
長野県北部は秋らしい空気になってきました。夜は16度、ドングリが音を立てて落ちてきて、木の葉も色が変わり始めています。あんなに高温多湿で息苦しかったのが嘘のよう。
黄金色の田んぼを見るのは幸せな気分になります。新米が並び始めています。
自然界は静かに、刻一刻と変化しています。
能登半島の豪雨災害はなんと痛ましい・・・世界のあちこちで自然の力の恐ろしさに打ちのめされている私たち。強欲な人間の作り上げてきたシステムに、自然界の見えない力が「もう我慢ならない」と憤っているのでしょうか。
説明のつかない、でも確かに心を慰めて温かく包み込んでくれる、ホッと安心させてくれる「何か見えない力」を持つ人は、いつの時代もいるものです。
文字を読めず、教育を受けることのできない人が多くいた頃は、知識のある「物知り」だけではなく、不思議な力を持つ人がいることを信じていたのではないかと思います。そういう人が権威(人間の支配者、統治する組織)によって「魔女」と恐れられたり、処刑されたりする危険もあったでしょう。人間は弱くて恐ろしい・・・。
高学歴でなくても実に多くのことを知っている人がいます。生きて行く上での知恵とか、世界の歴史や文化、地理、言語、文学、生物のこと。機械を修理できたり、楽器を弾いたり、本を読んだり、勉強したり。有名な学校を出なくてもあることに秀でている人はいます。素晴らしい能力を持っているかどうかを判断する力を人間が持っていないだけで、その人の能力は計り知れない。
ビンゲンのヒルデガルトは、天から啓示が与えられ、ヴィジョンが見えた、という稀有な人です。ただ何もしないで待っていた訳ではなく、聖書や書物を読み、真実を求め続け、学び続けているうちに。
教えられなくても、そのものになりきることで、できてしまうということもあるだろうと思います。
能力や理解というのは説明ができない。

最近の祈りと音楽の話を二つ。
心身にダメージを受けた人の癒しのために行われた小さなミサで、ヒルデガルトの音楽を演奏する機会を与えられました。カトリックのミサでは式の流れの中に音楽がなくてはならないものとして存在します。詩の意味の通り、弾きながら体の奥底から喜びが湧いてきたのは不思議な、でも、とても自然な感覚でした。ミサで奏楽するのは初めての経験で、ヒルデガルトはそのための音楽でもあり、司式をされた神父から「祈りと音楽が一体となった」と仰っていただけたのは本当に嬉しいことでした。
プロテスタント教会の永眠者記念礼拝で、牧師自身が心の奥に深い悲しみを抱き、心が泣いている様子があまりに辛かったので、翌日、牧師を訪問してチェロを弾いて差し上げました。毎日ギリシャ語やヘブライ語やドイツ語で聖書を読みながら勉強している、この物静かで、謙虚で、とても控えめな牧師は、ご自身のことをあまり語らないけれど、10代の頃にギターを弾きながら作曲をなさったことを話してくれました。「天から降りてきた」短いメロディがたくさん書かれた古いノートを見せてくれました。
啓示はヒルデガルトのような特別な人にだけ現れるのではないのだろうと思います。
