
雪の中から新年のご挨拶をいたします。
2020年は地球上のそれぞれの人にとって大変な一年でした。今この瞬間、寒さの中で暖かいものが食べられない人、暖かい場所にいられない人がいることを思います。今年は人々の分断や不安が少しでもなくなり、光の方へ向かいますように!
私たちは引越しでも仕事でも移住してからも多くの方々に助けられ、年を越せて、感謝でいっぱいです。
ここ野尻では、年末年始は雪が降り続いています。除雪車は早朝にやってきます。朝、雪かきに外へ出て、家の前の車道が除雪されていると、まるでクリスマスの朝にプレゼントを見つけたみたいな気持ちです(笑)
家の前から車道までの雪かき、駐車場の屋根の雪下ろしから1日が始まります。朝飯前、というのは結構たいへんな仕事ですね。。。
除雪してもどんどん降り積もりますが、放っておくと埋れてしまいますから、除雪は死活問題です!交渉の末、除雪車に来てもらえるようになって本当に有難いです。
大晦日はヨーロッパのクリスマスイヴのよう。東京ではあまり感じなかったけれど、信濃町ではそう感じました。都会と同じように29日から年末休みの店もあれば31日まで開いているスーパーあり(最近はスーパーで暮れに「第九」の音楽を流すんですかね?アレンジには苦笑・・・)、多くの人は正月の準備をする・・・にも関わらず。家路に急ぐ住民、家の中では暖かそうな火があり、外は雪が降り続ける・・・どうやら、私にとってヨーロッパのクリスマスの原点が「マッチ売りの少女」の世界らしい。
実際はそうでなくても、空気感から想像しています。静かな時間です。
ここでは、信濃町や近隣産の季節の野菜、米、餅、酒(ワイン、日本酒、シードル)を買うことができます。東京では、全国各地から運んできた食材を買うわけですが、地方では地元産の新鮮な食材が安く手に入る。お金ではなく、豊かなことの1つですね。
ここで音楽家や写真家の仕事を見つけるのは難しいですが、有難いことに県内の繋がりも少しずつ生まれています。ここから東京だけでなく名古屋や京都へも車や鉄道で出やすいので、コロナが落ち着けば仕事も作りやすくなるでしょう。
日本でも将来ガソリン車をなくしていくのでしょうけど、地方では(特に町から離れた土地)一人一台車(軽自動車や軽トラなど)を所有するのが当たり前。電気自動車は、やはり気になるのが発電の方法。太陽光パネルの畑もいい景観ではないし、風力も騒音が問題。電化を主流にするために原発を動かすのは、最大の環境汚染な気がします。じゃあ、木を切って燃やす?
人間は生きていく上で、どうやったって自然を壊し汚すのですね。どうしようもない悪循環。開発、発展、作って壊す、捨てる・・・止められるものではないです。危機的なのに!しかも、何十年も前から想像できたこと。
どうせしょうがない、と諦めるのではなく、理解する努力をして、少しでもマシな選択を一人一人がして破壊の加速を遅らせる。
大事なのは自分で考え、選ぶことができる社会、結局、教育に繋がっていくのだろうなあ・・・。
先日の子どもたちのためのクリスマスコンサートで、終わった後に駆け寄ってきた子が「その楽器いくら?」と。たぶん、テレビの番組でも分かりやすく興味をひく話題として金額が出て来るのでしょうね。集まっていた子どもたちにはチェロ(弦楽器)を見たことがある、弾いたことがある人が結構いました。でも、音楽室においてあって、誰でも叩けば音が出るピアノでも、楽器の仕組みは多くのオトナも知らない。
弦楽器の中は何が入ってるの?空洞なの?
いい質問!
弦が4本張ってあって(特に私の弦は羊の腸なんだよ)、それを馬の尻尾で擦るんだ、なんて表面的な話だけでなく・・・。
昔の楽器は、近くの木や、死んだ家畜の骨や臓器など、身近にあったもので作ったはず。弦楽器の始まりは、弦一本を張って叩いた、打楽器だった。長〜い年月をかけて、世界のあちこちで広まっていって(いや、どこから始まったとも言えない、あちこちで生まれたのだろう)。
何百年も前に生きていた木、遠いどこかの山からいい木を選んで一本切り倒して、寝かして、遠くの国の腕のいい職人が丁寧に作る。それを何世代に渡って、いい演奏家が楽器に息を吹き込み、心を込めて音を引き出していく。なんて神秘的なんだろう!そんなことが世界中で受け継がれている。大事なものを信じる人たちによって。
ここには希望があります!
楽器の構造を説明したところで、どうしてこんなに美しい音色が出るのか、説明できないでしょう。今この瞬間私が弾いている、聴いている音楽が、今私が見ている彫刻が心を震わせるのは、どうやっても言葉で説明できない・・・。
説明できないもの、お金にならないものが存在するのです。(そこに価値があり、それを見える形→お金にする・・・楽器の値段や音楽家の報酬はそういうことでしょう)
コドモやオトナたちに楽器の話をして演奏をする、こんな活動もしていきたいです。
通好みの(笑)おはなしコンサートも復活したい。
コロナ禍で対面の機会がなくなって、演奏家も録画(配信)が当たり前になりました。なんでも録画(質の良くない記録)の方向でいいのだろうか、と思います。ライヴもレッスンも対面でしか伝わらないエネルギーがあります。大きいとか小さいとか、早いとか遅いとか、それ以外の空気の圧、動き、流れ・・・
だから人間が音楽をするのではないですか!
見えない大切なものに価値を見出す音楽家の演奏やレッスンは、録画では伝わらないと思います。逆に、足らない(または、不用意な)言葉による誤解を生む可能性もあります。その場に一緒にいる人にしか伝わらないのがライヴの良さです。聴いた人が、その場にいなかった人に、自分の思いや感動を言葉で伝えることが大切だと思います。
人とのコミュニケーション(会話)が時にスムーズでない、でも、分かり合える、という場合があります。お客さんが心から感動したとても親密で丁寧な音楽が、冷静に客観的に見ると、いびつな演奏かもしれない。
音楽をしている演奏者の内側に力が湧き、聴いているそれぞれの人も自分のうちに喜びを見出す・・・喜びも音楽も外から与えられるものではないと思います。
音楽は自分の中に存在するのだから!

黒姫山は見えず・・・
posted by makkida at 20:47|
プレーンガット弦と楽器
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