2018年11月24日

音楽はやっぱりいいなあ!

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今回の日本滞在の間に90歳の誕生日を迎えるというイエルク・デームス氏。氏から贈られたというベーゼンドルファーを使って、ドビュッシープログラムでした。サロンいっぱいに人が(7、80人?)集まって熱気が満ち、私は少々酸欠気味でしたが、目をつむると、広がるのは音楽のみ。氏のイマジネーションの世界に引き込まれ、ゆったり浸る、夢のような時間でした。
長年弾き続け、身体に入ったドビュッシーは、洗練され、エッセンスが凝縮され、新鮮な音楽となって、とても明快に音となって現れてきました。ドビュッシーのピアノ曲がこんなに素直に私の中に入ってきたのは初めてです。
氏の想像が部屋いっぱいに広がる。そう、音楽とはこういうもの!
聴きながら、改めて心から思いました。
「音楽って本当にいいなあ!」

翌日は、ジョルディ・サヴァール氏とエスペリオンXXI。
600席のホールは中世からバロックの音楽を純粋に楽しむには広すぎるけれど、繊細な音に全ての聴き手が耳をすますのはとてもいいと思いました。
サヴァールのヴィオールは弾いている音楽と同時代のもの。そして、アンサンブルのサウンドは洗練されていて、上質に溶け合い、いい音色でした。
音楽のノリやイキがいいのは大切ですが、まず、音の質がいいことはとても大事。いい音があってこそ、そこから自然に広がる響きがあり、想像力も膨らみ、音楽も発展していきます。そして、心の奥深く、音楽の核心へ・・・内にも外にも無限に広がっていくのでしょう。
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2018年10月28日

私を離さない存在

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10月の半ばに浅草橋教会にて「ガルニエオルガン奉献30周年を記念して」、義母・木田みな子オルガンコンサートがありました。
猛暑の夏の中、毎年恒例のオルガン研修会の準備と開催を成し遂げ、なかなか疲れが取れないなかのこの日のための準備と練習。長年続けてきたとはいえ、80歳半ばの小柄な女性にとっては大変なことです。
本番直前まで「頭が回らない」「目がよく見えない。幾何学網様が見える」と体調不良や、「このオルガンの鍵盤の幅は広くて私の手には大変で」「礼拝堂の響きがないので大変」など嘆いていました。でも「祈っていて」という言葉に光を見出しました。

体調が良くないときや、条件が良くないときでも、演奏家はなんとしても演奏しなければなりません。
お客様には事情はわかりません。音楽は演奏家の諸事情に付き合ってくれません。

この日の演奏は素晴らしかった!周りの人の心配も吹っ飛ぶ演奏でした。そして、本人は演奏後、とても元気で幸せそうでした。
この会堂では弾いている場所が一番聴きにくかったようですが、一番後ろで聴いていた私には、ガルニエの楽器の良さがとてもよく伝わってきました。和音の重なりや各声部の明快さ、落ち着いたテンポの中、音がとても丁寧に紡ぎだされていきました。

全てが最高に整えられていないときにこそ、演奏家の音楽のアイデア、技術の確かさ、作品や作曲家の理解など・・・それが本当にその人のものであるかどうかが、明らかになります。その人の人間の底力が現れるのだと思いました。そしてそのようなときに、長年ぶれずに理想を抱き、まっすぐに求め歩き続けてきた一流の音楽家には、大いなる存在が助けてくれるのでしょう。最後にアンコールで弾かれたバッハの曲、本人が話したように、どんなに投げ出したくなる状況にあっても「神が私を離さない」。

芸術とは何か。
それに携わる人間の永遠の問いです。
プロフェッショナルな演奏家が「音楽で食べていける人」だとするなら、真摯に芸術と向き合うことだけではプロにはなれません。今現在の社会の中に居場所がなければ、ニーズがなければ、仕事にならずお金になりません。
どんな時にでも対応できるように楽器を巧みに弾くことができるようになればいい、とりあえず音がちゃんと出ればいい、あちこちから呼んでもらえる(仕事がある)、と口でいうのは簡単です。
クラシック音楽を演奏する難しさは、長い歴史の各作曲家のそれぞれの作品を理解し、それを音にする技術を身につけなければならないところにあります。それは一生勉強でもあるのですが・・・考えることはそれだけではありません。
なぜ音楽が生きていく上でなくてはならないのか。
今日のご飯がない時に、災害にあってこの先どうなるかという時にさえ!人は音楽があったら希望が見出せる、生きていく上で必要なものです。
この世での時間が少ししか残されていない時にも、音楽に励まされるかもしれない。
一人一人にとって大事なものがあるように、この人の音が聴きたい、この作品が聞きたい、と好きな音楽もそれぞれあります。色々考えてみると、この社会でうまく音楽の仕事ができる人が各個人にとって大事な音楽をするとも限らない。大量生産・消費の反対にある、ひとつひとつ違うもの。演奏する作品、場所、聴衆、楽器の状態、体調・・・その時々で考え判断することも必要です。
演奏家も主体性が大事なのです。

もうひとつ、とても大事なこと。
音楽する上で、いや、生きる上で何がベースになっているか、ということです。何のために音楽をするか、ということにも繋がります。
ヨーロッパのクラシック音楽をする時にはキリスト教、紀元前の音楽から考えるならその他たくさんの宗教、信仰が人々の生活の基盤にあることが切り離せません。宇宙では(人間がコントロールできない)大きな力が働いていて、地球の回転や、季節、気象の変化、リズムを生み、その存在を畏れ敬いながら毎日の生活がある。多分、多くの人は知っているのだけれど、実際に身近なこととして考える時に怖くなって見ないようにするのでしょう。
音もリズムも自然に委ねることができれば、音を出すことももっと楽になると思います。

好きなことをやっているのに苦しい。理想に近づこうとするとき誰でも苦しむでしょう。自分との闘い、なんてよく言いますが・・・。
でも、他人や外の力から強制された苦しみと同じではいけないと思います。教師の一方的な固まった考え方による有無を言わせぬ練習に耐える、このようなところに音楽の楽しみはないと思います。音は自発的に、体の内側から出てくるもの、ということを小さな頃から、楽器を学び始めた最初から大切にできればと願います。
コンサートの準備はただ楽しいだけじゃないことも。人と一緒に作るには、同じ方向を向いている時でもお互いの考え方がぶつかるとこともあります。自分の意見に従わせるのではなく、思うことを伝え、誤解を解く。もしアンサンブルの(共演者がいる)場合にも、妥協ではなく、何とか形にするために精一杯、頭と心と持っている技術を使う。どんな状況でも諦めず、とにかくできる限りのことをしようとする演奏家の誠実さが、周りの人を動かすこともあるでしょう。

大いなる存在を感じ、時に身を委ねる・・・信仰が基盤にある音楽家は、音楽をしている時にはこの世の人間社会の生き辛さから解放されるのでしょう。その音楽を聴いた人々には、生きている喜びや、心の奥底に潜んでいたたくさんの想いがどっと出てくる。その音楽に引き込まれ、演奏者と一緒に音楽に参加してている状態になる。ともに「祈る」音楽となる。演奏家はそのような聴衆に支えられ、応援され、励まされているのです。
そんな色々なことを思ったコンサートでした。
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2018年10月17日

生気

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電車に乗って、だんだん高い建物がなくなり、家がまばらになり、緑が増えて川や山が見えてくると、あくびが出る。

動物も植物もすべての生き物は循環の中で命を繋いでいる。
自分が楽しいことをすれば周りの人も楽しいことを始め楽しいことが回っていくとか、何かいいことがあれば次々にいいことが起こる、という循環はいい。
電車が遅れ始めると、あとの駅で人がどんどん集まってくるから、次々に遅れが大きくなる、というのも。悪循環はいろいろ見つけられる。

循環はときに恐ろしい力になる。
怒りの暴走、爆発は相手にダメージを与え、生命力を奪う。身体は硬くなり、冷えて、収縮する。
暴走する方が制御するより簡単。
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木の肌、幹、葉、枝分かれ、草花、造形の美しさ。風に揺れる葉っぱの音、川の流れ、水の音、虫の音… 耳を傾けると静けさを感じ、頭のモヤモヤが晴れ、心が安らぐ。
自然の力は素晴らしい。
全身に呼吸を満たし、隅々まで生気を与える。身体がゆっくり温まっていく。
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2018年10月09日

リズムの感じ方

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リズムについて。
リズム感がいいとか悪いとか、ではなく、リズムの取り方が違う、ということもあります。
以前ハンガリーの演奏家とリズムの感じ方がなんだか違うな、と感じたことを思いだしました。それは、すごくシンプルなリズムの話で、例えば8分音符や2分音符などの音の長さもそうです。私の感じ方では正確なはずだけれど、と何回繰り返してみても、彼らにしてみたらこちらのリズム感が悪いわけです。言葉のアクセントや抑揚が旋律の歌い方だけでなく、単語のようなリズムの形に反映します。少なくともハンガリーの音楽を演奏するときには、それに合ったリズムの取り方をしなければその音楽にはなりません。少なくとも、その音楽に核心に近づけない。だから、「違う」と言われるのです。

ラテン音楽のリズム感がよくっても、別の音楽のリズムはうまくできない。世界中にいろんな民族がいて、たくさんの民俗音楽(歌や踊りの曲)が存在していれば、それぞれのリズムの特徴が当然あるわけです。
もし世界の様々な音楽を演奏するなら、自分にぴったりくるか、気持ちいいか、好き嫌いは関係ないのです。自分の中にないものや初めて出会うものは、違和感があったり居心地わるかったりするものです。
たとえ「この音楽はとても自然だ」と思っても、演奏する人がその語法を理解できていなくては「自然だ」と感じる音楽に聴こえない。つまり、違いを具体的にして、自分の喋り方の1つとして身体に入っていなければならない、ということです。
他の人は「違うよ」ということしか言ってくれない・・・いや、言って貰えれば幸せですね。
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クラシック音楽の歴史の中でも、どの時代のどこの音楽か、誰の音楽か、によってもそれぞれのリズム感があるはずです。それはどんな弓の使い方をするかなど奏法にも関わって、総合的複合的な問題となります。
ドイツ人だからドイツ音楽らしい、とか、日本人だから日本の音楽がわかる、とか、ハンガリー人だからハンガリー音楽が上手い、というような偏狭的な立場とは異なります。
自分の中のイメージや違和感をできるだけ具体的にして、それに合う技術を身につけることの繰り返しです。
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2018年09月08日

西日本豪雨被災地支援チャリティコンサート(京都)ご報告

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9月2日のチャリティコンサートは会場いっぱいのお客様にお越しいただき無事終了することができました。
西日本豪雨被災地で救援活動をしている「ヒューマンシールド神戸」への支援金として、61,600円を送金しました。お集まりくださった皆さま、ご協力くださった皆さま、どうもありがとうございました。
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京都では7月の豪雨のために川が氾濫したり、土砂崩れの被害にあった方も多くおられます。
そして、このコンサートの2日後に大型台風が関西を襲い、またその2日後に北海道で大きな地震が起きました。大阪では地震、豪雨、そして今回の台風で大変な生活を送られている方も多いでしょう。犠牲になった方々や被害に遭われた方々、その状況には心痛みます。
交通網が寸断され、電気が止まることで、被害はますます広がります。土砂崩れにより山肌が削られた山々の悲鳴も聞こえてきます。自然災害は私たちの生活と隣り合わせだということを痛感します。
2000年の有珠山噴火の際に支援のためのチャリティコンサートを行った時、一緒に動いてくださった北海道の皆さまを案じています。

1つ1つのコンサートや、人との出会いを大切にしたいと改めて思います。

フェイスブック投稿記事より


【この日のプログラム】
J.S.バッハ:アリオーソ (カンタータ156番「片脚は墓穴にありて我は立つ」よりシンフォニア)
F.ジェミニアーニ: チェロと通奏低音のためのソナタ ニ短調 作品5−2
J.デュフリ:三美神、ラ・ドゥ・ブロンブル
J.F.X.シュテルケル:連弾のためのソナタより
 カンタービレ〜アレグロ/プレスト(ロンド)
*** 休憩 ***
カタロニア民謡「鳥の歌」(富田牧子編曲)
W.A.モーツァルト:4手のピアノのためのソナタ ニ長調 KV381
 アレグロ・コン・スピリト/アンダンテ/アレグロ・モルト
R.シューマン:子供の情景 作品15より
 見知らぬ国/不思議なお話/トロイメライ/木馬の騎士/怖がらせ
P.エスカンデ:チェロとピアノのための2つのミロンガ
J.S.バッハ(Z.コダーイ編曲):「天にまします我らの父よ」3つのコラール前奏曲より
[program]
J.S.Bach (1685-1750): Arioso [Sinfonia from Cantata 156 “Ich steh mit einem Fuß im Grabe”]
F. Geminiani (1687-1762): Sonata in D minor for cello and basso continuo Op.5-2
J. Duphly (1715-89) : “Les Graces“ “La De Belombre” for harpsichord
J.F.X. Sterkel (1750-1817): from Sonata for harpsichord 4 hands
Cantabile - Allegro / Presto (Rondo)
~pause~
Catalan carol “Song of the Birds” arr. by Makiko Tomita
R. Schumann (1810-56): from “Kinderszenen” for piano Op.15
 Von fremden Ländern und Menschen / Kuriose Geschichte / Träumerei / Ritter vom Steckenpferd / Fürchtenmachen
W.A. Mozart (1756-91): Sonata for piano 4 hands in D major KV 381
 Allegro con spirito/ Andante /Allegro molto
P. Escande (1971- ): Two milongas for cello and piano
J.S. Bach/Z. Kodály (1882-1967): “Vater unser im Himmelreich BWV 762” from 3 Choral Preludes
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2018年08月16日

wave

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If you think about someone, they also think about you at the same time.
I often have the experiences. For example, my friend called me when I was thinking "I have to call him/her!". When I was just about to email to the person, he or she sent me a message.
This kind of thing has happened to you, right?
Maybe the energy of thoughts or feelings will reach people. They are spread and carried.
The same applies to music. Sound travels in air in waves.
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2018年08月10日

音、イメージ、表現

KIMG0247のコピー.jpg楽譜が手に入るとワクワクする。新しい音の世界へ、ようこそ!
音楽は、聴く人それぞれが自ら何か感じたりイメージを抱く自由があります。
でも、演奏する人が言葉で作るイメージによって、音そのものが語る世界を狭めてしまうことは残念です。ある言葉を使って形容したとたんに、受け手にとっての音楽の可能性(楽しみ)が狭められてしまうから。「風が吹いている」「草原を散歩している」「太陽が海にきらめく」「解放」「囚人の苦しみ」など、言葉で限定すること無しに、音(の持つ働きや機能)で直接相手の心に働きかけるができ、「音の世界」の時空間(非日常)を作ることができるのが音楽です。
一方で、生活の一部になる(なっていた)音楽、今この音楽を演奏する必然性も同時にあるわけです。
演奏家が「音楽にイメージは持たない」と言う場合、その大前提、あるいは背景として、音楽の表現は音そのものの関係性に見いだせることや、音そのものが語る雄弁さを、演奏者自身が理解していなければならないのでしょう。
音で共演相手や聴き手に伝えること、つまりイメージする音を表現すること、共演者に対応できる表現力など。その技術を磨くことで洗練された音楽表現になるのでしょう。
表現における自由とは、個人の奥底に持つ思想や、感情、その過程、細部へのこだわり(細やかさ)から生まれるものだと思います。
曲それぞれと向き合うとき、ふだんの生活で思考していることが自然と音に現れるものだと思うから、あえて演奏(状況に応じて)に意味を持たせなくてもいいのです。意味があるとすれば、自分の(やっている音楽の)内側から生まれ、浮かび上がって来るものです。
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2018年07月28日

9月2日(日)西日本豪雨被災地支援のためのチャリティコンサート in京都 満席御礼

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2018年9月2日(日)西日本豪雨被災地支援のためのチャリティコンサート in京都
三橋桜子、パブロ・エスカンデ(チェンバロ、ピアノ)、富田牧子(チェロ)


 7月6日から8日にかけて西日本を襲った豪雨は、非常に広範囲で大きな災害を引き起こしました。猛暑の被災地では過酷な状況のもと、今も懸命の復旧作業が行われています。
一日も早い復興を祈り、「西日本豪雨被災地支援のためのチャリティコンサート」を、京都は銀閣寺そばのスタジオ(元美術ギャラリー:アートライフみつはし)で開催する運びとなりました。スタジオの持ち主である鍵盤奏者、三橋桜子&パブロ・エスカンデ夫妻との初共演です。チェンバロソロ、チェロとチェンバロ、チェンバロ連弾、ピアノソロ、ピアノ連弾、連弾とチェロというように、プログラムには様々な組み合わせの曲を集めました。エスカンデ氏は優れた作曲家で、当日は彼の書いたチェロとピアノのためのミロンガも演奏します。
 コンサートの収益は《ヒューマンシールド神戸(代表:吉村誠司氏)》を通じて西日本豪雨被災地の復興支援のために使われます。《ヒューマンシールド神戸》は災害発生直後から重機とともに愛媛県、岡山県、広島県の現場に入り、地元自治体やボランティアセンターと連携しながら様々な支援活動を行っています。
被災された方々にとって今夏の猛暑の中での避難生活は厳しく、心身の疲労は如何ばかりかと思います。そして襲いかかる台風。土砂、水没した家や車、瓦礫などの撤去作業は困難を極めますが、多くの方が現場で活動しています。
吉村氏によると、自衛隊は個人の家に入って土砂撤去をすることができないので、家主が自分でしなければならない。高齢者だけでなく、身体が強い人でもとても一人ではできないため、やはりボランティアの助けが必要になります。今年いっぱいは片付けにかかりそう、とのことです。その活動を直接支えることで、復興に繋がり、長期の活動の継続が可能になると考えます。
みなさま、お誘い合わせの上ぜひお越しください。
当日お越しになれない方も、お知り合いにお声をおかけいただけましたら幸いです。

《災害救援NGO ヒューマンシールド神戸(代表:吉村誠司)》
 地震や洪水などの災害時に、いち早く現地に駆け付ける災害救援NGO。1995年阪神淡路大震災から被災地支援を始め、現在はOpen Japanの一員として東日本大震災の復興支援を継続しつつ、多くの団体・個人と連携しながら各地で相次ぐ水害や震災の救援活動を行っている。ネパール地震やフィリピンの台風など海外での活動も多い。
「吉村誠司の地球日記」
「吉村誠司Facebook」


西日本豪雨被災地支援のためのチャリティコンサート
三橋桜子、パブロ・エスカンデ(チェンバロ、ピアノ)、富田牧子(チェロ)

2018年9月2日(日)
☆2回公演 @午後3時開演(2:45開場) A午後5時開演(4:45開場)
 満席御礼
【プログラム】
J.S.バッハ:アリオーソ(カンタータ156番『片脚は墓穴にありて我は立つ』よりシンフォニア)、F.ジェミニアーニ:チェロソナタ作品5−2、デュフリ:三美神、シュテルケル:チェンバロ連弾、シューマン:子供の情景より、パブロ・エスカンデ:2つのミロンガ、カタロニア民謡「鳥の歌」、J.S.バッハ/コダーイ:コラール前奏曲より「天にまします我らの父よ」、・・・ほか
【場所】ガレリア・デ・ムジカ(旧アートライフみつはし)[京都市左京区銀閣寺前町23]
【料金】2500円/小学生500円 
*未就学児の膝上鑑賞は無料。未就学児でも座席を使う場合は500円になります。席数が限られているのでご了承ください。
💡コンサートの収益は《ヒューマンシールド神戸》を通じて西日本豪雨被災地の復興支援のために使われます。
【予約】ガレリア・デ・ムジカ(旧アートライフみつはし) 
☎︎075ー752ー3814 📩 al-3hasi@muse.ocn.ne.jp
*MA企画でもお問い合わせお受けいたします。📩 kikaku_ma@yahoo.co.jp
💡チラシはこちら
02092018チャリティチラシ.pdf
02092018チャリティチラシ裏.pdf
02092018チャリティチラシ表s.jpg


☆出演者プロフィール☆
三橋桜子 Sakurako Mitsuhashi (チェンバロ、ピアノ)
東京都立芸術高校ピアノ科を経て、東京芸術大学器楽科チェンバロ専攻卒業。安田生命クオリティオブライフ文化財団音楽奨学生。オランダのユトレヒト音楽院でディプロマを取得。チェンバロを鈴木雅明、S・ヘンストラ、P・アンタイ、A・ジルベライシュ、通奏低音を多田逸郎、小島芳子の各氏に師事。1998年ブルージュ国際古楽コンクールセミファイナリスト。2000年京都・青山音楽賞受賞。2001年山梨古楽コンクール3位入賞 (1位なし)。2007年京都ALTIの俊英演奏家シリーズでリサイタルを開催。国内外で通奏低音奏者としても活躍中。京都市立芸術大学非常勤講師。

パブロ・エスカンデ Pablo Escande (作曲、チェンバロ、ピアノ)
ブエノスアイレスの音楽院でディプロマを取得後、オランダでチェンバロ、フォルテピアノ、通奏低音を J・オッホに師事。R・フォールトマンにオーケストレーションを、R・レイナに作曲を学ぶ。世界各国から委嘱を受け、国際的なアーティストにより各地で演奏されている。2008年アメリカ・アリエノール作曲コンクール名誉賞。2008年丹波の森国際音楽祭シンボルアーティスト。2016年イタリア・ノヴァーラ映画音楽作曲コンクールにて、最もオリジナリティのある作曲家賞受賞。TRINAC2017で優勝。日本に在住し、国内外で活躍中。京都女子大学非常勤講師。

富田牧子 Makiko Tomita (チェロ)
東京芸術大学在学中にリサイタルを行い、演奏活動を始める。ヨーロッパ各地の音楽祭や講習会、ニューヨークでH.シャピロ氏の指導を仰ぐなど、ソロと室内楽の研鑽を積む。大学院修士課程修了後ハンガリーに留学、バルトーク弦楽四重奏団チェロ奏者L.メズー氏に師事。ソロリサイタルのほか、弦楽四重奏団メンバーとしての活動を行う。バロックと現代のスタイルの楽器にガット(羊腸)弦を張り、様式の異なる弓を使い分けながら、様々な楽器との組み合わせによる「充実した内容の音楽を間近で味わうコンサート」の企画を続けている。パーカッションとのデュオ《羊とヤギ》でCD「O Terra(大地よ)」をリリース。


Charity Concert for Flood Relief in Western Japan
Sakurako Mitsuhashi & Pablo Escande, harpsichord, piano
Makiko Tomita, cello
at Galería de Música, 23 Ginkakujimae-cho, Sakyo-ku, Kyoto
on 2 September 2018 3.00 pm / 5.00 pm
Tickets: \2500 /Ages 6 - 11 \500 /Ages 12 - 15 \1000
tel: ︎ 075-752-3814 Email: al-3hasi@muse.ocn.ne.jp
Profits from this concert will be used to support the recovery in flood-affected areas in western Japan through “Human shield KOBE” (https://williamseiji.wordpress.com).
[program]
J.S. Bach (1685-1750): Arioso [Sinfonia from Cantata 156 “Ich steh mit einem Fuß im Grabe]
F. Geminiani (1687-1762): Sonata in D minor for cello and basso continuo Op.5-2
J. Duphly (1715-89) : “Les Graces“ for harpsichord
J.F.X. Sterkel (1750-1817): for harpsichord 4 hands
R. Schumann (1810-56): from “Kinderszenen” for piano Op.15
W.A. Mozart (1756-91) : Sonata for piano 4 hands in D major KV 381
P. Escande (1971- ): Two milongas for cello and piano
Catalan carol “Song of the Birds” arr. by Makiko Tomita
J.S. Bach/Z. Kodály (1882-1967): “Vater unser im Himmelreich BWV 762” from 3 Choral Preludes arr. for cello and piano
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2018年07月19日

8月4日(土)西日本豪雨被災地支援のための、チェロとリードオルガンによるチャリティコンサート

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チェロとリードオルガンによる「西日本豪雨被災地支援のためのチャリティコンサート」を東京都内で開催する運びとなりました。コンサートの収益は《ヒューマンシールド神戸(代表:吉村誠司氏)》を通じて西日本豪雨被災地の復興支援のために使われます。
被災された方々にとって今夏の猛暑の中での避難生活は厳しく、心身の疲労は如何ばかりかと思います。土砂、水没した家や車、瓦礫などの撤去作業は困難を極めますが、多くの方が現場で活動しています。吉村氏によると、かなり長期戦になりそう、とのことです。その活動を直接支えることで、素早い復興に繋がり、活動の継続が可能になると考えております。
みなさま、お誘い合わせの上ぜひお越しください。当日お越しになれない方も、お知り合いにお声をおかけいただけましたら幸いです。
今回ご協力いただくベテル教会は、都内の住宅街の中に佇む、緑が生い茂る庭のある築約50年の建物です。庭には、桜、柿、シュロ、山椒、夏みかんなどの木々が伸び放題(笑)、キイチゴやブルーベリーが茂みの中で実り、虫や鳥がやってきます。誰が植えていったのか誰も知らない、という小さなオリーブやクワズイモ、花の苗も!時を忘れ、ゆったりとした気分になります。

2018年8月4日[土] 午後6:00開演[5:30開場]7:15終演予定
西日本豪雨被災地支援のための、チェロとリードオルガンによるチャリティコンサート
富田牧子(チェロ) 原田靖子(リードオルガン)

【プログラム】
J.S.バッハ:アダージョ(トッカータ ハ長調BWV564 より)、W.A.モーツァルト:アニュス・デイ(戴冠ミサより)、G.フォーレ:「ロマンス」「子守唄」、サン=サーンス:「祈り」「白鳥」、E.ブロッホ:「祈り」、P.チャイコフスキー:「感傷的なワルツ」、チェロのソロ、カタロニア民謡「鳥の歌」・・・ほか
【会場】日本キリスト教団 ベテル教会[東京都渋谷区富ヶ谷1-35-9]
【料金】前売2500円/当日3000円 小・中学生1000円 未就学児入場可
★コンサートの収益は《ヒューマンシールド神戸》を通じて西日本豪雨被災地の復興支援のために使われます。
【主催・予約・問合せ】
チャリティコンサート事務局 ☎︎03−6317−8916(ベアータ)
             Email: beata@ab.auone-net.jp
【後援・予約】日本キリスト教団 ベテル教会 ☎︎ 03-3467-5579
💡チラシはこちら
04082018西日本豪雨被災地支援のためのチャリティコンサート表.pdf
04082018チャリティコンサート裏面.pdf

 7月6日から8日にかけて西日本を襲った豪雨は、非常に広範囲で大きな災害を引き起こしました。猛暑の被災地では過酷な状況のもと、今も懸命の復旧作業が行われています。
 一日も早い復興を祈り、日本基督教団ベテル教会をお借りして、チェロとリードオルガンによるチャリティコンサートを開催する運びとなりました。コンサートの収益を災害救援NGO《ヒューマンシールド神戸(代表:吉村誠司)》に寄附いたします。《ヒューマンシールド神戸》は、発生直後から重機と共に愛媛県、岡山県の現場に入り、地元自治体やボランティアセンターと連携しながら様々な支援活動を行っています。
 みなさま、お誘い合わせのうえご来場いただければ幸いです。

《災害救援NGO ヒューマンシールド神戸(代表:吉村誠司)》
 地震や洪水などの災害時に、いち早く現地に駆け付ける災害救援NGO。1995年阪神淡路大震災から被災地支援を始め、現在はOpen Japanの一員として東日本大震災の復興支援を継続しつつ、多くの団体・個人と連携しながら各地で相次ぐ水害や震災の救援活動を行っている。ネパール地震やフィリピンの台風など海外での活動も多い。
「吉村誠司の地球日記」https://williamseiji.wordpress.com
「吉村誠司Facebook」https://www.facebook.com/seiji.yoshimura.73

日本キリスト教団 ベテル教会 アクセス
[東京都渋谷区富ヶ谷1-35-9]
【電車の場合】
小田急線「代々木八幡駅」、
千代田線「代々木公園駅」1番出口(代々木上原駅側)または2番出口(代々木公園出口)から徒歩約8分。
【バスの場合】
渋谷駅前バス(渋66)乗車、4駅目「富ヶ谷」
💡手書きの地図はこちら
ベテル教会地図2.pdf

"Cello & Reed Organ Charity Concert
for Flood Relief in Western Japan"
at Bethel Church, 1-35-9 Tomigaya, Shibuya
Makiko Tomita, cello
Yasuko Harada, Reed Organ
Tickets: Advance \2500 / Doors \3000 / Ages 6-15 \1000
Email: beata@ab.auone-net.jp
★Profits from this concert will be used to support the recovery in flood-affected areas in western Japan through "Human shield KOBE".
https://williamseiji.wordpress.com
Facebook」https://www.facebook.com/seiji.yoshimura.73

💡04082018西日本豪雨被災地支援のためのチャリティコンサート表.pdf
04082018チャリティコンサート裏面.pdf
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☆演奏者プロフィール
富田牧子(チェロ)Makiko Tomita, Cellist
東京芸術大学在学中にリサイタルを行い、演奏活動を始める。フランス、イタリア、オーストリア、ドイツの音楽祭や講習会、またニューヨークでH.シャピロ氏の指導を仰ぐなど、ソロと室内楽の研鑽を積む。大学院修士課程修了後、2000年から2年間ハンガリーに留学、バルトーク弦楽四重奏団のチェロ奏者L.メズー氏に師事。NHK-FM「名曲リサイタル」、ORF(オーストリア放送)の公開録音に出演。各地でソロリサイタルのほか、弦楽四重奏団メンバーとしての活動を行う。その後、ピリオド奏法への関心を深め、バロックと現代のスタイルの楽器にガット(羊腸)弦を張り、様式の異なる弓を使い分けながら、様々な楽器との組み合わせによる「充実した内容の音楽を間近で味わうコンサート」の企画・演奏を続けている。2台のチェロを持ち替えながら、J. S.バッハと近現代の無伴奏作品を組み合わせて演奏するサンドイッチコンサートも好評継続中。パーカッションのコスマス・カピッツァ氏とのデュオ《羊とヤギ》でCD「O Terra(大地よ)」をリリース。        http://tomitamakiko.seesaa.net

原田靖子(オルガン)Yasuko Harada, Organist
幼少期に昆虫や動物、海などのために音楽を作り、ピアノの低音を鳴らして倍音を聴くことに熱中する。小学生の時、移り住んだ和歌山の大自然の懐において自分の命が輝く体験を通して、圧倒的な感動を知る。中学生から作曲理論を学び始めるも関心の対象は次々と風のように様々なものに移りゆくなか、「風の楽器」であるパイプオルガンに出会う。東京藝術大学作曲科および同オルガン科卒。これまでにオルガンを深井李々子、廣野嗣雄、早島万紀子、通奏低音を今井奈緒子、作曲及び作曲理論を浦田健次郎、故・山田泉、川井學、礼拝におけるオルガン即興演奏をスコット・ショウの各氏に師事。2014年より松本市音楽文化ホール第4代オルガニスト。通常のコンサートに加え、オルガン製作家と共に楽器造りの秘密に迫る公演や、ダンサーや美術家など他ジャンルのアーティストとの協働創作による親子向けの舞台作品を上演するなど、オルガンの新しい息吹を松本から発信。また、ホール主催のオルガン講習会やオルガンレッスンの講師としても広くオルガンの魅力を伝えている。
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2018年07月15日

進化か、多様性か

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『台湾萬歳』という映画を観ました。台湾には認定されているだけで16部族の先住民族がいるそうで、それだけの言語もあり、1つの島なのにこの多民族は魅力!全体の98パーセントは16世紀以降に大陸から移住してきた漢民族で、元々いる民族は2パーセントだけれども、この映画で監督が撮った台湾の南東の地域では、その比率が高いそうです。
力を持った国家が力で他の地域や国を侵略して行く、という歴史がずっと現代まで続いています。その「力」というのは、科学技術や経済によって大量に作り出せる武力。暴力。
この映画の原住民(と台湾では呼ぶそうです)が、山や海、それぞれの住むところで、それぞれのやり方で、獲物を取り、野菜を作る。小さなコミュニティで、家族親戚の誰かが得たものをそのうちの誰かが料理する。当たり前の生きる姿なのですが、これは全く当たり前ではないですよね。都会に住む人間は自分で獲物を取らないし、今日食べる肉や魚や野菜がどこで生きていたものか知りません。
生きるための「力」を感じるのはどちらでしょうか。

それから。
色々な民族にはそれぞれの死生観があり、信仰があります。
例えば映画の中では、山の中に入って狩をする前に、まずご先祖様に、今晩の狩の無事を祈ります。動物を仕留めたら、大地を掃除して、獲物をさばくための岩を水で洗い、ご先祖さまに感謝を捧げます。
収穫の祭は、その民族が大事にしている存在に感謝を捧げるものです。人が死んだ後、どのように葬られるかもそれぞれ違います。
大事にする存在を「神」と呼ぶ人もいるし、ご先祖だったり、色々な形があるわけです。宗教はそもそも、それぞれの生活の中で、大事な存在を篤く信じるところから来ているのでしょう。信仰や宗教をタブーとせず、考えることは大切だと思います。

映画の中で歌っていたブヌン族の学校の先生。ギターの調弦は合ってなかったけど、そんなこと気にしない、伸びやかでゆったりしていて、いい声。自分だけの歌、自分の表情。
民族の言葉を禁じられた政策のせいで、自分の民族の言葉が話せない、というのは世界中の少数民族にある話です。禁じられた歌、踊り、楽器・・・。ひたすら隠れながら大事なものを守った、長い間の沈黙の後、ようやく存在を認められるようになった民族(だからと言って差別がなくなるわけではない)。アイヌの人たちにも、言葉や歌や踊りを忘れられないように学んで残して行こう、という人たちがいます。

私の使う楽器のことを、ふと思いました。
楽器の発展についても、人々の生活や技術の発展とともに「進化し続けて来た」と考える人もいるでしょう。ガット弦がスチール弦に進化した、というように。楽器も効率よく合理的に扱える方が便利、と。そうであるならば、そういう考えで演奏される音楽は・・・どうなんでしょう。
弦楽器は考えてみれば不思議ですね。何百年も前に作られた楽器を(調整を変えられているけれども)、そのまま使い続けているのです。せっかく生き続けているのだから、古い楽器たちの声を聴いてみたいではないですか。演奏者が持っている「力」を柔軟に使って、楽器に潜在する音を引き出して、眠っているものを覚ましてあげる(楽器が嫌がっていたら無理しなくていい)。出てくる音がいいエネルギーとなって人を力づける。いい循環です。
それから、作曲当時の演奏法を大事にするのは、「退化」ではありませんよね。
バッハを演奏するとき、彼の生きていた時代と、今の21世紀の社会は全く違います。けれど、私が演奏する音楽はバッハのものだ、ということ。時代も国も言語も違う人が、他人の作品を演奏するということ。演奏家はずーっと向き合っています。課題ではありません。それが仕事なんです。
エドワード・サイードがバレンボイムとの対談の中で「君のしている仕事は・・・自我を表現するより、むしろ他者の自我を表現する」と言っています。

何千年も昔の人々が、いまの私たちより「劣っていた」なんてことはなく、現代の人間が古代の人たちより「賢い」「進んだ」わけでもない。
今は、ネットのおかげですぐに調べることは可能です。
ある1つの国で、いろんなルーツを持ち、時代によって変遷し、流動的に動き、影響しあってきた人々を知ることができます。そして残念ながら、大国が虐げている民族のことも。
洗練されて完成されたものが、元を辿ればどこから来たものか知ることができます。

で、知ってどうするのか。
それぞれの居心地の良さを得られればいいなあ・・・。
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2018年06月26日

茶房ライヴ第2回終了!

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松本市での「茶房ライヴ」第2回、終了いたしました。
お集まりくださった皆さま、様々にご協力いただいた皆々さま、ともに作ってくださったスタッフの皆様、どうもありがとうございました。茶房のマスターもお元気でよかった!赤ちゃんの素直な反応にテンションも上がります。音楽を身体で感じる小さい人たちが聴いてくれるのは嬉しいです。

木下雄介氏とのデュオは始まったばかりです。今後もコンサートの機会を作って行き、ヴィオラとチェロの数少ない貴重なレパートリーで音楽に磨きをかけ、アンサンブルに味わいと彩りを持たせていければと願っております。

茶房ライヴを継続して、音楽と人の温かな交流が広がっていくことができますよう、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
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2018年06月19日

ユダヤの礼拝の踊り、そしてシュール・・・曲紹介2[茶房ライヴその2 viola&cello! ]

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 ハシディックダンスとは、踊ることによって神秘的体験をする、敬虔なユダヤ教徒の祈りの一つの形です。黒い服を着て帽子をかぶったたくさんの男性が歌いながら、円になって歩き、踊り続ける、その姿には圧倒されます。
18世紀に東方ユダヤ人の中で一種の覚醒運動として生じたハシディズム。マルク・シャガールはダビデが礼拝で踊る絵を描きました。
 多くの宗教では音楽と踊りはとても大切です。信仰深い人たちが儀式で、祈りの詩に合わせた節を歌ったり、踊ることによって、神に近づこうとします。永遠に終わらないんじゃないか、と思えるほど繰り返し繰り返し歌い、踊る。そのうちに恍惚状態になるのです。ハシディズムでは祈りの踊りは喜びの表現であり、精神を高揚させ鼓舞するものです。生を肯定する、生きることの喜びです。魂を清め、自らを癒す、まさに治療の効果があると考えられています。そしてコミュニティーを一つにし、社会的な関係を高める役割もあります。

ジクムント・シュールは1916年、ドイツのザクセン地方ケムニッツでユダヤ人家庭に生まれました。1933年ジクムントが17歳の時、チェコのプラハに移り住みます。その後、ベルリン音楽大学でパウル・ヒンデミットに学び、1937年に再びプラハに戻ってからも作曲や指揮の勉強を続けました。学生のときすでに高度に熟達しており、ヒンデミットによると直感に優れていたようです。
プラハ時代に(といっても、17歳から25歳の間ですが!)ユダヤ教信仰に近づきラビの家族と親しくなります。そのラビの勧めによって、19世紀初めのシナゴーグで使われていた朗唱や歌を勉強する機会を与えられます。
 そして1941年11月にテレジン強制収容所へ送られてしまいます。この収容所にはたくさんの芸術家がいて、そこで音楽活動も行われていたようです。ただ、それは、ナチスのプロパガンダに使われたのです。つまり、厳しい場所ではあるが、文化的な活動を見せることで、少なくとも囚人の尊厳を守ることを認めている、と見せるために・・・。テレジン収容所は絶滅収容所への通過点の場所でもありました。
シュールは抑留中も作曲を続け、しばしば音楽家仲間のヴィクトール・ウルマンと会い、新しいこれからの音楽についてあらゆる角度から(形式、調性、様式、美学について)、そして彼の進行中の仕事(作品)に関する様々なことを話し合ったといいます。
20代後半、力がみなぎって、才能が開花したばかり、これから道のりを歩み出そうとする若い音楽家の純粋で真摯な姿を想像し、その不条理で残酷な事実を思うと、たまらなくなります。シュールは結核を患い28歳で収容所内で亡くなりました。

 ヴィオラとチェロのための「2つのハシディックダンス 作品15」は1941年から42年に書かれました。恐らく、収容所内で初演され、元はヴァイオリンとチェロのために作曲されたものをヴィオラ用に直したのでしょう。シュールはヴィオラ奏者でもありました。
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2018年06月18日

民謡・・・曲紹介1[茶房ライヴその2 viola&cello! ]

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20世紀前半を生きた音楽家の作品を演奏する時、第二次世界大戦が彼らの人生にどう関わっているのか、必ず通る道です。今回のプログラムでは、ドイツのヒンデミット、ユダヤ人のシュール、ポーランドのルトスワフスキの作品を集めました。プログラムを組む時に戦争を意識したのではなく、偶然、集まったのでした。一つ一つの音楽は、まるで小品のように性格がはっきりして楽しめる曲です。
が、この歴史の側面からみると、この組み合わせはかなり重い話となります・・・。

 ナチス政権下のドイツで活動していたヒンデミットにとって1934年は出来事の多い年でした。ユダヤ人演奏家との共演や交流を隠さなかった彼は、当然「ドイツ人としての使命に背く」として不評を買っていましたが、この年の初めに非難運動が始まります。文化協会は彼の作品の演奏禁止を宣言。それに対して、この年の3月に初演された彼の交響曲『画家マティス』を指揮したフルトヴェングラーは怒り、新聞(Deutsche allgemeine Zeitung)にヒンデミット擁護の記事を寄せる、という有名な事件が起こりました。
 ヒンデミットは作曲活動だけでなく、創意やテーマを持つコンサートや音楽祭を企画し組織する能力にも長けていました。ソロや弦楽四重奏団のヴィオラ奏者でもあり、中世、バロック音楽にも通じ、ヴィオラ・ダモーレも演奏。同時に、教授活動にも熱心で、アマチュア音楽家のための作品『演奏する音楽Spielmusik』もたくさん書きました。このような多彩な活動は1920年代からずっと続けられていました。
 ヴィオラとチェロのための二重奏曲は、この1934年に作曲されました。彼のリズムには、まるで彼のように休まず動く活動(それは機械の運動とは違うのですが)を思わせる特徴的な律動があります。彼がよく楽譜に書き込んだ動物たちがワルツを踊ったり、飛んだり跳ねたり、そんなイメージも湧きます。
 画家マティアス・グリューネヴァルトがドイツ農民戦争時に芸術を捨てて政治活動に身を投じるが、やはり無駄だと悟り芸術家に戻ろうとする話『画家マティス』、翌年書かれたヴィオラのためのコンチェルト『Der Schwanendreher白鳥を回す(焼く?)男』、両方に民謡が使われています。民謡は人々に、何か懐かしいもの、大切な生活、時代を超えて変わらない情感を想起させる力があります。ある特定の国や民族だけにとどまらないものです。
二重奏曲の中でも顔を出す変わった音形のメロディ、バグパイプを思い起こす5度の和音の連続。政治情勢の歯車にも乗せられめまぐるしいときこそ、立ち返りたい情感を大切にしたかったのではないかと想像します。

そのヒンデミットにベルリンで学んだジクムント・シュールは次へ続きます。

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2018年05月22日

ごはんと音楽

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このごはんは「びすた〜り」のではありません、あしからず・・・
温かいごはんをみんなで囲んで食べるのは、いいな。
お腹が美味しいごはんで満たされたあとに、音楽をゆったり聴くのも幸せなことじゃないだろうかと思います。
演奏の後にパーティ、の方が音楽に集中するのでしょうし、片づけなど、もてなす側の事情も考えると簡単ではないでしょうけれど。

6月3日に仙台で開く《羊とヤギ》の「びすた〜り」でのコンサートでは、一時間かけて昼の食事をしたあとに音楽を楽しんでいただく、という構成です。
ランチタイムのお料理は、前菜盛り合わせ、スープ、パスタ、デザート&コーヒーか紅茶。
ティータイムはケーキとコーヒーか紅茶。カフェインダメな方は、直接お尋ねしてみてくださいね。
昨年も演奏させていただき感銘を受けたのは、限られた時間内で食事の提供と片付けをするのに、慌ただしい感じが一切なかったということです。このレストランは、障害を持つ人の就労支援の場としても知られています。人それぞれ出来るテンポで、早くできない人はゆっくりと。代表の方がスタッフを、静かにじっと見守る姿が印象的でした。
人はそれぞれの呼吸を持ち、受容力の大きさも違います。障害の大小、苦手な分野、得意なこと、みんなそれぞれ。
演奏も同じように人それぞれでしょう。
メトロノームで指定されているとしても、正確なテンポで間違いなく演奏することが、本当に聴く人を幸せにするでしょうか。
昔の音楽は、人の脈拍を基準にテンポを設定していたようです。身体を使って表現することはわかりやすい。「歩くような」速さって想像しやすいですよね。

子育てや仕事に追われて晩御飯を作る時間がない人や、疲れて毎日のご飯を機嫌よく作れないと、だんだん笑顔がなくなり、家族の間に会話がなくなってしまう。それがまたストレスとなり・・・という循環の中で必死に生活している人の助けになろうと、一流レストランでシェフをやっていた女性が「家庭のご飯作り」の活動しているそうですね。

演奏会に来られない人の家に行って個人演奏会をできたらいいなと思います。ちょっと弾いてよ、と頼まれたり、ボランティアではなく。

そして、ごはんと音楽の嬉しい組み合わせ。
夢は、あちこちの土地に行ってその街の市場で(あるいは農家から)食材を仕入れて料理をし(私は演奏担当なので、料理は今回はパス!)、みんなで食べて、音楽を演奏する(演奏が食事の先でもあとでも構わない)。みんなで歌を歌ってから山に出かけましょう。
いかが?

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2018年05月14日

舌が動き始め、私は動かされる

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1音目から、音を出す前の空気の動きから、音楽に引きこまれた・・・!ヴィットリオ・ギエルミ氏のヴィオラ・ダ・ガンバソロを聴きました。
楽器の中の調和(共鳴)と空間に放たれた音の調和の美しさ。
調弦の美しいこと!指で爪弾くと古代のハープのよう、空気中にふわっと広がって上っていきます。
民俗音楽のような生々しいガットの感触から、洗練された表現まで、多彩な喋り方、音色、光と陰・・・。J.S.バッハのチェロ組曲ではチェロを忘れてしまうほどの説得力がありました。
休憩なしで、音楽の世界に入り込んだ、充実のプログラム。始終ワクワク、ドキドキの至福の時間でした!

コンサートの翌日、小さなマスタークラスがありました。

どのように弓を持つか、どうしてコンサートであのように弓を持ったのか、というよくある奏法に関する問い。
その答えは、単に、外から見える技術的なものではなく、音楽家として内面から求める姿勢、向き合い方を語ることによって解き明かされたのでした。

まず、ヴィオラ・ダ・ガンバという楽器は、ヘッド(彫刻のある頭)が天、テールピースのある下部は地を表す。上下に張られた弦は天と地を繋ぐもの。楽器のそれぞれの部分には意味があるとのこと。やはりカトリック教徒の多いイタリア人ならでは。
バロック時代の音楽は言葉を喋る、語る音楽でした。そう、「言葉がはじめにあった」。
まず天と地をつなぐ(そして個々の人間が直接繋がる)縦の方向の弦があり、次に横の方向、すなわち弓がある。そして3番目に演奏家である私がいる。演奏者が一番にあるのではないのです。
まるで鐘が響くように、弦が風に触れて音を鳴らす古代の楽器のように。楽器が鳴りたいように、喋りたいように、そのもの本来の音を引き出すために、奏者は導かれて演奏するのです。

フランス革命によって社会の構造が大きく変化した流れの中で、音楽のあり方も変わり、市民の生活の中に入ってより身近になり、今現在に至っています。一般大衆に向けて、音楽の構造も楽器編成も音量も大きくなるのと同時に、繊細なヴィオール属は表舞台から姿を消して行きます。芸術に神の存在が直接関わっていましたが、表向きの音楽は次第に信仰と離れて行きます。でも、本来、自然の営みの中で大いなる力に身を委ね、感謝や心地よさを感じながら日々暮らしていた人間の中身はそれほど変わらないように思います。
音楽によって天と地をつなぐ、そのために動かされ働く演奏家。そのように奏でられる音楽によって、人の心は喜びに満ち、癒されるのです。
彼の演奏は音楽の本質を表していました。

バロックダンスの起源は民俗音楽のダンスにあります。舞曲のリズムは頭ではなく、身体で感じるものです。彼が言う「スイング」は生きたリズムの感覚です。
演奏で感じたことが、言葉によって明らかにされました。何よりも、音は多くを語るのです!
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2018年05月12日

古代の麦

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喜びのクッキー!
聖母マリアの喜び。
紀元前5000年より前から食べられていたスペルト小麦Spelta/Dinkelを使ったもの。
ヒルデガルトは「最良の穀物」と言うほどのおすすめの古代麦でした。
「性質は温で、栄養価も高く、しかも他の穀物より穏やかである。血液を佳良にし、肉付きも調整される。また、幸福な気持ちを生じさせ、持って生まれた気質に喜びをもたらす。どんな食べ方をしても消化吸収が良い。・・・病人がこれを食べると、良質の軟膏が外から効くように、内側から病が癒されて行く」(『聖ヒルデガルトの医学と自然学』より)

なんで、フランス語と英語表記の原材料でスペルト小麦粉とそば粉の%が違うんだろう・・・
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2018年05月10日

元気ない脳・・・

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振り返ってみると、7、8年が一つの節かな、と思っています。
大きな会社の一員でないけれど、小さなグループで事務所に属して音楽の業界の中でやっていた活動から離れて、ちょうどそのくらいの年月が流れました。そこを離れたら音楽をやめるということではないわけで、人と出会って、コンサートを企画して制作し演奏する、やっていることは何も変わらない。外から見れば。
一人になってみると、固まった同じ見方でずっとやっていることに気づかない。環境を変えても変わらないよ、というのはよく言うことです。脳の働かせかたを変えなければ、自分の見方も、考え方も変えられない。
近づいても近寄ることができない大きな山、そんな音楽とずーっと向き合っているので、自分がどうなっているのか客観的に見られないのです。なんだか子どもの頃からいつも空想の世界に、自分の頭の中に逃げ込んでしまう・・・結局、思考回路が同じになってしまう。
そして、あのときこうすればよかった、あれが出来なかったから、そんな後悔や、人を羨む、嫉妬、小さな怒り、イライラから抜け出せない。人と会ったら仕事に繋げなきゃ、それが出来ないから自分はダメなんだ、という強迫観念はどうにもならない。

そうか。
辞めたら、ちょっと会いたくない人、苦手な人と会わなくていいんだ。
そこにいないから自由に音楽ができるんだ。
それを思うだけでホッとしました。
そうやってリセットしたら、すがるものもないし、あちらからどんどん仕事も来ないけど、ちょっと楽になったのでした。
今までやって来なかった罰、ではなくて、しがらみが無くなったから別のこともできる、と。
囚われていたことに気づくまでに何年もかかります。
脱皮するまでに7、8年か・・・。

自分をコントロールすると思わない方がいいのではないかな。理想を抱きつつ、まず今の自分を見る、まず身の回りを見る、そして行動すればいいんじゃないかと。
人間がなんでもコントロールできるなんて思わない方がいいでしょう。人間にはどうすることもできない大きな力があり(その大きな存在が「神」だと思いますが)、ひとりの人間の中にも脳という大きな可能性があり、死ぬまでに使い切ることができないんです。
憲法前文を読み返してみると、そこには人類の理想があり、専制と隷従、圧迫と偏狭は地上からなくならず、世界のひとりひとりが平和で生きることはまだまだ実現できていない。
人類の歴史で70年、80年なんて、まだまだ。
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2018年04月28日

ヴィオラとチェロのデュオ:茶房ライヴシリーズその2

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今年1月から始まりました、松本市は中町の蔵シック館・茶房での「築140年の蔵と、226歳のイタリアのチェロとの出逢い」コンサートシリーズ。茶房のマスターとご一緒に不定期に開催させていただいています。
長い年月を経て硬く締まった材木が床や梁などに使われている蔵の店、茶房。チェロを弾いてみると、想像以上に低音がよく鳴り、高音も柔らかく、気持ちのいい理想的な響き!築140年の蔵とガット(羊腸)弦を張った226歳のチェロが織り成す特別なハーモニーを、皆様にも味わっていただきたく、コンサートを企画しました。
シリーズ2回目は、ヨーロッパで育ち教育を受けた若き俊英、木下雄介氏を迎え、ヴィオラとチェロの音楽をお届けします。明るく爽やかな音色を持つヴィオラ奏者木下氏とのアンサンブルは、知的な音での遊びが楽しく、頭が快適に働き高揚感があります。2年ぶりの共演です。作曲当時の様式に合った奏法を大切にする二人による音の対話で、ヨーロッパ諸国の古今の作品をお楽しみください。

プログラムは、1720年初めに書かれた有名なJ.S.バッハの鍵盤楽器のためのインヴェンションで始まり、18世紀終わりに書かれたベートーヴェンのユニークな題名の二重奏、そして20世紀に作曲された作品を集めました。もともと、ヴィオラとチェロのための二重奏曲は(この二つの楽器だけの演奏会自体が!)少ないので、この日には、滅多に演奏されない曲を聴くことができます。ドイツのパウル・ヒンデミット、ポーランドのヴィトルト・ルトスワフスキ。そして第二次大戦中ナチスによって迫害されたユダヤ人の作曲家の一人ジクムント・シュールの、テレジン強制収容所の音楽家メモリアルプロジェクトとして出版されているデュオも演奏します。
そのほか、木下氏が育ったイギリスの有名な作曲家ベンジャミン・ブリテンのヴィオラソロのための作品や、フィンランドを代表するジャン・シベリウスの若い頃の珍しいチェロソロのための作品も。ヨーロッパの様々な国の薫り、人々の生活を感じていただけたらと思います。
クラシック愛好家にも手応えのある直球のプログラムを、息遣いの聴こえる至近距離で、まさに弾き手と聴き手が一体となって味わえる室内楽コンサートになるでしょう。
東京でのコンサートは予定しておりませんので、季節のいいこの時期、松本へ観光がてらお出かけいただけましたら幸いです。
ぜひ、雰囲気のある蔵のコンサートにお越しください!

2018年6月24日16時
富田牧子茶房ライヴその2 「Viola & Cello! 」
ヴィオラとチェロのデュオ
〜蔵で聴く弦楽器のアンサンブル、中低音の響きを味わうコンサート
ゲスト:木下雄介(ヴィオラ)

【場所】蔵シック館・茶房(松本市)
【プログラム】
J.S.バッハ:インヴェンションより
L.v.ベートーヴェン:2つのオブリガート眼鏡付きの二重奏曲
P.ヒンデミット:二重奏曲(1934)
W.ルトスワフスキ:牧歌集(1952/62)
Z.シュール:2つのハシディック・ダンス(1941/42)
B.ブリテン:エレジー(1930)[ヴィオラソロ]
J.シベリウス:主題と変奏(1887)[チェロソロ]
【料金】要予約 一般4000円/高校生以下2000円  *1ドリンク付き 未就学児の膝上鑑賞無料
【予約・問合せ】☎︎070−4314−3735(えびはら) 
📩MA企画 kikaku_ma☆yahoo.co.jp(☆を@にタイプし直してください)[メールでのご予約・お問合せは前日まで]
💡チラシはこちら
20180624茶房ライヴ2表.pdf
20180624茶房ライヴ2裏面.pdf

出演者プロフィール
木下雄介(ヴィオラ)
 岡山市生まれ。8歳から25歳までの17年間をイギリスで過ごす。マンチェスター・チータムズ音楽学校 、英国北王立音楽大学を卒業。これまでに今井信子、トーマス-リーブル、アネット・イッサーリス、デイヴィッド・タケノ各氏に師事。イソラーニ・カルテットのメンバーとしてイギリス各地で演奏、メルボルンで開催された2009年第一回アジア・パシフィック室内楽コンクールにて、セミ・ファイナリスト。2010年ロンドン交響楽団のオーケストラアカデミーでトレーニングを受ける。これまでに、ハレ管弦楽団、エイジ・オブ・エンライテンメント管弦楽団等で弾き研鑽を積む。2010年よりバロックオーケストラ ウォルフィッシュ・バンドで活動後、2012年日本帰国。これまでにイギリス・ケント、倉敷、広島にてソロリサイタルを開催。2014年フィリピン・マニラにてソロリサイタル及びマスタークラスを開催。現在大阪フィルハーモニー交響楽団トップ奏者として活動する 傍ら、岡山大学交響楽団、京都大学交響楽団にて後進の指導に情熱を燃やしている。

富田牧子(チェロ)
 東京芸術大学在学中にリサイタルを行い、演奏活動を始める。イタリア、フランス、ドイツ、オーストリアの音楽祭や講習会に参加、ニューヨークでハーヴィ・シャピロ氏の指導を仰ぐなど、ソロと室内楽の研鑽を積む。大学院修士課程修了後ハンガリー・ブダペストに留学、バルトーク弦楽四重奏団チェロ奏者ラースロー・メズー氏に師事。
NHK-FM「名曲リサイタル」、ORF(オーストリア放送)の公開録音に出演。各地でソロリサイタルを開催するほか、弦楽四重奏団メンバーとしての活動を行う。その後ピリオド奏法への関心を深め、バロックと現代の楽器にガット(羊腸)弦を張り、様式の異なる弓を使い分けながら、様々な楽器との組み合わせによる「充実した内容の音楽を間近で味わうコンサート」の企画を続けて15年になる。J.S.バッハと20、21世紀の作品を組み合わせたサンドイッチ・コンサートも好評継続中。パーカッションのコスマス・カピッツァ氏とのデュオ《羊とヤギ》でCD「O Terra(大地よ)」をリリース。
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2018年04月27日

和、環、輪、話、いろんな”わ”

20180425味噌仕込みのコピー.JPGコウジカビが作り出す環。玄米味噌仕込み!
音楽はまず音の調和。ハーモニー。
人と人の調和、アンサンブルでは楽器と楽器の響き合いによる対話が生まれます。
演奏する人と楽器と演奏する作品の関係性が作り出す調和です。

演奏家は表現する。
聴き手は追体験をする。
そして自分の体験にする。
感じたことや体験を伝える。
その感想を聞いて、また一人音楽を聴きたいと思う。
新たな発見をし、新たな世界に入っていく。
演奏家に反応が伝わる。

演奏家は調和がとれた楽器を弾く。
その音に心が安らぎ、リフレッシュ。
一緒に弾く人も楽しくなる。
聴く人の心や身体が元気になる。
聴き手の楽しさ、感情が弾き手にも伝わる。

回り回って返って来ます。
返ってきたものが全て音になります。
たくさんの個(個性)が働き、全ての人が関わって芸術が育ちます。

「自分には個性がないから創造する仕事はできない」という人が、優秀な編集者だったりします。作家それぞれにとって最良な形で、潜在する力を見つけたり、応援して励ましたり、テーマを引き出し方向を整理したりする。素晴らしい個性ではないですか!

作家がまだ若く世に出始めた時から作品を観続ける鑑賞者。表現者の人間的成長に長〜く付き合う受け手。ずっと聴き続ける聴き手。
芸術の素晴らしい支援者です。

どれが欠けても成り立たない芸術。素敵な関係性。
芸術がつなぎ人が作る環。輪を描き回りながら前進する人、芸術、そして地球。やはりここに行き着きます。
世界の調和。ハルモニア・ムンディ。
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2018年04月22日

そもそも音を出すこと

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楽器を弾ける(練習できる)場所を確保することは演奏家にとって重要な問題です。住居はもちろん、旅先で、アンサンブルの練習など、いつでもどこでも、気兼ねなく弾けるかどうかは、もっとも気になるポイントとなります。
住宅街を歩いていると、リコーダー、鍵盤ハーモニカ、サックス、始めたばかりらしいヴァイオリンやピアノなど聞こえてきます。
様々な点で、楽器を弾くということは本当に難しいとつくづく思います。
精神状態は体の動きに関わってきます。苦情が来ないかびくびくしていると、のびのび音を出せません。そうすると、いつまでたっても楽器は上達しない。ヘッドホンで聴けたり、音量を絞って練習できるサイレント楽器では、空気の振動がわからないから、楽器をどのように鳴らし音を響かせるか、という音楽にとって一番大切な、根本的なところが抜けてしまいます。
専門家としての話の前に、そもそも音を出せる住宅はご近所さんなどとの関係がとても大切です。親切な隣人に恵まれていたら本当に幸運です。
何故なら、練習は演奏会ではないから!

楽器練習の音を吸音し、外に漏れないようにする音楽室は必要なのですが、吸音が多すぎると弾いている本人はとても辛いのです。音は元来、響かせるもの。それなのに壁や天井で吸ってしまうのです。音の広がりは聴こえず、離れたところに届く音を聴く練習もできず、楽器から出ている音だけで音楽を作らなければならない。ものすごく耳が疲れます。もともと畳が使われていた日本の家屋は、楽器が響く構造ではありません。結局、指の動かし方の練習(メカニック)が主になってしまうのでしょう。

気持ちよく楽器が弾ける環境があるということは(そして周りの人も幸せなら)、本当にありがたいことです!
posted by makkida at 17:46| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする
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