2018年10月15日

楽器を弾くことだけじゃない〜(続)ヴィットリオ・ギエルミ氏のレッスン記録

前回は「響き」について、私の考えに織り交ぜる形で書きました。ここではレッスン風景をカメラマンが撮った写真を紹介しながら、思い出せることを記録しておきます。
具体的な話の内容(これはこう弾く、とか)ということより、もちろん歴史や楽器の興味深い話はあるけれども、彼の思考回路を追うことや伝わるエネルギーが印象に残ります。単に私の理解力不足かもしれませんが。
学生に合わせてバスパートを弾いてくれるのですが、俄然、音楽が動き出す!こんなに弾きやすくなっちゃったら勘違いしちゃうんじゃ???なんて・・・(笑)!D-Durのガンバソナタ冒頭のバスパートの優雅な歩み、なんて美しい響き!羨ましすぎるぞ、T君。
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速いテンポの楽章で、細かいパッセージをどのように喋るか。手先だけで弓を少なく動かしていた学生に。
「自分が東京の地下鉄に乗っているときに、解らない日本語が『○△☆×◎*・・・』と聴こえた。君が弾くのはまるでそんなように聴こえる。」何を言ってるのかわかるように、抑揚のある喋り方を。
手先を動かすと、上腕も自然に動く。腕全体が繋がりを持って動く。
弓の毛と弦とのコンタクトがいつも大事だ。
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その音は硬くぶつかるのではなく、「ヴンッ」と弾む。立ち上がってジェスチャーを交えながら話は次々に発展し進む。
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弓を大きく動かすときは、準備もそれに応じて必要になる。
大きくジャンプするみたいに。ジャンプの前にかがむでしょう。
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身体の動かし方がダンサーみたいだ!

コンクールを受けるという学生に。
「音楽は音で表現するもので、演奏するときに顔の表情を大げさにするのは好きじゃないが、見た目も聴く人には演奏者の印象の一部。楽しい曲想なら楽しそうな表情の方がいいと思うよ。」
そうやって話すヴィットリオの表情は豊かだ。もともと目鼻立ちがくっきりしている人が表情を少し変えても(目を大きくしたり、眉毛をあげたりするだけでも)、変化が分かる。こういう人が「顔で演奏するわけじゃない」と言っても、無表情には決してならない!奏者の内側から出てくるものは自然とあるはずだ。
コメディアデラルテの中のそれぞれの登場人物の性格が明快であるように、曲それぞれダンスやいろんな楽章、フレーズが持つ性格や表情がある。
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「ヨガはいいよ。」「以前、一週間ヨガを教えてもらうことがあり、身体全体のつながりが感じられて素晴らしい体験だった。」
深い呼吸が感じられるのはこういうことだったのですね。
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バッハの組曲などチェロの曲を持ってきた学生に。「チェロの曲もいいけど、ガンバを弾くんだからまずガンバのレパートリーをたくさんやったほうがいいよ。教えるけどね」
1つのものからどんどん発想が生まれるように、彼の頭の中でいろいろな事が結びつき、身体が有機的に動いているようだ。夢中になる集中力がすごい。
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最後にいい表情が撮れました。
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photos by Shinichi Kida
これらの写真の使用についてはギエルミ氏本人に承諾を頂いています。
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2018年10月07日

響きについて

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今回イタリアのガルダ湖畔のデセンツァーノ・デル・ガルダで行われた夏のマスターコースで、ヴィオラ・ダ・ガンバ のヴィットリオ・ギエルミ氏のクラスを聴講してきました。16世紀の初期のヴァイオリン製作者ガスパロ・ダ・サロは、このガルダ湖畔にある街で生まれました。そのこともこの講習会の開催される1つの理由だそう。
ガンバ のクラスは今回が初めてで、惜しいことに受講生は2人だけ。彼らは4日間毎日一時間半ずつみっちり濃いレッスンをヴィットリオから受けられるのだから、素晴らしい体験だったでしょう。ヴィットリオの音だけでなく、音楽や楽器に対する姿勢を、いつも回転している彼の頭の中(とっても賢くて、想像力豊か。そしてユーモアもある)・・・その思考回路を見るように、様々な話を目の前で話してくれるなんて、聴いているだけの私からすると本当に贅沢な時間!
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Mr. Vittorio Ghielmi, Viola da Gamba photo by Shinichi Kida
改めて感じたのは、調弦の音のなんと美しいこと。
5月の東京でのコンサートでも、初めに印象づけられたのがこの調弦の音でした。
そして、楽器の共鳴。ヴィオラ・ダ・ガンバ という楽器はこんなに響くものだと。楽器の中で響き合い、深く、澄んだ音色が長く残ることに本当に驚きました。想像していた響きがここにある、と霧が晴れる思いがしました。コンサートで彼は、楽器の中の響き合いと、ホールの残響をうまく使って音楽に集中していたのが素晴らしかった。それを翌日のマスタークラスでヴィットリオに話したら、「そう。今日はこのことを話そうと思っているんだ」と嬉しそうでした。

さて、今回のレッスンでも面白い話がたくさんあったので、写真を見ながら思い出して少しずつ書いておこうと思います。

本題ではないですが、響き、という点で、まず部屋のこと。
講習会の会場となった小さな音楽学校の部屋は、吸音板(というかマットのようなもの)が壁にあったりして、響きのある場所ではありませんでした。せっかく石造りの古い建物のあるイタリアなのになあ・・・と残念ではありますが、どこも資金繰りが大変ななか開催しているだけでも有難い。ヴィットリオは「デッドな(響きのない)部屋だ」と言ってましたが、日本での楽器を弾く人が日頃弾いている部屋に比べたら、同じ「デッド」でもまだマシ。
今回訪ねたアムステルダムのピアニストの家の音楽室でも、吸音を多くして、隣人の苦情対策をしていました。「デッドだ」と言う彼女も、そうか、イタリア人だった。日本の防音室の耳が詰まる状態に比べたら、まだ弾きやすい部屋。
楽器を手にした時から、音が畳や絨毯などで吸われ全く響かない部屋でずっと練習を続けている人が、響きを使って音楽をする発想を持てるでしょうか。音が空間に広がったり、音と音が溶け合ったり、ぶつかったり、揺れたりするのが楽に聴こえるでしょうか。倍音が自然に聴こえるでしょうか。
響くということを知らなければ想像することも本当に難しいと思います。
音符の音が正しく出て、並べられ、粒立って、テンポどおりに演奏することに集中せざるを得ないのも分かります。「合っているかどうか」そんな答え合わせが音楽ではない、と頭で理解していても、なんとなく知らぬ間に(そうなんだろうか)「合っているか、間違っているか」の耳で聴いたり、自分を判断し余裕がなくなって来る・・・。
かなり意識して弾いたり教えたりしなければ、と思いました。

ヴィットリオが、響きとは何かの話を膨らませてくれました。
音にはたくさんの倍音がある、倍音がたくさんあるから響くのであり、それは宇宙のシステムだ、と。宇宙に存在し、聴こえる音。それが、ガンバ の楽器の中にある。
ヴィオラ・ダ・ガンバ は、ヴァイオリン属とは違い裏板は膨らんでおらず平らで楽器のフォルムが違い、そのため響きが残りやすいのです。まるでギターのように。
「朗々と旋律を歌うように弾きたいならチェロを弾けばいい。ヴィオラ・ダ・ガンバはもっとたくさんの響きを持っているんだ」とも言っていました。
5度の開いてはっきりした響きではなく、4度調弦の柔らかに重なる響きも、ヴァイオリン属とは違う響きを生むのかな、と思います。鐘のようにシンプルであり、たくさんの音の成分を持つ、自然な響きは私を平安な気持ちにさせてくれます。

誰がストラディヴァリウスを持っている、というのも大事だけれど、ピリオド奏法が1つの流れを作り出している現在、これからは変わってくるでしょう。なぜなら、名器を持って第一線で忙しく演奏活動をする人は、商業的にうまくいかないと成り立たないから。つまり、クラシック音楽をやって「売れ」なければいけないから。
楽器の仕組みや性質、その時代(時代背景含め)に合った演奏法を理解した人が楽器から本来の響きを引き出し、目的や理想を持って音楽を編み出していく。それは現代音楽も同じだろうと思います。そういう中で、特別な名器を持っていなくても、充実した中身のある、そして本来の姿で音楽を楽しませてくれる活動はどんどん可能になるでしょうし、そういういい音楽家が増えるだろうと思います。きっと。
posted by makkida at 20:37| 2018年ヨーロッパ旅 Europe2018 | 更新情報をチェックする

2018年10月02日

2つのピエタ

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ミケランジェロ晩年の作、ロンダニーニのピエタ(Pietà Rondanini)。
若い頃の圧倒的に完璧な姿に仕上げられたピエタと比べると、未完と言われるこちらの作品は、イエスの脚以外は削っている途中のようです。イエスの右腕が体から離れてもう一本ありますが、別の姿勢を試してみてやめたのか。マリアもイエスも顔がはっきりしませんが、これは途中というより、だいぶ小さくなってしまっています。ある角度からしか表情を掴むことはできません。全体のバランスを整えて美しく仕上げることをやめて、色々試してみた結果、もうこれ以上掘れなくなってしまったように見えました。
マリアは台か何かに乗っているのか、イエスの位置より少し上にいるようです。イエスが母をおぶっているようにも見えますが、母がしっかりと抱きかかえています。背後から、つまりマリアの少し覆いかぶさったような丸い背中から見ると、イエスの姿は見えなくなります。私には、イエスはマリアのお腹の中にいた、母と子の原点に戻ったように感じました。子の亡骸を自ら抱く・・・そこに言葉も表情も要らないのです。

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ケーテ・コルヴィッツ(1867ー1945)のピエタ「亡き息子を抱える母」、ベルリンのノイエ・ヴァッへ(Neue Wache, Berlin)にあるもの。1937から38、39年に作られたオリジナルを大きくしたもの。
この母と子の姿は、言葉も必要なく、直接訴えてきます。息子の頭を抱える母の大きくゴツゴツした手。大きな母の背中。力を無くした子の脚・・・。我が身から出てきた子を先に亡くした母の姿は悲しみの塊のようです。ケーテの息子ペーターは第一次大戦に出征し戦死しました。貧しい労働者階級の人々を作品の題材にしてきた彼女が、非人道的なナチスの独裁政権が猛威を振るう狂気の時代の只中、我が子を戦争で亡くすという肉体と精神の大きな痛みが、まっすぐに形となって表れたように感じます。

立て続けに襲う地震や台風などの自然災害、それに伴う様々な、人間が作ってきた社会の中で起こる事故。醜い戦争。
どの時代でも、どんな人間でも原点にあるのは生命の始まりの記憶です。忘れられないはず・・・!
posted by makkida at 11:48| 2018年ヨーロッパ旅 Europe2018 | 更新情報をチェックする

2018年09月16日

クルターク氏のレッスン

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Prof. Mező, Mr.& Mrs. Kurtág photo by Shinichi Kida

ハンガリーのメズー先生にお願いして、クルターク・ジョルジュ氏のレッスンを受けることができました。
メズー先生が1957年にパリで第1回カザルスコンクールを受けた時のピアノ伴奏者だったというクルターク氏。1956年の革命で多くのハンガリー人が国外に出ましたが、彼も同じようにパリへ移住していたそうです。1926年生まれのクルターク氏、第二次大戦の独裁政権下、戦後の長い社会主義体制の恐怖政治を経て、壁が崩壊し西側資本が入りEUとなり、変化著しいハンガリーの歴史とともに生涯があります。

ブダペスト・ミュージック・センター(BMC)の中の一室を訪ね、ドアを開けるとソファに座ったクルターク氏が。写真と同じ姿でそこに!マルタMárta夫人も出て来られました。
「サイン、遊び、メッセージ」から数曲を演奏しました。
どんなに小さな音も弓と弦のコンタクトが常に大事であること。間髪置かずに爆発するff、fff、ffff。全ては体の中から出て来るエネルギーであること。
様々な明確な性格を持った1つ1つの音、正確なリズム。音が少なく短い作品を理解するときに、これ以外の重要な要素はないくらい、全ての音が身体に入っていなければ演奏できないということを痛感しました。頭での理解は本当に理解できていない、ということも。やっているつもりで出来ていないのは、理解できていないのと同じだと思いました。演奏者の感情や事情は一切必要ない、ただ音に集中するのみ、です。
考え方、生き方の姿勢が音に全て現れ、見透かされてしまうのでした。厳しい指摘はもっともなことばかりですが、問題点を見抜き、的確に教えられるのは優れた先生であり音楽家だからです。90過ぎても尚衰えない、むしろ研ぎ澄まされていく聴覚(多分、耳だけでない感覚も)と生活の中の身近な(子どものような)感覚、瞬発性のある内なる強くしなやかなエネルギーを見ることができました。これが彼の音楽の世界だと思います。
マルタ夫人はジョルジュ氏の隣に座っていましたが、夫妻は何も言わなくても同じように音楽(少なくとも夫の作品)を理解し感じているようでした。だから二人の連弾は、体内の深いところで一致し、澄んだ音の世界になるのでしょう。

隣合うキッチンに用意されていた夕食は、大きなシュニッツェルとフレンチフライ(ポテト)。
92(3)歳でこんなにしっかりした食事なのかと、エネルギーの源の一端を覗いたようでした。

BMCの建物を出たところで、メズー先生の次男でヴァイオリニストのペーテルにばったり会いました。ブダペストで人気のペーテルは、クルターク氏にも昔から愛されています。彼は今、クルターク氏のオペラ(92歳にして初めての作品!!!!!)のオーケストラのコンサートマスターをしています。リハーサルは刺激的だろうと想像できます。興奮気味に、彼の音の色彩は素晴らしい、と言っていました。
同じ街に住んで身近にいる偉大な音楽家との交流、それも音楽を創っていく現場での触れ合いは、若い音楽家を叱咤激励し技術を高め、引き出しを増やし、人間を成長させてくれます。羨ましい環境ですが、1日だけでも、クルターク氏の前で演奏できて、教えを受け、そのあと交流のある若手音楽家に話ができる機会を得られたことに、この恵まれた出会いに感謝です。
もっと音楽に集中せよ!
まず練習するのみですが、今後はガット弦で現代作品を演奏することは考え直さなければならないとも思います。どんな道を進むのか、何をやりたいのか明確に示せるかどうかは、人との間でしか見えて来ないのだと改めて気づかされました。
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posted by makkida at 23:55| 2018年ヨーロッパ旅 Europe2018 | 更新情報をチェックする
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