2019年07月30日

印象深い先生

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うまく弾けたことを褒めるのではなくて、本質を理解できたことを褒める先生。
ふと思い出す先生がいる。
ベートヴェンの熱情ソナタの2楽章を聴くたびに。

私は高校でも大学でもソルフェージュのクラスは下の方だった。ピアノ科には、絶対音感があるのが当たり前で、書き取りもクレ読みもどんどん出来て、楽譜を初見でどんどん弾ける人がざらにいた。だから、ソルフェの授業は苦痛だった。
大学で、ある個性的な作曲家の先生のクラスになった。坊主頭でいつもラク〜なゆるゆるした服装で、杖をついて草履履いて(多分そうだったような)来られるこの先生のソルフェの授業は、これはまた他のクラスとは違うことをする内容だったけど、私にはとても面白かった。この授業では、基本的にピアノが流暢に弾けないと話にならないのだが、私は全然弾けなかった。彼の取り上げる曲は、多分、伴奏ピアニストとして歌曲をよく弾いていらしたからだろうと思うが、マーラー、ヴォルフ、世紀末ウィーンの音楽が多かった。チェロの曲があまりないこの辺りの作品に触れる機会が少なかったので、この先生の解説つき演奏は新鮮だった。そう、この方は、歌のパートを歌いながらピアノパートをグイグイ弾いていくのだ。
いわゆるソルフェージュの授業っぽくないね(^ ^)
ただ、リズムに関しては厳しかった。
ベートヴェンの熱情の2楽章の初めのテーマを大声で歌いながら弾く「感傷的になってズルズル酔っぱらったリズムでよく弾く人がいるんだけど、そうじゃないんだ」。シビアにリズムを細かく分けるのだが、冷たく機械的なところは無く、前進する強いエネルギーや意志を感じた。音符がそのリズムによって血肉を与えられたようだった。
音楽の美しさを表面的に捉えて「感情的に歌う」と、作品の本質が見えなくなる。基礎的なことを身につけずに、思慮深い理解無しに、書かれていることを気分に任せて表面的に崩すことを嫌った。

毎回の課題を学生はみんなの前でピアノで弾くのだが、私は先生の言うリズムの感じ方が理解できるのに、ピアノで思うように弾けない。でも先生は「あ〜あ!あなたピアノが弾けないけど、解っている!」と。「チェロでもいいんだけどー」「右手だけでいいから弾いて!」と元気に励ましてくれた(あまりの弾けなさに呆れていたんだろうけど・・・)。

「締め付ける服は体によくない」「ベルトは苦しい」と言ってゴムのウエストのズボンを履いてらした。
今思えば、チラと顔を出す一言や考え方はご自身の音楽に繋がっていたのだろう。卒業後、上野公園を、あのいつもの格好でスタスタ歩いてるのを一度お見かけした。どんなに興味深い話が聞けたかと思うが、その後直接お会いする機会もなく、演奏を伺うこともなく、だいぶ前にお亡くなりになったと聞いた。

ホロヴィッツの熱情ソナタのレコードを聴きながら、懐かしく思い出す、強く印象に残る先生。
posted by makkida at 22:00| 楽器演奏と身体 | 更新情報をチェックする

2019年07月28日

自然な自分の呼吸と。基本的なこと

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自分の身体は弾き方を知っている。
身体が分かっている弾き方を、その作品のテンポやリズムの流れに乗って、または音量や音質のバランスに合わせて弾けるようにするのが、練習。頭で弾き方を制御したり、作ったりすると、余計な緊張が加わると思う。音楽に合わない緊張は不自然。

弾けるようにするには、音楽(作品)の持つキャラクターやリズムのまま、ゆっくりテンポを落として自分のテクニックを見ていく。
ロングトーンの弓の動き、弾き出すときの発音、弓のスピード、曲線(スラー)の描き方、様々な種類の弓遣い(ボーイング)音の種類、指の押さえ方、音階、ポジションチェンジ、チェンジで右手に影響が出ないか・・・結局は基本が大事。毎回、基礎となる事柄に立ち返って磨いていく。

音の響きの仕組みを知っていることも基本の姿勢の一つ。
和音はバスから高い方へ音が重なっていく。土台がぐらついていては家も安全ではないのと同じで、安定した響きは低音が豊かに(音が小さくても)そのキャパシティの呼吸で鳴っていること。
高い音というのは小鳥の高い声のように遠くまでよく届くもの。逆にいうと、低音の発音は鈍く、柔らかく聴こえるもの。だから、同じフォルテの音量を出したときに、低音の方が弱く聞こえてしまう(あるいは物足りなく感じる)。
ボリュームよりも音質を考えることが大切。
楽器の持っている能力(キャパシティ)を存分に引き出すために、弾き手の自分が楽器を制御するのではなく、楽器の声(呼吸)を聴いていく、つまり、どのように音を出したいのか楽器を鳴り方を感じながら対話していく。これも基本だと思う。

そして、作曲家の語法を知ること。言語が持つリズムや重さ軽さ、アクセントのつき方、抑揚。言葉がついている歌のように弾けるといい。

いい歌手のように、まるでふだん話しているようにリラックスして、自然な呼吸で弾き出せたらいい。
歌うため、弾くための特別な呼吸ではなくて。今から弾く音楽、次に弾くフレーズやリズムに合った呼吸で。
音楽そのものが持っている自然な流れに合った呼吸と体の動きで、どんな難しい技巧を要する音形も弾けるようになれば、本番での失敗も恐れなくなるのではないかな。

いい音楽をするために地道なことを一生続ける、音楽家の生活なんて地味なものだ。
posted by makkida at 18:25| 楽器演奏と身体 | 更新情報をチェックする

2019年03月04日

呼吸と弓使い

生きていくのに一番大切な呼吸。
弦楽器を弾くときの運弓(弓使い)、右手の動きは呼吸。

「自分の自然な呼吸に集中する」
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毎日、毎時間、毎分、毎秒、濁って澱んでいく心。息を吐いて心をキレイにする。
「一生懸命でなく、丁寧に」

呼吸は瞑想。
ゆっくりなボーイング(運弓)は瞑想。
posted by makkida at 11:04| 楽器演奏と身体 | 更新情報をチェックする

2019年01月11日

ココロは嘘をつく

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久々に行ったハーモニー体操(フェルデンクライス)のクラスで、講師のコンラッドさんが話してくれた「体と心の関係について」がとても興味深かった。
心はたまに嘘をつく。
「私は元気。疲れていない」と思っていても、例えば頭を動かすときに、体の他の部分が固まってしまって連なって動いてくれないことがある。まだ動ける、まだ大丈夫と思った時、体がそれについて来るかどうか。体の動きをチェックすることが、疲れ具合や怪我回避のバロメーターになるかもしれない。
心は簡単に嘘をつくけれど、体は嘘をつかない。

学生の頃、私はチェロの先生(教授)に「君は音楽はいいから、もっと技術を磨きなさい」と言われていた時期があった。室内楽が楽しくて、デュオ、トリオ、カルテットなどに手を広げていた。自分では本気に取り組んでいたつもりだけれど、気持ちはソロ曲の練習より室内楽に向いていた。
ある時、進路がうまくいかなかったことがあり、「これから基礎をやり直すつもりで取り組みなさい」と言われ、私は落ち込んでいたこともあり、その言葉に素直に(?)従い、ひと夏、音階、指の練習やポジション取り(シフト)の反復練習など、基礎練習に1日何時間も費やした。
それでどうなったかというと。
楽器を弾くことが怖くなり、5キロ痩せた。
心が蓋をしてしまったように、固くなり、閉じこもってしまった。気持ちが動かなくなった。水面の上の一部分だけが反応しているような感じだった。
本当にチェロが弾けなくなってしまった。

これは、嘘ついたのかどうかわからない。
見ようとしなかった結果、自分をいじめてしまった。
やらねばならない、これを克服しなければならない、と決めてしまった。頭を動かさずに行動する方が楽だから。もっと考えなければならないことがあったのに。音楽をしたいのに、音楽を無くして楽器の訓練をしてしまったのだ。

その後もしょっちゅう。30代の苦しかった時期もずっと。
たくさん練習してリハーサルでは弾けているのに、本番で体が自由に動かなくなり固まってしまい、響く音を鳴らせないし、音は外すし・・・。

専門家になるために、小さな嘘をつき続けているのではないか。
理想を持つことは大事だけれど、何を考えるか的が外れていては、何年経っても芽が出ず、変わらない。やみくもに練習だけ重ねていても、弾けるようにはならない。表現者は、自分のやっていることを理解することが大切で、自分のしたいことを大切にしなければならなくて、それが良さを伸ばすことになる。

世の中の評価はそんなに間違っていないと思う。
商業ベースに乗れる演奏家になるより、一音出して、それが心を打つような音楽をしたいと思っているのだもの。
posted by makkida at 20:05| 楽器演奏と身体 | 更新情報をチェックする

2018年06月30日

聴く、探す、見つける、弾く、そして遊ぶ!

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 楽器を始めたらなるべく早い時期から人とアンサンブルをして、互いの音を聴き、楽器に慣れ、弾く楽しみを感じ、自然体で音を出せるようになれたら素敵です。
 楽器を学ぶ人は、楽器の弾き方の基本、音の出し方の手がかりを学んだ後は、なるべく自分で疑問を持ち問題点を見つけ、色々な方法を探して試してみることが大事です。様々な作品を勉強するには、作曲家の時代の弾き方、または作曲家独自の語法・・・それは時代背景から得るものもあるし、音楽史(歴史)、言語など様々な切り口から考えて音のイメージをつかむ必要があります。

 演奏技術の基礎に関しては、いろいろな技術習得や楽器に慣れるために、耳と頭を使って集中して基礎練習や練習曲に取り組むことが必要です。ある程度弾けるようになってからは、自分が何を練習しているのか理解したほうがいいです。
引き出し(奏法・技術)が多い方がいいですが、音楽と関係なく技術だけが一人歩きするのでは、なんのためのテクニックか分かりません。つまり、どうしてその言葉や言い回しを使うのか、それがテクニックです。
そして、作品のスタイルや音楽の中身を勉強して、どんな技術を使うか自分で選ばなくてはいけません。一人一人それぞれの体型や個性やアイデアがあるように、答えは1つではなく、「探して、見つける」作業は音楽を続ける限りずっと終わらないのです。

 身体を楽にして音を出すワークショップをしてみたいと考えています。
右手は呼吸です。息に音(言葉)を乗せていくには、まず開放弦を解放されて(!)弾くことができないと、混みいったパッセージ(言葉遣い、セリフ)も混乱するだけでしょう。腕をどこから動かすのか、身体のどこに繋がっているのか、気づくことはたくさんあります。
呼吸と弓の動きや身体のつながりに気づくために、身体をまずリラックスして簡単な動き(ゆるゆるした準備体操)から始め、開放弦を鳴らして倍音を聴きながら音を重ねて行く。調和の気持ち良さを聴き(感じ)、バッハのコラールで和声と響きを味わおう、という遊びのようなワークです。

 自由になるために、楽器を置いてリズムに合わせて歩き回ったり、身体を感じるままに揺すったり、ジャンプしたり、スキップしたり、そんな簡単なこと?と思われるかもしれませんが、意外と出来ないものなんですよ!
日本人の体には前屈みで田植えをしたり畑を耕す動きの癖が入っているかもしれません。拍を手で打ってみよう、というと上から下へ打ち下ろす、動きが下で止まってしまう人も多いですね。拍やリズム、すなわち音は決して止まらないのです。上へ跳ね上がる動き、これがリズムであり、前へ進む音楽のエネルギーです。演奏する作品がどこの国や民族のものなのか、どんな言語や踊りを持つ人々の音楽か、それによってリズムの捉え方も変わります。ダンスのステップ(上手じゃなくても)のイメージが無ければ、舞曲は弾けないでしょう。言語もリズムや抑揚に大きく関わっています。そのものと言っていい。
その度に一緒に考えていければいいですね。

挙げていくときりがないですが、このような遊びの観点からアンサンブルのワークッショップを始めてみるつもりです。
posted by makkida at 10:00| 楽器演奏と身体 | 更新情報をチェックする

2018年01月03日

原因?

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2018年元旦の夕日
ネットで検索でき、メールの返信、SNSの反応など、すぐに答えを求められる(答えることが可能になる)傾向にあると、「こうなった原因」の答えが見つかるような気になります。「どうしてこの人はこうなのか」「こういう行動をするのか」「こうやって弾くのか」「こんな姿勢なのか」・・・挙げ句の果てに「あんなことしたのはこういう性格だからだ」と。

私自身を見てみると。
腰が痛む、耳鳴りがする、怒りが現れる、劣等感に襲われる、後悔する、失敗を思い出す・・・完全に都合の悪いことを制御することはできたら、いつもポジティブに、いい人でいられるだろうか。
こうなった理由は何層にも渡っていて、知られたくないこともあり、今はこうしかできない状況もあり、解析不可能だと思うのです。答えは一つではないとよく言うように、本当にそうだと思うのです。
私自身の体についてもわからない、どうなっているのか、なんと訴えているか本当のところわからない。訴えている言葉が真実ではないことも。自分に都合の良いように解釈するときもあります。
リラックスしているときは楽に楽器が構えられて、いい音がする。では、毎日、毎時、毎分、そのままでいられるかといえば、そうではありません。相手が生きたものであれば、すべてのものがそしてすこしずつ変化するのだから。
温度や環境や月日など、耳鳴りの原因がはっきりわかるわけがない。先生も医者も理解には限りがあります。特別な霊的な力で「わかる」人もいるでしょう。大昔、人類はみんなそのような力を持っていたかもしれない・・・。
今現在、この環境でできることをしなければなりません。だから自分自身で観察する。できることを自分でする。人の助けを借りる。
人と一緒に過ごすとき、それが仕事であろうとも、理想や持っている受容力や知識、コミュニケーションの方法が違っても対話ができればと思います。発信力は人それぞれで、想いの大きさは発言の多さとは別だから、「待つ」「聴く」「言わない」ことも対話の一部なのでしょう。その対話や交流が、いつもプラスの前進になるわけではなく、駄目な部分が露呈し疲労することもあるでしょう。表面に見えていることと、本質の部分で全く違うことだってあります(世の中で起こっていることはたいてい!)。それでも人は批評し、判断されます。もう、しょうがない。
芸術家は知識が多く正しくあればいいパフォーマンスになるのでもなく、確かではない、はっきり分からないことを抱えたまま、深層部で自分なりの答えをその時々に見つけていくのではないかと感じています。
新しい年を始めるにあたって。

posted by makkida at 23:54| 楽器演奏と身体 | 更新情報をチェックする

2017年08月04日

多湿と弦楽器

弦楽器には生きている材料が使われている。音楽的な耳と、それに基づく判断のできる大きな視点と繊細さを持つ職人の技術による手作業。美術品、工芸品と言ってもいいくらいのもので、音の出る箱ではない。普段からぶつけたりしないよう取り扱うのはもちろんだが、もし地震が起こってもダメージを受けないような保管を考える。物が上から落ちてこないように、とか、立たせておかないように、とか。

この楽器は、大きな音を出すために弦そして本体を十分に振動し、指板を縦横無尽に指を走らせ押さえることができる。素晴らしい設計でバランスが保たれているとつくづく思う。
そして4本の弦は強いテンションで張られている。湿度が高くなると弦が伸びてきて緩んでくる。そこから湿度が低くなったときに、張力が上がってしまうので、湿度の変化には要注意だ。長時間飛行機に乗るときには、気圧がかなり変わり乾燥するので、私は弦を緩ませておく。普段も、たまに弦を緩ませるとよい。楽器がホッとリラックスするように感じる(笑)。
多湿の夏、弦楽器にはエアコンと除湿機は必須。
膠で貼り付けている板の剥がれ、特にオールドの楽器は昔から今に至る間に生じた小さなひび割れ(修理済みであっても)には気をつけていないといけない。
弾いた後は、手で触れる部分は清潔な布で丁寧によく拭いておく。カビが生えるなどもってのほか!
昼間、車の中は冷房を止めるとすぐに気温が上昇する。50度の車内に楽器を置いておくことを想像すると・・・!ガラスを割って盗まれないためにも(!)置いたままは危険。
人が快適な温度と湿度より、ずっと管理がデリケート。これは湿気が気持ち悪いという問題ではない。残念ながら日本にいる限り省エネを実行できない。湿度を上げることは手作業でできるのに、逆は無理である・・・。

ガット弦を使うようになって、ますます手入れに神経を使う。
今年で終わりにしたい、と文句言いつつ、もう何十年も多湿の夏を過ごしているが、好きにもなれないし、馴れるものではない。
posted by makkida at 23:56| 楽器演奏と身体 | 更新情報をチェックする

2017年07月06日

宇宙と自分

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私がかれこれ10年お世話になっている整体の先生は、何の権威とも無縁、自分で理解することが全て。
自分で得た確かな証拠と触感による治療。人間の身体を部分で捉えるのではなく、関連を見つけ、状態を観察し、バランスを取っていく。大事なのは「治療が痛くないこと」と仰る。それぞれの身体や姿勢の癖を受け入れる。あるがままの姿を見る。丈夫なのが良いことでもなく、弱いところがある方が気をつけるからいい、とも。歯医者も「痛くないこと」「熱心な治療をしない(勧めない)こと」の観点で選んだのだそう。
どこどこ大学の有名教授が「まだ痛みの原因を部分で捉えて解決しようとしている」ことに時々腹を立てている。痛みに関しては「何が何に効く」とか「即効性」とか、簡単にお金に繋がるようなのは本当の治療ではない、ということか。
無理な力を使わない治療。温める、緩める・・・患者が気持ちがいいと感じる。

いいエネルギーが存在していれば草木もぐんぐん伸びる。彼らに意志があるかのように。

文字通り、今を生きる人。自分のペースでゆっくりと。
どんなに上手くいかないことがあっても、すっきりしなくても、今日一日で完結する。今日をそのまま受け入れる、謙虚なこころだと思う。
望めば向こうからやってくる。ヨガでも料理でも、初めから本質に直接触れることができる。
旅に手ぶらで出掛けて、帰りにはたくさんの宝ものを貰ってくるような人。出会った人が喋りたくなり、その人に大事なものを与える。
自然とそうなる。
宇宙が助けてくれる。
まるで『アルケミスト』の若者。

posted by makkida at 23:28| 楽器演奏と身体 | 更新情報をチェックする

2017年05月29日

音、感触の様々な違い

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どんな音を出せばいいですか、という問い。
あなたが「感じるように」。私が感じるものしか音にできないから。まずイメージがあってこそ音が出せる。
目を白黒させるか黙ってしまうか、または「でも・・・」と否定する声が聞こえる。
どこをどうやって手を動かせばいいかを知りたいのはわかる。
作曲家の楽譜を前にして、まず音符を見て追いかける。とにかく最後まで、指を抑えて音を当てて弓で弦を擦って音を出す作業を始める。それを続けると、音を出すか出さないか、onかoffか、が脳にとって当たり前になってしまう。
楽譜は、どこへ進むのかを知る地図であり、どんな台詞があるのかを教えてもらう台本のようなもの。情報が全てあるが、全ては書かれていない。作曲家が残したかったアイデアや思考のほんの一部、氷山の一角。
「それは音楽の話でしょ」という声が聞こえる。
あなたが出して(出そうとして)いるのは音楽の音でしょう?

自分の内側から音が出る。どうやって身体を動かすか、それは内なるリズムである。リズム感が、圧力や速さや色々な種類の弓の動かし方を決める。意思が身体を動かす。
弦楽器で難しいのは、弓をうまくコントロールできないと思ったような音が出ないこと。
まず自分がどんなイメージを持っているのかを知るために歌ってみる。頭で考えている形より、思わず歌ってみたときの方が素直な自分の感覚だったりする。音程がうまくつけられなかったら音程はいらない、声に出すだけでいい。リズムを声に出して言ってみる。言葉を喋るように。
スムーズに声に出せるようになったら、弓で弾いてみる。すると思いがけず(笑)弾けてしまったり、音程は悪くてもリズムはうまく取れたりする。初めにできなかったときより、できないポイントが明確になる。そうやって少しずつイメージに近づけていく。

意思が身体を動かす、と言った。
頭で「こうやって動こう」と考えるのが意思だとすれば、これはちょっと違うかもしれない。
自分の内側の思いやアイデアに突き動かされるようにして、内なるエネルギーとなって、身体を動かしてくれる。

リズムをうまくつかめないとき、頭で考えるのではなく、身体のあちこちを使ってみる。よく手を叩きながらリズムの練習をするが、その叩き方に硬さがあれば、つまり身体が緊張して硬くなっていたら自然なリズムにならない。リズムは自然の動きのなかにある。手で膝を打って、反動で空に円を描きまた膝に帰ってくるまでが一つの拍で、そのなかにリズムがある。その動き自体がリズムである。
腕の力を抜いてみよう。腕の重さが感じられる。手を打つときその重さがエネルギーとなる。思い切り打てばその反動も大きい。
口も一緒に動かしてみよう。手を打ちながらリズムを言ってみる。ぴったりく来るだろうか。口で発することを頭
が邪魔していると感じるだろうか。呼吸を止めたりしていないだろうか。
身体が固まってきたら足も動かしてみる。よく弾きながら拍を取る人がやる、つま先だけパタパタ動かすのではなく、かかとを上下に動かす。左右の動きを加えたっていいし、膝を大きく動かしたり、ぴょんぴょん跳ねたっていい。口から足の先まで一体になるまで続けてみる。
楽器を置いてこんなことをしていると、身体が温かくなって、身体の中が巡ってきているはず。そこで楽器を手にとって音を出してみよう。
さっきより動きが軽やかになっているかもしれない。

さて、「どんな音」という話だった。
印象派の絵画を見ると、それぞれ画法の違いがあり、色の使い方だけでなく、様々な筆のタッチがあることに気づく。弦を弓で擦るのも、筆のタッチと同じだ。微妙な違いが音色の変化を生む。
難しいだろうか?
猫を撫でるのと、人間の赤ちゃんに触れるのと、ヒヨコや小鳥を手で包むのと、同じ柔らかいものでもそれぞれ違いを持って触っているだろう。生まれたての生き物と、年老いて硬くなった生き物。新芽とゴツゴツの木肌。ふかふかの土。ぬかるんだ土。乾燥して埃っぽい土。
弦に弓を当てるときに、限りなく色々なやり方が可能だ。感じること、自分で考えることをやめなければ、可能性はたくさんある。

どんな音を出すかは、自分の内側で感じることであり、それはとても具体的なイメージだと思う。
posted by makkida at 11:10| 楽器演奏と身体 | 更新情報をチェックする

2017年04月17日

自分で観察する

プロの演奏家は身体の痛みがつきもの。
演奏家自身、10代や20代の頃からそう信じている人が多い。
腱鞘炎で弾けなくなった天才が伝説のように語られ、手や肩の痛みは勲章のよう。痛みをこらえて本番を乗り切るのがプロのように描かれてみたり。
でも、痛みがない方が楽しく音楽ができると思いませんか?

身体の小さな日本人には西洋の楽器はサイズが大きい、と言われるのは間違えではないと思う。
メニューインがヨガをやっていたのは有名。楽器をなるべく楽に持ちたいし、心地よく音を出したいのは皆の望みではないだろうか。
楽器をどう構えるか、弓を持つときどこに何指を置くか、左指をどうやって広げるか、指をどう早く均一に動かすか・・・いつも問題にしやすいのは道具である楽器に関してだ。もちろん、誰でも初めて楽器に触れるときに構え方、持ち方を学ぶ。弓のここの場所に何の指が当たって、この角度で楽器をどこに当てて、エンドピンは何センチで・・・鏡で見て確認しているうちに、良くないことにガチガチに身体が固まってしまう。身体の調子は毎日違うし、1日のうちでも変化するのだ。
いつになっても「楽器を弾く」と「音楽をする」がなかなか結びつかない。
いい音を出すには、身体がどのようになっているときか。音楽が欲しているものを音にするときに、自分の身体が自由に反応できるようにしたい。では、どうすれば自由になれるか。
力を入れる、緩める、とはどういう状態か。常に自分で観察することが必要だと思う。
多くの場合は、ひどい痛みは突然やってくるのではなく、大変なことが起こる前に、なにか前兆があるはず。
ちょっとした痛みがあるときに、その痛みがどこから来るのか。
痛みが根深くならない前に、自分で毎日少しでも対処できるといい。

自分で対処できないほど辛くなったら、考え方も否定的になりがち。手術などの深刻な事態になる前に、信頼する整体や医者にお世話になるしかない。

指が痛むとき、それは肩甲骨周りとつながっている。腕に違和感があるときは腰も疲れている可能性がある。
逆に、大きい部分から末端へと見ることもできる。
疲れると身体のバランスが崩れ、腰の動きが硬くなる。腰や背中の動きが柔軟でなくなると、腕、足、肘、膝、手、指が部分で頑張らなければならなくなり、全体の関連した自然な動きでなくなるので無理が生じ、痛みが出る。
また、身体の左右どちらかを酷使すると、それをかばうように逆側が痛んだりする。
バランスと言うけれども、左右対称がいいとは思わない。元々その人が持っている弱さや強さがあるのが自然で、歪みもあるかもしれない。

考えることはたくさんあるけれど、まず楽器を持たないで単純なところから。

ちいさな子どものように起きてすぐ走り回れない身体になっている人は、布団から起きだす前にちょっとずつモゾモゾ身体を動かす。少しずつ身体が動くようになるまで徐行運転。
今日の身体の様子はどうかな?コリを感じる部分、詰まっている場所、違和感はどこにあるかな?
動き出しても、固まってきたな、疲れてしんどいなと感じたら、前かがみになってぶらぶら〜っと身体を揺する。立って両手の重さを使って左右に回したり、ぴょんぴょん跳ねてみたり。

ストレッチは、筋を伸ばしすぎるとかえって痛めるので結構難しい。パーソナルトレーナーなどについて一緒にやるのがいいと思う。
自分でやるときは、手足の関節をピンと伸ばしすぎず、だらんだらんとだらしなく。ここを伸ばすと気持ちいなあ〜、あくびが出るくらいがいいのでは。地面に足の裏がどんな風についているか感じてみる。

瞬時に筋肉を使うためには、まず緩んでいなければならない。
「緩む」ということが理解できない人は、ギュッと力をいっぱい入れてみるといい。息を止めて。
そしてパッと離す。そのとき呼吸は吐いた?呼吸がとまったまま?
息を吸いながら拳をぎゅっと握ったり、息を吐きながら握ったり。パッと離したときに呼吸が自然に伴うかな?
では、ずーっと鼻から呼吸を吐いて行く。もう空気がない・・・というところで、スッと空気が入る。何回かやっていくと、空気の入っていき方も勢いよく入っただけだったのが、じわ〜っと広がっていったり、入る場所も変化してくる。そのときに、身体も一緒に膨らんだりするだろうか。もしかしたら、途中で詰まって楽に息が入っていかないかもしれない。
呼吸が自然に、自分なりに深く楽にできると、楽器の音の出し方も変わってくるでしょう。
posted by makkida at 16:43| 楽器演奏と身体 | 更新情報をチェックする

2016年02月12日

耳の不調について

耳の詰まりや聴こえ辛さについて。
低音感音性難聴。ある一定の音域の聴力が弱まる状態、音楽家には多いようです。
以下、科学的根拠には基づいておりませんので、どうぞご了承ください。

難聴や耳鳴りはわからないことが多く、原因は確かではないですが、私の経験からこう考えています。精神状態の乱れ、自分を追い込み責める過度なストレスがあり、心が頑なになることに伴う身体の冷え、こわばり、そこから腰、背中、首の血流が悪くなります。そして、首から上に過剰な水分が溜まる。
学生の頃から耳鳴りは気になっていました。本人しかわからない音ですし、聴覚の検査をしても演奏家は「普通」より聴こえてしまうらしく数値は問題ないし、お医者さんに行っても解決しないんですよね。一時的に増えてしまった「シャー」「キーン」は、首を回していると治まったりします。
低音の一部分が聴こえにくくなったときは、ちょうど仕事でスメタナの「わが祖国」をやっていて、自分が出すピアニッシモの低音が聴こえず、「ああ、私もスメタナのようになってしまうのか」と思ったものです。身体をほぐそうが、耳の周辺をマッサージ(ツボ押し)しようが、足もみしようが、治りませんでした。漢方も処方してもらいましたが、合わなかったようで効き目なしでした。幸い、医者の生徒さんがいましたので、相談したところ「すぐ耳鼻科に来て」と言われ、そのときはイソバイトとビタミンB12の薬を処方してもらいました。水分を排出し、血流をよくする働きらしいです。液体の薬、苦手でしたね〜。すっきりするまで1ヶ月くらい飲み続けた記憶があります。なにはともあれ、早めに対処することが大事なようです。

寝不足のときに大きな音に過敏になったりしますが、このせいなのか、もともと大音量は耐えられないのかよくわかりません。

最近、また耳が詰まり、聴こえが悪くなりました。何年かぶりに高熱で寝込み、食欲がなくなり、体力が落ちたあとのことでした。少しめまいもありました。いつも同じ左耳で、前回と同じ時期、10月後半から11月でした。
東洋の治療法に詳しい整体の先生に漢方を調合していただいたのは沢瀉湯(沢瀉と蒼朮)。首から上の水分の過剰を下げるのを狙います。一時間近く煎じて少しづつ飲みます。翌日にはすっきりなくなってくれました。気圧も関係したように思います。漢方薬は、面白いことに、身体に合っているときは「美味しい」までいかなくても抵抗なく口に入るものです。沢瀉湯はめまいを伴う耳の不調に効くようです。
背中から上をほぐすヨガのポーズをじっくりやってみたのも効いたのかもしれません。

季節の変わり目は要注意です。原因がはっきりしないのに何か調子を崩しやすいときでもあります。
身体の動きが滞らないように、ゆるゆる身体をほぐしたり、血流をよくするように、首だけでなく、足、腰を冷やさないことは大事です。でも、同じ姿勢で仕事や楽器を弾き続けると、どうしても冷えやすいですね。天気が悪いと散歩にも出かけられないし。
なので、いつもカイロが手放せません!
posted by makkida at 10:59| 楽器演奏と身体 | 更新情報をチェックする
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