2019年02月10日

そろそろ始動の時期!

KIMG0657.JPG
「人間の細胞は7年で全部が入れ替わる」そうです。 
20代の頃から、7年がひとつの節だと思っていたけれど、あながち間違いではなかったようです。それに合わせて予定組んでいるわけではなく、振り返るとそうだった、という感じ。

最近は大きな力(別の言い方だと、宇宙の導き)による出会いがあります。
色々な活動が、そのような自然な流れと意思とのいいバランスによって、いい仕事ができたらなあ、と考えています。

固まっていた心がゆっくりと解れていく音楽。カラカラに乾燥していた心に水が染み渡っていく音楽。生演奏はもちろんですが、そんなCDを作り続けたい、と思います。
そろそろ始動の時期です!
posted by makkida at 10:55| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2019年02月01日

2月3日チェンバロとチェロ 

KIMG0734.JPG
2月3日のコンサートは、関西を中心に活動されているチェンバロ奏者、三橋桜子さんとのアンサンブル。昨年10周年を迎えていたベアータオルガン練習室の「10〜11周年記念」&「ザスマン チェンバロお披露目」演奏会でもあります。
三橋さんはお連れ合いの作曲家そして鍵盤楽器奏者パブロ エスカンデ氏と、バロックと近現代音楽ネオ バロックを組み合わせたプログラムで鍵盤デュオや、室内楽のコンサートをしています。
バロック音楽の大事な特徴は、「喋る」こと。つまり発音。言葉を喋るように、会話またはセリフを話すように、音をとらえ発します。ただ単語や文章を発音するだけではなく、言葉の意味を理解した上で自分の身体から発する言葉、生まれてきた言葉として発するのだと思います。
近現代の作曲家はバロック、ルネサンスなど昔の様式を学び、表面的な引用ではなく源泉として取り入れ、自分自身の音楽語法にした人々が多くいました。全てとは言いませんが、それぞれの作曲家の語法、最もシンプルな部分での音の作り方は、バロックにおける発音の仕方、喋り方と共通点があるように私は思います。
そのような意味で、桜子さん&パブロさんの活動内容は興味深く、共感しています。
今回のプログラムでも、バロック音楽と、20、21世紀のシュニトケとペルトを演奏します。

【プログラム】
J-N-P. ロワイエ(1705-55):クラヴサン曲集(1746)より アルマンド、繊細な女、スキタイ人の行進
J.バリエール(1707-47):チェロと通奏低音のためのソナタ ニ長調 第4巻第1番
F.ジェミニアーニ(1687-1762):チェロと通奏低音のためのソナタ ニ短調 作品5 第2番
A.シュニトケ(1934-98):古様式による組曲(1972)
A.ペルト(1935- ):鏡の中の鏡(1978)
J.S.バッハ(1685-1750):ヴィオラ・ダ・ガンバソナタ 第2番 ニ長調 BWV 1028

プログラムを組んだ後に、ちょっとした楽しい発見をしました。

バロック時代の4人の作曲家は生きた時期が重なっています。
チェロ奏者バリエールと鍵盤楽器奏者ロワイエは、2歳違うだけの同世代、それぞれ40歳、50歳というあまり長生きではなかったこと。
J.S.バッハとジェミニアーニも2歳違い。活躍した場所は違いましたが。
バッハから250年後に生まれたペルトとシュニトケ、彼らは1歳違い。出生や活動、作風は当然ですが全く違います。それぞれが古い音楽の様式を用いているのに、それぞれの生き方が音楽に表れます。そこが面白い。

それから、これも偶然ですが、二人で弾くバロックの作品はニ長調かニ短調、というのも(笑)

ところで。
ペルトの「鏡の中の鏡」は瞑想の音楽。自分が鏡の中にいるような、水面の上に立っているような、この世とあの世の間のような感覚です。
シュニトケの組曲は伝統的な古典的な構造で書かれており、和声もいたって古風です。フーガではベートーヴェンのカルテットを思い起こすし、民謡のようなどこかで聴いたような懐かしさがあります。20世紀の作曲家の多くが取り入れた手法ですが、古くて聴き飽きた音楽になるどころか、新しさを感じるのは不思議です。彼の他の音楽は全く違う響きがします。彼がどうしてあんなにも多くの様式を使ったのかは、彼の生い立ちに影響するところがあるようです。
今後もっと勉強してみたい作曲家です。


2019年2月3日(日)15時
BEATAコンサートシリーズ54
三橋桜子(チェンバロ)&富田牧子(チェロ)
【場所】BEATAオルガン練習室
【料金】限定25席・要予約 4000円
【ご予約】ベアータ ☎︎ 03-6317-8916 e-mail beata@ab.auone-net.jp
posted by makkida at 00:14| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2019年01月14日

病院訪問コンサート

IMG_3676.jpg
都内の病院の緩和ケア病棟の談話室で訪問コンサートをしました。
患者さん方の具合を見ながら、30分くらい。バッハの無伴奏、患者さんのリクエストでサン=サーンスの「白鳥」、アイルランド民謡「ロンドンデリーエア(ダニーボーイ)」、カタロニア民謡「鳥の歌」。賛美歌も一緒に歌いました。
高齢者や重い病気を持つ方のために弾くとき、音の出し方が自然と穏やかになるのが自分でも不思議です。
ガット弦の音色は体の奥深く、そして全身へ癒しを与えると思います。
posted by makkida at 12:14| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2019年01月03日

「からだ」を感じる

rps20180413_162238.jpg
2018年はJ.S.Bachで始まりJ.S.Bachで終わった一年。
年末には、名器テストーレでバッハの組曲を弾かせて頂くひとときを過ごしました。イタリアの濃くて澄んだ赤ワインにぴったりな、中身のぎゅっと詰まった、エネルギーに満ちた艶やかな姿形、その見かけと同じ音色を持つ1735年頃のイタリアのチェロ・・・💕まるで魔力に酔ったようになり、音を出すことに集中していき、弾いていると止まらない。
弦楽器には命が宿っています。オールドの名器には、現在に至る数百年の間に弾かれた歴史が詰まっています。魂かもしれません。
弾き手の私は、制御する力ではなく、しなやかな「力」を持って相対します。謙虚に。楽器の身体の呼吸を聴き、感じることに無心になります。
音楽は音。
音楽の内容が命。
それが幸せ・・・

「人が自分の「からだ」を感じるのは、痛み苦しんでいる時ではありませんか」
年末に訪れた礼拝での説教の中で印象に残った言葉です。
「痛みや苦しみを伴うことで豊かになる」
身体も心も元気なときには、あまり自分の体のことに気を払わないでしょう。痛みを覚えて、やっと気づく。足先の爪が剥がれたり、指先に小さな怪我しただけで、全身の使い方も変わってきます。

一対一や複数の人間関係も、ひとり悩みや苦しみや病気を抱えていれば、お互いのつながりを強く感じたりします。
ひとりひとりが違って当たりまえの、様々な価値観や考えを持つ人が集まって作る社会が平和であるためには。
痛みや苦しみ(自分だけでなく周りの人、遠くにいる人の)を感じないようにして、個人が考えるのをやめ、強引なリーダーや組織に追従する「安定」の社会は、平和ではないのでしょう。
「有機的につながり合って、苦しんだり喜んだりできる共同性」
有機的な自然界の営みの中で人間が生きられればいいなあ・・・!

有機な音楽をしたい!

新しい2019年が明けました。小さな勇気を持って、光を見失わないように、暗闇を歩いていくことができますように!
今年もよろしくお願いいたします。
posted by makkida at 17:54| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2018年12月06日

クリスマスは音楽で!

androidapp/3721212170950511125663065.png
今年のクリスマスの時期は、松本で小さなコンサートをすることになりました。今年1月から始めた「茶房ライヴシリーズ」の会場である、中町・蔵シック館隣のカフェ「茶房」です。急遽決定したので、今回は投げ銭ライヴ。
忙しい年の瀬、ガット(羊腸)弦のチェロの音色に心身をゆだね、美味しいコーヒーやお茶を飲みながら、しばしゆったりとした時を過ごしませんか?もしお近くにご用おありの方、または散歩途中に、ぜひお立ち寄りください。
小さなお子さん、乳幼児も大歓迎!お客様の集まり具合で、時間外の演奏もあるかも!
松本にお住いの方へお声かけていただけましたら嬉しいです。
翌日の日曜日、波田教会のクリスマス礼拝でも少し演奏します。

12月22日(土)3:30から30分くらい
無伴奏チェロ ミニライヴ@茶房
中町・蔵シック館「茶房」
(松本市中央2-9-15)
投げ銭制、飲み物か食事のオーダーお願いします

チラシはこちら20181222茶房投げ銭ライブ.pdf
posted by makkida at 18:44| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2018年12月02日

誰かにとって必要なもの

KIMG0646のコピー.JPG
ある症状に病名をつけたり、見つけたものや、ある現象に名前をつけたり。この世界にあるものは名前がつくことで存在が認められるのだろうか。
あらゆることを言葉や数字で説明できたら、お金を払う価値あるものとして認められるのだろうか。

原因は全て説明できるだろうか。
どうして音がひっくり返るのか、まっすぐ弓が動かないのか、指が動かないのか・・・人が問題だと思うことを、じゃあどうしたら改善できるか、良くなるか考えるとき、いろんな方向から考えることができる。姿勢、身体のある部分の硬さ、思考、性格、性質・・・。
こういう練習をしたらこの素晴らしい録音のように弾けるようになります、なんてあり得ない。
演奏のテンポの速さや音量の強弱の幅で音楽を批評することはできないし、教えることもできない。速さは、楽器の大きさや重量から来る発音の質にもよるし、演奏者の頭の動き(伝達の速さ)に関わってくる。うまく噛み合わない場合の「ズレ」、つまり違和感によって、「速すぎる」「遅すぎる」と感じることもある。その曲に合ったテンポ、その部分にあった大きさ(音量)が、丁度いい、気持ち良く感じるためには、そう単純な解決法があるわけでは無い。あるいは、意外と直感的に見つかったりする。
どうしてこれが気持ちいのか正確に説明できないことがある。
言葉にはならないことを、演奏でする。

自分にとって最も必要なものが、お金では買えないものか、買えるものか、高い値段するものか、お金とは関係ないのか、それが何なのかは人それぞれ。
誰かの演奏が、誰かにとって大切で、それは有名な演奏家ではないかもしれない。幸せになる音楽がメジャーな演奏家のものだということもある。

今、足元にある小さな石に名前が無いように、言葉にならないものがとても大事なこともある。
posted by makkida at 20:18| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2018年11月24日

音楽はやっぱりいいなあ!

45855322_801157450219752_2014578062573699072_o.jpg
今回の日本滞在の間に90歳の誕生日を迎えるというイエルク・デームス氏。氏から贈られたというベーゼンドルファーを使って、ドビュッシープログラムでした。サロンいっぱいに人が(7、80人?)集まって熱気が満ち、私は少々酸欠気味でしたが、目をつむると、広がるのは音楽のみ。氏のイマジネーションの世界に引き込まれ、ゆったり浸る、夢のような時間でした。
長年弾き続け、身体に入ったドビュッシーは、洗練され、エッセンスが凝縮され、新鮮な音楽となって、とても明快に音となって現れてきました。ドビュッシーのピアノ曲がこんなに素直に私の中に入ってきたのは初めてです。
氏の想像が部屋いっぱいに広がる。そう、音楽とはこういうもの!
聴きながら、改めて心から思いました。
「音楽って本当にいいなあ!」

翌日は、ジョルディ・サヴァール氏とエスペリオンXXI。
600席のホールは中世からバロックの音楽を純粋に楽しむには広すぎるけれど、繊細な音に全ての聴き手が耳をすますのはとてもいいと思いました。
サヴァールのヴィオールは弾いている音楽と同時代のもの。そして、アンサンブルのサウンドは洗練されていて、上質に溶け合い、いい音色でした。
音楽のノリやイキがいいのは大切ですが、まず、音の質がいいことはとても大事。いい音があってこそ、そこから自然に広がる響きがあり、想像力も膨らみ、音楽も発展していきます。そして、心の奥深く、音楽の核心へ・・・内にも外にも無限に広がっていくのでしょう。
KIMG0631.JPGKIMG0632.JPG
posted by makkida at 22:55| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2018年10月28日

私を離さない存在

KIMG0592.JPG
10月の半ばに浅草橋教会にて「ガルニエオルガン奉献30周年を記念して」、義母・木田みな子オルガンコンサートがありました。
猛暑の夏の中、毎年恒例のオルガン研修会の準備と開催を成し遂げ、なかなか疲れが取れないなかのこの日のための準備と練習。長年続けてきたとはいえ、80歳半ばの小柄な女性にとっては大変なことです。
本番直前まで「頭が回らない」「目がよく見えない。幾何学網様が見える」と体調不良や、「このオルガンの鍵盤の幅は広くて私の手には大変で」「礼拝堂の響きがないので大変」など嘆いていました。でも「祈っていて」という言葉に光を見出しました。

体調が良くないときや、条件が良くないときでも、演奏家はなんとしても演奏しなければなりません。
お客様には事情はわかりません。音楽は演奏家の諸事情に付き合ってくれません。

この日の演奏は素晴らしかった!周りの人の心配も吹っ飛ぶ演奏でした。そして、本人は演奏後、とても元気で幸せそうでした。
この会堂では弾いている場所が一番聴きにくかったようですが、一番後ろで聴いていた私には、ガルニエの楽器の良さがとてもよく伝わってきました。和音の重なりや各声部の明快さ、落ち着いたテンポの中、音がとても丁寧に紡ぎだされていきました。

全てが最高に整えられていないときにこそ、演奏家の音楽のアイデア、技術の確かさ、作品や作曲家の理解など・・・それが本当にその人のものであるかどうかが、明らかになります。その人の人間の底力が現れるのだと思いました。そしてそのようなときに、長年ぶれずに理想を抱き、まっすぐに求め歩き続けてきた一流の音楽家には、大いなる存在が助けてくれるのでしょう。最後にアンコールで弾かれたバッハの曲、本人が話したように、どんなに投げ出したくなる状況にあっても「神が私を離さない」。

芸術とは何か。
それに携わる人間の永遠の問いです。
プロフェッショナルな演奏家が「音楽で食べていける人」だとするなら、真摯に芸術と向き合うことだけではプロにはなれません。今現在の社会の中に居場所がなければ、ニーズがなければ、仕事にならずお金になりません。
どんな時にでも対応できるように楽器を巧みに弾くことができるようになればいい、とりあえず音がちゃんと出ればいい、あちこちから呼んでもらえる(仕事がある)、と口でいうのは簡単です。
クラシック音楽を演奏する難しさは、長い歴史の各作曲家のそれぞれの作品を理解し、それを音にする技術を身につけなければならないところにあります。それは一生勉強でもあるのですが・・・考えることはそれだけではありません。
なぜ音楽が生きていく上でなくてはならないのか。
今日のご飯がない時に、災害にあってこの先どうなるかという時にさえ!人は音楽があったら希望が見出せる、生きていく上で必要なものです。
この世での時間が少ししか残されていない時にも、音楽に励まされるかもしれない。
一人一人にとって大事なものがあるように、この人の音が聴きたい、この作品が聞きたい、と好きな音楽もそれぞれあります。色々考えてみると、この社会でうまく音楽の仕事ができる人が各個人にとって大事な音楽をするとも限らない。大量生産・消費の反対にある、ひとつひとつ違うもの。演奏する作品、場所、聴衆、楽器の状態、体調・・・その時々で考え判断することも必要です。
演奏家も主体性が大事なのです。

もうひとつ、とても大事なこと。
音楽する上で、いや、生きる上で何がベースになっているか、ということです。何のために音楽をするか、ということにも繋がります。
ヨーロッパのクラシック音楽をする時にはキリスト教、紀元前の音楽から考えるならその他たくさんの宗教、信仰が人々の生活の基盤にあることが切り離せません。宇宙では(人間がコントロールできない)大きな力が働いていて、地球の回転や、季節、気象の変化、リズムを生み、その存在を畏れ敬いながら毎日の生活がある。多分、多くの人は知っているのだけれど、実際に身近なこととして考える時に怖くなって見ないようにするのでしょう。
音もリズムも自然に委ねることができれば、音を出すことももっと楽になると思います。

好きなことをやっているのに苦しい。理想に近づこうとするとき誰でも苦しむでしょう。自分との闘い、なんてよく言いますが・・・。
でも、他人や外の力から強制された苦しみと同じではいけないと思います。教師の一方的な固まった考え方による有無を言わせぬ練習に耐える、このようなところに音楽の楽しみはないと思います。音は自発的に、体の内側から出てくるもの、ということを小さな頃から、楽器を学び始めた最初から大切にできればと願います。
コンサートの準備はただ楽しいだけじゃないことも。人と一緒に作るには、同じ方向を向いている時でもお互いの考え方がぶつかるとこともあります。自分の意見に従わせるのではなく、思うことを伝え、誤解を解く。もしアンサンブルの(共演者がいる)場合にも、妥協ではなく、何とか形にするために精一杯、頭と心と持っている技術を使う。どんな状況でも諦めず、とにかくできる限りのことをしようとする演奏家の誠実さが、周りの人を動かすこともあるでしょう。

大いなる存在を感じ、時に身を委ねる・・・信仰が基盤にある音楽家は、音楽をしている時にはこの世の人間社会の生き辛さから解放されるのでしょう。その音楽を聴いた人々には、生きている喜びや、心の奥底に潜んでいたたくさんの想いがどっと出てくる。その音楽に引き込まれ、演奏者と一緒に音楽に参加してている状態になる。ともに「祈る」音楽となる。演奏家はそのような聴衆に支えられ、応援され、励まされているのです。
そんな色々なことを思ったコンサートでした。
コンサートチラシ-180829.pdf_page_1.jpg
KIMG0587.JPGKIMG0588.JPG
posted by makkida at 13:18| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2018年10月17日

生気

KIMG0578のコピー.JPG
電車に乗って、だんだん高い建物がなくなり、家がまばらになり、緑が増えて川や山が見えてくると、あくびが出る。

動物も植物もすべての生き物は循環の中で命を繋いでいる。
自分が楽しいことをすれば周りの人も楽しいことを始め楽しいことが回っていくとか、何かいいことがあれば次々にいいことが起こる、という循環はいい。
電車が遅れ始めると、あとの駅で人がどんどん集まってくるから、次々に遅れが大きくなる、というのも。悪循環はいろいろ見つけられる。

循環はときに恐ろしい力になる。
怒りの暴走、爆発は相手にダメージを与え、生命力を奪う。身体は硬くなり、冷えて、収縮する。
暴走する方が制御するより簡単。
KIMG0580のコピー.JPG
木の肌、幹、葉、枝分かれ、草花、造形の美しさ。風に揺れる葉っぱの音、川の流れ、水の音、虫の音… 耳を傾けると静けさを感じ、頭のモヤモヤが晴れ、心が安らぐ。
自然の力は素晴らしい。
全身に呼吸を満たし、隅々まで生気を与える。身体がゆっくり温まっていく。
KIMG0585のコピー.JPG
posted by makkida at 15:23| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2018年10月09日

リズムの感じ方

KIMG0370.JPG
リズムについて。
リズム感がいいとか悪いとか、ではなく、リズムの取り方が違う、ということもあります。
以前ハンガリーの演奏家とリズムの感じ方がなんだか違うな、と感じたことを思いだしました。それは、すごくシンプルなリズムの話で、例えば8分音符や2分音符などの音の長さもそうです。私の感じ方では正確なはずだけれど、と何回繰り返してみても、彼らにしてみたらこちらのリズム感が悪いわけです。言葉のアクセントや抑揚が旋律の歌い方だけでなく、単語のようなリズムの形に反映します。少なくともハンガリーの音楽を演奏するときには、それに合ったリズムの取り方をしなければその音楽にはなりません。少なくとも、その音楽に核心に近づけない。だから、「違う」と言われるのです。

ラテン音楽のリズム感がよくっても、別の音楽のリズムはうまくできない。世界中にいろんな民族がいて、たくさんの民俗音楽(歌や踊りの曲)が存在していれば、それぞれのリズムの特徴が当然あるわけです。
もし世界の様々な音楽を演奏するなら、自分にぴったりくるか、気持ちいいか、好き嫌いは関係ないのです。自分の中にないものや初めて出会うものは、違和感があったり居心地わるかったりするものです。
たとえ「この音楽はとても自然だ」と思っても、演奏する人がその語法を理解できていなくては「自然だ」と感じる音楽に聴こえない。つまり、違いを具体的にして、自分の喋り方の1つとして身体に入っていなければならない、ということです。
他の人は「違うよ」ということしか言ってくれない・・・いや、言って貰えれば幸せですね。
KIMG0491.JPG
クラシック音楽の歴史の中でも、どの時代のどこの音楽か、誰の音楽か、によってもそれぞれのリズム感があるはずです。それはどんな弓の使い方をするかなど奏法にも関わって、総合的複合的な問題となります。
ドイツ人だからドイツ音楽らしい、とか、日本人だから日本の音楽がわかる、とか、ハンガリー人だからハンガリー音楽が上手い、というような偏狭的な立場とは異なります。
自分の中のイメージや違和感をできるだけ具体的にして、それに合う技術を身につけることの繰り返しです。
posted by makkida at 00:06| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2018年09月08日

西日本豪雨被災地支援チャリティコンサート(京都)ご報告

41238385_750868851915279_3326581062720552960_o.jpg
9月2日のチャリティコンサートは会場いっぱいのお客様にお越しいただき無事終了することができました。
西日本豪雨被災地で救援活動をしている「ヒューマンシールド神戸」への支援金として、61,600円を送金しました。お集まりくださった皆さま、ご協力くださった皆さま、どうもありがとうございました。
9月2日チャリティ領収書s.jpeg
京都では7月の豪雨のために川が氾濫したり、土砂崩れの被害にあった方も多くおられます。
そして、このコンサートの2日後に大型台風が関西を襲い、またその2日後に北海道で大きな地震が起きました。大阪では地震、豪雨、そして今回の台風で大変な生活を送られている方も多いでしょう。犠牲になった方々や被害に遭われた方々、その状況には心痛みます。
交通網が寸断され、電気が止まることで、被害はますます広がります。土砂崩れにより山肌が削られた山々の悲鳴も聞こえてきます。自然災害は私たちの生活と隣り合わせだということを痛感します。
2000年の有珠山噴火の際に支援のためのチャリティコンサートを行った時、一緒に動いてくださった北海道の皆さまを案じています。

1つ1つのコンサートや、人との出会いを大切にしたいと改めて思います。

フェイスブック投稿記事より


【この日のプログラム】
J.S.バッハ:アリオーソ (カンタータ156番「片脚は墓穴にありて我は立つ」よりシンフォニア)
F.ジェミニアーニ: チェロと通奏低音のためのソナタ ニ短調 作品5−2
J.デュフリ:三美神、ラ・ドゥ・ブロンブル
J.F.X.シュテルケル:連弾のためのソナタより
 カンタービレ〜アレグロ/プレスト(ロンド)
*** 休憩 ***
カタロニア民謡「鳥の歌」(富田牧子編曲)
W.A.モーツァルト:4手のピアノのためのソナタ ニ長調 KV381
 アレグロ・コン・スピリト/アンダンテ/アレグロ・モルト
R.シューマン:子供の情景 作品15より
 見知らぬ国/不思議なお話/トロイメライ/木馬の騎士/怖がらせ
P.エスカンデ:チェロとピアノのための2つのミロンガ
J.S.バッハ(Z.コダーイ編曲):「天にまします我らの父よ」3つのコラール前奏曲より
[program]
J.S.Bach (1685-1750): Arioso [Sinfonia from Cantata 156 “Ich steh mit einem Fuß im Grabe”]
F. Geminiani (1687-1762): Sonata in D minor for cello and basso continuo Op.5-2
J. Duphly (1715-89) : “Les Graces“ “La De Belombre” for harpsichord
J.F.X. Sterkel (1750-1817): from Sonata for harpsichord 4 hands
Cantabile - Allegro / Presto (Rondo)
~pause~
Catalan carol “Song of the Birds” arr. by Makiko Tomita
R. Schumann (1810-56): from “Kinderszenen” for piano Op.15
 Von fremden Ländern und Menschen / Kuriose Geschichte / Träumerei / Ritter vom Steckenpferd / Fürchtenmachen
W.A. Mozart (1756-91): Sonata for piano 4 hands in D major KV 381
 Allegro con spirito/ Andante /Allegro molto
P. Escande (1971- ): Two milongas for cello and piano
J.S. Bach/Z. Kodály (1882-1967): “Vater unser im Himmelreich BWV 762” from 3 Choral Preludes
posted by makkida at 18:49| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2018年08月16日

wave

KIMG0228のコピー.jpg
If you think about someone, they also think about you at the same time.
I often have the experiences. For example, my friend called me when I was thinking "I have to call him/her!". When I was just about to email to the person, he or she sent me a message.
This kind of thing has happened to you, right?
Maybe the energy of thoughts or feelings will reach people. They are spread and carried.
The same applies to music. Sound travels in air in waves.
posted by makkida at 18:18| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2018年08月10日

音、イメージ、表現

KIMG0247のコピー.jpg楽譜が手に入るとワクワクする。新しい音の世界へ、ようこそ!
音楽は、聴く人それぞれが自ら何か感じたりイメージを抱く自由があります。
でも、演奏する人が言葉で作るイメージによって、音そのものが語る世界を狭めてしまうことは残念です。ある言葉を使って形容したとたんに、受け手にとっての音楽の可能性(楽しみ)が狭められてしまうから。「風が吹いている」「草原を散歩している」「太陽が海にきらめく」「解放」「囚人の苦しみ」など、言葉で限定すること無しに、音(の持つ働きや機能)で直接相手の心に働きかけるができ、「音の世界」の時空間(非日常)を作ることができるのが音楽です。
一方で、生活の一部になる(なっていた)音楽、今この音楽を演奏する必然性も同時にあるわけです。
演奏家が「音楽にイメージは持たない」と言う場合、その大前提、あるいは背景として、音楽の表現は音そのものの関係性に見いだせることや、音そのものが語る雄弁さを、演奏者自身が理解していなければならないのでしょう。
音で共演相手や聴き手に伝えること、つまりイメージする音を表現すること、共演者に対応できる表現力など。その技術を磨くことで洗練された音楽表現になるのでしょう。
表現における自由とは、個人の奥底に持つ思想や、感情、その過程、細部へのこだわり(細やかさ)から生まれるものだと思います。
曲それぞれと向き合うとき、ふだんの生活で思考していることが自然と音に現れるものだと思うから、あえて演奏(状況に応じて)に意味を持たせなくてもいいのです。意味があるとすれば、自分の(やっている音楽の)内側から生まれ、浮かび上がって来るものです。
KIMG0253.JPG
posted by makkida at 23:16| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2018年07月28日

9月2日(日)西日本豪雨被災地支援のためのチャリティコンサート in京都 満席御礼

タイサンボクs.JPG
2018年9月2日(日)西日本豪雨被災地支援のためのチャリティコンサート in京都
三橋桜子、パブロ・エスカンデ(チェンバロ、ピアノ)、富田牧子(チェロ)


 7月6日から8日にかけて西日本を襲った豪雨は、非常に広範囲で大きな災害を引き起こしました。猛暑の被災地では過酷な状況のもと、今も懸命の復旧作業が行われています。
一日も早い復興を祈り、「西日本豪雨被災地支援のためのチャリティコンサート」を、京都は銀閣寺そばのスタジオ(元美術ギャラリー:アートライフみつはし)で開催する運びとなりました。スタジオの持ち主である鍵盤奏者、三橋桜子&パブロ・エスカンデ夫妻との初共演です。チェンバロソロ、チェロとチェンバロ、チェンバロ連弾、ピアノソロ、ピアノ連弾、連弾とチェロというように、プログラムには様々な組み合わせの曲を集めました。エスカンデ氏は優れた作曲家で、当日は彼の書いたチェロとピアノのためのミロンガも演奏します。
 コンサートの収益は《ヒューマンシールド神戸(代表:吉村誠司氏)》を通じて西日本豪雨被災地の復興支援のために使われます。《ヒューマンシールド神戸》は災害発生直後から重機とともに愛媛県、岡山県、広島県の現場に入り、地元自治体やボランティアセンターと連携しながら様々な支援活動を行っています。
被災された方々にとって今夏の猛暑の中での避難生活は厳しく、心身の疲労は如何ばかりかと思います。そして襲いかかる台風。土砂、水没した家や車、瓦礫などの撤去作業は困難を極めますが、多くの方が現場で活動しています。
吉村氏によると、自衛隊は個人の家に入って土砂撤去をすることができないので、家主が自分でしなければならない。高齢者だけでなく、身体が強い人でもとても一人ではできないため、やはりボランティアの助けが必要になります。今年いっぱいは片付けにかかりそう、とのことです。その活動を直接支えることで、復興に繋がり、長期の活動の継続が可能になると考えます。
みなさま、お誘い合わせの上ぜひお越しください。
当日お越しになれない方も、お知り合いにお声をおかけいただけましたら幸いです。

《災害救援NGO ヒューマンシールド神戸(代表:吉村誠司)》
 地震や洪水などの災害時に、いち早く現地に駆け付ける災害救援NGO。1995年阪神淡路大震災から被災地支援を始め、現在はOpen Japanの一員として東日本大震災の復興支援を継続しつつ、多くの団体・個人と連携しながら各地で相次ぐ水害や震災の救援活動を行っている。ネパール地震やフィリピンの台風など海外での活動も多い。
「吉村誠司の地球日記」
「吉村誠司Facebook」


西日本豪雨被災地支援のためのチャリティコンサート
三橋桜子、パブロ・エスカンデ(チェンバロ、ピアノ)、富田牧子(チェロ)

2018年9月2日(日)
☆2回公演 @午後3時開演(2:45開場) A午後5時開演(4:45開場)
 満席御礼
【プログラム】
J.S.バッハ:アリオーソ(カンタータ156番『片脚は墓穴にありて我は立つ』よりシンフォニア)、F.ジェミニアーニ:チェロソナタ作品5−2、デュフリ:三美神、シュテルケル:チェンバロ連弾、シューマン:子供の情景より、パブロ・エスカンデ:2つのミロンガ、カタロニア民謡「鳥の歌」、J.S.バッハ/コダーイ:コラール前奏曲より「天にまします我らの父よ」、・・・ほか
【場所】ガレリア・デ・ムジカ(旧アートライフみつはし)[京都市左京区銀閣寺前町23]
【料金】2500円/小学生500円 
*未就学児の膝上鑑賞は無料。未就学児でも座席を使う場合は500円になります。席数が限られているのでご了承ください。
💡コンサートの収益は《ヒューマンシールド神戸》を通じて西日本豪雨被災地の復興支援のために使われます。
【予約】ガレリア・デ・ムジカ(旧アートライフみつはし) 
☎︎075ー752ー3814 📩 al-3hasi@muse.ocn.ne.jp
*MA企画でもお問い合わせお受けいたします。📩 kikaku_ma@yahoo.co.jp
💡チラシはこちら
02092018チャリティチラシ.pdf
02092018チャリティチラシ裏.pdf
02092018チャリティチラシ表s.jpg


☆出演者プロフィール☆
三橋桜子 Sakurako Mitsuhashi (チェンバロ、ピアノ)
東京都立芸術高校ピアノ科を経て、東京芸術大学器楽科チェンバロ専攻卒業。安田生命クオリティオブライフ文化財団音楽奨学生。オランダのユトレヒト音楽院でディプロマを取得。チェンバロを鈴木雅明、S・ヘンストラ、P・アンタイ、A・ジルベライシュ、通奏低音を多田逸郎、小島芳子の各氏に師事。1998年ブルージュ国際古楽コンクールセミファイナリスト。2000年京都・青山音楽賞受賞。2001年山梨古楽コンクール3位入賞 (1位なし)。2007年京都ALTIの俊英演奏家シリーズでリサイタルを開催。国内外で通奏低音奏者としても活躍中。京都市立芸術大学非常勤講師。

パブロ・エスカンデ Pablo Escande (作曲、チェンバロ、ピアノ)
ブエノスアイレスの音楽院でディプロマを取得後、オランダでチェンバロ、フォルテピアノ、通奏低音を J・オッホに師事。R・フォールトマンにオーケストレーションを、R・レイナに作曲を学ぶ。世界各国から委嘱を受け、国際的なアーティストにより各地で演奏されている。2008年アメリカ・アリエノール作曲コンクール名誉賞。2008年丹波の森国際音楽祭シンボルアーティスト。2016年イタリア・ノヴァーラ映画音楽作曲コンクールにて、最もオリジナリティのある作曲家賞受賞。TRINAC2017で優勝。日本に在住し、国内外で活躍中。京都女子大学非常勤講師。

富田牧子 Makiko Tomita (チェロ)
東京芸術大学在学中にリサイタルを行い、演奏活動を始める。ヨーロッパ各地の音楽祭や講習会、ニューヨークでH.シャピロ氏の指導を仰ぐなど、ソロと室内楽の研鑽を積む。大学院修士課程修了後ハンガリーに留学、バルトーク弦楽四重奏団チェロ奏者L.メズー氏に師事。ソロリサイタルのほか、弦楽四重奏団メンバーとしての活動を行う。バロックと現代のスタイルの楽器にガット(羊腸)弦を張り、様式の異なる弓を使い分けながら、様々な楽器との組み合わせによる「充実した内容の音楽を間近で味わうコンサート」の企画を続けている。パーカッションとのデュオ《羊とヤギ》でCD「O Terra(大地よ)」をリリース。


Charity Concert for Flood Relief in Western Japan
Sakurako Mitsuhashi & Pablo Escande, harpsichord, piano
Makiko Tomita, cello
at Galería de Música, 23 Ginkakujimae-cho, Sakyo-ku, Kyoto
on 2 September 2018 3.00 pm / 5.00 pm
Tickets: \2500 /Ages 6 - 11 \500 /Ages 12 - 15 \1000
tel: ︎ 075-752-3814 Email: al-3hasi@muse.ocn.ne.jp
Profits from this concert will be used to support the recovery in flood-affected areas in western Japan through “Human shield KOBE” (https://williamseiji.wordpress.com).
[program]
J.S. Bach (1685-1750): Arioso [Sinfonia from Cantata 156 “Ich steh mit einem Fuß im Grabe]
F. Geminiani (1687-1762): Sonata in D minor for cello and basso continuo Op.5-2
J. Duphly (1715-89) : “Les Graces“ for harpsichord
J.F.X. Sterkel (1750-1817): for harpsichord 4 hands
R. Schumann (1810-56): from “Kinderszenen” for piano Op.15
W.A. Mozart (1756-91) : Sonata for piano 4 hands in D major KV 381
P. Escande (1971- ): Two milongas for cello and piano
Catalan carol “Song of the Birds” arr. by Makiko Tomita
J.S. Bach/Z. Kodály (1882-1967): “Vater unser im Himmelreich BWV 762” from 3 Choral Preludes arr. for cello and piano
posted by makkida at 14:00| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2018年07月19日

8月4日(土)西日本豪雨被災地支援のための、チェロとリードオルガンによるチャリティコンサート

20180718-2富ヶ谷ベテル教会S.jpg
チェロとリードオルガンによる「西日本豪雨被災地支援のためのチャリティコンサート」を東京都内で開催する運びとなりました。コンサートの収益は《ヒューマンシールド神戸(代表:吉村誠司氏)》を通じて西日本豪雨被災地の復興支援のために使われます。
被災された方々にとって今夏の猛暑の中での避難生活は厳しく、心身の疲労は如何ばかりかと思います。土砂、水没した家や車、瓦礫などの撤去作業は困難を極めますが、多くの方が現場で活動しています。吉村氏によると、かなり長期戦になりそう、とのことです。その活動を直接支えることで、素早い復興に繋がり、活動の継続が可能になると考えております。
みなさま、お誘い合わせの上ぜひお越しください。当日お越しになれない方も、お知り合いにお声をおかけいただけましたら幸いです。
今回ご協力いただくベテル教会は、都内の住宅街の中に佇む、緑が生い茂る庭のある築約50年の建物です。庭には、桜、柿、シュロ、山椒、夏みかんなどの木々が伸び放題(笑)、キイチゴやブルーベリーが茂みの中で実り、虫や鳥がやってきます。誰が植えていったのか誰も知らない、という小さなオリーブやクワズイモ、花の苗も!時を忘れ、ゆったりとした気分になります。

2018年8月4日[土] 午後6:00開演[5:30開場]7:15終演予定
西日本豪雨被災地支援のための、チェロとリードオルガンによるチャリティコンサート
富田牧子(チェロ) 原田靖子(リードオルガン)

【プログラム】
J.S.バッハ:アダージョ(トッカータ ハ長調BWV564 より)、W.A.モーツァルト:アニュス・デイ(戴冠ミサより)、G.フォーレ:「ロマンス」「子守唄」、サン=サーンス:「祈り」「白鳥」、E.ブロッホ:「祈り」、P.チャイコフスキー:「感傷的なワルツ」、チェロのソロ、カタロニア民謡「鳥の歌」・・・ほか
【会場】日本キリスト教団 ベテル教会[東京都渋谷区富ヶ谷1-35-9]
【料金】前売2500円/当日3000円 小・中学生1000円 未就学児入場可
★コンサートの収益は《ヒューマンシールド神戸》を通じて西日本豪雨被災地の復興支援のために使われます。
【主催・予約・問合せ】
チャリティコンサート事務局 ☎︎03−6317−8916(ベアータ)
             Email: beata@ab.auone-net.jp
【後援・予約】日本キリスト教団 ベテル教会 ☎︎ 03-3467-5579
💡チラシはこちら
04082018西日本豪雨被災地支援のためのチャリティコンサート表.pdf
04082018チャリティコンサート裏面.pdf

 7月6日から8日にかけて西日本を襲った豪雨は、非常に広範囲で大きな災害を引き起こしました。猛暑の被災地では過酷な状況のもと、今も懸命の復旧作業が行われています。
 一日も早い復興を祈り、日本基督教団ベテル教会をお借りして、チェロとリードオルガンによるチャリティコンサートを開催する運びとなりました。コンサートの収益を災害救援NGO《ヒューマンシールド神戸(代表:吉村誠司)》に寄附いたします。《ヒューマンシールド神戸》は、発生直後から重機と共に愛媛県、岡山県の現場に入り、地元自治体やボランティアセンターと連携しながら様々な支援活動を行っています。
 みなさま、お誘い合わせのうえご来場いただければ幸いです。

《災害救援NGO ヒューマンシールド神戸(代表:吉村誠司)》
 地震や洪水などの災害時に、いち早く現地に駆け付ける災害救援NGO。1995年阪神淡路大震災から被災地支援を始め、現在はOpen Japanの一員として東日本大震災の復興支援を継続しつつ、多くの団体・個人と連携しながら各地で相次ぐ水害や震災の救援活動を行っている。ネパール地震やフィリピンの台風など海外での活動も多い。
「吉村誠司の地球日記」https://williamseiji.wordpress.com
「吉村誠司Facebook」https://www.facebook.com/seiji.yoshimura.73

日本キリスト教団 ベテル教会 アクセス
[東京都渋谷区富ヶ谷1-35-9]
【電車の場合】
小田急線「代々木八幡駅」、
千代田線「代々木公園駅」1番出口(代々木上原駅側)または2番出口(代々木公園出口)から徒歩約8分。
【バスの場合】
渋谷駅前バス(渋66)乗車、4駅目「富ヶ谷」
💡手書きの地図はこちら
ベテル教会地図2.pdf

"Cello & Reed Organ Charity Concert
for Flood Relief in Western Japan"
at Bethel Church, 1-35-9 Tomigaya, Shibuya
Makiko Tomita, cello
Yasuko Harada, Reed Organ
Tickets: Advance \2500 / Doors \3000 / Ages 6-15 \1000
Email: beata@ab.auone-net.jp
★Profits from this concert will be used to support the recovery in flood-affected areas in western Japan through "Human shield KOBE".
https://williamseiji.wordpress.com
Facebook」https://www.facebook.com/seiji.yoshimura.73

💡04082018西日本豪雨被災地支援のためのチャリティコンサート表.pdf
04082018チャリティコンサート裏面.pdf
04082018西日本豪雨被災地支援のためのチャリティコンサート表S.jpg04082018チャリティコンサート裏S.jpg


☆演奏者プロフィール
富田牧子(チェロ)Makiko Tomita, Cellist
東京芸術大学在学中にリサイタルを行い、演奏活動を始める。フランス、イタリア、オーストリア、ドイツの音楽祭や講習会、またニューヨークでH.シャピロ氏の指導を仰ぐなど、ソロと室内楽の研鑽を積む。大学院修士課程修了後、2000年から2年間ハンガリーに留学、バルトーク弦楽四重奏団のチェロ奏者L.メズー氏に師事。NHK-FM「名曲リサイタル」、ORF(オーストリア放送)の公開録音に出演。各地でソロリサイタルのほか、弦楽四重奏団メンバーとしての活動を行う。その後、ピリオド奏法への関心を深め、バロックと現代のスタイルの楽器にガット(羊腸)弦を張り、様式の異なる弓を使い分けながら、様々な楽器との組み合わせによる「充実した内容の音楽を間近で味わうコンサート」の企画・演奏を続けている。2台のチェロを持ち替えながら、J. S.バッハと近現代の無伴奏作品を組み合わせて演奏するサンドイッチコンサートも好評継続中。パーカッションのコスマス・カピッツァ氏とのデュオ《羊とヤギ》でCD「O Terra(大地よ)」をリリース。        http://tomitamakiko.seesaa.net

原田靖子(オルガン)Yasuko Harada, Organist
幼少期に昆虫や動物、海などのために音楽を作り、ピアノの低音を鳴らして倍音を聴くことに熱中する。小学生の時、移り住んだ和歌山の大自然の懐において自分の命が輝く体験を通して、圧倒的な感動を知る。中学生から作曲理論を学び始めるも関心の対象は次々と風のように様々なものに移りゆくなか、「風の楽器」であるパイプオルガンに出会う。東京藝術大学作曲科および同オルガン科卒。これまでにオルガンを深井李々子、廣野嗣雄、早島万紀子、通奏低音を今井奈緒子、作曲及び作曲理論を浦田健次郎、故・山田泉、川井學、礼拝におけるオルガン即興演奏をスコット・ショウの各氏に師事。2014年より松本市音楽文化ホール第4代オルガニスト。通常のコンサートに加え、オルガン製作家と共に楽器造りの秘密に迫る公演や、ダンサーや美術家など他ジャンルのアーティストとの協働創作による親子向けの舞台作品を上演するなど、オルガンの新しい息吹を松本から発信。また、ホール主催のオルガン講習会やオルガンレッスンの講師としても広くオルガンの魅力を伝えている。
posted by makkida at 23:07| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2018年07月15日

進化か、多様性か

KIMG0151s.JPG
『台湾萬歳』という映画を観ました。台湾には認定されているだけで16部族の先住民族がいるそうで、それだけの言語もあり、1つの島なのにこの多民族は魅力!全体の98パーセントは16世紀以降に大陸から移住してきた漢民族で、元々いる民族は2パーセントだけれども、この映画で監督が撮った台湾の南東の地域では、その比率が高いそうです。
力を持った国家が力で他の地域や国を侵略して行く、という歴史がずっと現代まで続いています。その「力」というのは、科学技術や経済によって大量に作り出せる武力。暴力。
この映画の原住民(と台湾では呼ぶそうです)が、山や海、それぞれの住むところで、それぞれのやり方で、獲物を取り、野菜を作る。小さなコミュニティで、家族親戚の誰かが得たものをそのうちの誰かが料理する。当たり前の生きる姿なのですが、これは全く当たり前ではないですよね。都会に住む人間は自分で獲物を取らないし、今日食べる肉や魚や野菜がどこで生きていたものか知りません。
生きるための「力」を感じるのはどちらでしょうか。

それから。
色々な民族にはそれぞれの死生観があり、信仰があります。
例えば映画の中では、山の中に入って狩をする前に、まずご先祖様に、今晩の狩の無事を祈ります。動物を仕留めたら、大地を掃除して、獲物をさばくための岩を水で洗い、ご先祖さまに感謝を捧げます。
収穫の祭は、その民族が大事にしている存在に感謝を捧げるものです。人が死んだ後、どのように葬られるかもそれぞれ違います。
大事にする存在を「神」と呼ぶ人もいるし、ご先祖だったり、色々な形があるわけです。宗教はそもそも、それぞれの生活の中で、大事な存在を篤く信じるところから来ているのでしょう。信仰や宗教をタブーとせず、考えることは大切だと思います。

映画の中で歌っていたブヌン族の学校の先生。ギターの調弦は合ってなかったけど、そんなこと気にしない、伸びやかでゆったりしていて、いい声。自分だけの歌、自分の表情。
民族の言葉を禁じられた政策のせいで、自分の民族の言葉が話せない、というのは世界中の少数民族にある話です。禁じられた歌、踊り、楽器・・・。ひたすら隠れながら大事なものを守った、長い間の沈黙の後、ようやく存在を認められるようになった民族(だからと言って差別がなくなるわけではない)。アイヌの人たちにも、言葉や歌や踊りを忘れられないように学んで残して行こう、という人たちがいます。

私の使う楽器のことを、ふと思いました。
楽器の発展についても、人々の生活や技術の発展とともに「進化し続けて来た」と考える人もいるでしょう。ガット弦がスチール弦に進化した、というように。楽器も効率よく合理的に扱える方が便利、と。そうであるならば、そういう考えで演奏される音楽は・・・どうなんでしょう。
弦楽器は考えてみれば不思議ですね。何百年も前に作られた楽器を(調整を変えられているけれども)、そのまま使い続けているのです。せっかく生き続けているのだから、古い楽器たちの声を聴いてみたいではないですか。演奏者が持っている「力」を柔軟に使って、楽器に潜在する音を引き出して、眠っているものを覚ましてあげる(楽器が嫌がっていたら無理しなくていい)。出てくる音がいいエネルギーとなって人を力づける。いい循環です。
それから、作曲当時の演奏法を大事にするのは、「退化」ではありませんよね。
バッハを演奏するとき、彼の生きていた時代と、今の21世紀の社会は全く違います。けれど、私が演奏する音楽はバッハのものだ、ということ。時代も国も言語も違う人が、他人の作品を演奏するということ。演奏家はずーっと向き合っています。課題ではありません。それが仕事なんです。
エドワード・サイードがバレンボイムとの対談の中で「君のしている仕事は・・・自我を表現するより、むしろ他者の自我を表現する」と言っています。

何千年も昔の人々が、いまの私たちより「劣っていた」なんてことはなく、現代の人間が古代の人たちより「賢い」「進んだ」わけでもない。
今は、ネットのおかげですぐに調べることは可能です。
ある1つの国で、いろんなルーツを持ち、時代によって変遷し、流動的に動き、影響しあってきた人々を知ることができます。そして残念ながら、大国が虐げている民族のことも。
洗練されて完成されたものが、元を辿ればどこから来たものか知ることができます。

で、知ってどうするのか。
それぞれの居心地の良さを得られればいいなあ・・・。
posted by makkida at 16:32| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2018年06月26日

茶房ライヴ第2回終了!

20180624_07-S.jpg
松本市での「茶房ライヴ」第2回、終了いたしました。
お集まりくださった皆さま、様々にご協力いただいた皆々さま、ともに作ってくださったスタッフの皆様、どうもありがとうございました。茶房のマスターもお元気でよかった!赤ちゃんの素直な反応にテンションも上がります。音楽を身体で感じる小さい人たちが聴いてくれるのは嬉しいです。

木下雄介氏とのデュオは始まったばかりです。今後もコンサートの機会を作って行き、ヴィオラとチェロの数少ない貴重なレパートリーで音楽に磨きをかけ、アンサンブルに味わいと彩りを持たせていければと願っております。

茶房ライヴを継続して、音楽と人の温かな交流が広がっていくことができますよう、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
20180624_08-S.jpg20180624_06-S.jpg20180624_04-S.jpg20180624_09-S.jpg
20180624_05-S.jpg
posted by makkida at 23:22| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2018年06月19日

ユダヤの礼拝の踊り、そしてシュール・・・曲紹介2[茶房ライヴその2 viola&cello! ]

KIMG0196.JPG
 ハシディックダンスとは、踊ることによって神秘的体験をする、敬虔なユダヤ教徒の祈りの一つの形です。黒い服を着て帽子をかぶったたくさんの男性が歌いながら、円になって歩き、踊り続ける、その姿には圧倒されます。
18世紀に東方ユダヤ人の中で一種の覚醒運動として生じたハシディズム。マルク・シャガールはダビデが礼拝で踊る絵を描きました。
 多くの宗教では音楽と踊りはとても大切です。信仰深い人たちが儀式で、祈りの詩に合わせた節を歌ったり、踊ることによって、神に近づこうとします。永遠に終わらないんじゃないか、と思えるほど繰り返し繰り返し歌い、踊る。そのうちに恍惚状態になるのです。ハシディズムでは祈りの踊りは喜びの表現であり、精神を高揚させ鼓舞するものです。生を肯定する、生きることの喜びです。魂を清め、自らを癒す、まさに治療の効果があると考えられています。そしてコミュニティーを一つにし、社会的な関係を高める役割もあります。

ジクムント・シュールは1916年、ドイツのザクセン地方ケムニッツでユダヤ人家庭に生まれました。1933年ジクムントが17歳の時、チェコのプラハに移り住みます。その後、ベルリン音楽大学でパウル・ヒンデミットに学び、1937年に再びプラハに戻ってからも作曲や指揮の勉強を続けました。学生のときすでに高度に熟達しており、ヒンデミットによると直感に優れていたようです。
プラハ時代に(といっても、17歳から25歳の間ですが!)ユダヤ教信仰に近づきラビの家族と親しくなります。そのラビの勧めによって、19世紀初めのシナゴーグで使われていた朗唱や歌を勉強する機会を与えられます。
 そして1941年11月にテレジン強制収容所へ送られてしまいます。この収容所にはたくさんの芸術家がいて、そこで音楽活動も行われていたようです。ただ、それは、ナチスのプロパガンダに使われたのです。つまり、厳しい場所ではあるが、文化的な活動を見せることで、少なくとも囚人の尊厳を守ることを認めている、と見せるために・・・。テレジン収容所は絶滅収容所への通過点の場所でもありました。
シュールは抑留中も作曲を続け、しばしば音楽家仲間のヴィクトール・ウルマンと会い、新しいこれからの音楽についてあらゆる角度から(形式、調性、様式、美学について)、そして彼の進行中の仕事(作品)に関する様々なことを話し合ったといいます。
20代後半、力がみなぎって、才能が開花したばかり、これから道のりを歩み出そうとする若い音楽家の純粋で真摯な姿を想像し、その不条理で残酷な事実を思うと、たまらなくなります。シュールは結核を患い28歳で収容所内で亡くなりました。

 ヴィオラとチェロのための「2つのハシディックダンス 作品15」は1941年から42年に書かれました。恐らく、収容所内で初演され、元はヴァイオリンとチェロのために作曲されたものをヴィオラ用に直したのでしょう。シュールはヴィオラ奏者でもありました。
posted by makkida at 23:48| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2018年06月18日

民謡・・・曲紹介1[茶房ライヴその2 viola&cello! ]

タイサンボクs.JPG
20世紀前半を生きた音楽家の作品を演奏する時、第二次世界大戦が彼らの人生にどう関わっているのか、必ず通る道です。今回のプログラムでは、ドイツのヒンデミット、ユダヤ人のシュール、ポーランドのルトスワフスキの作品を集めました。プログラムを組む時に戦争を意識したのではなく、偶然、集まったのでした。一つ一つの音楽は、まるで小品のように性格がはっきりして楽しめる曲です。
が、この歴史の側面からみると、この組み合わせはかなり重い話となります・・・。

 ナチス政権下のドイツで活動していたヒンデミットにとって1934年は出来事の多い年でした。ユダヤ人演奏家との共演や交流を隠さなかった彼は、当然「ドイツ人としての使命に背く」として不評を買っていましたが、この年の初めに非難運動が始まります。文化協会は彼の作品の演奏禁止を宣言。それに対して、この年の3月に初演された彼の交響曲『画家マティス』を指揮したフルトヴェングラーは怒り、新聞(Deutsche allgemeine Zeitung)にヒンデミット擁護の記事を寄せる、という有名な事件が起こりました。
 ヒンデミットは作曲活動だけでなく、創意やテーマを持つコンサートや音楽祭を企画し組織する能力にも長けていました。ソロや弦楽四重奏団のヴィオラ奏者でもあり、中世、バロック音楽にも通じ、ヴィオラ・ダモーレも演奏。同時に、教授活動にも熱心で、アマチュア音楽家のための作品『演奏する音楽Spielmusik』もたくさん書きました。このような多彩な活動は1920年代からずっと続けられていました。
 ヴィオラとチェロのための二重奏曲は、この1934年に作曲されました。彼のリズムには、まるで彼のように休まず動く活動(それは機械の運動とは違うのですが)を思わせる特徴的な律動があります。彼がよく楽譜に書き込んだ動物たちがワルツを踊ったり、飛んだり跳ねたり、そんなイメージも湧きます。
 画家マティアス・グリューネヴァルトがドイツ農民戦争時に芸術を捨てて政治活動に身を投じるが、やはり無駄だと悟り芸術家に戻ろうとする話『画家マティス』、翌年書かれたヴィオラのためのコンチェルト『Der Schwanendreher白鳥を回す(焼く?)男』、両方に民謡が使われています。民謡は人々に、何か懐かしいもの、大切な生活、時代を超えて変わらない情感を想起させる力があります。ある特定の国や民族だけにとどまらないものです。
二重奏曲の中でも顔を出す変わった音形のメロディ、バグパイプを思い起こす5度の和音の連続。政治情勢の歯車にも乗せられめまぐるしいときこそ、立ち返りたい情感を大切にしたかったのではないかと想像します。

そのヒンデミットにベルリンで学んだジクムント・シュールは次へ続きます。

posted by makkida at 18:42| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする

2018年05月22日

ごはんと音楽

androidapp/130111117102404-790590621.png
このごはんは「びすた〜り」のではありません、あしからず・・・
温かいごはんをみんなで囲んで食べるのは、いいな。
お腹が美味しいごはんで満たされたあとに、音楽をゆったり聴くのも幸せなことじゃないだろうかと思います。
演奏の後にパーティ、の方が音楽に集中するのでしょうし、片づけなど、もてなす側の事情も考えると簡単ではないでしょうけれど。

6月3日に仙台で開く《羊とヤギ》の「びすた〜り」でのコンサートでは、一時間かけて昼の食事をしたあとに音楽を楽しんでいただく、という構成です。
ランチタイムのお料理は、前菜盛り合わせ、スープ、パスタ、デザート&コーヒーか紅茶。
ティータイムはケーキとコーヒーか紅茶。カフェインダメな方は、直接お尋ねしてみてくださいね。
昨年も演奏させていただき感銘を受けたのは、限られた時間内で食事の提供と片付けをするのに、慌ただしい感じが一切なかったということです。このレストランは、障害を持つ人の就労支援の場としても知られています。人それぞれ出来るテンポで、早くできない人はゆっくりと。代表の方がスタッフを、静かにじっと見守る姿が印象的でした。
人はそれぞれの呼吸を持ち、受容力の大きさも違います。障害の大小、苦手な分野、得意なこと、みんなそれぞれ。
演奏も同じように人それぞれでしょう。
メトロノームで指定されているとしても、正確なテンポで間違いなく演奏することが、本当に聴く人を幸せにするでしょうか。
昔の音楽は、人の脈拍を基準にテンポを設定していたようです。身体を使って表現することはわかりやすい。「歩くような」速さって想像しやすいですよね。

子育てや仕事に追われて晩御飯を作る時間がない人や、疲れて毎日のご飯を機嫌よく作れないと、だんだん笑顔がなくなり、家族の間に会話がなくなってしまう。それがまたストレスとなり・・・という循環の中で必死に生活している人の助けになろうと、一流レストランでシェフをやっていた女性が「家庭のご飯作り」の活動しているそうですね。

演奏会に来られない人の家に行って個人演奏会をできたらいいなと思います。ちょっと弾いてよ、と頼まれたり、ボランティアではなく。

そして、ごはんと音楽の嬉しい組み合わせ。
夢は、あちこちの土地に行ってその街の市場で(あるいは農家から)食材を仕入れて料理をし(私は演奏担当なので、料理は今回はパス!)、みんなで食べて、音楽を演奏する(演奏が食事の先でもあとでも構わない)。みんなで歌を歌ってから山に出かけましょう。
いかが?

posted by makkida at 09:40| あんなこと こんなこと | 更新情報をチェックする
当サイトの写真、記事の無断転載・無断使用はご遠慮ください。 Copyright 2023 Makiko Tomita Kida, all rights reserved.