やっと晴れると、おひさまがもったいない気がして、歩きに行きたいし、洗濯もしたい・・・。家族はこんなポカポカの中、寝ているのが幸せの様子。まあ、猫も陽だまりで寝ていますものね。人間だけが時間に追われて、環境破壊しながら生活しているのも、なんだかオカシイ。
早いもので12月。そしてアドヴェントに入りました。クリスマスには色々なキャロル(クリスマスソング)が聴こえて来ますが、キリスト教の讃美歌で歌われるものであり、古くは世界中の諸民族の生活の中で歌われてきた民謡から来るものもあります。
日本では「私は無宗教です」というと危なくないという空気を感じます。宗教を表面的な認識からの無関心、タブー視している傾向もある気がします。
どうして人を殺さないのか、という問いを考えたときに、それぞれの人が何かを信じていることに気づきます。
歴史、芸術、哲学、科学、政治、経済、すべてにおいて宗教と無関係であるものはありません。不思議なことに、クリスマスをイベントにするのは問題ないようです。多くの人に受け入れられる部分だけ、つまみ食いで取り入れている。
宗教に限らず、自分の身の回りにあるものと遠いものに対して、よく知らないと、ますます嫌悪することはあるかもしれません。
また、もっと深く掘り下げようとしたときに、多くの人が離れていきます。
難しい、という一言で。本当は知るのが怖い。自分の身に降りかかってくる面倒なこと、責任、危険を回避するために、知らないでおく。あるいは、知っているのに知らないふりをする。
ピアニストの崔善愛(チェソンエ)さんが書かれた本からは、同じ日本で音楽家として活動しているのに、生きてきた環境が違うことからくる多角的な視点、問題提起にハッとします。
朝鮮半島から日本にやってきた両親のもとで生まれ育ち、日本語が母国語、という「在日」と呼ばれる人々は、今でも「外国人」扱いです。
ソンエさんが指紋押捺を拒否し、裁判で敗訴し、再入国を不許可とされ、裁判を起こし、再入国不許可のまま出国すれば永住権がなくなる「もう帰ってこれないかもしれない」という状態で、アメリカ留学をしたのが26歳。留学のためにアメリカ領事館でビザ申請をした時、「あなたは日本で生まれ育ち、家族が日本にいる。そんなあなたが日本に帰れないわけがない」と領事に言われ、ビザを発給してもらったという。留学して2年後、裁判で証言するために日本に帰ってきたときに、「新規入国者」となってしまうのです。あらゆる手続きに時間がかかり、自分の国だという公的な権利が認められない。選挙権もない。
私は読みながら胸が締め付けられるようで、涙が止まりませんでした。
私も彼女と同じ年齢で留学し、手続きはスムーズで、日本に2年間帰ってこなかったのは私が帰ってきたくなかったからであり、ヨーロッパでは日本のパスポートに守られている、と感じた。この大きな違いに愕然としました。
ずっと長い間気になっていたこの方には、やっと最近お会いすることができました。正確には、高校生の時に、草津の音楽祭で参加したヤーノシュ・シュタルケル氏のマスタークラスでお目にかかっているのですが。あのとき婚約者だったチェリストのご主人と一緒に、シュタルケル氏に会いに来られていたのでした。
生まれてきた境遇やそのままの姿を、やっと自分自身が受け入れたとしても、周りや社会が受け入れなければ、ありのままで生きることはできない。隠し続けることが自分の心を苦しめる。そもそも、なぜ「隠す」ことになるんだろう!生まれる場所は本人は選べない、みんな頭でわかっているのに。「ありのまま」でいることの難しさは、自分だけの問題ではないことに気づかされます。
福島の原発事故からの避難者の存在も同じ。難民の存在も入国管理局の存在も知らないまま無関心でいれば、生きる権利がいつまでたっても無い人たちが、この先も無いままで一生を終えなければならない!