろん、技術的な難しさを克服するのは一苦労だが、それですら身体的な達成感がある。純粋に音楽と繋がることに集中すればいい。単純に「気持ちいい」と言える。

室内楽では。
いざ、人と合わせるときには、全体の音を聴く。考えの違いや相手の特徴、楽器の特性は毎回違う。自分がどのような音を出せばそれぞれが生き、作品が生きるのか、いい響きになるのか。自分のアイデアを音で相手に伝えなければならない。音のコミュニケーションだけれども、言葉も必要だ。ほかの人のアイデアを得て、新たな思考回路ができる。人と合わせる中で、具体的な自分の音ができていく。意味のある言葉(音)が弾けるようになる。
すぐに弾けなければ、音が演奏技術に繋がるよう、また個人練習。
本番という準備時間の期限があるから、あらゆる感覚と経験が物をいう。完璧なんて、あり得ない。
そして、見えることから自由になれれば、弾いている瞬間に世界が広がれば、幸福感でいっぱいになる!これぞ「音楽」!
室内楽というのは、時間のかかる、でも至福の仕事。
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2019年07月01日

好きなことは自分で決める

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好きなこと、大切なもの、いいと思うこと。それは自分で選ぶことができる。どんなに自分の周りにいる人が信頼できて、大好きな人たちでも、同じことを選ぶ必要はないんです。有名な人の言動を丸ごと鵜呑みにして、あとで「裏切られた」と思うのは無意味。

「名声はおまえをまきちらし、おまえという詩人を毒にも薬にもならぬものに変えてしまうのだ」(リルケ)
毒にしかならない場合もある・・・

失敗したり、今の状況より悪くなった時に、人のせいにしないために。
わかりやすい言葉の弾丸に騙されないように。
戦争しないと決めた国が戦争できるようになって、自分の国の軍隊が他の土地に行って人を殺してしまった時、自分のせいではない、と言えるのでしょうか。過去の多くの暴力の事実を知らないまま(謝罪や反省や償いの話の前に)、言葉の暴力、武器の暴力は許されないと思います。暴力は国と国の間の大きな問題の前に、簡単に身近で起こります。

「おまえのいだいている思想が気にくわぬとして、頭からおまえをやっつける人々もあるだろう。しかし、それら目にみえぬ敵はかえってただおまえの決意をしっかり心の中でささえてくれるだけなのだ」(リルケ)

大事な物事はシンプルな一言二言で説明できないはずです。それから、ある集団や職業、宗教、組織、国を一括りにまとめることもできない。その中の一人一人がみんな同じではないはずです。〇〇大学出身者はこういう人たち、この国の人たちはこういう性質、など、一言でまとめるとわかりやすいようだけど、とても乱暴です。人の一つの行動がその人すべてではないですね。細胞一つ、その人しか持っていないものです。
でも、世の中では、権力を持つ人の多くの失言(失言は意識のなかにあるものでしょう)は全力で庇うのに、社会的に弱い立場の人の小さな一回の間違いは一生をどん底に落とすこともある・・・。だから勝ち組や強い側にいなくちゃ!と不安になるのではなくて、民主的な社会ならば、権力側に身を置いて暴力に加担するのは嫌だ!という、個人の生きる自由は全力で守られるはずです。

自分だけの大切、「ここが素敵!」。他人と競争する必要もないし、引け目を感じて自分をダメと思う必要もない。
「ちょっと違うな」と感じることに敏感であるのは悪くない。ちょっとした違和感のおかげで自分の感じることを言葉にしたり、音や絵で表現したりできます。それは、「私」と「あなた」の違う点を探して「仲間」ではない、あなたは違う、あなたも違う、と遠ざけるということではないのです。
自分の持つ「いいな」「これ好き」「これは変だな」を会話にして、私とあなたの共通点を見つけ、時に共感する。10回、何十回に1回しかないかもしれない、輪と輪の一部の小さな重なり。
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2019年06月24日

本格的?形が整えば本物か・・・

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子どもたちには本物に触れてもらいたい、という声はあちこちで聞く。私も言うことがある。
さて、どのように、どうやって、どんな内容のことか。聞いて行くと、色々噛み合わない。
そもそも、本物の音楽ってなんだろう・・・。

学校の音楽室に飾ってあるモーツァルトやベートーヴェンの肖像画。この音楽家たちを身近に感じられるように、ピアノとヴァイオリン、ピアノがなければ弦楽四重奏で、曲の説明を時代背景も含めて解説して演奏する。普段は舞台上にいる演奏家が学校の教室で弾いてくれる。子どもたちにとっても先生にとってもきっと素敵な体験!それは多くの演奏家が行なっているし、素晴らしい活動だと思う。

チェロとリードオルガン、チェロとパーカッション、この組み合わせが音楽史上で主流ではなく(滅多にないと言ったほうがいいかも)、そのために大作曲家が曲を書いてこなかった。だから「本格的」ではないのだろうか。
編成がメジャーで、楽器が揃っていて、よく知られた曲を再現すれば「本物」を聴かせたことになるのだろうか?

子どもだけじゃなく、多くの人々に音楽を聴いてもらうことは、その場一回限りの人間と人間の空気の振動によるコミュニケーションであり、人間の歴史上の時間を超えた出会いであり、魂の出会いでもあると思う。ちょっとしたミスも、ハプニングも含めた、演奏家の集中と喜びを目の前で触れて、音はその場で消えてしまうけれど、心のどこかに残るようなもの。
知識を得るためだけならば、本物に出会うとは言わないのではないか。

内容をわかってくださいと直接説明するのではなく。
そのために試行錯誤しながらずっと弾き続け、それができる喜びを感じる。
たぶん、きっと、ある日、それが人の心に触れるだろう。それが出会い。


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2019年06月17日

絵本、童話、そして生命の存在

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幼児期に絵本や童話の世界に夢中になることは、自分の存在を絶対的に肯定するための大切な時間なのではないか、と思います。
私が「存在する」こと。そして、両親、家族の一人一人、周りの人、猫、犬、鳥、いろいろな種類の生命が「存在する」ことを認識する。

親や周りの大人が本を読むきっかけを与えてくれなかった人でも、今からだって遅くない。
お話の中の人物が、人に会い、動物に会い、話をして、友達になって、ちょっとしたハプニングがあって、どんどん出来事が続いて、世界のいろんな場所に出かけて行って、海の中にも宇宙にも行ける。自分も一緒に簡単に時空間を飛び越える。
そんな想像の世界にどっぷり浸かっていていいよ、とプレゼントされていたのが、絵本や童話なんです。
小さな頃はそんな時間がみんな許されるのに(でも、許されない環境の人もいる)、オトナになったら、時空間飛び越えた世界が見えたり聴こえたりすることなんか、社会でうまくやって行けない人、と見られて避けられてしまったり悪口言われたり。その社会っていうのは、経済と仲がいい。お金にならないことは「損」で、学校に入ったら、「アンタ、そんなことやってたら損するよ」とガミガミ言われて「なんで勉強しないの!」って。
お金儲けにはならないけど、いつまでも好きなことや自分の身体ができること、自分や周りの人が気持ちいいと感じる仕事を続けられたら。いろんな立場の人が、この社会の「普通」とは違うことを「変」な気持ちにさせられるのではなく、違うのが当たり前の社会、がこの世界の大前提なはずなのになあ・・・。

森の奥深くに入っていったら、妖精たちが集っていたとか、大きな素敵な家があって、でもそれは子ども(子どもの心を持った大きな人)にしか見えなかった、という話、そういう場所は現実の世界にもあるんじゃないか、と思います。
山奥の小さな手作りの家に住み(作りながら住んでいる)、深い思索しながら農作業や肉体労働する人。シングルマザーや在日と呼ばれる人、その子どもたち、月々の収入が家賃と食費で精一杯の人が暮らすアパートでの、助け合って笑いの絶えないコミュニティ。お金はないけど、アイデアはたくさんあって(子どもたちのアイデアは素晴らしい!)、いろいろおもしろがって生きている人たちが、都市から離れたところ(きっと都会の中にもあるでしょう)でたまに集って話す。その話の世界は夢物語ではなく、この社会、この世界の本来の姿の、現実に結びついた内容です。
この地球(世界、社会)には、多種、多様な生命が存在する、ということを。

絵本や児童文学は、歳が若い子どものためだけにあるものじゃない。歳を重ねた人でも、心はいつまでも若くいられる、子どもの心を持つ人ならいつでも読みたいし、夢中になれる。
話しかけられても耳に入らないし、ご飯もさっさと終わらせて続きが読みたい、お話の世界にどっぷり入って行く感じ。無心の集中。
なんでこんなに夢中になれるんだろう!
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2019年05月09日

5月18日(土)《ムジカ・フォンス・ヴィーテ》オープンスタジオ ミニライヴ

渋谷の東急Bunkamuraから徒歩1分ほどにBEATAオルガン練習室の従姉妹店!≪MUSICA FONS VITAE ムジカ・フォンス・ヴィーテ(音楽は生命の糧)》がオープンします。
オーナーさんが注文しているオルガンはまだ入っておらず、今はアップライトピアノがあります。スタジオ備付のアップライトピアノのほか、弦楽器やリコーダーなどのアンサンブルや、レッスン、小編成の合唱の練習にもお使いいただけるスペースです(金管不可)。スタジオについての詳細記事はこちらをご覧ください。
この度、5月18日にスタジオお披露目会を開催、そこで演奏することになりました。ミニライヴの後は、楽器をお持ちの方が17時まで試奏できるそうです。ご興味おありの方、ぜひお越しください。

2019年5月18日(土)15:00(14:45開場)
《ムジカ・フォンス・ヴィーテ》オープンスタジオ ミニライヴ(約30分)
【プログラム】
J. S. バッハ(1685-1750): 無伴奏チェロ組曲 第5番 ハ短調 より プレリュード
ベンジャミン・ブリテン(1913-1976): チェロのための組曲 第1番 作品72 より 第1のカント(歌)〜フーガ
コダーイ・ゾルターン(1882-1967): 無伴奏チェロソナタ より 第2楽章
【入場無料】要予約 
【予約/問合】 tel. 03-6317-8916(ベアータ)e-mail: beata@ab.auone-net.jp
💡詳細はこちら
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2019年05月08日

古きも新しきも、昔も今も

6月1日(土)15時開演 京都文化博物館 別館ホールにて、
鍵盤楽器奏者の三橋桜子さん&パブロ・エスカンデさん夫妻が主催する
「アンサンブル・コントラスタンテ」コンサートシリーズの第2回、バロックと現代を対比させたプログラム"OLD AND NEW"が行われます!
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桜子&パブロ夫妻はJ.S.バッハやバルトーク。
二人のフルート奏者、森本英希さんと出口かよ子さんが、W.F.バッハ、20世紀のマルティヌーやパブロ・エスカンデ氏などの作品を。
私は通奏低音共演のほか、ソロでJ.S.バッハの組曲5番プレリュード(とフーガ)、ブリテンの組曲1番のカント&フーガを弾きます。
もちろん、バロックと現代の楽器を使います!

桜子&パブロ夫妻とは昨年の9月頭に開催した西日本豪雨被災地支援コンサートで初共演しました。知的でチャーミングで素敵な音楽家たちです。今年2月にはBEATAコンサートで桜子さんのチェンバロと共演した際にも、バロックと現代のプログラムを組みました。J.S.バッハのガンバソナタは手応えがありました。
今回の共演も楽しみです。

先人たちはいつも古い時代の芸術から学びました。
昔の作品も今の作品も、いつも新しく生き返る音楽を!

お問い合わせは、下記連絡先にお願いいたします。
ガレリア・デ・ムジカ(三橋さん)075-752-3814
ミンネザング(元林さん)080-9822-9205

ぜひお越しください!
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2019年03月05日

世界は未知で満ちている!

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世界には様々な民族がいて、どこからやってきたのか、そのルーツや通ってきた道があります。その過程で民族独自の文化(食べ物、言語、服装、音楽、踊り、美術・・・)が育まれ形成され、そして変化します。
東は琵琶、西はリュート。その原点にアラブのウードがあります。
ウード奏者常味裕司氏の演奏をホームコンサートで聴く機会がありました。

民俗楽器を演奏会場で聴くときはマイクを通すことが多いですが、やはり生の音を体感するのがいいですね。その地域の人々を知り、オリジナルの楽器を知り、言語を知り、踊りを知り、匂いを肌で知った演奏家は、音に潜在する生きている波動を表現しています。
受け取る人は、このような目に見えないものを、可聴範囲外のものを音の中に聴きます。
この日の演奏はもちろん機械的なものを一切使わない。
以前、ブラジルのショーロのグループの演奏を大ホールで聴いたとき、一曲だけマイクを通さずに演奏してくれたのです!その演奏を客席全体が耳をすまして、全身を耳にして聴く、その澄んだ空気感、いい緊張感。空気に乗ってグルーヴが伝わる。音は空気の振動だもの、当然です。演奏家の普段の声や音楽は新鮮で、最も印象に残りました。
真摯に文化を身体で受け止めて表現している音楽家の演奏は、小さなライブハウスなら、ぜひマイクを通さないで欲しい!

さて、ウード。
4度調弦の特徴である楽器の中での弦の共鳴が、ヨーロッパ音楽独自でないことを知りました。
演奏する常味さんの向こう側に、私がまだ見たことのない、とうとうと流れるナイル川、砂漠、風に揺れる緑、広々とした風景が見えました。

ホームコンサートを開催した作曲家が、自身のピアノとウードが共演できるように曲を書いたのですが、この日は演奏されませんでした。「難しいから」とおっしゃる。ただ音符をなぞるのは演奏ではないという意味も含めて。
「演奏するには何ヶ月も、何年もかかるんです」
それは、この作曲家の作品が「すぐ弾ける」ような内容ではないという意味でもあります。どんなに単純な音符だとしても。

音楽の世界(業界)では「すぐ弾ける」ことがクローズアップされすぎていないか。
短期間で弾けるようになること、楽譜を見たら初見で弾けることは才能の一つであり、その人らしさです。
人の作品を演奏することは、作った人のことを知ることでもあります。もちろん深い意味で完全に理解することはできませんから、知ろうとする交流とか学びのことです。どうしてこの音がここに存在するのか、何度も試して考えて繰り返し練習し、身体に技術が馴染んでくるのです。
日本人にとって西洋音楽もアラブ音楽も異文化です。長い歴史の中で繋がりはあったとしても、気候も言語も宗教も生活様式も違います。作品それぞれ、一度勉強したら終わりではなく、弾くたびに、そして使う楽器によっても新たに学ぶものです。

演奏会に間に合わせるために不消化だったり、勉強不足だったり、その曲を弾くための技術が身体に入っていないことがいかに多いことか。
もちろん仕事には期限があり、それまでにできないことだらけですし、勉強や理解に終点がないことは確かなことです。一方で、楽譜に表すことができない民俗音楽を人生の仕事としている人を目の当たりにして、改めて芸術の本来の姿や核心に気づきます。

そして、簡単に音が出せる楽器では技術が上達しない、という意見にも共感!潜在力のある楽器は弾きにくいものであり、いかに演奏者が音を引き出していくか、楽器を育てるか、そして自分のテクニックを築き上げるか。凹凸感や個性のない弾きやすい楽器で速弾きすることは、ただのメカニックです。存在感が薄くなります。
便利なことが芸術にとって不幸なこともあるんです。

音楽の本来の姿は、演奏家の身体を通して出てくるものです。その人間から出てくるもの。
氏の真摯で力強い魂に、刺激と勇気を頂きました。
posted by makkida at 09:59| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2019年02月10日

そろそろ始動の時期!

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「人間の細胞は7年で全部が入れ替わる」そうです。 
20代の頃から、7年がひとつの節だと思っていたけれど、あながち間違いではなかったようです。それに合わせて予定組んでいるわけではなく、振り返るとそうだった、という感じ。

最近は大きな力(別の言い方だと、宇宙の導き)による出会いがあります。
色々な活動が、そのような自然な流れと意思とのいいバランスによって、いい仕事ができたらなあ、と考えています。

固まっていた心がゆっくりと解れていく音楽。カラカラに乾燥していた心に水が染み渡っていく音楽。生演奏はもちろんですが、そんなCDを作り続けたい、と思います。
そろそろ始動の時期です!
posted by makkida at 10:55| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2019年02月01日

2月3日チェンバロとチェロ 

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2月3日のコンサートは、関西を中心に活動されているチェンバロ奏者、三橋桜子さんとのアンサンブル。昨年10周年を迎えていたベアータオルガン練習室の「10〜11周年記念」&「ザスマン チェンバロお披露目」演奏会でもあります。
三橋さんはお連れ合いの作曲家そして鍵盤楽器奏者パブロ エスカンデ氏と、バロックと近現代音楽ネオ バロックを組み合わせたプログラムで鍵盤デュオや、室内楽のコンサートをしています。
バロック音楽の大事な特徴は、「喋る」こと。つまり発音。言葉を喋るように、会話またはセリフを話すように、音をとらえ発します。ただ単語や文章を発音するだけではなく、言葉の意味を理解した上で自分の身体から発する言葉、生まれてきた言葉として発するのだと思います。
近現代の作曲家はバロック、ルネサンスなど昔の様式を学び、表面的な引用ではなく源泉として取り入れ、自分自身の音楽語法にした人々が多くいました。全てとは言いませんが、それぞれの作曲家の語法、最もシンプルな部分での音の作り方は、バロックにおける発音の仕方、喋り方と共通点があるように私は思います。
そのような意味で、桜子さん&パブロさんの活動内容は興味深く、共感しています。
今回のプログラムでも、バロック音楽と、20、21世紀のシュニトケとペルトを演奏します。

【プログラム】
J-N-P. ロワイエ(1705-55):クラヴサン曲集(1746)より アルマンド、繊細な女、スキタイ人の行進
J.バリエール(1707-47):チェロと通奏低音のためのソナタ ニ長調 第4巻第1番
F.ジェミニアーニ(1687-1762):チェロと通奏低音のためのソナタ ニ短調 作品5 第2番
A.シュニトケ(1934-98):古様式による組曲(1972)
A.ペルト(1935- ):鏡の中の鏡(1978)
J.S.バッハ(1685-1750):ヴィオラ・ダ・ガンバソナタ 第2番 ニ長調 BWV 1028

プログラムを組んだ後に、ちょっとした楽しい発見をしました。

バロック時代の4人の作曲家は生きた時期が重なっています。
チェロ奏者バリエールと鍵盤楽器奏者ロワイエは、2歳違うだけの同世代、それぞれ40歳、50歳というあまり長生きではなかったこと。
J.S.バッハとジェミニアーニも2歳違い。活躍した場所は違いましたが。
バッハから250年後に生まれたペルトとシュニトケ、彼らは1歳違い。出生や活動、作風は当然ですが全く違います。それぞれが古い音楽の様式を用いているのに、それぞれの生き方が音楽に表れます。そこが面白い。

それから、これも偶然ですが、二人で弾くバロックの作品はニ長調かニ短調、というのも(笑)

ところで。
ペルトの「鏡の中の鏡」は瞑想の音楽。自分が鏡の中にいるような、水面の上に立っているような、この世とあの世の間のような感覚です。
シュニトケの組曲は伝統的な古典的な構造で書かれており、和声もいたって古風です。フーガではベートーヴェンのカルテットを思い起こすし、民謡のようなどこかで聴いたような懐かしさがあります。20世紀の作曲家の多くが取り入れた手法ですが、古くて聴き飽きた音楽になるどころか、新しさを感じるのは不思議です。彼の他の音楽は全く違う響きがします。彼がどうしてあんなにも多くの様式を使ったのかは、彼の生い立ちに影響するところがあるようです。
今後もっと勉強してみたい作曲家です。


2019年2月3日(日)15時
BEATAコンサートシリーズ54
三橋桜子(チェンバロ)&富田牧子(チェロ)
【場所】BEATAオルガン練習室
【料金】限定25席・要予約 4000円
【ご予約】ベアータ ☎︎ 03-6317-8916 e-mail beata@ab.auone-net.jp
posted by makkida at 00:14| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2019年01月14日

病院訪問コンサート

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都内の病院の緩和ケア病棟の談話室で訪問コンサートをしました。
患者さん方の具合を見ながら、30分くらい。バッハの無伴奏、患者さんのリクエストでサン=サーンスの「白鳥」、アイルランド民謡「ロンドンデリーエア(ダニーボーイ)」、カタロニア民謡「鳥の歌」。賛美歌も一緒に歌いました。
高齢者や重い病気を持つ方のために弾くとき、音の出し方が自然と穏やかになるのが自分でも不思議です。
ガット弦の音色は体の奥深く、そして全身へ癒しを与えると思います。
posted by makkida at 12:14| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2019年01月03日

「からだ」を感じる

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2018年はJ.S.Bachで始まりJ.S.Bachで終わった一年。
年末には、名器テストーレでバッハの組曲を弾かせて頂くひとときを過ごしました。イタリアの濃くて澄んだ赤ワインにぴったりな、中身のぎゅっと詰まった、エネルギーに満ちた艶やかな姿形、その見かけと同じ音色を持つ1735年頃のイタリアのチェロ・・・💕まるで魔力に酔ったようになり、音を出すことに集中していき、弾いていると止まらない。
弦楽器には命が宿っています。オールドの名器には、現在に至る数百年の間に弾かれた歴史が詰まっています。魂かもしれません。
弾き手の私は、制御する力ではなく、しなやかな「力」を持って相対します。謙虚に。楽器の身体の呼吸を聴き、感じることに無心になります。
音楽は音。
音楽の内容が命。
それが幸せ・・・

「人が自分の「からだ」を感じるのは、痛み苦しんでいる時ではありませんか」
年末に訪れた礼拝での説教の中で印象に残った言葉です。
「痛みや苦しみを伴うことで豊かになる」
身体も心も元気なときには、あまり自分の体のことに気を払わないでしょう。痛みを覚えて、やっと気づく。足先の爪が剥がれたり、指先に小さな怪我しただけで、全身の使い方も変わってきます。

一対一や複数の人間関係も、ひとり悩みや苦しみや病気を抱えていれば、お互いのつながりを強く感じたりします。
ひとりひとりが違って当たりまえの、様々な価値観や考えを持つ人が集まって作る社会が平和であるためには。
痛みや苦しみ(自分だけでなく周りの人、遠くにいる人の)を感じないようにして、個人が考えるのをやめ、強引なリーダーや組織に追従する「安定」の社会は、平和ではないのでしょう。
「有機的につながり合って、苦しんだり喜んだりできる共同性」
有機的な自然界の営みの中で人間が生きられればいいなあ・・・!

有機な音楽をしたい!

新しい2019年が明けました。小さな勇気を持って、光を見失わないように、暗闇を歩いていくことができますように!
今年もよろしくお願いいたします。
posted by makkida at 17:54| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする
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